国つ神 ナナナキヒメは笑う
龍文書―47
【大熊】:普通の熊とは比べ物にならない程の大きさ。しかし数が少ないため、遭遇することは滅多にない。
「な、なるほどのう。では、それが仮に大熊の骨だと仮定すると、あの夫婦の家にそれがあるのは妙な話じゃ」
確かにそうだ。あの夫婦の願いは“娘を食べた蛇神が許せないから殺してほしい”という事。大熊の肝を使っておびき寄せても、彼らにどうこう出来るようには見えなかった。
だが、“攫った女神を生贄に捧げていた”と言うのが事実であれば、つじつまも合う。
家の裏に焦げた大熊の骨があったのも、恐らくヤヅノ蛇神に捧げる“肝の酒漬け”を作っていたからだろう。
ただ一つ分からないのが……。
「しかしユキメ殿の言い分が正しければ、なにゆえオガ夫婦は、ヤヅノ蛇神に生贄なんぞを捧げておるのじゃ」
そう。それが分からないのだ。
「確かに気性が荒い神じゃが、贄を捧げねば鎮まぬほどの荒さでもない」
カナビコは腕を組み、更にヒゲを弄って考え込む。いつものヒゲ弄りに腕組が加わったのだ、おそらく本気で思考している。
……ぽくぽくと木魚を叩く音が脳内で聞こえてくる。しかし何時まで経っても、おりんの甲高い音が聞こえてこない。
「分からぬなあ」
――――大きくなため息を吐いてしまいそうだったが、私は逆に大きく吸い込んだ。ため息は幸せが逃げるのだ。
「皆さま、陽が暮れてきたので、今回はここで中断しましょう」
気づけば太陽は西の方へと傾いていた。恐らく十六時と言ったところだろう。だからユキメは冷静に判断をした。
「そうじゃな。夜の山は物の怪が増えて危険じゃ。ここで解散とし、本陣で合流しようぞ」
「カナビコは帰らないの?」
彼の言い方が気になってしまい、私は心配の声も含めて彼にそう聞いた。
「うむ。まだ色々と調べたくてのう。故にわしはもう少し山におりまする」
「そっか。気を付けてね」
「心配には及びませぬ。サカマキもおりますので」
「――――え! 私もか!?」
帰って休みたいのだろうが、しかしそうさせてもらえず、私は少し可哀そうだなと思った。…………他人事だが。
「それじゃあ、私共はこれで」
「道中、気を付けるのじゃぞ」
ユキメが深くお辞儀をすると、彼らも同様にお辞儀を返してくれた。最初は少し威圧感があって取っ付きにくかったけど、いい関係を築けている様で安心だ。
「ではソウ様。翔びますので背中におつかまり下さい」
「ありがと」
…………そういえば、最近ユキメと二人きりになれていない気がするな。
彼女の背中に乗った時、私の頭の中でふとそんな考えが頭を過った。本当の事を言えば、もっと二人きりで武鞭をしたい。
「ねえユキメ。今回の件が終わったらさ、また龍血の武鞭やってほしいな」
「ふぇっ」
西ノ宮に帰る途中、空中で彼女にそう言ったら、ユキメは一瞬だけ体制を崩した。
――――少しびっくりしたが、それは彼女も同じかもしれない。
「も、もちろんでございます! このユキメ、喜んでご指導いたします!」
背中からだと彼女の顔は見れないが、それでも赤くなった耳がその感情を物語っていた。本当に分かりやすい耳だ。
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西ノ宮の外れ、白兎族の集落。私たちが本陣にしているミカヅキの家に帰ると、ウヅキが囲炉裏の傍で眠りこけていた。
「起こさないようにね」
ユキメの背中からそう囁くと、彼女も黙ったまま頷く。
そうして抜き足差し足で、私たちはナナナキヒメの様子を見に行くことにした。
――――ノックを三回。
「どうぞ」
と、少しハスキーな声が返ってくる。そっと扉を開けると、座布団の上で正座をしながら、ぼんやりと外を眺める彼女が目に入った。
ここで私は気付く。“あの臭いが薄くなってる?”と。
「体の具合はどう?」
私が声をかけると、ナナナキヒメはゆっくりとと私たちの方へと振り返る。
「はい。ウヅキ様がずっと付きっきりで看病してくださったので、かなり良くなりました」
――――臭いでも驚いたが、私は彼女の顔を見て更に目を白黒させた。
出来物だらけで凹凸だった肌は、完全とは言えずとも落ち着きを取り戻しており。土色だった肌も、しっかりとした肌色へと戻っていたのだ。
「凄い! だいぶ良くなってるじゃん!」
その様を見て喜ばずにはいられなかった。なにせ災難続きで身も心もすり減らしていたのだ。今の私からしたら、宝くじでも当たったかのような高揚感だ。
「はい。これも全部、ウヅキ様や天つ神の皆様のおかげです!」
「うんうん。本当に良かった」
思わず目に涙が浮かぶ。それほどまでにこの状況が嬉しいのだ。
「――――お帰りなさい! ソウ様、ユキメ様」
ウヅキが起きてきた。今日一日彼女の看病で疲れているだろうに、それでも彼は私たちを笑顔で迎えてくれた。
「呼び捨てでいいのに。……ただいま、ウヅキ」
「誠、大儀でございました。ウヅキ殿」
ユキメも笑っている。
山の中ではずっと警戒していたためか、少し表情が強張っていた。故に、久しぶりに彼女の笑顔を見たような気がして、私は少しほっとした。




