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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
188/202

心は静かに、移り行く

 中つ国が荒れに荒れている頃、同じく天界も混乱の渦にあった。


「大神、妃屶ひなたが大和に宣戦布告しました! 唯今、周辺の国々を巻き込みながら、進軍している模様です!」


「時間はどれほどじゃ」


「いえ、それが、神通力で移動しているため、既に多くの敵兵が大和に流れています」


「――大神。やはり援軍を送るべきでは!?」


「駄目じゃ。天都もいつ攻められるか分からん。故に今は、下界で傷を負った者達の迎え入れを優先させる!」


 天陽の書斎に集まる神々。彼らの憂いは至る所に散ってしまい、ぐしゃぐしゃと頭を抱えていた。


 そして追い打ちを掛けるかのように次の報告。


「大変です! 下界から大量の妖がこちらに向かって進軍してきます!」

「妖だと!?」

「しかし天界に攻め入る前に、天下龍に打ち滅ぼされるはずだ!」

「そ、それが、誠に申し上げにくいのですが、天下龍は既に討たれてしまいました」


 その言葉には、全員が絶望の色を濃く表情に出す。

 しかし天陽だけは、その整った眉をひそめて目に力を入れ。


「戦の準備じゃ。非番の者も全員呼べ!」

「は、はっ!」


 ――――そして正宮内部の天津神が慌しく武装している中、天陽直属の部隊である先鉾たちは、既に向かってくる忌々しい神霊を待ち構えていた。


「数が多いなッ!」


 完全武装の先鉾たち四柱が、他の武神たちを引き連れ天都の入り口で待っていると、サカマキが顔に影を作ってそう叫ぶ。


「うむ。じゃがどれも小さい。各々が気を緩めぬ限り、この戦は我らの勝利で終わることになるじゃろう」


 腰に二振りの太刀を佩くカナビコは、ただ正面だけを見据えてそう言った。しかし彼の言う通り、今まさに天都に攻め入らんする気配はどれも矮小で、ただ数が多いだけの有象無象に過ぎない。


 それゆえに彼の表情は、特別強張っているようにも見えなかった。


「どうでもいい。さっさと終わらせてクサバナは寝る」

「クサバナッ。今しがた気を緩めるなとカナビコが申しただろッ!」

「うるさい」

「ふぉふぉ。まあクサバナが参戦するなら心強い。儂らはただ将だけを狙えば良いからのう」


 ようやく笑みを見せるカナビコは、蓄えた白髭を弄りながらオクダカを見る。


「そうじゃろ? オクダカ」

「え? …………あぁ。そうだなぁ」

「どうしたオクダカッ。妃屶以来の戦だぞッ?」


 いつもは戦となれば真っ先に血の気を多くするオクダカだが、しかし彼の表情は、渋柿でも食ったかのように苦いものだった。


「分かってるって」

「まさか緊張しておるのか? らしくないのぅ」

「うるせー」


 いつもに増して顔色が悪いオクダカ。しかしカナビコにはその理由が分かっていた。


 オクダカは耶千尾ヤチオ姫女と共に、あの神前式の場で誓詞を奏上した。“一生を尽くして彼女を守る”……と。それは誓約と何ら変わらない効力を持ち、破れば神罰が下る呪い。


 オクダカとカナビコの唯一の憂いは、オクダカの妻であるヤチオが、この戦に参加しているか否かという事。


 彼女が吾月に仕える女神という事は周知の事実。そして彼女が天都に攻めて来れば、オクダカには二つの道しか残されていないのだ。


「オクダカ。お主いま、何を考えておる?」


 心配とも警戒とも取れる複雑な表情でカナビコは問う。しかしオクダカは彼の方を見ず、腰の太刀に手を添えて呟いた。


「…………来るぜ。じじい」

「皆の者構えろッ。敵が迫っているぞッ!」


 サカマキの怒号が、天都の軍の中を駆け抜ける。


 軍の正面に蔓延る真っ白な白雲。その中から、山をも掴む程の巨大な手が現れる。


「まさか、だいだらぼっちか?」

「天下龍を殺ったのはアイツみてぇだな」


 天界の都すら影で覆うほどの掌。天都など一息で吹き飛ばしそうなほどの巨大。髪は無く、血によって黒ずんだ顔面で、それはニタリと歯を零した。


「待てダイダラ。まだ良しとは言ってないぞ?」


 だいだらぼっちに続き、続々と雲の中から姿を現す妖たち。そしてその先頭には、身の丈ほどの大刀を背負う神が一柱。


「サンモト様。百鬼軍が全て参上致しました」


 妖の一匹が、片膝を着いて言う。


「分かった。下がってよいぞ」


 妖の軍を率いる神。その姿を目の当たりにして、オクダカは言葉を零す。


「どっかで見た顔だな」

「久方ぶりだな。天津神」


 六枚の翼が背から生え、同じく黒い装束に身を包む一柱の男神。それはかつて、妃屶ひなたの国でオクダカが打ちのめした大天狗だった。


「お前が大将とは、少しがっかりしたぜ」


 オクダカは笑い、意気揚々とサンモトと呼ばれる大天狗を挑発する。しかしサンモトは、どこか可笑しそうに笑い、言葉を返した。


「ふふ、案ずるな。大将は俺じゃない」


 サンモトがそう言って傅くと、煙のような雲の中から、淑やかな女神が静々と出でる。


「オクダカ様。何故そちら側に立っておられるのですか?」


 水のように透き通る声。しかし声からは感じぬ禍々しさが、カナビコにその名を呟かせる。


「ヤチオ姫女……」

「…………じじい。物事ってのは、上手くいかねえもんだな」


 百種を超える妖と、千を遥かに上回るほどの軍隊。そしてそれを率いるのは、確かに誓った永遠の花嫁。


 ――――オクダカは全てを悟って瞼を閉じる。


 誓約を破棄するには互いの了承が必要。

 更にヤチオが絶命すれば、誓いを果たせなかったオクダカも黄泉へと堕ちてしまう。


 こうなってしまえば、オクダカに残された選択肢は限られる。


「これはまた……厄介じゃな」

「クサバナの神通力で、アイツが誓いを破棄するまで痛めつける」


 彼女はそう言って刀を抜くが、しかしたった今、目の前で展開された光景を目の当たりにし、驚きとともに刀を降ろした。


「何をしてる…………オクダカ」

「オクダカッ!」


 今、仲間が過去へと移り行くその姿が、クサバナとサカマキの顔に汗を伝わせた。

 

「悪いなお前ら。今から俺は、天都に刃を向ける」


 オクダカは天都の軍を出で、ヤチオの隣に立ってそう言った。その言葉に他意はなく。その行動に、迷いはなかった。


「国より愛する者を選ぶか」


 ――――カナビコも覚悟は出来ていた。故に戸惑いはなく、彼はその手で柄を握る。


「…………ああ。デカすぎて二つは背負えねーよ」

「そうか」


 しかしカナビコ以外はそうもいかない。


「なぜだオクダカッ! 我らが剣を交える必要はない筈だろ!」

「その女が誓約を破棄するまでクサバナが切る。だから戻ってこい」


 あからさまに動揺を見せるサカマキと、冷静さを保ったまま彼を説得しようとするクサバナ。しかし彼女らは、巌のように堅い彼の決意を、低く見積もっていた。


「すまねえな。俺は、ヤチオを愛してるんだ」

「考え直せッ!」

「無理だサカマキ。俺が頑固なのは知ってるだろ?」


 サカマキの必死の呼び掛けも虚しく吹き抜ける。


「その女はオクダカを好いていない。クサバナには分かる」

「ふふ。色恋なんざ知らねえだろ。クサバナ」


 呆れたように口を歪めるオクダカ。仲間として誰よりも彼女の事を知っているからこそ、その笑みは今にも崩れそうなほど切ない。


「無駄じゃ。オクダカはもう、我らの敵になった」

「カナビコッ。お主までッ!」

「じじいの言う通りだぜお前ら。だから全力で殺しに来い」


 彼の心が、次第に戦場を支配する。敵となってしまった彼への想いが、移ろう季節のように、じわじわとその空気を変えてゆく。


「オクダカ。最後に一つ聞きたい」


 刀身を露わにさせたカナビコが問う。心に決めて、白刃を確かに彼へと向けて。


「仮に誓いが無くとも、お主はこうしていたか?」


 束の間の沈黙の後、オクダカは答える。


「ああ」

「左様か。……安心したぞ」


 シワだらけに浮き出た小さな笑み。父が息子に向けるようなそれは何とも強く、そして安心したかの様だった。


「世話になったなじじぃ」

「抜かせ。まだ始まってもおらんじゃろ」


 築き上げたこれまでが終わり、そして新たな始まりが歩みだす。――――両軍にらみ合いが続く中、その火蓋は、そんな彼らによって斬り落とされた。


「【檑斬らいぎりッ】」

「【鎌風刀かまいたちッ】」


 風と雷。目にも留まらぬ斬撃は、激しい衝撃波を生み出し、衝突。


「はっはっはッ、衰えねえなぁ」

「久しいな。こうしてお前をぶつかるのは」


 鍔と鍔を重ねる彼らは、今では遠くなった互いを睨み、そして笑い合う。

 空は瞬く間に雲で覆われ、木々は暴風によって反り返る。荒れ狂い、楽し気に、彼らは斬り合う。


「戦だって言うのに、楽しくて仕方ねえ。そう思わねえか?」

「ふぉっふぉ。だからお前は未熟なのじゃ。戦とは刃で語るもの」


 譲らぬ進退で振り返る心覚。幾度となく行った手合わせが、今日の死合いで昇華する。

 どちらが強者か。そんな物はくだらなく。ただ眼前の敵を潰すことだけが、彼らにとっての満足である。


「億を超える敗北も、今じゃ無に等しいな」

「抜かせ。込んだ負けが消える訳じゃない」

「はっ、そうだな。あんたに負け続けてきたからこそ、ここまで強くなった」

「ああ。デカくなった」


 しばらく続いた金属音が遂に止む。そして白兵戦では互角と分かった二柱は、ただ満たされたような笑みと共に、神通力を発動させる。


「【神風かみかぜ】」

「【神雷かみなり】」


 駄々をこねる子供の様に、嵐が一層苛烈さを増していく。

 降り注ぐ雹。地を削る竜巻。撃ち放たれる雷。それらは周りの妖や神々を巻き込みながら、しかし確かに相手へ迫る。


「相変わらずの威力だなッ」


 姿を雷に変え、刃のように研ぎ澄まされた疾風を躱すオクダカ。だが対するカナビコも、同じように落雷をやり過ごした。


「やはり相性は最悪じゃのう」

「だな。最高じゃねえか」


 もはや仲間でもなく、友でもなく、ただ敵として見える二柱だが、それでもこれまで培ってきた物は拭えなかった。


「殺す気で来るんじゃなかったのか?」


 幾本もの雷を落とし続けたオクダカ。しかし悉く躱され、そして放たれる風の神通力は、確かなる殺意を纏っていなかった。


「なに。準備運動じゃて」

「…………そうか」


 屈伸を行い、その背を反って神体を伸ばすカナビコ。その見た目にそぐう動作に、オクダカはふんと息を漏らす。


「限界そうだな。神霊も神体も」

「お前より何千とこの世におるからのう」

「先鉾の指揮官もそろそろ引退だろ」

「ふん。そのつもり()()()んじゃがな」

「だった?」

「なに。お前が気にすることではない」


 ストレッチを終えたカナビコは、静かに刀を収めて腰を落とす。


「お主はもう、先鉾ではないからのう」


 疾風の如し速さの抜刀。重さと速度を十分に乗せた斬撃は、オクダカの刀を小枝のように折る。


「――――なっ?」


 かつて見たことが無い躍動に、オクダカの表情に焦りが浮かぶ。


「もう、神霊を労わる必要もなくなった」


 腰に佩くもう一振りを逆手で握り、カナビコは遂に二本目を抜く。


「【二刀・結結】」


 音速を超える払い切りは、オクダカに深い切傷を残し、更に産み出された突風が刃となって追い打ちを掛けた。


「くそ! 今まで本気じゃなかったってのかよ」

「死力を注げば、お主が死ぬからのう」

「はっ。言いやがる」


 カナビコから距離を取ったオクダカは、空に浮く城のような雲に掌を向け、その目の奥に炎を宿す。


「【入道雲】」


 雲が落ち、天界の都を靄で包み込むオクダカ。

 

「なんじゃこれは」


 濃霧によって彼の姿を見失ったカナビコは、目視ではなく神霊でオクダカを捉えるべく、静かに神経を研ぎ澄まさせる。


「そこか」


 入り乱れる神霊。だがその中でも一際大きな一点を見つけたカナビコは、風の神通力で攻撃を仕掛けようとする。

 …………しかし。


「【界雷】」

「ッな!」


 濃霧の中を走り抜ける閃光が命中。大したダメージにはならなかったものの、、落雷とは読んで字の如く、その固定概念が彼に隙を作らせた。


「まだまだだぜ」


 霧の中から声だけが聞こえる。そして同時に青白い稲光。姿を風に変えても追って来るそれは、遂に三発目の雷撃を彼に喰らわせた。


「ふぉっふぉ。…………こんな術を隠し持っていたとはの」


 袴が燃え、その身を焦がしながらもどこか嬉しそうに笑みを浮かべるカナビコ。


「あんたを倒す為に作った術だ。姿を風に変えても無駄だぜ」

「儂を討つためか。お前も存外、可愛い所があるではないか」

「ふん。余裕でいられるのも今の内だけだぜ」


 再び走る稲妻。雷雲の中ではどこまで行ってもオクダカの掌の上だが、しかしカナビコも黙っていない。


「【疾風】」


 もはや嵐という言葉には収まらない程の強風。それは団扇で扇いだように雲を散らせると、カナビコの視界を瞬く間に広げさせた。


「…………おいおい、積乱雲だぞ」

「ふん。もっと工夫が必要じゃのう」

「はは…………言うねえ」


 分厚い雲を晴らせたカナビコは、オクダカの姿を捉えると同時に神通力で攻撃を仕掛ける。

 それは岩ですら果実のように両断する風の刃。オクダカは瞬間移動で躱そうと試みるも、しかし追尾する風術は、それすらも獲物を追う獣のように食らいつく。


「クソッ!」

「動きが鈍っておるぞ」


 いつもの決闘では決して見られなかったカナビコの殺意。初めてそれを自身に向けられた時、オクダカの闘争本能は僅かに戦慄した。


「今まで手え抜いてやがったな?」

「やっと気付きおったか」


 序盤で高火力の神通力を多用したオクダカの息は、もうすでに切れかかっている。一度整えようにも落ち着かず、更に四方から向かってくる風の術に対処できず、着々とダメージを重ねていく。


「ははっ。まあどちらにせよ。手前えに殺られるなら俺も本望だ」

「抜かせ。ワシはお前を裏切者として斬るつもりじゃ。高尚な死に方は出来ぬものと心得よ」

「…………そうかよ」


 天都を裏切ったと言う実感。オクダカがそれを感じたのは、先鉾の前で宣戦布告をした時ではなく、自らの師であるカナビコに、そう言われた瞬間だった。


 それまでオクダカは、またどこかで彼らの元へ戻れると考えていた。欠伸が出る程飽きていた筈の、あの平穏な毎日に。


「まあつまりはあれだな。俺たちの間にはもう、特別な感情はいらねえって事だな」


「そうじゃな。ワシらはもう敵同士。国を守る者と、国を侵す者。いつもと何ら変わらん、ただの戦じゃ」


「それを聞いて安心したぜ。あんたはまだまだ現役だ」

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