秋の残雪
龍文書―34
【侍女】:貴族や神に仕えるお手伝いさん。主に姫君や夫人の身の回りの世話をする。ヨウ家の侍女はかなり好待遇。
「ソウ様」
暖かい布団の中で、ユキメが私の名前を呼んでいる。なんだか湿った声だ。
「ソウ様。もっと近くに寄ってくださいまし」
蜜のように粘り気のある声が耳に絡みつく。だから私も誘われるミツバチのように身体を寄せる。
そうして私の背中に回された手は、更にぎゅうっとお互いの身体を密着させる。
……すると、まるで森の中にいるような香りが私を包む。しんしんとした秋を思い出させるかのような匂い。
「ユキメ?」
彼女の雰囲気が少し違う。いつもの子犬のような人懐こい感じではない。これはもっと艶めかしい感じだ。
そしてユキメの足が私の足に絡みつく。
「わたくし、実はあの時の口吸いが初めてだったのですよ」
ユキメがそう囁いた時、くすぐるような吐息が耳にかかった。右耳から入ってきて、私の首筋を撫でるかのような甘い声に、身体の芯が熱くなる。
――――突然ユキメが耳を噛む。
「ひゃっ」
変な声が出てしまったが、彼女は構わず耳を甘噛みし続ける。たまに当たる暖かい感触は舌だろうか。
そして、彼女の手がどんどんあらぬ方向へと伸びてゆく。
……いや、そこは駄目。それ以上は駄目!
「――――ダメッ!」
気が付くと、私は自室の布団でヨダレを垂らしていた。
「なんだっ、夢か」
現実ではなかったという安堵の気持ちと、どことなく感じる落胆が心の中で入り混じる。そしてそれらを感じた時、私の頭は混乱した。
――――ウヅキたちが大変なことになっているのに、なんで私はあんな夢を。
考えれば考える程、あの夢の意味が分からなかった。決して白兎族の事が気にかからない訳ではない。むしろ彼らの事を想ってのキスだった。それなのに、私の心は一色で染まっている。
「ソウ様、朝餉の用意が出来ております」
扉の外から私を呼ぶ声がする。だがユキメの声ではない。今日の朝担当の侍女が私を起こしに来たのだ。
眠い目をこすりながら袴を纏い、まるで高級旅館のような襖を開ける。
「お早うございますソウ様」
正座をしながら頭を下げる侍女を見て、私は少し安堵する。あのような夢を見た後で、続けざまに彼女の顔を見てしまったら、恐らく頭が爆発してしまうからだ。
「お早うございます」
おぼろげな挨拶を彼女に返した私は、少し心に引っ掛かっていたことを聞いてみる事にした。
「ねえトモエ。ユキメには好きな男とかいないの?」
思春期の中学生じゃあるまいし、一体何を聞いているのだろう。と馬鹿らしく感じる。それでも聞かずにはいられなかった。
そうして侍女のトモエはあごに手を添えて考える。
「うーん。エト様から男の気配は感じませんね。あれだけの美人なのに、いつも仕事仕事なんですよ。勿体ない」
「そうなんだ」
「…………ん、なぜですか?」
不思議そうな顔で私を見るトモエ。自分から聞いておいてなんだが、私は少し説明するのが億劫になってしまった。
「いや、なんでもない! ありがとう」
――――そのまま走って居間へ行くと、いつものように父が一人で朝食を食べている。母は仕事の都合で朝が早いのだが、果たして父がこれでいいのか私には分からなかった。
「お早うソウ」
いつものような元気がない父。ようやく自分の遅さに気付いたのだろうか、と期待するが……。
「最近また寒くなってきたなあ」
などと言って味噌汁を啜る父。確かにここ最近少し冷える。春と秋しかないのに、初秋のような涼しさを感じる。
「遂に天千陽にも冬が来るのかな」
「それは困るのお」
そう言って身震いをしながら再び味噌汁をすする父であった。
――――そして朝食を済ませた私は、いつもの如く待ち合わせ場所である中庭へと急ぐ。
居間にユキメはいなかったけど、しっかり朝ごはん食べたのかな?
「お早うございます。ソウ様」
昨日の事がまだ、溶けかけた雪のように残っており少し身構えていた私だったが、ユキメはいつもと変わらない笑顔で私を出迎えてくれた。
「お早うございます」
その様子に少し安心しながら、私も彼女に挨拶を返した。
「それでは、本日はどうされますか?」
しかし彼女はしっかりと昨日の誓いを覚えていた。私の言う事だけを聞き、私だけを守れという幼稚な誓いをユキメは守ってくれている。
「もちろん。西ノ宮に戻るよ」
私がそう言うと、彼女は微笑んでゆっくりと会釈をする。
「かしこまりました」
――――そうして私たちは天を翔け、ウヅキたちの待つ西ノ宮へと舞い戻る。初めて下界に降りた時とは違い、しっかりと確実な意志をその胸に宿しながら。




