白兎、ウナギを食す3
龍文書―30
【漁師・猟師】:川、海、山など、自身の集落の近くで仕事をする。獲物の何割かを神に捧げることで、漁ないし狩りを赦してもらっている。
「へい! 有難うございました!」
ユキメが勘定を済ませると、店主が彼女に深いお辞儀をした。恐らく心の中では「もう来るな」とでも思っているのだろうが。
「本当にありがとうございました。僕たち、ウナギなんて初めてで、とても美味しかったです」
ウヅキはまだ言い足りない、といった様子だが、それ以上お礼を言われるのは無粋だと感じたのか、ユキメは「まだ宴が残っていますよ」と言って微笑んだ。
――――そうして私たちは、残りの時間を西ノ宮観光に使う事にしたが、途中、ユウヅキが何度も眠そうに頭を落としたため、ユキメが彼女を背負い、私たちは集落に戻ることにした。
お腹も膨れ、夕暮れが運ぶ風の涼しさに心地よさを覚えながら、私たちは夢見心地で歩く。
「だから、パンはパンでも食べられないパンだよ?」
「ぱん……。ぱん、とは何ですか、ソウ様?」
集落へと戻る道を歩きながら、私がそうやってユキメをいじめていると、門の外からなにやら騒々しい音が耳に飛び込んで来た。
「なんだろう?」
「もう宴を始めたのでしょうか」
いまいち状況を把握していない私とユキメと、背中で眠っているユウヅキ。しかし唯一ウヅキだけが、集落から聞こえる騒音に顔を白くさせた。
「――――ちょっと!」
押されたかのように駆け出すウヅキ。そんな彼を止めようと放った言葉は、流星の如し速さに追い付けずそのまま地に落ちる。
「私たちも行こうユキメ!」
「はい」
ユキメがすぐさま走り出し、私も置いて行かれないように彼女の後を追う。
すると見えてきたのは、龍のように立ち上る黒煙。黒い煙は、まだ何かが燃えている証拠だ。
――――呼吸が早くなり、身体が酸素を十分に取り入れられず悲鳴を上げる。吸っても吸っても落ち着かない鼓動。しかし今はそれに構っている余裕などない。
「ソウ様、私に掴まってください!」
ユキメの手を取ると、彼女はそのまま私を片手で抱きかかえる。
そしてそのまま西ノ宮の大手門を抜けて、休むことなくウヅキの集落へと向かう。その途中、物珍し気に黒煙を見に来た野次馬が邪魔だったが、ユキメが空を翔んだおかげで難なく回避できた。
そうして集落へと辿り着いた私たちは、そこで悲惨な光景を目の当たりにすることになる。
「…………ああ、龍人様。お助け下さい」
ユキメの足元に擦り寄る村長のミカヅキ。その後ろでは、大雨が続いたのかと勘違いする程の、大きな水たまりが幾つも出来ている。
「一体何が……?」
一早くその異常性を感じ取ったユキメは、雛を守る親鳥のように自身の身体を私に寄せる。しかしウヅキは何処だ?
「二本の……。ヤヅノ蛇神が、“川の神”が村を襲ったのです」
川の神。ウナギ屋で店主と漁師が話していた神様のことか?
「国つ神が?」
ユキメは怪我の酷い村長を寝かせ、羽織の袂から白い布を取り出すと、村長の細い腕に巻き付ける。しかしその血は、水道の水漏れのようにとめどなく溢れる。
――――だがそれもそのはず。何せ村長の腕は、何かに引き千切られたかのように、二の腕から下が無いのだから。
「……はい。突如現れた蛇神に数人が喰われ、村の者は散り散りになってしまいました」
突如襲いかかる吐き気と胸やけのような不快感。そしてその言葉によって、辺り一面に見える水たまりが、誰とも知れぬ血で出来た血溜まりだという事に気付く。
しかし腹の奥底では龍の本能が渦を巻き、あまつさえ大地を染めるその悲しき血みどろを、美しいとさえ思わせてくる。
「…………あれ、ここどこ?」
これまでユキメの背中で眠りこけていたユウヅキが目を覚ます。ここで私は、咄嗟にユウヅキの目を覆い、彼女にこの惨劇を見せないようにした。しかし……。
「大丈夫です、ソウ様。その手をお離しください」
「いやダメでしょ。まだ子供なんだよ?」
ユキメは、これまで見せたことのない憂い表情を私に見せる。その夕暮れの中で赤く輝く瞳。恐らくそれは、今の私と同じ光景を映しているのだろう。
「これは隠し通せるようなものではありません。……それに」
ユキメは視線を落として続ける。
「この現実を受け止めぬ限り、到底ユウヅキには、笑顔で終えれる一日は来ません」
こんなに残酷な事があるだろうか? まだ年端も行かぬ女児が、先ほどまで笑って過ごしていた仲間の亡骸を目の当たりにするなんて…………。
そんなユウヅキを守ってあげたいという想いが、これからの彼女の事を母親の様に心配する。
だから私は、ユキメの言う通りに彼女の目を覆った両の手を広げた。
「――――――え?」
何が起きているのか理解出来ていない顔。夢中になって観ていた映画が急に暗転したかのような表情。
しかしそれも束の間、ユウヅキの表情は瞬く間に崩れ、それからは、……ただひたすらに泣いた。
「おじいっ、おじいちゃん! ヤダッ! 死んじゃやだよ!」
村長の身体に身を寄せるユウヅキ。
……月まで届くかのような泣き声。か細く、息を吹きかければ消えてしまいそうだが、それでもそれは、台風に吹かれた風鈴のように大きい。
「ユキメ、川ノ神ってどんなやつなの?」
――――彼女はミカヅキの腕を抑えながら答える。
「ヤヅノ蛇神は、頭が八本もある大蛇です。とても気性が荒いので、恐らく誰かがその逆鱗に触れたのでしょう」
頭が八本。到底敵わないような恐ろしい事実ではあるが、今のあたしの中では、ただただ憎しみだけが醜く肥大化している。
「そっか。でもだからって神様がこんな事して許されるの?」
なぎ倒された家々、子供の食べ残しのような白兎の亡骸。大雨の後のような水たまり、そして充満するのは血の匂い。
これだけあれば私は十分に怒れる。
「ソウ様。決して討伐しようなどとは考えてはいけませぬ」
いつもの冷静な口調のように聞こえるが、その声は心なしか震えているようにも聞こえる。
「相手が神様だから?」
「いえ、そうではありません」
「じゃあ何でッ!」
「――――ソウ様が敵う相手ではないからです!」
私は声を荒げる。ユキメに対してここまで声を張り上げたのは初めてだ。だがそれは多分、ユキメも同じなのだろう。
一番受け入れがたい現実を、一番好きな人から突きつけられた。私は何も言い返せず、足の筋肉が無くなったかのように崩れた。
――――込み上げる涙。誰でもいいから殴りたい程の、このやり場のない激情。しかしそれらを押しとどめたのはユウヅキの哀哭だった。
「…………ならせめて、ユウヅキだでも」
私は静かに祝詞を奏上する。悲哀のこもった泣き声にかき消されるが、今一番アマハル様に聞かせたいのはその声だ。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
体がふわりと軽くなる。アマハル様が願いを聞こうとしているのだ。
「日、陽。祈願、所願成就」
私は願う。“どうかこれからも、その命が終わるまでずっと、ユウヅキに幸せが訪れますように”。
「――――呼んだ?」
暗雲が立ち込める曇天を、瞬く間に晴らすかのような声。一瞬の閃光と共に現れたその声が、この世界のどれよりも明るいということを私は知っている。




