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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
196/202

昇、時降り

「――――ユハン!」


 突如、空間に響き渡る声。それは、この大広間を守るために、ズイエンが設置した岩戸の、その隙間から入り込んで来た。


「生存者だ! 生存者が来たぞ!」

「医療班は早く手当てを!」


 振り向けばそこには、数人の生徒と黒い甲冑を纏った兵士たち。そして目を凝らして見てみれば、ぜえぜえと息を荒くしながら駆けてくる男子生徒が目に映る。


「タライ君?」

「ユハン! 無事だったんだな!」


 これはまた、懐かしい顔が出て来たものだ。


「俺っ、ずっとお前を探してて! はぁッ、はぁっ、そしたらっ、知らない兵士に助けられて! お前はここにいるって聞いたから!」

「だ、大丈夫? 先ずは落ち着きなよぉ」


 膝に手を着き、肩で呼吸を続けるタライ。そしてユハンは、そんな彼の背中をさすりながら、心配そうな声音でそう言った。


「あ、ああっ。って、あれ。もしかして今、俺の心配してくれたのか!?」


 まぁ、ボロボロの着物で現れて、さらに死に物狂いで走ってきたら、誰だって心配はするだろ。


「ま、まあ。一応」

「っひょえぇッ、マジかよッ。ユハンが俺の心配をしてくれるなんて、夢にも思ってなかった! 走って来た甲斐があったってもんだぜ! …………ん?」


 そう叫んでガッツポーズを見せるタライは、まさに鼻たれ坊主の名に相応しい、そのぶら下げた鼻水をすすりながら、今度は私に目を向ける。


「お前ソウじゃねえかッ、久しぶりだなぁ! って、なんだその髪色!」


 忙しい奴だ。

 しかもなんということか。この知らぬ間に染まった、輝くハイトーンブロンドにイチ早く触れるのがこいつだなんて。


「なんで色が変わってるんだよ! 龍人族はみんな黒髪のはずだろ!」

「うるさいな! べたべた触るな!」

「…………タライ君、凄いわね。誰も気を使って言わなかったのに」

「え?」


 え? もしかして私、心病んでるとか思われてる?


「ヒ、ヒスイ、気を使ってるって、どういう意味?」

「え? だって急に髪の色を変えるなんて、何かあったとしか考えられないじゃない」

「えええ!? で、でもでも、似合うでしょッ?」

「えー。まぁ、それなりに?」

「それなりに…………ユ、ユハンはどう思う!?」

「ふぇ?」


 脳直のヒスイとは違って、しっかりと物を考えて喋るユハンは、少し考え込んでから私の問いに答える。


「う、うーん。美しい龍人の基準からは離れてるけど、わえは嫌いじゃない、かな」


 評価低ぅ…………。これはマジで萎えるぞ。人間の頃はイエベって言われてもてはやされてたのに。


「っへ。外見は人の内側を表すって言うからな。お前は今の髪色の方が似合ってるぜ」

「それはどうも」


 何だか皮肉に聞こえてしょうがないが、まあいい。タライが来てくれたおかげで、少しは場の空気も和んだようで安心した。


「よし。それじゃあ、私はそろそろ行くよ」

「ん? どっか行くのか?」

「まあね」

「やめといた方がいいぜ。外、ヤバい事になってっから」


 先ほどまで慌しく表情を変えていたタライだったが、しかし外の話を始めた途端、彼の顔からはみるみる血の気が引いていった。


「大丈夫、大丈夫」

「ソウ、俺はマジで言ってるんだよ」

「心配いらないよ。とにかくお前は、ユハンの傍から離れるな」


 これまで見たこともない、お調子者の真っ直ぐな目。だから私も、茶化すのはもうやめて、優しい笑みと共にそう言ってやった。するとタライも察したらしく。


「そっか。そう言えばお前、天津神だったよな」

「そういうこと」


 これで終わる。ここで立ち止まれば、束の間の幸せに浸り続けることが出来るが、でも彼の言う通り、私は神様だ。己の利を優先することは出来ない。


「ソウちゃん、気を付けてね」

「うん。ありがと」

「絶対、帰ってくるのよ」

「皆のこと、お願いね、ヒスイ」


 私の言葉に対し、ヒスイは無言でうなずいて微笑んだ。本当に、頼りになる子だ。


「じゃあ、行ってくるよ」


 彼女たちに別れを告げ、私は足を前に出す。今日までの全てに背を向けて。


「津、この広間に結界は?」

「抜かりなく」

「うむ、では後の事は頼んだぞ」

「はい。お任せください」


 大広間の入り口をふさぐ岩塊。私はその荒々しい岩肌に手を添えて、少しだけ力を込める。そうすれば卵のように砕け散り、外からは眩いばかりの光が差し込んで来た。


「流石は吾月。悪くない陽射しだ」


 妖しく光る月の横で、いつも通りに燃ゆる星。初めてにしては上出来だが、それでもやはり、ムラがあるのは否めない。


「おいおい! なんで岩戸が割れてんだ!」

「お頭ッ、不味いです! これでは敵が広間に流れ込みます!」

「分かってる! …………くそ、この数じゃ、結界も持ちそうにねえ」


 私の遥か前方にて叫ぶアラナミと龍狩り達。彼らの頑張りを無に帰すようで悪いが、しかし覚醒後の登場シーンは派手じゃなければ。


「待て、あれは一体なんだ」

「獣神でも、天津神でもないぞ」

「この神霊は…………」


 今なお斬り合いを続けている両勢力。しかし嫌でも感じる我が神霊に、戦は一時の休息を強要される。


「あ、おぉ、おいッ! 何なんだ、何だよ一体!」

「我らは、あの存在に気付かず、戦をしていたのか…………?」

「ありえぬ。あの神霊、あの御力は」


 恐らくこの有象無象の中には、かつての分霊する前の太陽神を見た者も多いのだろう。故に敵勢力の中には、私の神霊を感じただけで武器を投げ出す者もいた。


日神ひのかみ…………」


 私に目を合わせないよう、目を伏せる者。ただただ私を崇め、拝礼をして示す者。入り乱れた一切が、今この二つに別れている。


「アラナミ」


 私は、見晴らしの良くなった道を歩み、そして彼の前でその名を呼んだ。


「私が末永岩に敗れたあと、よくぞ助けに来てくれた」

「い、いや。俺は偶然通りかかっただけだ」


 アラナミは何とも奇妙そうな面もちで、足元だけを眺めながら呟く。大方、なぜその事を知っているのか。とでも思っているのだろう。だが説明している暇もない。


「礼を言う」

「あ、ああ」

「それと、兄だけじゃなく、結舞月の事も大切にしてやるのだぞ」


 私は最後、彼にそれだけを言って、この時間に別れを告げた。


 ――――そしていま私が存在しているのは、私が目を覚ます十分ほど前の天都。だが刻還りとは違って、平行世界は産まれない。


「割と簡単にできるもんだな」


 時間の流れとは、決して一定の方向にだけ進んでいるものではない。次元的にあやふやな存在となった私は、ゼロ歳児が自転車に乗ってコンビニへ行くことが不可能なように、それらの概念を凌駕することが可能となった。


 あまねく時空を俯瞰して、自由に結果を差し替える力。身近なもので言えば、動画編集に近い。


 始まりから終わりまでの、その全てを観測できる今、私は、まさに神と呼ばれるものに成ったのかもしれない。


「だれだぁおんまえぇ」


 大地を震わす程の低音で、私にかけられる声。その持ち主に目をやると、そこにはレンガのような色をした巨人が立っていた。


「だいだらぼっちか」

「うぅん? しんにゅうしゃだなぁ、おまえぇ」


 腕に止まった蚊を潰さんとするが如く、巨人は私に目掛けて掌を振り下ろす。しかし。


〈龍よ、お主にも少し時間をやる〉

「――――なぁにぃっ!」


 だいだらぼっちから伺える焦り。だが、それもそのはずだ。自身が討ち取ったはずの天下龍が突如、真っ白な雲海から姿を現し、立ち向かってきたのだから。否、それすら私の手によって上書きされた事実。


〈感謝申し上げます。日神よ〉

〈よい。だがほどほどにな〉


 だいだらも好きでこうしている訳ではないが、しかし罰も必要。そしてこれは、この先にて待ち受ける、宇宙のように膨大な作業の肩慣らしにすぎない。


「侵入者だ! 出合え出合え!」


 騒ぎを聞きつけてきたのか、甲冑を纏った兵士が叫び始める。するとそれは炎のように広がってゆき、終いには私の視界を埋め尽くした。


 そうして私を睨みつけるのは、吾月に取り込まれた天地の神々と、そして数えきれないほどの魑魅魍魎。

 けれど、私たちの間をすり抜けるのは、ただただ静かな薫風のみ。


「たった一柱だけ、なのか」

「だが我らは、あのお方に勝てるのか…………?」

「そもそも、刀を向けても善いのだろうか」


 我が神霊を前にして、尻込みをする兵士たち。だがそんな彼らを見かね、ここで割って入る女の声。


「おいおい。どうなってんだよ、おい」


 上空から星のように落下してきた天女。それは紛れもなく月の神の一柱、末永岩なのだが。しかし太陽の信仰を得ている今、前とは比べ物にならない程の神霊を持っている。


「私は確かに、お前を殺したはずだよな。夕律」

「確かにお前は、失敗などしておらぬ。ならば誰か。それは、大役を荒魂なんぞに任せた吾月のほうだ」

「っち。嫌な言い方だ」


 どうやら彼女は、身に余る力を得て、あまつさえ余裕すらも手に入れた様だ。前までのあ奴なら、斯様な挑発にも牙を剥いたと言うのに。


「どうやら、可愛げまで失くしたようだな」

「うるせえ。それを言うなら、お前の方だろ」

「ふふっ。かもしれんな」

「いいからさっさと刀を抜けよ。その首、今度こそ刎ね飛ばしてやるから」


 どうやら私と斬り合う気でいるようだ。ならば、誰の邪魔も入らぬ場を整えてやらねば。


「【古波日霊ふるなみひれ】」

「あ?」


 ――――眩い光が洪水の様に注ぎ込まれ、この戦場を光で満たす。そうして現れたるは。


「神獣だとッ?」

「邪魔が入っては、詰まらんだろ?」


 はるか頭上にて天を泳ぐ白龍。私の足元で毛づくろいをする狛犬。凛とした立ち姿で、眼前の敵を眺める狐など、その数はゆうに百を超える。そして。


「あなた達が傍に居てくれたからこそ、私はここまで来られた。今日まで本当に、ありがとう」


 帯から抜いた一振りの太刀。その輝く白金を僅かにのぞかせ、私は囁くように別れを告げた。今思えば、ユキメよりも傍に居てくれたのは、彼らの方かもしれない。


「【天之日継あめのひつぎ】」


 そうして刀は塵となり、この蒼空へと散っていく。


「お、おい。あれはまさか」

「そんな。あの神は、吾月様によって堕落したはず」


 降り注ぐ光と共に現れた大蛇。その姿はまさしく、大川の主宰神に相応しい威厳であり、何者をも屈服させる壮大たる神霊。


八頭命川ヤヅノミコヅチ…………」


 目を見開き、声を震わせながら末永岩は呟く。それどろか、彼女を含むその場の全てが、冷たい汗を身体に伝わせた。


「小細工なしで彼らと戦うのはキツいでしょ」

「クソが。やっとの思いで奪ったってのに…………ッ」


 八頭命川が毒される過去を改変し、那々名嘉が彼らの代わりとなる未来に上書きした。つまりナナナキの信仰を失った吾月らは。


「神霊が…………」

「本来あるべき所へと還ったのだ。何も不思議な事ではない」

「何をした」

「奪った物は、手に付かないんだよ」


 膨大な信仰を失った事で、彼女らの神霊はその分だけの弱体化を始める。ゆえに悶え、胸を強く抑える末永岩。だがその闘争心が陰ることはなく。


「い、行け! あの獣どもを一掃しろッ!」


 彼女は背後の兵たちに命令を下す。そして、いくら吾月らの神霊が弱ったところで、未だ彼女らの優勢に変わりなく、兵士たちは雄叫びと共に鼓舞を始める。


〈蒼陽様。あの中には天津神もおるが、如何様にされるか?〉

〈裏切者だ。遠慮なく叩き潰せ〉

〈御意〉


 蛇神は私の言葉に頭を上げると、その八本を振るい仰いでは口を開き、耳をつんざく程の咆哮を奏でる。そしてそれが、神獣たちへの合図となり。


「来るぞッ! だが所詮は獣ッ、返り討ちにしろ!」

「弓隊は十分に引き付けてから放て!」

「槍ッ、構え!」


 怒号と共に、遂に神獣と吾月の軍が衝突。その凄まじい衝撃は突風を生み、花火が爆ぜたかのような轟音を轟かせる。


「【善橋柳】」


 神通力を使う神もいたが、しかし天下龍の息吹により、それはことごとく失敗。


「一本ずつだ! 一本ずつ首を落とせぇッ!」

「アぐぁあッ!」


 刀を振るう妖は蛇神が喰らい、放たれた矢は九尾の念力によって跳ね返される。


 普段から山の獣を相手にしている神や妖たちは、流石に戦い方を弁えてはいるが。しかし単純な力の差で押し負ける。

 対する天津神は、神獣の恐ろしさを知っているがゆえに、どれも委縮する始末だ。


「恐れるな! 我らには月神の加護がある!」

「押し返せぇえッ!」


 ――――そして、吾月の兵どもが、そうやって血と汗をまき散らしながら神獣と戦っている最中、私はというと。


「はは、刀、失くしちまったなぁ?」

「あたしなら別に、無くともいけるよ」

「偉く余裕じゃねえか。もう私なんか、眼中にねえってか?」


 急速な弱化に神体が慣れたのか、末永岩は依然として不敵に笑みながら私に言う。しかしどうやら、彼女自身も分かっている様だ。何をどう足掻いても、私には歯が立たないことを。


「いや、お前は直接、私が葬ってやる」

「けはは。そうそう。そういうのでいいんだよ」


 そうして末永岩は、その目に再び輝きを灯し、構えを戻す。


「丁度、最強ってのにも飽き飽きしてた所だ」

「そう」


 深く呼吸を繰り返し、躍動。――――だがここで、その射線上に割り入る影。


「苔乃花!?」


 自らの目前にて、その突進を止めんと両手を広げる苔乃花を見て、彼女は駆ける足に歯止めをかける。


「何で、こっちに来た」

「姉さま、私を置いていくなんて、ヒドイです」

「うるせぇ、お前の出る幕じゃねえよ」

「ずっと一緒にいたんですよ。だから最後も、お傍にいさせてください」


 儚げな顔で涙を滲ませつつも、苔乃花はその口角をわずかに上げる。そして末永岩は、どこか呆れたようにため息を吐きながら。


「…………あぁ、そうだな」


 と、頭をかきながら照れを繕う。


「話は終わったか?」

「ええ。夕律様」

「はっはー。いつぞやと同じだな、この感じ」


 その言葉には、私も思わず笑ってしまった。九百年前あの日、初めて彼女らとまみえたのも丁度、今日のような晴天だった。


「だが以前とは違い、端から殺す気で参る」

「そうだよ、それでいいんだよッ。愛してるぜ夕律!」

「お姉さま、はしたないですよ」

「何しおらしくしてんだ。お前もその筈のクセに」

「うふふ。…………ええ、そうですね」


 そう笑って、刀を握る月の二柱。対する相手は太陽。勝敗は、火を見るよりも明らかだ。

 だがそれでも、彼女らは私に立ち向かった。最後の最後まで、荒魂らしく、その朽ちぬ焔を心に宿して。


 産まれた時から縒りあった月明かり。互いを依り代とし、手を取り合って息をした今日までに、彼女らは何とも潔く、その笑みのままに別れを告げたのだ。


 嗚呼、願わくば、彼女らのその神霊が、夜空の黄色の安らかな所を望みますように。

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