それを食すもの、肌は焼かれ、内は抜かれ。
龍文書―39
【蒲】:白兎族が育てている薬草の一種。止血効果や排膿、炎症を抑える効能を持つ。
「ソウ様」
その小ささ故に、カナビコの影に隠れていたウヅキ。しかし翁の後ろからチラつくうさ耳が可愛い。
「ウヅキ。体調はどう?」
何て声をかけていいのか分からず、私は中身のない社交辞令を口にした。
「もう大丈夫だよ。それより、その神様が?」
ウヅキの目にはクマが出来ている。昨夜は葬儀やら片付けやらでよほど忙しかったのだろう。
「そう。ナナナキヒメ様だよ。何かの毒に侵されているみたいなんだけど、それが分からないんだ」
ただ黙って彼女に近づくウヅキ。初見だと吐き気を催す程の腐臭の筈だが、彼は眉一つ動かさず彼女の状態を診る。
――――そうして最初は手から始まり、最後に頭に被った布をゆっくりとめくりあげる。そうして露わになったのは、彼女の惨憺たる素顔。
「これは……」
片目が落ち、黒い穴がぽっかりと開いていて、皮膚は酸をかけられた様にただれている。そんなゾンビのようなおぞましい光景に、私は思わず目を逸らしてしまった。
しかしウヅキはしっかりと少女を見据え、その悲惨な姿を真剣に眺める。その様はまさに医者そのものだ。
そうして一通り診終わった後、彼は鼻から長い溜息を吐きだす。打つ手なしといった様子だ。
「これはカエンダケの毒だよ」
「カエンダケ? なんじゃそれは」
聞いたことも無い毒の名前を耳にし、じっと眺めていたカナビコが口を開く。
「中つ国に自生する毒キノコです。触るだけでも皮膚が燃えるようにただれるので、カエンダケと呼ばれています」
カエンダケ。私も聞いたことの無いキノコだが、国つ神がそれを知らずに触ってしまったというのも信じがたい。
「ふむ。天都には無いキノコじゃな」
それだけ天都は危険を排除した楽園だって事か。
「でも、それを触っただけでここまで酷くなるものなの?」
彼女の姿を見るに、全身に毒を浴びない限りここまでの姿にはならない。それは全員分かっていたことだ。
「いや、多分彼女はカエンダケを口にしてる」
「ふむ。それだけ見分けがつきにくいキノコってことじゃな?」
――そうじゃなければ、この状況は説明が付かない。
「いや、カエンダケはその名前の通り燃えるような赤色だから、初心者でも一目見れば、食べちゃいけないって分かります」
「という事は、誰かが彼女に食べさせた、ということになるのでしょうか?」
彼女がゾンビのような姿になった理由は、ユキメの想像している状況の通りだろう。よほどの殺意が無ければ、ここまでの姿にはならない。
「…………恐らくは」
「神に毒を盛るか。ナナナキヒメが何の神かは分からぬが、罰当たりな奴じゃ」
ウヅキは彼女の手を握り、姫を想う王子のような眼差しを向ける。しかし、彼女に残された唯一の目は、最早光を宿していない。
「誰が、貴女をこのようなお姿にしたのですか?」
――――彼女は答える。
「わからない」
やはり誰が何を言っても、彼女は「分からない」の一点張りだ。
「カエンダケはその高慢さ故に、己を食べた者の頭も殺してしまいます。だから、彼女は記憶が定かではないんだと思います」
ということは、身体から毒さえ抜けば、彼女の意識ははっきりするという事か?
「治す方法はないの?」
解毒の方法さえ分れば。と、私はウヅキに答えを求める。しかし彼は、ただ黙って首を横に振った。
「…………そんな」
「であれば、今の我々に出来ることは、毒の進行を抑えることと、ナナナキ殿に毒を盛った犯人を捜すこと以外にないのう」
カナビコの言う通りだった。しかし、当初の目的である川ノ神討伐から、随分と話が大きく逸れてしまった。
――――果たして、仲間の仇も取らず、見ず知らずの神を救おうとする私たちを、ウヅキは快く思うだろうか?
「幸いにも、この症状を和らげる薬草を白兎族は育てています。だから彼女の看病は僕に任せてください」
そういうウヅキの目は、やはりどこか切なげだ。
「大丈夫? 無理してない?」
こういう時、一体どんな言葉をかけてあげるのが正解なのだろうか。悔しい事に、これまでの人生でただの一度も、私はそれを見出したことは無い。
「大丈夫だよ。だから皆さんは彼女の仇を取ってあげてください」
利己的な考えを持たず、どこまでも他人を思いやれる。本当に彼の魂は美しい。
「かたじけない。ウヅキ殿」
天つ神のカナビコが頭を下げた。彼もまた、神に近いウヅキの徳に気付き、彼なりに敬意を表しているのだろう。
「それじゃあ、クソ蛇もクソ野郎も、一丁片付けてやりますか」
今の私に出来ることは、ただひたすらに立ち込める暗雲を晴らすかのように、出来るだけ気丈に振舞う事だけだ。
「ソウ様。お口が悪うございますよ」
「いいのいいの。父上も母上も見ていないんだし」
せめて私だけでも、子供らしく健気に振舞って空気を清めようと思った。だがそれしかできない自分の無力さに腹が立つ。
「……あ、そうだ」
自分の力が遠く及ばなくても、彼女なら何とか出来るかもしれないと考え、私は大きく酸素を取り入れる。
――――そして天に届くくらいの拍手。それは彼女に奏上する祝詞。
「祝詞……?」
「お静かにお願いします」
ユキメは全てを察したようで、口を開きかけたカナビコを抑制してくれた。
「……ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
最後の詞を言い終えた瞬間、私の身体が神を纏う。
「日、陽。祈願、所願成就」
私は願う。“どうかナナナキヒメのお体に、至上の救いをお与えください”
窓から陽光が差し込む。太陽が雲から出てきたのか、アマハル様が願いを聞き入れてくれたのかは分からない。それでも、彼女はただ黙って見過ごすような神ではない。
「…………なんと、なんと崇高なるお姿」
カナビコの目から涙が湧き出る。
きっと彼は、大神の気配を感じ取ったのだろう。一番近くで彼女を見続けていた彼だからこそ分かったのだ。
そして静かに、ゆっくりと最敬礼をする先鉾の翁。それは私と天陽大神に向けたもの。彼女への絶大なる信仰があるからこその光景だ。
――――そうして私たちは、無情にも積み重なる現実を背負いながらも、照りつく太陽に見守られながら、再び山の中へと繰り出していった。
天陽大神は英語を勉強している。
――――精神空間にて。
天陽「ねぇひふみ」
ソウ「何ですか?」
天陽「余に英語を教えてくれぬか?」
ソウ「えっ、急にどうしたんですか?」
天陽「うむ、お主の世界を覗いた時にな、知ってしまったのだ」
ソウ「英語をですか?」
天陽「うむ。ちなみに、今知ってる英語はサマーだけ」
ソウ(……どこで知ったんだよ)
ソウ「サマーの意味は知ってるんですか?」
天陽「太陽でしょ?」
ソウ「――――夏です」
天陽「なに! じゃあ太陽はなんて言うの?」
ソウ「サンですね」
天陽「サンか。なるほど」
すると天陽はあごに手を添えて考える。
天陽「なら、余は太陽の女神です。は英語でなんて言うの?」
ソウ「アイム サン オブ ア ビッチですかね」
天陽「あ、あいむ?」
ソウ「――――サノバビッチで伝わりますよ」
天陽「サノバビッチかあ。口に出して言いたくなるのう」
ソウ(ちょっと可哀そうに思えてきたな)
目を丸くして輝かせる天陽を見て、ソウは罪悪感にかられた。




