誓いのキス
龍文書―32
【平定】:自分の勢力が遠く及ぶようにすること。その地を治め、安らぎを与えること。
「おにい!」
私が翁と話していると、ユウヅキがウヅキの名を叫んだ。
振り返るとそこには、生き残りの白兎族を連れたウヅキが、泥まみれになりながらもユウヅキの元へ駆け寄っていく姿が見えた。
「ユウヅキッ、ごめんな勝手に飛び出しちゃって」
妹を強く抱きしめる兄のウヅキは、顔に着いた泥を涙で流しながら謝っている。そして背から差す夕陽が、その光景をより美しい物へと昇華させる。
「ユウヅキはおにいが帰ってこれば大丈夫だよ」
兄の懐に顔をうずめ、声を籠らせながらユウヅキは泣く。
「そっか。ごめんな。怖かったな」
恐らく彼らはまだこの惨状を受け止め切れていない。しかしそれでも、それを後回しに出来るくらいに、同じ血を分けた兄妹が大切なのかもしれない。
「ソウ殿。ここは危険にございます。あとは我々に任せて、今日はお帰り下さい」
先鉾の翁が私に言う。もちろん私の身を案じてのことなのだろうが、そんな願いをやすやすと聞き入れるほど私も素直ではない。
「無理です。私も川ノ神を赦すことが出来ません」
「――しかしソウ様、それではコウ様もリン様も心配されます。私たちはもう天千陽に戻りましょう」
ユキメは私の心配をするが、対する私もここだけは退くことが出来ない。これではあまりにもウヅキたちが可哀そうだからだ。
迫害を受け、西ノ宮に家を構えることも出来ず、こんな隅の方で死んでいくだけだなんて。そんなのは
許せない……。
「ごめんユキメ。今回ばかりはユキメのいう事を聞けそうにないや」
「なりませぬ。ヤヅノ蛇神は先鉾に任せてください」
ユキメの言葉を支えるかのように、先鉾の翁も言葉を添える。
「ソウ殿。貴方様はもう、我々にとっても失うわけにはいかない存在なのです。これからの中つ国平定の際、お主の力はどうしても必要となってきます」
……やめろ。これ以上私の心を揺さぶらないでくれ。
「それはそちらの問題です。それに私は死にませんから」
「ソウ様、お願いです。父上母上のお気持ちも考えてくださいまし」
…………ユキメが初めて私に頭を下げた。しかも、腰を曲げての最敬礼だ。
「やめてよユキメ。……私を困らせないで」
――――違う。皆を困らせているのは私の方だ。こんな子供じみた我が儘を突き通そうとして、ユキメに頭まで下げさせた。本当に最低だ。
「…………ユキメは、ヨウ家に拾われた孤児でした」
彼女は顔を上げ、そのまま片膝を着いて私に目線を合わせる。
「両親を国つ神に食われた私は、コウ様とリン様にここまで育ててもらいました」
小さな涙を頬に伝わせるユキメ。
「一生を掛けても返しきれぬ御恩を受けました。だから私は、その時自分の魂に誓ったのです……」
私の小さな手を、彼女の温かい両手が包む。いつも私を引っ張ってくれた手。それが今、私を引き止めようとしている。
「この身に何があろうと、私はこの先産まれてくるヨウ家の子供を、必ずお守りすると」
ユキメはそっと私の身体を引き寄せ、その両の腕を使って私を抱きしめた。
胸に当たる柔らかい感触。いつも香る金木犀の様な秋の匂い。……温かい。
「ソウ様。どうか、どうかこんなユキメのわがままをお許しくださいまし」
布団に包まれているかのような抱擁感。
しかし私は、私の細い体を抱きしめる彼女を、両腕でそっと遠ざける。
「ソウ……様?」
「ユキメ、私の魂に誓え」
彼女の小さな顔に手を添える。私をじっと見つめる紅い眼はしっかりと私を捉えている。本当に綺麗だ。
「これから先何があっても、私の言うことだけを聞き、私の事だけを守ると」
「そっ、そのような」
……何を考えていたのか、私は紅い果実を食らうかのように、自らの唇を彼女の唇に重ねた。
すると彼女の手に力が入り、私の着物が引っ張られる。
その唇も最初は力が入っていて、まるで指の腹のように固かったが、今では吸い付いてくるように柔らかい。
「一体、何を」
その様を傍らで見ていた先鉾の翁が、そう顔を青くして呟いたが、きっとユキメの赤い耳には届いていない。
野次馬たち。四柱の神。白兎の者たち。しかしこの空間は、私とユキメだけのものだった。
「…………ソ……ウ様」
口を遠ざけると、ユキメの瞳が妖しく輝いていた。瞳孔は糸のように細く、そして龍の焔の如く紅い。
「誓え」
「………………はい」
目を虚にしたまま微笑むユキメ。
そうして彼女は頭を垂れ、確かにこの心に忠誠を誓った。




