白いウサギの涙3
龍文書―25
【西ノ宮】:中つ国にある街の一つ。大海の沿岸部に位置する大都市で、唯一天つ神が統治している街。
小鬼どもがユキメの存在に気付く。しかし奴らは怪しむこともせず、卑しい表情でその手を抑えると、そのままユキメを中へと連れて行った。
頭が悪いうんぬんではない。あの醜悪さを例えるなら、ただ考えも無しに目の前の餌に群がるウジ虫だ。
「ユキメ…………」
私は神に祈るような気持ちで顔を伏せる。
「ごめんなさい。僕のせいでこんなことに」
「大丈夫。ユキメは強いから」
そう、きっと大丈夫だ。ユキメには水の神様も付いてるんだし。
――――そして一つの考えに至る。“神に祈る暇があるなら、神様にお願いすればいいのでは”と。
そう思い付いた時、私は既に精神を集中させ祝詞を奏上していた。どうか神様、ユキメを悪しき小鬼どもから守ってください。と、そう強く願いながら。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
瞬間、まさに自分の身体に神が宿る。全てを見ることが出来るような感覚。まるで自分の存在を俯瞰しているかのような感覚だ。
「日、陽。祈願、所願成就」
私は願う。“どうかユキメと捕虜たちが、何事もなく洞窟を抜け出せますように"。
――――そう願った瞬間、心なしか陽差しが少し強くなったような気がした。そして心の奥底から溢れ出る安心感。すこし身体も熱い。
「陽の、神通力…………」
隣で見ていたウヅキが、かなり驚いた様子で私を見ている。神通力を見るのが初めてなのか、それとも何か別の理由で驚いたのかは分からないが、これほど驚いた顔を見るのも初めてだ。
「よく知ってるね」
「じゃあ君も“神使"なんだ」
君も? という事は、このウサギおかっぱショタも神の使いなのか?
「ウヅキも、神様と契約しているの?」
「ううん、僕はまだなんだ。白兎族は大学に行く歳になってようやく契りを行えるんだ」
大学、この世界にも大学があるのか? もしそうだとしたら、私は何歳になったら大学に行けるんだろう。
「大学って?」
聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥だ。
「六十歳になったら行く所だよ。……君は、龍人族は行かないの?」
不思議そうな顔で私を見つめるウヅキ。
頭の耳が可愛く跳ねるが、我慢だ我慢。決して触ろうなんて思うな。
「あ、ああ。大学って呼んでるんだ。もちろん私も行くよ」
ぴょこぴょこと跳ねる耳。触りたい。
「――――待ってッ。何か聞こえる」
ドカン!
私がその耳を撫でようと手を伸ばした時、彼は叫んだ。――直後、洞穴から爆発音のような轟音が私の耳に飛び込んできた。
「何かあったんだッ。助けに行こう!」
そう言って私が藪から飛び出した一瞬、洞穴から爆炎と黒煙が、ダムの放水の様に吹き出してくる。
「ユキメ、そんなッ」
熱いッ。炎が激しくて近付けない! この火力だ。恐らく中は潰れている。ならユキメは?
「ユキメッ。ユキメぇ!」
誰かが大声で叫んでいる。子が母を想うかのような悲痛な叫び。違う、これは私の喉から出ているんだ。
――何がどんな願いも叶うだよ、あの適当大神! これでユキメが死んでたら、今度は私が殺しに行ってやる。
「くそ!」
炎が弱まり、洞窟の入り口が顔を出す。
そうして私は竹水筒の栓を抜くと、中の水を頭から被った。これで多少の耐性はつく。
「危ないよッ!」
私が一歩を踏み出した時、ウヅキが私の腕を掴んだ。見かけによらず、結構強い。
「離して! ユキメが死んじゃう!」
……ユキメが死ぬ? そんなの駄目、許されるわけがない。いつも私のそばにいてくれたのに、今日から居ないなんて嫌だッ!
「離して! 離してよ!」
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だッ!
「大丈夫ッ! あそこを見て!」
ウヅキが山の斜面の上方を指さす。そして誘われるかの様にその指先を目で追っていくと、そこには数人の女性と共に立つユキメがいた。
――――気づけば私は駆け出していた。
今の私は、確実にこの人生の中で一番泣いている。この世界の三十年の中で一番。現世で生きた十六年の中で一番。
「ソウ様!」
ユキメは小さな少女を背負っていたが、そんなことはお構いなしだった。流石に飛びつきはしないが、高ぶる感情を抑えられず、私は彼女のお腹にしがみ付いた。
「ご心配おかけしました。でも、ここにいる皆は全員、無傷で戻りましたよ」
確かにユキメが背負う少女にも、その周りで泣き崩れている彼女達にも全員、目に見える傷は一切なかった。
恐らく別の抜け道から出てきたのだろう。先ほどの爆炎も、きっと彼女の術か何かだ。でも本当によかった。
――アマハル様。適当大神とか言ってごめんなさい。
「もしや、ずっと泣いておられたのですか? まさか私の為に?」
「……泣いてない」
ユキメのお腹に顔をうずめる。止まらない涙をぬぐうために。喉の奥から沸きあがる嗚咽を抑えるために。
よかった。また明日からいつもの日常が戻ってくる。本当に良かった。
「ユウヅキ!」
少し遅れてウヅキも到着する。恐らくユウヅキというのは家族なのだろう。それを決定づけるかのように、彼の目からも宝石のような涙が溢れていた。
「おにい!」
ユキメに背負われていた少女が飛び出し、二人は泣きじゃくりながら強く抱きしめ合う。その時ふと、木の隙間から光が零れ、図らずもその光景をより一層美しく輝かせた。
――あの二人、兄妹だったのか。やっぱりウヅキは家族を助けに来てたんだな。
「ソウ様。どうやら彼女らは近くの村の者の様です。私たちが送り届けて差し上げませんか?」
もちろんそうするつもりだった。しかし、疲れ果てたこの体に鞭打って、さらに祝詞を奏上したのだ。そんな私に、もう歩ける体力なんて残っていない。
「そうしたいのは山々だけど…………」
私がそこまで言いかけると、ユキメは何も言わずに私を持ち上げた。しかも憧れのお姫様抱っこ。私はきっと、一生ユキメから離れられないだろう。




