国つ神 ナナナキヒメは空腹
龍文書―37
【鹿】:中つ国に生息する獣。その数は獣の中でも群を抜く多さ。それでも感謝を忘れると、山の神はキレる。
「――――して、結果はいかようで?」
驚く彼らの言葉を意に介さず、ユキメは弁当を頬張りながら先鉾たちに問う。
そして未だ仰天している表情の翁だが、ここで小さく咳ばらいをして話を切り出した。
「恥ずかしながら、めぼしい物は何一つとして……」
「足跡も無ければ! 熊の死体を引きずったような跡もありませんでした!」
――何でお前はそんな堂々と言えるんだよ。
「それはそうと、先鉾たちはご飯食べないの?」
そう私が問うと、彼らはお互いの顔を見合わせる。その様子から察するに、恐らく何も持ってきていないのだろう。
「仕方ない。山の神から頂くとしよう」
「分かった! ならば私が獲ってこよう! カナビコは休んでおれ!」
“お前が行ったら獲物も逃げるだろ"と危うく言いかけたが、私は何とか頭の中だけに留めた。危ない危ない。
「相分かった。では頼んだぞ」
「うむ!」
そう言ってサカマキが再び茂みの中へ飛び込んでいった。これはしばらく掛かるだろうなと、重箱を片し竹水筒のお茶を飲んでいると…………。
「戻ったぞ!」
――――と、鹿を担いだサカマキが戻って来た。
「早!」
「サカマキは狩りの名人なのですぞ。はっはっは」
そんな次元じゃないだろこの速さは。良い狩人は動物に好かれるって話は本当だったのか?
そうして彼らは凄まじい速度で鹿をさばき始め、気が付けば、まるでバーベキューのような景色が目の前に広がっていた。なんというか、野性味がある。
「ソウ殿もいかがかな?」
鹿の切り身を私に差し出す翁。お腹は膨れているが、獣肉は食べたことが無いのでついつい手が伸びてしまう。
――油が滴る褐色の肉は、口に入れた瞬間舌の上でとろける。それでいて、くどくないサッパリとした味わい。味は牛肉に近いが、あの独特の乳臭さはない。
「美味しい!」
まさかここまでジビエが美味しいとは思わなった。なんというか、野生の味だ。
「ユキメ殿もどうじゃ」
「かたじけない」
あの量の重箱を空にしていたはずなのに、ユキメは差し出された肉をパクパクと口に放り始めた。ここまでくると流石に怖い。
「――――しかし、ここまで痕跡が無いとなると、追跡は難しいのお」
熊の死体の行方が未だ分からず、くわえて翁の放ったその言葉で、捜索が行き詰ってしまった事実を突きつけられた私たち。
「やはり最初から大熊を探すしかないようですね」
鹿肉を頬張りながらユキメが言う。
「うむ。時間はかかるが、もうそれしかないかのお」
頭を抱える翁。司令塔のカナビコがこの有様では、最早なすすべ無しかと思われた矢先……。
「何者だ!」
――――サカマキが一つの影を捉える。
その声に全員が茂みの方へ注目すると、汚れた着物を着た小さな人影が現れる。しかし黒い布をフードのように被っているため、その顔は良く見えない。
「……あ、あの。わた、わたし、お腹が空いてて」
弱弱しい声。背丈から察するに、歳は十代半ばといった所だ。しかし汚れた着物も、よく見れば上品に仕上げられた一着にみえる。
「気を付けてくださいソウ様。賊の罠かもしれませぬ」
後ろから包むように私を守るユキメ。そして翁と巨神は私たちを前後で挟むように立ちはだかる。
「名を申せ」
少女の前に立つ翁が、地面に落ちていた棒切れを彼女に突きつける。何か仕掛けでもあるのだろうかと疑ってしまう。
「わ、私は、国つ神の、那々名嘉比売と申します」
……この人も神様なのか。それにしては汚れすぎじゃないか?
そして少女が名乗ったことで警戒心が薄れたのか、カナビコは少女に向けた枝先を下げ、その言葉に頷いた。
「うむ。手前は天つ神、天奏比古命と申す」
どや顔で名乗る翁。私はその名前の長さに驚きながらも、どことなく威厳を感じるその姿に、さすがは天つ神だと感心する。
「天都の神様なのですね。これは失礼しました」
少女は深くお辞儀をする。どうやら天つ神を敬う方の神だったようだ。
「して、ナナナキ殿。何故お主はこのような場所で、更にそのような格好で歩いておるのだ?」
彼女は答える。
「私は、川ノ神に襲われ、山の中を彷徨っていました」
――――と。
その言葉を聞き、彼女の姿をよくよく見れば、着物の左腕部分が千切られており、そこから覗くはずの腕が全く見当たらない。
さらに、黒い布で顔を覆っており、口元だけしか見えないので定かではないが、彼女の皮膚は健康からは程遠い見た目をしている。
「ヤヅノ蛇神に襲われたのか!?」
声を荒げるカナビコ。後ろで聞いていたサカマキも驚くほどの大声だ。
「……はい。荒ぶる神が私の手を食べている隙に、命からがら逃げてまいりました」
自分の腕を食いちぎられても尚、彼女は生きようと必死に抗ったのだ。一体、どれだけ悔しい想いでここまで来たのだろう。
「左様であるか。食事はもちろんだが、まずは怪我の手当てをしてやろう」
――――そうして私たちは本陣へと戻り、彼女の手当てをすることとなった。




