七柱の消えた姉妹は何処へ
龍文書―45
【久比川】:黄美山脈に流れる小川。アユが泳ぐほど綺麗だが、その小ささ故、誰からも見向きもされない。
「――――ところで、カナビコノミコト様は、国つ神退治の為にこの山に入られたのですか?」
ひた隠しにしていた筈の川ノ神討伐。しかしオガ爺さんは何かに感づいたのか、神妙な顔つきでその話を持ち出した。
「いやいや。この山に入ったのは、中つ国の調査のためじゃ」
「そうですかい…………」
カナビコの言葉を聞いて、あからさまに肩を落とすオガ爺さん。
「……何かあったのですか?」
彼の様子を不思議に思った私がそう聞くと、爺さんは少し表情に力を入れて答え始める。
「ええ。この山には、一柱の大きな神様がおるんです」
爺さんは涙を浮かべながらヤチオヒメの肩を抱き寄せ、彼女の頭をバスケットボールを拭くかのように撫でまわす。
「この山の清流、朱迎大川の神で、名をヤヅノミコオヅチと言うんですが。この神がまた手に負えぬのです」
「…………川ノ神」
思わず声に出してしまう。
しかし、彼の口からヤヅノ蛇神の名前が出てきたのは、特別不思議でもなかった。この山に住んでいるのだから、蛇神がどんな神なのかも知っているはずだ。
「ふむ。ヤヅノ蛇神ですな。確かに、あの神は少し問題が多い」
「――問題が多いなんてものじゃありません!」
ずっと黙りこくっていたヤチオが声を張り上げた。何か気に障ってしまったのだろうかと不安になる。でもまあ、これはカナビコのせいだ。
「どうやら、お主らは川ノ神と断ち切れぬ縁あるようじゃのう」
親子そろって泣き出す様を見て、ただ事ではないとカナビコも膝を正す。
「差支えなければ、何があったのか話してもらえませんか?」
つい我慢できず、私はその言葉を口にした。彼らの悲しき過去を掘り起こしてしまうと分かっていながら。
「……はい。あれは三年前の話です」
鼻をすすって一息ついたヤチオは、その言葉から始めた。
「ここから遠く離れた西の国、長門からここ大和へたどり着いた時、私にはまだ七柱の姉妹がおりました」
「――――え?」
七柱、てことは八人姉妹だったってことか? オガ夫婦もなかなかやりおるな。
「しかし、私を除いた他の姉妹たちは皆、毎年やってくるヤヅノ蛇神に食べられてしまいました」
目から涙をこぼし、嗚咽を繰り返すヤチオヒメ。
「私の姉妹たちは“ごめんなさい”。などと話も通じぬ神に、ひたすら許しを請いながら食われていきました」
他の記憶をかき分けて割り込んできた、その目を伏せたくなるような事実に、私の中で感情が混乱する。
「そんな事が。なんと言葉を掛ければよいか」
カナビコが俯き、顔の影をより濃いものにする。
――――すると、先ほどまで台所にいたはずの婆さんが、カナビコの膝元に擦り寄る。
「どうか! どうかお願いです! 私の娘たちの仇をとってください」
お願いします。お願いしますと何度も頭を下げる老婆。
見るに堪えなかった。もし私が死んだら、私のお母さんもこういう風に泣いてしまうのだろうか。と、そんな考えが頭を過る。
「…………カナビコ」
やり場のない感情を、この視線に乗せてカナビコに向ける。
「お任せください。天陽大神が平定なさるのです。ヤヅノ蛇神のような荒ぶる神は、決して許されません」
そう言って老婆に頭を上げさせるカナビコ。その見かけ通り、やはり情に厚い神の様だ。
「ソウ様。私は少し厠へ行ってまいります」
「……うん、分かった」
そう言って私に耳打ちをしたユキメは、抱き合いながら泣きじゃくるオガ一家を横目に、そっと席を立つ。
しかしトイレの場所も聞かずに行ってしまったが、果たして分かるのだろうか。
「……カナビコ。もう話してもいいんじゃない?」
これまで話さずにいた川ノ神討伐の件で、私はおもむろにカナビコの耳元でささやく。
彼らは何も知らない一般人どころか、むしろその毒牙の被害者だったのだ。だから彼らには話してもいいような気がしていたのだ。
――――しかし、カナビコは首を横に振った。
「なんで?」
おいおいと泣き合う彼らに構わず、私はカナビコの耳元そう言った。するとカナビコも、袖を使って声が漏れないように私に言う。
「彼らには、娘などおらぬからです」
「…………はぁ?」
聞きたいことが積もり、胸にも靄がかかるが、そんな私に構わずカナビコは神妙な面もちでオガ夫婦に視線を戻した。
「なるほどのう。それは心中お察し申す。しかし我らも……」
「――――だからお願いです! ヤヅノ蛇神を殺してください」
カナビコがお悔やみを言って席を立つと、オガの爺さんは彼の足元に寄り付いて声を荒げた。
だからカナビコも、彼の肩に手をおいて優しく言う
「我らからしても、あのような暴神を放っておくつもりはない。安心するがよい、オガオミよ」
「ははあ! なんたる幸運! 何たるお言葉!」
何度も何度も頭を下げるオガ爺さん。
「感謝心より申し上げます!」
そして爺さんと一緒に頭を振る婆さん。
しかし、涙を流して頭を打ち付ける二人とは違って、ヤチオヒメだけは、何処か安堵している様子でため息を吐いていた。
「では、我らも忙しい身。ここいらでお暇させていただく」
「まだお茶が残ってますが良かったので?」
爺さんが上目遣いで私たちに言う。
――――またあの子犬のような切なげな表情だ。そろそろキモイ。
「その心遣いは嬉しいが、我々は大事な仕事の最中でのう。よそ様のお茶を飲んで腹を壊すわけにはいかんのじゃ」
……おお。濁しているとはいえ、随分ストレート言ったな。
しっかり自分の気持ちも言えるのだな。などと思っていると、オガ夫婦は案外あっさりと諦めてくれた。
「それもそうですな。これは失礼仕りました」
――――先ほどの涙を少し疑ってしまうほどの表情。そのけろっとした顔で、オガ夫婦は私たちを玄関まで見送った。すこしだけ不気味さを覚えてしまう。




