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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第一章 八柱の姫君
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中つ国3

龍文書―18


【天下龍】:下界と天界の狭間を守る巨龍。星を一周するほどの大きさ。

 あれだけ下方に見えていた雲も、今では目と鼻の先にある。そしてこの雲を抜ければ、そこはもう中つ国だ。


 ――――昔から空を眺めては、雲の上はどうなっているのかと想像をしていた。しかし今はそれが目の前にある。

 青く黒い宙に、雲の海を照らす太陽。そして輝くは真っ白な絨毯。これぞファンタジー。天空の城はないが、私はこれで十分満足だ。


「ここまでは大丈夫ですか?」

「うん」


 いつもの優しい声だ。最近ユキメの声を聞くと、たとえ家にいようとも守られているような気持ちになる。


「それでは、ここから先は中つ国。天つ神ですら近寄らない未開の土地です」

「……うん」

 もう全部任せた。私は一生ユキメから離れないから、全部好きにしてくれ。

「それでは、参りましょう」


 そうして私たちは、釣り糸が切れたかのように再び落下する。

 しかし雲の中に入ると、そこは真っ白な景色ではなく、濁ったような鉛色一色が広がっている。さらに雷でも鳴っているのか、奥の方では時折閃光が走る。


 ――――その際に見える大きな影は、きっとただの雲だ。決して生き物などではない。きっとそうだ。こんな所に住んでいる生き物なんているはずがない。


「ご覧ください。あれが龍ですよ」


 ………………え?


 その瞬間、雲の中から大きな龍が顔を覗かせた。いや、大きな龍なんてどころの話ではない。想像していた何倍もの巨体だ。


 ――――髭は大川のように太くなびき、口から覗く牙は巨木のように長い。そして山のように大きな瞳に睨まれると、あまつさえ呼吸する事を忘れてしまう。


「じゃそいのあいのんだんば」

「…………神獣の喋り方苦手なんだよなぁ」


 しかしその龍は、私たちには関心を示さず、長い胴体を風になびく旗のようにうねらせながら、そのまま雲の中へと消えて行った。


「ユキメ…………。アレは?」


「天下龍。この空の主です。あの龍が空を守っているからこそ、天界は何者の侵略も受けないのです」


 という事は私たちの味方なのか? それにしては話の通じなさそうな眼をしていた。海の巨大生物も怖いけど、空もまあまあヤバいな。


 すると一筋の光が雲の隙間を縫い、歓迎するかのように私たちを照らした。見るとそこからは、青汁のように青々とした大地が広がっている。


「着きましたよ。あれが葦原中つ国。大和やまと国です」


 雲を抜け、ユキメの言葉に誘われて恐る恐る下を見下ろす。

 ――――すると目の前に広がるのは、遥か彼方まで広がっている山々に、見渡す限り続く紺碧の海。そして所々に確認できる町や村からは煙が上がっており、誰かが生活しているのは一目瞭然だ。


「広……」

「中つ国は天都の倍はありますからね」


 それゆえに、アマハル様も手に余しているという事か。確かに、いくら最高神でもこの広さはちょっと手に負えなさそうだ。


「それでは、適当なところに足を着けます。どこがいいですか?」


 これは迷うな。初めて空を飛ぶRPGゲームの主人公の気分だ。

 しかし山中は虫が多そうで嫌だしなぁ。海辺は怖そうな生き物がいそうだし、かといって知らない町っていうのも気が引ける。


 私は地上を見下ろしながら、どうしたものかと考える。すると、山間を縫うように奔る、一つの大川が目に入った。


「じゃあ、あの川!」


 ユキメは私が指さした方を見ると「分かりました」と返事をし、再び速度を上げてその川へと向かう。



「……お疲れ様です。ソウ様」


 ――――そうして無事地上に降り立った私たちは、川辺に腰を降ろし竹水筒の水を飲みながら、天界にはない青い自然を満喫していた。


「どうやら季節は夏の様ですねぇ」

 紺色の羽織を脱ぎ、ユキメは汗で吸い付く髪を、高く結い直しながら呟く。

「どうりで暑いと思ったぁ」


 流石に現代よりかは暑くないが、このじめじめとした蒸し暑さだけは大差ない。

 ああ、この袴を脱いで、今すぐ川に飛び込みたい。


「川を汚さなければ、何をしても罰は当たりませんよ」

「でもなあ」


 まるで心を読んでいるかのような提案をしてくる。でもさすがに袴は脱げないし、かといって水着がある訳でもない。

 ……そうしてあたしが考え更けていると、ユキメが袴をたくし上げ、そのすらりと伸びた白い足を川に沈めた。


「それいいね、あたしもやる!」


 スカート程ではないが、袴をたくし上げるのも少し恥ずかしい。

 などと考えながら、私は恐る恐る水面に足を近付ける。そして指先が触れた瞬間、熱くなった血液が、そこから一気に冷やされていくのを感じる。


「気持ちい……」

 今も子共だけど、まるで童心に帰ったようだ。

「あまり深い所には行かないでくださいね」


 私がざぶざぶと川をかき分け離れると、ユキメが心配そうに私を見てくる。どうやら私の恐怖心は、この自然に囲まれたことで少し薄れているみたいだ。 

 まあ、少しくらいなら大丈夫だろう。五メートルくらいならユキメと離れていても直ぐに戻れる。だからもう少しだけ深い所へ。


「大丈夫だよ! ユキメは心配しすぎ」


 ――――と、その時、突然後ろから唸るような声が聞こえた。

龍の本能か、それとも野生の勘か、私はその唸り声が危険なものだと直ぐに感じ取った。


「ソウ様ッ!」


 とっさに振り返る。黒か茶色か分からない色が、まるで壁紙のように私の目の前を覆っている。

 そして恐る恐る視線を上げると――――。


「…………熊?」


 大岩のような巨体を持つ熊が、今まさにその大爪を振り下ろさんと、私を見下ろしながら息巻いていた。


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