鬼、龍
天都没落の数十分前、榮鳳官学の頂院にて対峙した吾月と蒼陽らは、進退譲らぬ激しいせめぎ合いを行っていた。
「【神無月】」
「もう! またかよ!」
神霊を神体から離脱させる神通力を、末永岩は主に蒼陽に向けて発動させる。そうすれば、脳天を撃ち抜かれたかのように背から倒れ、そして吾月がその隙を狙って攻撃を仕掛ける。
「【月槻弓】」
蒼白く発する輝きを集め、吾月の掌にて圧縮される熱量。そしてそれは熱線となり、まさに矢の如し速度で奔流を始める。
「【満ち黄金!】」
しかし憂月の結界が、たちまちのうちに蒼陽を包み込む。
「【水・青・天之狹霧】」
そしてユキメが反撃。彼女は水の神通力を駆使してシャボン玉を生成し、それを前衛の末永岩に立ち向かわせた。
「なんだなんだ? 随分とその顔に似つかわしい術を使うじゃねえか」
などと言うものの、末永岩はその未知の術を警戒し、シャボン玉の群れから距離を取る。だがしかし、幾ら彼女が逃げようと、水の風船は執拗にその軌跡を追ってゆく。
「逃がしはせぬぞ」
「くそ。不気味な泡沫だ」
「…………お姉さま、何を遊んでいらしてるの?」
「うるさい!」
苔乃花に言葉を返すべく、末永岩は視線を外して彼女を睨む。しかしそれが隙となり、末永岩は遂にシャボン玉に触れてしまった。
「しまった」
「【龍炎】」
陽炎を満たすは可燃性気体。その限界寸前のシャボン玉は、遂に末永岩に纏わりつくと、龍の熱によって爆発を引き起こした。
「――――なッ!?」
「お姉さま!」
爆炎によって半身を焦がす末永岩。見た目からは想像も出来なかった術に困惑し、彼女は僅か数秒ほどの隙を生み落とす。
そしてユキメは、それを隻眼で捉えていた。
「【血一矢】」
繰り出された血矢は、まさに響の如し速度で飛翔。そしてそれは、爆傷によって避けることもままならない末永岩の、その眉と眉の間を射ぬかと思われた。
「不毛ですわね」
しかし間髪の所で張られる結界。ユキメの矢撃は、吾月の黄金によって阻まれてしまった。
「なぁ、やっぱり周りの雑魚から殺した方がいいんじゃねえか?」
「いえ。このまま荒魂だけを狙ってください」
ナナナキの姿を借りた吾月は、糸のような瞳孔をふっと和らげ、ニタリと笑みをこぼす。そしてその先に映るは憂月。
「ソウ様は絶対に殺させない」
「ひひひ。意固地ですのね」
――――そして、憂月とユキメの時間稼ぎが功を奏し、蒼陽が遂に深い眠りから目を覚ます。
「分かったか夕律。これが神霊の差だ」
「くそ。厄介な術だな」
目まぐるしく変わる戦況。蒼陽が意識を手放し、そしてそれを取り戻した時、脳はまず最初に、戦場の状況把握から処理を始める。故に生まれるは隙。
「いただき!」
「――――ソウ様!」
蒼陽の背後から迫る凶刃。憂月もそれに気が付くが、結界は間に合わない。しかし、それでも諦めないは…………。
「ユキメ!」
「ッち! 邪魔だなホントに!」
末永岩の斬撃を、龍脚を使った蹴りで打ち消すユキメ。末永岩の強大な神霊をもってしても、龍の鱗は砕けなかった。
「我が想い人に刃を向けるとは、いい度胸をしておるな。女神」
「はっ。神使の分際で神に向かうたぁ、見上げた根性だ。お嬢ちゃん」
己の背よりも遥かに高い末永岩に、見下ろされて尚もユキメは睨み据える。もう決して、彼女の傍を離れんと、その心意気を遥か掲げて。
「【水・青・水暴葬】」
「失敗?」
ユキメは印を結び、その神通力を発動させるが、しかし舞う粉塵一つさえも揺るがず、その光景には吾月ですら小首をかしげた。だが、末永岩だけは、自身の体内で発生した異常に気付いていた。
「くそッッ、何をした!」
「末永岩。どうしましたか?」
「あ、熱いッ、内が沸いてるみたいだッ!!」
末永岩の体内に含まれる水分。ユキメは、その分子を神通力で高速振動させ、彼女を内側から焼き尽くさんとしていた。
「ごホッ――――て、てめえ」
「…………まだ耐えるのか」
孔という孔から血を噴き出させる末永岩。彼女は、真っ赤に染まったその眼球で、尚もユキメを睨み続け、そしてユキメは、その異常とも言える耐久に汗を流す。
そして。
「【神゛無 月ッ!】」
ユキメに向かって放たれる術。それによって魂は引き抜かれ、彼女は電池が切れたブリキの様に崩れ落ちた。
「吾月が何と言おうが、お前だけは私が殺す」
人形のように眠る龍人を、末永岩は怒りと共に刀で狙う。だがその行く末を、ただ指を咥えて傍観する彼女ではない。
「【抜刀・向日葵】」
最高火力を誇る蒼陽の抜刀術。それは手加減の無い、必死の刃。
「あーもう、クソがッ!」
末永岩は盾のように刀を構えたが、それでも蒼陽はその刀ごと末永岩を切り伏せる。
「彼女に指一本でも触れて見ろ」
「何だよ何だよ! まるで恋人みてえな言い草だなッ?」
「全くその通りだよ。ドサンピン」
「い、今参ります、お姉さま!」
ここで苔乃花が、末永岩の傷を癒そうと彼女に駆け寄る。切なげに吊り上げた眉根。その様はまさしく姉妹愛。化生した時から共に過ごした彼女らの…………。
だがここで思わぬ横槍。そしてそれは、そんな彼女らの絆の前に立ちふさがった。
「苔乃花!」
「…………お……お姉、さま」
一刀のもとに斬り倒される苔乃花。それをやってのけたのは、どこからともなく現れた影の神、シンだった。
「津?」
「遅れ馳せながら、助太刀に参りました。姫」
「なんでここに。天都はどうなったの?」
天陽の世話役ゆえに、シンが彼女のもとを離れることは無いと踏んでいた蒼陽。するとシンは答える。
「天都も万を超える妖の軍に攻め入られおりますが、しかし皇神がおられるので、問題はないかと」
「そう言う事じゃない。シンは天都で戦わなくてもよかったのって聞いてるの」
蒼陽がそう言って口を尖らせると、シンはあからさまに肩を落とす。
「ひ、姫様がここにおられると、聞いたものですから」
叱られた子供の様にしょげ返るシンに、蒼陽は軽くため息を吐く。だがしかし、彼女が参戦してくれたおかげで、蒼陽たちが有利になったのは明らか。
「まあいいや。今はそれより…………」
「――――おいおいおいッ! 私の可愛い苔乃花に何してくれてんだボケ共!!」
「あ奴を倒さねばなりませんね」
「うん。苔乃花を斬ったのは良かったけど、どうやら逆鱗に触れたみたい」
さながら鬼のような形相で怒鳴り散らかす末永岩を前に、二柱は緩んだ帯を締め直す。
女とは思えないような腕っ節と、龍でさえ物怖じしそうな黄色い瞳孔。それはまるで満月ように輝くが、しかし血走らせた血管がそれを醜く彩っている。
「先ずは誰から死にてぇ? あぁ!?」
「ソウ様!」
「ユキメはウヅキを連れて下がってて!」
「――――姫ッ。来ます!」
地面を砕きながら迫りくる末永岩。その目にも留まらぬ躍進をせき止めるべく、彼女らは身構える。
「注文が無えなら手前えからだッ!」
「ッぐ!!!」
「津!」
津は末永岩の攻撃を受けきれず、まるで大型トラックに跳ね飛ばされたかのように吹き飛ばされた。
「津、立てるッ?」
「…………え……ええ」
背後の岸壁に打ち付けられた津に、蒼陽は声だけで安否を問う。しかし津の神体も強固な物。故に蒼陽もそこまでの心配は見せなかった。
「他人の心配をしてる場合かぁ? 戦の最中に目を離すなって言ったのは誰だッ?」
「うるさいな! 静かに戦えないのかお前は!」
シンに憂いが行ったことで、蒼陽に生まれた僅かな隙。末永岩は当然それを見逃さず、蒼陽も彼女の攻撃を防ぐべく防御に入る。
だが、形式に沿った防御を展開する蒼陽とは反対に、末永岩の攻撃はまるで子供の様な無邪気さ。それ故に彼女は苦戦を強いられた。
「なんて滅茶苦茶な!」
「ああッ、てめえを反面教師にしたからな!」
「なるほど。可愛くないな」
「逆にお前は、動きが鈍ってるんじゃないかぁ、夕律?」
宙を舞う二振りの刀。しかし末永岩は踊り、手ぶらの蒼陽を攻め続ける。
そしてその戦闘に加わろうと、津は好機を見計らっていたが、しかし末永岩の口から出て来た名前に、彼女は動揺した。
「夕律…………?」
かつて失った自らの主。誰よりも崇めていた神の名が、津の疑心を確信に変えさせた。
「やはり、蒼陽姫は」
蒼陽の神霊が覚醒してから、彼女が今日まで感じてきた神霊。そのどこか懐かしい気配に、津はこれまで思案を続けていたのだ。
「【神無月】」
「また来た。堪えろ私ッ!」
末永岩の神通力が発動。蒼陽はこれに耐えようと歯を食いしばるが、しかし断ち切られる肉体と魂の繋がり。その意識は、再び夜へと落ちてゆく。
「あっはっは! 手前ぇの神霊じゃ間に合わねえよ!」
糸が切れた操り人形のように倒れる蒼陽。対する末永岩も、邪魔が入らぬうちに片を付けようと、迅速で刃を彼女に向けるが…………。
「【八咫瞳黒・乙】」
末永岩の視界に忍び込む異風景。目の前には自分が立っており、その足元には眠る蒼陽。
「何だこれ」
「おのれ! 姫様の貴い御霊を穢すでないッ」
神通力によって末永岩の目路を支配した津は、何が何だか分からず困惑する末永岩を、その意気のままに切り刻む。
「んだよ! 鬱陶しいなぁッ!」
「【一刀・劇】」
刻み込んだ刀痕をなぞるように、津は刃を返して更なる一撃を打ち込もうとする。――――が、その太刀は、ただの素手によって止められる。
「なんだと!」
「甘ぇんだよ雑兵がッ」
津はすぐさま距離を取ろうと足を後ろに。しかし末永岩に腕を掴まれ失敗。それどころか津は、末永岩の剛腕によって地面へと叩きつけられる。
「…………ヶほッ」
「そうかそうか。やっぱてめえから死にてえか」
津に突きつけられる鉾先。だが彼女は、ストリートダンスを踊るように太刀の先を蹴り上げると、そのまま起き上がって反撃に出る。
「【抜刀――――」
「そんな大技が当たるかよ、滓が!」
当たれば必死の居合斬り。刀を飛ばされた末永岩には、これを防ぐことは最早困難にも見えた。だが彼女は両腕を開き、なんとこれを受ける姿勢を見せる。
「――――閃光!】」
「見えるんだよ!」
津の抜刀にタイミングを合わせ、末永岩は彼女の頬にカウンターを入れる。
そして抜刀によって大幅に加速した津は、その速度ゆえに大ダメージを受け、再び後方へと吹っ飛ばされてしまった。
「っはっははは! 雑魚が出張るんじゃねーよ」
そんな彼女の様を見て、末永岩は高笑い。そして吾月に目をやると、彼女は八重歯を覗かせたまま言う。
「面白くなってきた。なぁ吾月、この戦には手ぇ出すんじゃねえぞ」
「ええ、そのつもりです。そろそろ此方もお呼ばれするでしょうし」
津によって斬られた苔乃花を、吾月は神通力で治療しながら空を仰ぎ見る。その頭上には満月。しかしその色は、指の腹で擦ったかのように霞んでいる。
「あぁ、そろそろか」
「ええ」
「じゃあアレだなぁ。この戦もそろそろ終わりだなぁ」
御機嫌に笑む吾月とは裏腹に、末永岩はどこか切なげに眉をひそめ、彼女と同じように月を眺めるが、深く溜め息。
「あー、詰まんねえ」
「もう十分、楽しめたのでは?」
「かもなぁ。でもなぁ。まだなんだよなぁ。まだお互い、燃え尽きてねえもんなぁ」
末永岩は地へと目線を降ろし、そしてその先の景色に満面で笑む。
「なぁそうだろぉッ、夕律ぅッ!」
度重なる連戦をくぐり抜け、まさに有頂天となっている末永岩の神霊は、もはや留まるところを知らず。
「何なんだよアイツ。元気すぎるだろ…………」
その勢いにあてられた蒼陽は、おぼつかない足で立ち上がりながら不満を呟く。
「…………もう、つまらない意地を張ってる場合じゃないな」
「あー? 何か言ったかぁ?」
「そろそろ幕引きだって言ったんだよ。だぼ」
西ノ宮の奇襲から始まったこの戦で、蒼陽は一度として陽の神通力を使用してはいなかった。そうさせたのは、天陽に抱く嫌悪と、彼女自身のプライド。
「きゃっはっはっはッ。雑魚はよく吠えやがるぜ!」
「言ってろ。その減らず口、今すぐ縫合してやるから」
「いいぜ。かかってこい」
見下すように口を開く末永岩を、蒼陽は刺すように睨み返す。眼前にてせせら笑う彼女と共に、その下らぬ心情の一切を、殺し尽くさんと遥か目指して。
「【日・天照陽】」
心に宿る日輪。蒼陽の基礎ステータスは頭を打ち、そしてそれを補正するかのように、四肢が龍へと還る。
「いいじゃねえかぁ。やれば出来る子じゃねえかぁ」
「ここから先、一言たりとも喋らせはせぬぞ」
「なんだと――――――――」
煌を超える一閃。焚かれたフラッシュの如し刹那で、蒼陽は末永岩の腕を枝のように手折り……。
「ッ!?」
――――そのまま左拳を顔面に叩きつける。
「くそ! どこにこんなちか…………」
「喋らせんと言ったはずぞ」
たった一突き。しかし全身を砕かれ、風に乗った桜花のように飛ばされる末永岩。しかし蒼陽は更なる追い打ちを掛ける。
「参」
翔ける小鳥を狩る鷹のように、蒼陽は捉えて拳を下ろし。
「ッッぐ!」
「弐」
そして地に叩きつけた末永岩に、踵を落とす。
「壱」
最後、神霊の崩壊によって動けない末永岩を、蒼陽は手で作った円の中に収める。
「ドカン」
圧縮、そして発散。数秒の閃光の後、産み出されたエネルギーは瞬く間に大地を飲み込み、末永岩の神霊を溶かし尽くす。
そして蒼陽は手のひらを閉じ、爆炎を収束させるが。――――しかし尋常ならざる雰囲気に、彼女は自らの勝利を疑った。そう思わせるのは、自らの頭上にて赤く笑う満月。
「皆既月食?」
「あ゛ああああああああああッ! クソがクソがクソがッ!」
月を見上げ、その艶めかしい色を嘆くのは、彼女だけではなかった。
「何でハナから全力で来なかったッ。こんな力を持ってんのによぉッ!」
クレーターの底で叫ぶ。その無念を。そして震い慄く。その神霊に。
「お前にはがっかりだぜ。荒魂」
気付けば聞こえた背からの声。そして走り抜ける激痛は、蒼陽の神霊を脅かす。
「――――ゕはっ」
「どうだ痛いか? ああ?」
胸を貫く冷徹に、染まる紅が天にて輝く。夏の夜とは思えぬ寒々。それら全てが終わりを招き、蒼陽の世界は闇に覆われる。
「ゆ…………きめ」
「ふん。最期の言葉ってやつか?」
「来ちゃ…………だめ…………」
「あららぁ。せっかく生き延びたってのに、ぬけぬけと殺されに来たか」
まさに飛んで火に入る夏の虫。末永岩は、その吹けば飛ぶような幾つかを見て、菓子をつまむように笑みを浮かべる。
「最初こそは、奴らを殺せば荒魂も覚醒すると思ってたが、今思えばこれで正解だったなぁ」
「か、彼女に、手を出すな」
「かはは。しかし成ってみて分かった。最強ってのも存外、悪くねえもんだ」
「…………お…………ねがい」
「さぁって。愉しむとするかぁ」
末永岩の興味は既に蒼陽には無く、彼女は突き刺した刃を引き抜きながら、足を生やした餌に口角を吊り上げた。
そして蒼陽は、崩壊する神霊を留めることすら敵わず、頭の先から地へと堕ちてゆく。その悔やみきれない想いと共に。




