忘れられし奉謝
「あ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛ッ!」
クサバナに突き刺した翼を引き抜き、勝ち誇ったように大きく広げる。彼女の亡骸を抱きかかえ、必死にその傷を塞ごうと、なけなしの霊力で神通力を使うサカマキを眺めながら。
「怒れ天津神。そして知れ。あの日お前らに殺されたマキの無念を」
「…………許さんぞ」
「聞こえん」
「……許さんッ。許しはせんぞ妖ぃぃッ!」
「ハッハッハッハ! 分かるかソレが!? それが怒りだッ! お前の幸せは俺が刈り取ったのだッ!」
頭の血管は膨張し、開ききった瞳孔でサンモトを睨むサカマキ。そこにもう冷静などという言葉は無く、ただただ友を殺された憤怒に任せ、彼はサンモトに斬りかかった。
「もっとだ! もっと怒れ! そしてその無力さを実感しろ! あの日、何も出来なかった俺の様にッ!」
爆ぜる感情に連なって、底上げされるサカマキノ霊力。神霊を絞り、神体を擦って立ち向かう。一振り一振りに力を乗せ、眼前で嗤う怨敵を討ち取らんと。
「【八百咲ッ!】」
彼の怒りに共鳴した八百万。彼らもまた、サンモトのありとあらゆる一切を切り刻まんと、サカマキに感化されて自らを震わせる。
「ぬるいぞッ!」
しかしサンモトも神通力を行使し、その想いごと神霊たちを返り討ちにした。
「――――ッッぐ!」
「今しがた生まれたような憎しみが、我が怨念に敵うはずが無かろうッ!」
その言葉通り、付け焼刃のような霊力では、サンモトの信仰と神霊に敵うはずもなく、彼らは手も足も出ずその身に刃を受け入れてしまう。
サカマキはサンモトの信念に、打ち勝つことが出来なかったのだ。
「……ちく…………しょう」
「貴様も一緒だ。ここで死ね」
口から血を噴き出しながら、サカマキは朦朧とする意識に鞭を打つ。――――が、サンモトは既に、その首を叩き斬らんと大刀を振り上げていた。
「その無様を口惜しみながら死ね。天津神」
「……すまない…………クサバナ」
愛する者を想って泣く彼の姿に、サンモトは自らの姿を重ね、思い出す。
――――初めて彼女と出会ったあの日。
まだ天狐にも成っていない、尾が一本の獣神だった頃のお主は、妖の俺を見ても怖がらなかった。
【そ、其方、名を何と申すのだ?】
【うち? うちは真己。どうぞよしなに。妖はん】
【そうか。美しい名であるな】
【あはは。初めて言われたわ。して、其処許は?】
【俺か? 俺は…………】
力のない妖だった俺に、名前などなかった。だが其方は、そんな俺を笑わず言ってくれた。
【ほな、今日からシバマルって呼ぶわ】
【シ、シバマル?】
【そ。四枚の羽やから四羽丸。ええやろ?】
【あ、ああ】
なぜあの時、俺は其方を連れ去ったのだろうな…………。
【あはは! 空なんて初めて飛んだわ!】
【よかったのか? 都を離れて】
【うん。居てもおもろないし。親も友達もおらん。むしろ清々するわ】
あの夜、其方と出会ってさえいなければ、其方が死ぬことも無かったのだろう。
「ごめんな。俺もすぐに行くよ、真己」
――――血が滲むほどの力で柄を握り、木の幹のように太い首を目掛け、シバマルは刀を振り下ろす。
それが、届かぬものと知っていても。
「…………皇神ッ」
「遅くなった。サカマキ」
シバマルの刀がサカマキに触れる瞬間、彼の腕は、光と共に現れた天陽によって、その付け根から斬り落とされてしまった。
「うぬじゃな? クサバナを殺したのは?」
「だから何だ」
しかし千切れた腕を庇うこともなく、あまつさえ止血もせず、シバマルはただ眼前の太陽に目角を立てる。
「めでたいよなぁ。下界で誰が死のうと無関心なくせに」
「最期の言葉はそれだけか?」
「ああ。俺からはな」
「なに?」
「くたばれ」
最高神である天陽から見れば、いま目の前で息絶えようとしている一匹の妖に、そう大した警戒はいらないと踏んでいた。
先鉾の二柱を討ち取るだけの神霊を持っているとしても、自らの神霊には遠く及ばないのだから。
そう思って。
「【月・黄金・神憑】」
「――――なッ」
予想だにしていなかった彼の行動に焦り、天陽は咄嗟に刀を抜く。最早一刻の猶予すらも与えまいと…………。
「いっひひひひひひひひひひッ。お久しゅうございますぅ!」
しかし不抜の結界が張り巡らされ、天陽の一撃は食い止められた。
「…………吾月っ」
「久方ぶりのご拝顔、かたじけのうし。今日も誠、麗しゅう存じます」
六枚の羽根を伸ばし、意気揚々と月を背にする一柱の男神。あたかも女のような仕草を見せながら、彼は不敵に天陽を見下ろした。
「妖と契りを交わすとは、悍ましい事をしたもんじゃのぅ」
「ひひひ。悪くないものですよ」
自らの心に神を降ろす術。本来であれば神と神使が執り行う儀式を、吾月は妖であるシバマルと行っていた。
「恥を知れ」
「恥? 自らを慕う者達と、契りを交わして恥なのですか?」
「神としての有れかしを言うておるのだ」
「っひっひっひ。それだから、雨月に愛想を尽かされたのですよ」
「お前がその名で、彼女を呼ぶでない」
「お姉さま。生憎ですが、此方の方が彼女の事を知っております」
挑発とも見れるその言葉を聞いて、天陽もいい気はしなかった。自らの妹をウヅキと呼び、さながら家族の様に振舞うその笑みを見て一層。
「そうか。ならば姉として。憂月を苦しめ続ける貴様を成敗しなくてはな」
「ひひ。此方も家族ではござりませぬか」
「ふん。その自惚れも、いい加減ウンザリしてきたところじゃ」
見下すように嗤う吾月と、その笑みもろとも消し去ろうと睨み上げる天陽。だが天陽の内心は、いつもと違って穏やかではない。
中つ国を天都に統治させ、そして忠誠を誓わせた女神たちに治めさせる。そうすることで、その信仰を思うがまま自らの物にせしめた吾月は、今では天陽にも劣らぬ神霊を持っていた。
その事実を改めて実感し、天陽も焦りを見せ始める。
「ふふふ。如何したのですか、お姉さま」
天陽の頬に伝う汗。それに真向かうような吾月の笑み。神霊の甚大さで言えば、寸分の差で天陽が勝っている。だが、まるで追い打ちを掛けるかのように、夏の夜空を血の様に染め始める。
「…………なにを」
「今宵は誠、美しき天にございます」
巨大な雲から現れたるは、怒り狂ったかのような紅の満月。
本来の黄金を失ったその姿は、それでも見る者すべてを魅せる輝き。人々の関心が月へと集まり、恐るべき夜すらも崇めさせる。
そしてそれに伴い、その神霊を一層強大なものにしてゆく吾月。
「吾月…………貴様は一体、何なのだ」
「ひッひッひッ。我は天津皇月。常夜の神である」
翼をたたみ、水辺で燥ぐ子供の様に夜を舞う。
背に浮かぶは肉塊の如し満月。その大きさも、輝きも、本来のものとは比べ物にならない程の壮麗。
吾月らの神霊は今、八百万の頂へと君臨した。
「【風神・鎌風刀ッ】」
初めて味わう恐怖に屈し、天陽は咄嗟に攻撃を開始した。
神々を統べる太陽神は、自らを信仰する神の神通力を使役できる。そしてそのどれもが、並み以上の神でも到達できない最高の火力。
そんな、海すらも両断可能な風の刃は、光速を超えて、吾月の首を結界ごと斬り落とす。
「駄目ですわお姉さま。もう貴女は、此方には敵いませんから」
「…………なんじゃとッ」
しかし落とした筈の吾月の首は、一回だけの瞬きの間に復活していた。
「どうやら千詠も、観念したようですね」
「まさか。死なずの少女か?」
「ええ。軽い頭をようやく垂らしたようです」
自らが産み出し、そして屈服させた神霊の、その神通力を使役する吾月は、すでに千詠の不死身さえも手に治めていた。
こうして、吾月の勝利は不変となった。
「ああ、太陽。お主はどれだけ此方を焦がした…………?」
気持ちよさげに口を歪める黒き妖。その笑みは、内を満たす吾月のもの。向かうところ敵なしの彼女にとって、今や全ての興味は太陽にだけ向いていた。
「ひひひ。これが最後。誠に、明けるのが惜しい」
宙を浮遊しながら涙を零し、彼女は嗤う。まるで念願が成就したかのような、そんな清々しい声色で。
「貴様、そこまでして何が目的なのじゃ」
その問いに吾月は、無重力を漂う星々の様に、月を眺めながら口を開く。
「お姉さま。考えたことはありますか? 代を照らす太陽が、ある日突然、消えてしまった世界を」
先ほどまでの楽し気は収まり、そして代わるように囁く憂い気。
「ずっと憧れていましたの。陽の元で送る日常を。生まれた瞬間から奪われた光。決して相容れぬものと存じていました」
その言葉の意図を掴めず、天陽はただ困惑し、汗を流す。
だが吾月は、そんな彼女に構わず言葉を続ける。
「ですがようやく、願いが叶うのです」
「願い?」
「ええ。もう直ぐですよ。二つ目が消え、もう一つが我が手に落ちるのも」
その意味を理解した時、天陽は口を紡ぎ、視線を落とした。
「そうです。今度こそ確実に、その息を止めて見せましたわ」
「…………ひふみっ」
「いっひひひひひひひひぃッ。安心してくださいませ。お姉さまは手に掛けませんからぁ」
魚が三枚に卸されるように、自らの神霊が削ぎ落される感覚。それを芯から感じた瞬間、天陽は足元から崩れ落ちた。
荒魂を失った和魂は、その力の半分を失ってしまう。尋常に体も動かせず、まさに抜け殻の様に渇いてゆく己の神霊。そうして天陽は地に伏して、その現実を理解した。
「お姉さま。――いえ、此方の太陽。これでようやく、我が物となりましたね」
「はぁッ……はぁッ。なんという事を!」
「ひっひっひ。そのお顔。やはり見ごたえがありますわ」
苦痛に歪む太陽と、快楽に歪む黒い夜。決して相容れぬことの無い概念。太陽は照らせぬ闇を嫌い、しかし夜は、その陽光にまた憧れる。
深淵を統べる吾月は、遂にその執念を燃やし尽くしたのだ。
「覚えておりますか? 数千年前の此方との決闘を」
虫の様に地を舐める天陽は、その問いかけに答えることが出来ずにいた。だが吾月はそれに構うことなく話を進める。
「あの時も、貴女の油断で負けたのですよ。本当に、絶対の存在というのは脆い」
急激な神霊の弱化についていけず、天陽は遂に気を失ってしまう。吾月の声を聞きながら、まさに悪夢の続きを見に行くような気分のまま。
「どれだけ美しい光でも、いつかは闇に飲まれてしまう。本当に長かった。ようやく此方は、陽の元で」
「その手を離せ下郎めッ!」
天陽が到着した後、サカマキはその安堵から、少しの間だけ意識を途切らせていた。一抹の期待にすがり、クサバナの傷を塞ぐべく、散り散りになってしまった神霊を集めるために。しかし次に目を覚ました時、彼は倒れた天陽の姿を見て、すぐさま吾月に攻撃を仕掛けた。
しかし。
「ああ。明日が楽しみで仕方がない。ちゃんとおめかしをして、初めての太陽を拝まねば。そうだ。化粧という物もしてみよう」
吾月はサカマキに目を向けることもせず、ただ絶頂の快楽に顔を歪めながら、知らずの内に踏み潰す蟻のように、サカマキの両腕を神通力で斬り落とした。
「世の女子は肌を焦がされるのが嫌というが、一体どれだけ熱いのだろう。ひひひ。あぁ、楽しみだなぁ」
吾月は天陽を抱え上げ、その寝顔を眺めながら歯を零す。
生まれながらにして神体を持たず、常に誰かの身体を借り続けていた彼女の、次なる器。
「さぁお姉さま。共になりましょうぞ」
そうして、興奮止まぬ様子で頬を染め、苦しそうに寝息を立てる天陽の口元に、吾月は己の唇をそっと重ねた。




