月下の紅葉
龍文書―33
【季節】:四季がめぐる中つ国とは違い、天界には秋と春のみしか存在しない。
どうしよう、すごく恥ずかしい……。
気不味そうな表情でこちらに目を向ける翁も、喉に栓でもしているかのような咳払いをして仕切り直しを図る。
「はっ、話はつきましたかな?」
ユキメは膝をついたまま虚空を見つめている。だから私が話をするしかない。
「え、ええ。陽も暮れるので、今日は一先ず天千陽に帰ります」
その言葉を聞くと、翁は安心したかのようにため息を吐く。胃が縮むほどの思いだったのだろう。
ちなみに私も、恥ずかしさのあまり胃がねじ切れそうな思いだが、しかし今は現を抜かしている時ではない。
「ですが白兎族はこの状況なので、先鉾の方々には朝が来るまで彼らの護衛をお願いしたいのですが……」
「うむ。確かに承りました」
こちらが一つ要求を飲めば、相手も申し訳なさに駆られ要求を呑んでくれる。単純な心理学だが意外と使える。
「ウヅキ、私達は帰るけど一緒に来る?」
彼も頬を赤く染めており、頭のうさ耳を子犬のように垂らしている。
やめてくれぇ、そんな目で私を見ないでくれ……。
「い、いや。僕は皆んなの傍にいたいから、ここに残るよ」
――――そして彼は真剣な目つきに変えて続ける。
「でも、ユウヅキだけは安全な龍人の里に行かせてあげたい」
やはり妹想いの兄だ。本当に助けてよかったと、心の底からそう思える程。
「うん。任せて」
「ありがとう」
しかしユウヅキはウヅキにしがみ付いたまま離れようとしない。こんな事があったばかりだから、兄の傍から離れたくないのも当然だよね……。
「こらユウヅキ。お兄ちゃんの言うことを聞きなさい」
なんとか引き剥がそうとするウヅキだが、それでも角の生えた甲虫の様にしがみつくユウヅキ。
「ソウ殿。白兎の者たちは我らが命を懸けてお守り致します。ですからどうか案ずる事なく」
先鉾の翁が見かねた様子で私に言う。
正直どれだけ頼れるのかは分かりかねるが、アマハル様の護衛をするくらいだから、私は心の底から安心できた。
「分かりました。それじゃあ、私たちはこれで」
「はッ、お気をつけて!」
いつの間にか一人だけになっていた翁は、それでも変わらずの迫力で私に最敬礼をした。恐らく他の者達は救助活動だろう。
「じゃあねウヅキ。気を付けるんだよ」
私が手を振ると、ウヅキとユウヅキも微笑んで振り返してくれた。それでもその瞳の奥にはまだ悲しさが沈殿している。
「うん。ソウ様もね」
その言葉に私も微笑みだけを返し、放心状態のユキメを起こす。
「ほら、行くよユキメ」
「はい。…………只今」
我に返ったユキメは、未だぱっとしない表情のまま返事をした。これから空へ帰るというのに、本当に大丈夫だろうかと疑ってしまう程その目は虚ろだ。
そうしてオレンジ色の日差しが皆を照らす中、私とユキメは彼らの視線に見守られながら天千陽へと帰還した。
――――本当に長い一日だった。長いと感じた一日だったからこそ、私は中つ国に忘れ物をたくさんしてきた。
「袴に弁当箱。それに熊の半身だと? 一体中つ国で何をしてきたのだ。ソウよ」
「いやぁ、それは」
夕飯時に居間で父上にそう聞かれたが、私は何処から答えればいいのか分からず、適当に話を繋ぎ合わせて語った。
それからも武鞭での成果を話すなどして、私はその夕食を楽しもうとしたが、西ノ宮で起きた一件は、とても話そうとは思わなかった。
「――――それでね、小鬼がばーって襲ってきたから、私が天羽羽斬でバババってやっつけたんだよ。ね、ユキメ」
私の話を聞くたびに、父上は喜び、母上は眉根を吊り上げた。そして今日から、ユキメが私の家で暮らすこととなった。
「ええ。それはもう凄まじい戦いっぷりでした」
「そうかそうか、流石はユキメ! しっかりと武鞭をしてくれているようだな!」
話すことに精を出し、相変わらず箸が動かない様子を見るに、恐らく父は今夜も一人飯になる。
そして母は、食べ終わった食器を重ねながらも、不安げな表情を浮かべ話を聞いている。
あの惨状を目の当たりにしたとき、私の頭の中に真っ先に浮かんできたのは両親の顔だ。
私がどれだけ手を伸ばしても触れる事さえできなかったもの。それが今あたしの目の前で笑っている。
――――本当に幸せだ。だからこそ、今はしっかりと気を強く保たねば。
「本当に無理はしてないのね?」
「大丈夫ですよ母上。それにユキメも付いていますから」
ユキメの名前を出すと母親は少しだけ表情を和らげる。よほど彼女の事を信用しているらしい。
「そうだぞリン。フウの時もユキメは尽力してくれた。本当に頼りになる」
「申し訳ありません。少し席を外します」
そう言ってそそくさと彼女は廊下へ出て行った。今にも爆発しそうな感情を抑えながら。まあ、これだけべた褒めされたらそうなるだろう。
「それよりソウ。お主、中つ国で何があった?」
ユキメが廊下へ出て、母が台所へ行った瞬間を見計らうと、父はまるで頭の中を覗いているのではと疑ってしまうほど、的確に痛い所を突いて来た。
「実は…………」
――だから私は全てを話した。白兎族と出会った事。その白兎族が惨殺された現場を見てしまった事。天都が中つ国を平定しようとしている事。
ユキメとのキスは流石に話さなかったが、改めてそれを思い出した時、私の顔は辛い物を食べたかのように熱くなる。
「どうした、顔が赤いぞ?」
「あ、いえ。なんでもありません」
父の鋭い眼光を避けて何とかごまかすも、しばらくはまともに、ユキメの顔を見れなさそうだと痛感した私であった。
「しかし中つ国を平定なさるのか。これから下界は大変なことになりそうだのう」
確かにそうだが、父上。あんたはまず食卓の上を平定した方がいい。
……そうして米粒一つも減らなかった父は、案の定、みんなが寝静まった後も一人で夕食を食べていた。
――――夜。翌日の武鞭に備えて寝ようとするが、どうしてもユキメの事が頭から離れず、私はこっそり彼女の部屋へと赴いた。
しかしそこにユキメはおらず、敷かれることなく丁寧に畳まれた布団だけが、寂しく主の帰りを待っていた。
トイレか?
仕方なく自室に戻ろうとしたとき、私は夜月が綺麗な事に気付く。
そして、もっと綺麗に見られる場所へ行こうと、兎のように月を追ってゆくと、我が家の中庭、その月光の下で空を仰ぐユキメを見つけた。
青白い光がユキメの髪を撫で、その美しさを映えさせる。普段は後ろで結っている髪も、今はのびのびと風をその身に受けている。
「――――あ、ソウ様。眠れないのですか?」
闇夜に輝く紅い瞳。それ見ると、中つ国で見たあの瞳を思い出す。赤紫に照り返すあの瞳を。
「どうされました? お顔が赤いですよ?」
夜の中庭で舞う紅葉。そして風鈴のように鼓膜に染み入る聲。私はすぐさま視線をそらした。
――テンションが可笑しかったとは言え、なんであの時キスしちゃったんだろ。もう恥ずかしすぎてユキメの顔が見れない……。
「あ、あぁ。いや、私は厠に。……ユキメこそ何してるの?」
私の問いかけに、ユキメは妖しい笑みを浮かべる。
「ユキメは――――」
突如私たちを貫く突風。そのせいで彼女の言葉が私に届くことは無かった。
「……え、なんて?」
「ふふふ。いえ、なんでもございません」
ユキメは羽織の袖で口を隠して笑い、下駄を引きずりながら私の元へ寄る。
彼女との距離がどんどん近くなるにつれ、私の鼓動も早くなる。
そして満月が彼女の影に隠れ、その柔らかい匂いを感じる距離になると、ユキメは私に向けて手を伸ばす。だから思わず、私は目を閉じてしまった。
「――――さあ、明日も早いですよ。今夜はもう寝ましょう」
そう言って彼女は私の手を取った。
夜の彼女の手は冷えており、火照った私の手を心地よく冷やしてくれた。
だがそれでも、芯から沸きあがるような熱を冷ますことは出来ず、結局私は、寝付くまでに相当の時間を要してしまった。




