昇、時降り
「――――ユハン!」
突如、空間に響き渡る声。それは、この大広間を守るために、ズイエンが設置した岩戸の、その隙間から入り込んで来た。
「生存者だ! 生存者が来たぞ!」
「医療班は早く手当てを!」
振り向けばそこには、数人の生徒と黒い甲冑を纏った兵士たち。そして目を凝らして見てみれば、ぜえぜえと息を荒くしながら駆けてくる男子生徒が目に映る。
「タライ君?」
「ユハン! 無事だったんだな!」
これはまた、懐かしい顔が出て来たものだ。
「俺っ、ずっとお前を探してて! はぁッ、はぁっ、そしたらっ、知らない兵士に助けられて! お前はここにいるって聞いたから!」
「だ、大丈夫? 先ずは落ち着きなよぉ」
膝に手を着き、肩で呼吸を続けるタライ。そしてユハンは、そんな彼の背中をさすりながら、心配そうな声音でそう言った。
「あ、ああっ。って、あれ。もしかして今、俺の心配してくれたのか!?」
まぁ、ボロボロの着物で現れて、さらに死に物狂いで走ってきたら、誰だって心配はするだろ。
「ま、まあ。一応」
「っひょえぇッ、マジかよッ。ユハンが俺の心配をしてくれるなんて、夢にも思ってなかった! 走って来た甲斐があったってもんだぜ! …………ん?」
そう叫んでガッツポーズを見せるタライは、まさに鼻たれ坊主の名に相応しい、そのぶら下げた鼻水をすすりながら、今度は私に目を向ける。
「お前ソウじゃねえかッ、久しぶりだなぁ! って、なんだその髪色!」
忙しい奴だ。
しかもなんということか。この知らぬ間に染まった、輝くハイトーンブロンドにイチ早く触れるのがこいつだなんて。
「なんで色が変わってるんだよ! 龍人族はみんな黒髪のはずだろ!」
「うるさいな! べたべた触るな!」
「…………タライ君、凄いわね。誰も気を使って言わなかったのに」
「え?」
え? もしかして私、心病んでるとか思われてる?
「ヒ、ヒスイ、気を使ってるって、どういう意味?」
「え? だって急に髪の色を変えるなんて、何かあったとしか考えられないじゃない」
「えええ!? で、でもでも、似合うでしょッ?」
「えー。まぁ、それなりに?」
「それなりに…………ユ、ユハンはどう思う!?」
「ふぇ?」
脳直のヒスイとは違って、しっかりと物を考えて喋るユハンは、少し考え込んでから私の問いに答える。
「う、うーん。美しい龍人の基準からは離れてるけど、わえは嫌いじゃない、かな」
評価低ぅ…………。これはマジで萎えるぞ。人間の頃はイエベって言われてもてはやされてたのに。
「っへ。外見は人の内側を表すって言うからな。お前は今の髪色の方が似合ってるぜ」
「それはどうも」
何だか皮肉に聞こえてしょうがないが、まあいい。タライが来てくれたおかげで、少しは場の空気も和んだようで安心した。
「よし。それじゃあ、私はそろそろ行くよ」
「ん? どっか行くのか?」
「まあね」
「やめといた方がいいぜ。外、ヤバい事になってっから」
先ほどまで慌しく表情を変えていたタライだったが、しかし外の話を始めた途端、彼の顔からはみるみる血の気が引いていった。
「大丈夫、大丈夫」
「ソウ、俺はマジで言ってるんだよ」
「心配いらないよ。とにかくお前は、ユハンの傍から離れるな」
これまで見たこともない、お調子者の真っ直ぐな目。だから私も、茶化すのはもうやめて、優しい笑みと共にそう言ってやった。するとタライも察したらしく。
「そっか。そう言えばお前、天津神だったよな」
「そういうこと」
これで終わる。ここで立ち止まれば、束の間の幸せに浸り続けることが出来るが、でも彼の言う通り、私は神様だ。己の利を優先することは出来ない。
「ソウちゃん、気を付けてね」
「うん。ありがと」
「絶対、帰ってくるのよ」
「皆のこと、お願いね、ヒスイ」
私の言葉に対し、ヒスイは無言でうなずいて微笑んだ。本当に、頼りになる子だ。
「じゃあ、行ってくるよ」
彼女たちに別れを告げ、私は足を前に出す。今日までの全てに背を向けて。
「津、この広間に結界は?」
「抜かりなく」
「うむ、では後の事は頼んだぞ」
「はい。お任せください」
大広間の入り口をふさぐ岩塊。私はその荒々しい岩肌に手を添えて、少しだけ力を込める。そうすれば卵のように砕け散り、外からは眩いばかりの光が差し込んで来た。
「流石は吾月。悪くない陽射しだ」
妖しく光る月の横で、いつも通りに燃ゆる星。初めてにしては上出来だが、それでもやはり、ムラがあるのは否めない。
「おいおい! なんで岩戸が割れてんだ!」
「お頭ッ、不味いです! これでは敵が広間に流れ込みます!」
「分かってる! …………くそ、この数じゃ、結界も持ちそうにねえ」
私の遥か前方にて叫ぶアラナミと龍狩り達。彼らの頑張りを無に帰すようで悪いが、しかし覚醒後の登場シーンは派手じゃなければ。
「待て、あれは一体なんだ」
「獣神でも、天津神でもないぞ」
「この神霊は…………」
今なお斬り合いを続けている両勢力。しかし嫌でも感じる我が神霊に、戦は一時の休息を強要される。
「あ、おぉ、おいッ! 何なんだ、何だよ一体!」
「我らは、あの存在に気付かず、戦をしていたのか…………?」
「ありえぬ。あの神霊、あの御力は」
恐らくこの有象無象の中には、かつての分霊する前の太陽神を見た者も多いのだろう。故に敵勢力の中には、私の神霊を感じただけで武器を投げ出す者もいた。
「日神…………」
私に目を合わせないよう、目を伏せる者。ただただ私を崇め、拝礼をして示す者。入り乱れた一切が、今この二つに別れている。
「アラナミ」
私は、見晴らしの良くなった道を歩み、そして彼の前でその名を呼んだ。
「私が末永岩に敗れたあと、よくぞ助けに来てくれた」
「い、いや。俺は偶然通りかかっただけだ」
アラナミは何とも奇妙そうな面もちで、足元だけを眺めながら呟く。大方、なぜその事を知っているのか。とでも思っているのだろう。だが説明している暇もない。
「礼を言う」
「あ、ああ」
「それと、兄だけじゃなく、結舞月の事も大切にしてやるのだぞ」
私は最後、彼にそれだけを言って、この時間に別れを告げた。
――――そしていま私が存在しているのは、私が目を覚ます十分ほど前の天都。だが刻還りとは違って、平行世界は産まれない。
「割と簡単にできるもんだな」
時間の流れとは、決して一定の方向にだけ進んでいるものではない。次元的にあやふやな存在となった私は、ゼロ歳児が自転車に乗ってコンビニへ行くことが不可能なように、それらの概念を凌駕することが可能となった。
あまねく時空を俯瞰して、自由に結果を差し替える力。身近なもので言えば、動画編集に近い。
始まりから終わりまでの、その全てを観測できる今、私は、まさに神と呼ばれるものに成ったのかもしれない。
「だれだぁおんまえぇ」
大地を震わす程の低音で、私にかけられる声。その持ち主に目をやると、そこにはレンガのような色をした巨人が立っていた。
「だいだらぼっちか」
「うぅん? しんにゅうしゃだなぁ、おまえぇ」
腕に止まった蚊を潰さんとするが如く、巨人は私に目掛けて掌を振り下ろす。しかし。
〈龍よ、お主にも少し時間をやる〉
「――――なぁにぃっ!」
だいだらぼっちから伺える焦り。だが、それもそのはずだ。自身が討ち取ったはずの天下龍が突如、真っ白な雲海から姿を現し、立ち向かってきたのだから。否、それすら私の手によって上書きされた事実。
〈感謝申し上げます。日神よ〉
〈よい。だがほどほどにな〉
だいだらも好きでこうしている訳ではないが、しかし罰も必要。そしてこれは、この先にて待ち受ける、宇宙のように膨大な作業の肩慣らしにすぎない。
「侵入者だ! 出合え出合え!」
騒ぎを聞きつけてきたのか、甲冑を纏った兵士が叫び始める。するとそれは炎のように広がってゆき、終いには私の視界を埋め尽くした。
そうして私を睨みつけるのは、吾月に取り込まれた天地の神々と、そして数えきれないほどの魑魅魍魎。
けれど、私たちの間をすり抜けるのは、ただただ静かな薫風のみ。
「たった一柱だけ、なのか」
「だが我らは、あのお方に勝てるのか…………?」
「そもそも、刀を向けても善いのだろうか」
我が神霊を前にして、尻込みをする兵士たち。だがそんな彼らを見かね、ここで割って入る女の声。
「おいおい。どうなってんだよ、おい」
上空から星のように落下してきた天女。それは紛れもなく月の神の一柱、末永岩なのだが。しかし太陽の信仰を得ている今、前とは比べ物にならない程の神霊を持っている。
「私は確かに、お前を殺したはずだよな。夕律」
「確かにお前は、失敗などしておらぬ。ならば誰か。それは、大役を荒魂なんぞに任せた吾月のほうだ」
「っち。嫌な言い方だ」
どうやら彼女は、身に余る力を得て、あまつさえ余裕すらも手に入れた様だ。前までのあ奴なら、斯様な挑発にも牙を剥いたと言うのに。
「どうやら、可愛げまで失くしたようだな」
「うるせえ。それを言うなら、お前の方だろ」
「ふふっ。かもしれんな」
「いいからさっさと刀を抜けよ。その首、今度こそ刎ね飛ばしてやるから」
どうやら私と斬り合う気でいるようだ。ならば、誰の邪魔も入らぬ場を整えてやらねば。
「【古波日霊】」
「あ?」
――――眩い光が洪水の様に注ぎ込まれ、この戦場を光で満たす。そうして現れたるは。
「神獣だとッ?」
「邪魔が入っては、詰まらんだろ?」
はるか頭上にて天を泳ぐ白龍。私の足元で毛づくろいをする狛犬。凛とした立ち姿で、眼前の敵を眺める狐など、その数はゆうに百を超える。そして。
「あなた達が傍に居てくれたからこそ、私はここまで来られた。今日まで本当に、ありがとう」
帯から抜いた一振りの太刀。その輝く白金を僅かにのぞかせ、私は囁くように別れを告げた。今思えば、ユキメよりも傍に居てくれたのは、彼らの方かもしれない。
「【天之日継】」
そうして刀は塵となり、この蒼空へと散っていく。
「お、おい。あれはまさか」
「そんな。あの神は、吾月様によって堕落したはず」
降り注ぐ光と共に現れた大蛇。その姿はまさしく、大川の主宰神に相応しい威厳であり、何者をも屈服させる壮大たる神霊。
「八頭命川…………」
目を見開き、声を震わせながら末永岩は呟く。それどろか、彼女を含むその場の全てが、冷たい汗を身体に伝わせた。
「小細工なしで彼らと戦うのはキツいでしょ」
「クソが。やっとの思いで奪ったってのに…………ッ」
八頭命川が毒される過去を改変し、那々名嘉が彼らの代わりとなる未来に上書きした。つまりナナナキの信仰を失った吾月らは。
「神霊が…………」
「本来あるべき所へと還ったのだ。何も不思議な事ではない」
「何をした」
「奪った物は、手に付かないんだよ」
膨大な信仰を失った事で、彼女らの神霊はその分だけの弱体化を始める。ゆえに悶え、胸を強く抑える末永岩。だがその闘争心が陰ることはなく。
「い、行け! あの獣どもを一掃しろッ!」
彼女は背後の兵たちに命令を下す。そして、いくら吾月らの神霊が弱ったところで、未だ彼女らの優勢に変わりなく、兵士たちは雄叫びと共に鼓舞を始める。
〈蒼陽様。あの中には天津神もおるが、如何様にされるか?〉
〈裏切者だ。遠慮なく叩き潰せ〉
〈御意〉
蛇神は私の言葉に頭を上げると、その八本を振るい仰いでは口を開き、耳をつんざく程の咆哮を奏でる。そしてそれが、神獣たちへの合図となり。
「来るぞッ! だが所詮は獣ッ、返り討ちにしろ!」
「弓隊は十分に引き付けてから放て!」
「槍ッ、構え!」
怒号と共に、遂に神獣と吾月の軍が衝突。その凄まじい衝撃は突風を生み、花火が爆ぜたかのような轟音を轟かせる。
「【善橋柳】」
神通力を使う神もいたが、しかし天下龍の息吹により、それはことごとく失敗。
「一本ずつだ! 一本ずつ首を落とせぇッ!」
「アぐぁあッ!」
刀を振るう妖は蛇神が喰らい、放たれた矢は九尾の念力によって跳ね返される。
普段から山の獣を相手にしている神や妖たちは、流石に戦い方を弁えてはいるが。しかし単純な力の差で押し負ける。
対する天津神は、神獣の恐ろしさを知っているがゆえに、どれも委縮する始末だ。
「恐れるな! 我らには月神の加護がある!」
「押し返せぇえッ!」
――――そして、吾月の兵どもが、そうやって血と汗をまき散らしながら神獣と戦っている最中、私はというと。
「はは、刀、失くしちまったなぁ?」
「あたしなら別に、無くともいけるよ」
「偉く余裕じゃねえか。もう私なんか、眼中にねえってか?」
急速な弱化に神体が慣れたのか、末永岩は依然として不敵に笑みながら私に言う。しかしどうやら、彼女自身も分かっている様だ。何をどう足掻いても、私には歯が立たないことを。
「いや、お前は直接、私が葬ってやる」
「けはは。そうそう。そういうのでいいんだよ」
そうして末永岩は、その目に再び輝きを灯し、構えを戻す。
「丁度、最強ってのにも飽き飽きしてた所だ」
「そう」
深く呼吸を繰り返し、躍動。――――だがここで、その射線上に割り入る影。
「苔乃花!?」
自らの目前にて、その突進を止めんと両手を広げる苔乃花を見て、彼女は駆ける足に歯止めをかける。
「何で、こっちに来た」
「姉さま、私を置いていくなんて、ヒドイです」
「うるせぇ、お前の出る幕じゃねえよ」
「ずっと一緒にいたんですよ。だから最後も、お傍にいさせてください」
儚げな顔で涙を滲ませつつも、苔乃花はその口角をわずかに上げる。そして末永岩は、どこか呆れたようにため息を吐きながら。
「…………あぁ、そうだな」
と、頭をかきながら照れを繕う。
「話は終わったか?」
「ええ。夕律様」
「はっはー。いつぞやと同じだな、この感じ」
その言葉には、私も思わず笑ってしまった。九百年前あの日、初めて彼女らとまみえたのも丁度、今日のような晴天だった。
「だが以前とは違い、端から殺す気で参る」
「そうだよ、それでいいんだよッ。愛してるぜ夕律!」
「お姉さま、はしたないですよ」
「何しおらしくしてんだ。お前もその筈のクセに」
「うふふ。…………ええ、そうですね」
そう笑って、刀を握る月の二柱。対する相手は太陽。勝敗は、火を見るよりも明らかだ。
だがそれでも、彼女らは私に立ち向かった。最後の最後まで、荒魂らしく、その朽ちぬ焔を心に宿して。
産まれた時から縒りあった月明かり。互いを依り代とし、手を取り合って息をした今日までに、彼女らは何とも潔く、その笑みのままに別れを告げたのだ。
嗚呼、願わくば、彼女らのその神霊が、夜空の黄色の安らかな所を望みますように。




