昔とは違うから
「ウヅキ!」
「…………分かってる」
結舞月が死んだ。
でもこれで良かったのだと思う。彼女はずっと、苦しんでいたのだから。
「そんなっ、いやだよぅ結舞月…………」
ナナナキは泣き崩れたが、しかし彼女の事情を知らなかった訳ではない。私たちはずっと、神霊を通して繋がっている。だから結舞月の苦しみは、私たちが一番よく知っているのだ。
結舞月は私たちと同く優しい神だった。それ故に喪失感は大きい。
荒魂をもつ他の女神も同じだ。いくら吾月に忠誠を誓っていようが、やはり彼女らが死んでしまうのは悲しい。
既に三十を超える神霊が消えてしまったが、これだけは未だに慣れない。
もう、耐えられない。
「ナナナキ。そろそろ行かないと」
それでも私は彼女にそう言った。冷たい奴だって思われたかな。
「もうすぐ会えるから。だからほら」
「…………うん」
ようやくナナナキは立ち上がった。それでも、今までで一番時間が掛かったことに違いはない。
「ねえウヅキ。ここで眠ってる子供たちも、苦しい想いをしたのかな」
見慣れた筈の校舎では、見知った子らが静かに横たわっている。
きっと苦しかったに違いない。この先の世界を知ることも出来ず、生きる筈だった明日をも知らない。どうして、こんなことになったのだろうか。
「怖い?」
私が聞くと、彼女は静かに頷き、そしてこう返してくる。
「ウヅキは、怖くないの?」
怖いさ。怖いに決まってる。でもその恐怖の先に、安らぎがあると信じている。全ての苦しみから解放される、そんな夢のような安らぎが。
「ずっと怯えて生きてきた。だからもう、怖くはないかな」
「…………そっか。ウヅキは強いなぁ」
今私にできる事。それは、少しでも彼女の苦しみを和らげてあげる事だ。誰かが傍に居ることは、とても心強い。だからこそ、私が彼女の傍に居てあげる。そう決めた。
「さぁ、そろそろだよ」
「うん」
官学の頂き。大広間へとつながる扉や、教員の事務室が並ぶ広場。入学したての頃は、初めての学校生活にワクワクしてたものだ。
この奥へ行くと陽日院があって、手前の坂を下ると女子寮がある。あの夜、ソウ様と二人で話をした美しい池も。
それら全てが、掛け替えのない僕の財産。何も無かった私に出来た、目まぐるしくも楽しかった尊い思い出。
これで全てが終わる。苦しみも、喜びも、悲しみも。
「優月?」
かつて私が殺した、彼女の手によって。
「ソウ様」
「良かった。無事だったんだね!」
彼女の顔に笑みが浮かぶ。クマが出来た目元は潤み、綺麗な緋色が美しく輝く。
「うん。僕も心配してたよ。ソウ様の事」
「そっか。じゃあお互い様だね。ナナナキも無事でよかった」
いつもと変わらない笑みを見せる彼女。私はそれが見たかった。太陽のように僕らを照らすそれを。
「ソウちゃんっ」
「どうしたの?」
ナナナキが涙を堪えながら彼女の名を呼んだ。今すぐにでも彼女に触れたそうな眼差しで。
言葉では互いを気遣う私たちだが、その距離は一向に縮まらない。一歩でも踏み出してしまえば、終わりが始まるのだから。
「あのねっ、ナナナキねっ、ずっとソウちゃんにお礼を言いたかったの!」
「…………えー、急にどうしたの」
「死んでいくばかりだった私に、手を差し伸べてくれて有難うって!」
「やめてよ。そんなふうに言わないで」
「だって、だって…………ッ」
止まぬ嗚咽を繰り返しながら、ナナナキは言葉を詰まらせた。
“さあ雨月。誓約に従い、彼女を殺しなさい”
「分かってるから、少し黙ってて」
“直ぐに援軍が来ます。時間を過ぎれば、ナナナキも貴女も、ここで終わりですよ”
「憂月。今もそこに、吾月がいるの?」
ソウ様が私に問うてくる。いや、もしかしたら夕律姫の方かもしれない。本当に、よく似た二柱だ。
「ううん。そんな神様は知らない」
「誓約のせいで言えないんでしょ?」
「違う」
もう楽になりたい。全てを話して、再び彼女の温度に触れたい。でもそうしてしまえば、吾月に隙を与えてしまう。それだけはどうしても避けたい。
「ごめんねソウ様」
私は一歩を踏み出した。もう全部、終わらせるために。
「まって憂月。それ以上は」
彼女は私を止めようと声を発する。きっと分かっているのだろう。だからこそ、この一歩を出すことが出来た。
「お願いだから止まって!」
駆け出し、そして抜いた刀を彼女に向ける。当然それを突き刺す気などない。
「…………良かった。思い出してたんだね」
「なんで。なんでまたっ」
「夕律姫。今こそ私の願いを叶えて」
私の腕を止めたまま、彼女は私の為に涙を流す。でもきっと、今の彼女なら容易い筈だ。
「私を、殺して」
“雨月。あなたはまた性懲りもなく”
「いやだよ…………そんなの」
「お願い。それが私に残された唯一の道なの」
吾月が私の神霊を追い出そうとするが、しかし時間が掛かっている。どうやらナナナキは、意を決したようだ。
「ナナナキ殿!」
ユキメ先生が彼女の異変に気付き、声を荒げた。
「先生だめ! 彼女に近寄らないで!」
「しかし!」
“ナナナキ。なんという事を!”
ナナナキの自刃に、吾月も焦りを見せ始める。だがそれもそうだ。吾月にとって、ナナナキが持つ信仰は捨てがたい物なのだから。
「【月之光】」
吾月はナナナキの神体に入り、彼女の傷を癒そうとする。
――――吾月が唯一恐れている事。それは、これまで十二の神霊に集めさせた信仰を失う事。
彼女の霊力は、吾月の神名と、集めさせた信仰によって成り立っている。故に手放せないのだ。今では結舞月の信仰を失っているからこそ特に。
「憂月、もしかして」
「ソウ様。ナナナキとユウヅキの事、お願いね」
そして支配下にある神霊を失えば、その神霊が持つ神通力をも失ってしまう。だから私が死ねば、吾月を守る結界は無くなる。
私は刀を逆手に持ち、今度こそ、この命を絶たんと自らに鉾先を向ける。前回は吾月に止められたが、彼女は今、ナナナキの治療に手いっぱいだ。
「やめなさい雨月!」
「ごめんね吾月。でももう遅いよ」
ナナナキの痛みを無駄にしないためも。私は力いっぱい刀を自身に目掛けて突き立てた。
これで終わる。これで解放される。ずっと願っていた。
…………なのに。
「なんで! なんで死なせてくれないのッ」
ソウ様は私の腕を掴み、私を、私の決意と共に殴り飛ばした。
「お前一人が逃げてどうする!」
「…………え?」
「ナナナキとユウヅキの面倒を見ろだって? そんなのお前が見ればいいだろッ!」
「で、でも私は!」
「大体お前が死んだら、ユウヅキの願いを叶えられないだろうが!」
「ユウヅキの…………願い?」
そして彼女は、私から奪った刀を小枝の様にへし折り、それを空に放ってこう言った。
「私は願いを聞く神様だから、彼女の幸せを叶えないと駄目なんだよ。それに、それでもまだ余裕があるから、ナナナキも憂月も、全員私が救ってやる!」
――――無茶苦茶だ。荒魂どころの話じゃない。
「いっひひひひひひひひひッ。ならば救ってみなさい。蒼陽姫」
「ああ、そうだな。なら先ずはお前からブチのめしてやる吾月!」
ナナナキの神体を借りた吾月が今、ソウ様と対峙した。
八〇〇年前にも見たこの構図。だがあの日と違うのは、ソウ様が全てを知っているという事。
そして私に、味方がいるという事だ。




