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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
185/202

もう一つの終わり

 官学の更に頂き。榮鳳を治める者のために造られた学長舎。

 本来であれば、そこから眺める景色は誰にも息を呑ませるが、しかし今では、欠損が激しい死体が転がり、その美しさを失っている。


「老いたものですね、瑞円。うん」


 一柱の女神が、横たわるズイエンを見下ろしながら言った。

 白銀に輝く髪束をぶらさげ、常に瞼を閉じ切ったうら若き女神。そんな美しくも得体の知れぬ女神に、ズイエンは問う。


「あなたは一体…………」

「そうですね。まぁ、この姿を見ても分かりはしないでしょう」

「ただの国つ神ではなさそうですね」


 両手を刀で貫かれ、そのまま杭で打たれたかのように畳の上で磔にされるズイエン。女神の護衛に打ちのめされ、最早立つことも困難な彼女は、最期にその正体を確かめるべく言葉を交わす。


「ええ。かつての私は、吾月と呼ばれる女神でした。うん」

「――――吾月ですって?」

「昔は……ですが」


 女神の言葉を理解することが出来ず、ズイエンはそのまま黙り込んでしまう。

 しかし女神は、彼女に構わず言葉を続ける。その眉目秀麗を切なげに歪ませて。


「今は結舞月と申します。呪われし神霊の一つ」

「ゆい……げつ?」

「はい。此度の戦も全て私が計画し、実行しました。うん」


 その言葉にズイエンは怒る。

 何の罪もない子共、民。それらを無情にも蹂躙したのは、他の誰でもない、彼女によって行われたものであるがゆえに。


「そうですか。貴女が……私の子供たちを」

「私が憎いですか? ズイエン」

「ええ。とても」

「ならば。終わらせてください」


 ズイエンはその言葉を挑発と受け取った。――――血は逆流し、毛は逆立つ。手を貫く痛みさえも感じぬほど。


「当然ですッ」


 彼女は留める刀から手を引き抜き、自身の神通力を行使する。不浄なるものを全て祓わんと、その腹に力を込めて。


「【火棺ひつぎ】」


 瞬く間に炎に包まれる結舞月の神体。火を司る彼女の前では、万物は刹那の内に塵と化す。だがそれが通じないことも、彼女は分かっていた。


「またしても…………。残念です」

「あれだけ忠誠心が強かった貴方が、なぜそこまで」


 結舞月を覆っていた橙色の炎。しかしその手は遂に触れる事無く、彼女の目前で鎮火していた。

 そんな光景にズイエンは嘆く。かつて自分の仲間であり、共に肩を並べた彼の姿を見て。


「アラナギ」


 ズイエンの前に立ちはだかる男神。しかしその両手は既に無く、あまつさえ首から上さえも空虚になったかつてのともがら


「無駄です。アラナギ様の神霊はもう、ここにはありません。うん」

「ならばこれはどう説明するのですか」

「今のアラナギ様は、ご遺体に命を吹き込んだだけの偶像。彼は今、ただ私を守るため動いているにすぎません」

「でしたら、これ以上アラナギを苦しめず、解放してあげたらどうですか」

「それが出来ないから、呪いなのですよ」


 閉じた瞼から涙を滲ませる結舞月。その表情と、殺気を纏わない神霊から、彼女に敵対心が無いのは明白だった。故に感じる違和感。まるで誰かに操られているかのような。


「しからば私が貴女を、彼と共に黄泉へと送ってあげましょう」

「お願いします。もう、終わらせてください」


 ズイエンは再び神通力を使う。…………が、その真空の中ではもう、彼女の炎は産声すらも上げない。


「火が――――」

【累日】

「ッッう!」


 続いて彼女を襲う山のような重み。既に満身創痍だった彼女の神体は耐えられず、その荷重によって床へと伏せられる。


「アッ、アラナギッ。目を覚ましなさい!」


 その一切を圧砕せんと、容赦なく彼女に襲い掛かる重力。だがズイエンは、沈みながらも辛うじて声を絞り出した。


「カナビコもオクダカもッ、貴方の事を……ッ」

「無駄だと言ったはずです! 奇跡など待たず、その足で立ち上がってください!」


 結舞月の言葉通り、ズイエンの言葉が届くことは決して無い。アラナギの死体が首無しだからではない。彼の神霊はもう既に、死者の国へと行っている。


「結舞月とやら。アナタはいつまでそうしているつもりですかっ。今あなたが行動しなくて、一体誰がこの戦を止めるのですか!」


「無理なのです! 何かをしようとしても、それは必ず止められる! 私はもう、吾月の傀儡でしかないのですから!」


「そんなことはありませんっ。貴女が仕掛けたこの戦。敵ながら見事なものでした。西ノ宮への攻撃が囮だったなど、一誰が考えた事でしょう」


「ズイエン。貴女は何も分かっていません。もう何もかも、止められないのです」


「けれどアラナギはッ、そんなこと決して望んではいません!」


「――――っ」


 結舞月の口が閉じた。全てを捨てたアラナギに、唯一残った小さな華。彼が願ったのは彼女の幸せ。生涯を通し守ると誓った愛する者との約束。


 今一度それらを噛みしめ、結舞月は一歩、前へと踏み出す。


「アラナギ様…………。こんな私を、どうかお許しください」


 彼女は鞘から刃を抜くと、その鉾先をアラナギに向ける。今度は自らの手で、彼を真の安楽へと導くために。吾月によって止められようと、何かが変わると淡く願って…………。


「ひっひひひひ。結舞月、誓約を破れば死ねるとでもお思いでしたので?」


 刹那。結舞月に成り代わって現れた神霊。その禍禍しい気配には、ズイエンも固唾を呑んだ。明らかに結舞月とは違う存在。その圧倒的な神霊と信仰の差。


 今目の前で嗤う女神によって、全てが終わるのだとズイエンは悟った。


 …………しかし。


「おやおや、まぁまぁ。まさか此方を覚えてらしたのですか?」


 吾月に向かって蹴りを放つアラナギ。首を斬られようが、両手を失おうが、彼の神体は覚えていた。その忌々しい神霊を。


「しかし愚かなものですね。神霊は此方の物でも、この神体は結舞月の物だと言うのに」


 戦が始まる直前。吾月は結舞月に神通力を使わせ、アラナギの死体を操り人形にさせていた。

 しかし結舞月は“私を守れ”という命令を吹き込んだ。そして吾月が結舞月の神体に入り込んだ瞬間、その命令は再び実行されたのだ。


「なるほど。上手く考えたものですね」


 アラナギの強烈な蹴りが吾月を突き飛ばす。さらに神通力による追撃。


【天之渦潮】


 強力な重力場が作られ、その一点がありとあらゆる全てを引き寄せ始める。それに呑まれてしまえば最後、光でさえ塵も残さない。


「【満ち黄金】」


 しかし全てを否定する結界の前では、物理法則は愚か、超自然的な神秘でさえ跳ね除けてしまう。


「ひひひひ。貴女も上手く逃れたようですね。ズイエン」


 結界を解いた吾月は、アラナギの背後で息を呑むズイエンにそう言った。

 

 ズイエンは神通力の範囲外にいた。アラナギが意図してそうしたのかは分からないが、彼女はそれを友好的行動と捉えた。


「いえ。アラナギは私を味方と判断したのですよ」

「ふん。ただの傀儡に、よくぞそこまで信頼を寄せられたものです」


 目の前で嗤う女神。ズイエンはその正体を掴めずにいた。結舞月を追い出すようにして現れた神霊。その歪さに、彼女の理解は追い付かずにいた。


「そうさせるのは、200年もの歳月があったからです」

「ふふふふ。面白いものですね」

「さぁ、いまここで一番不利なのは、貴女ですよ?」

浮時世うきよ


 アラナギの神通力が発動。吾月の時間は現から外れ、範囲外から見ればあたかも彼女が止まっているかのように見える。


「変わらずの威力ですね。アラナギ」


 そしてズイエンは火を生み出し、それを行使して吾月を食らう。しかし吾月も無策という訳ではない。


「あぁぁあッ」


 再び現れる結舞月の神霊。その瞬間、彼女の周りは真空状態となり、灼熱の業火でさえも瞬く間に消化。


「アラナギッ? ――――うッ!」


 ズイエンに放たれる強烈な蹴り。吾月の神霊が消えた瞬間、アラナギの敵意はズイエンに向いたのだ。


「…………なるほど。自由に入れ替われるのですね」

「アラナギ様。もうお止めください」


 弄ばれるかのようなアラナギに心を痛める結舞月。自らで作り出したとはいえ、それを解除することは吾月が許さない。それ故に彼女の心はズタボロだった。


【浮時世】


 ズイエンを襲う神通力。それがどんなものかは、彼女がよく知っている。


「その術が通用しないことすら忘れたのですか?」


 瞬く間にズイエンを包み込む炎。それをされてしまえば、外側からの接近は困難となってしまう。…………だが。


「床が!?」


 ズイエンの足元で生成される落とし穴。そこを抜けた時、彼女はアラナギの頭上から抜け落ちた。


「ッく!」


 そしてタイミングを合わせ、アラナギは降って来る彼女に上段蹴りを食らわせる。


「霊力の消費が激しい術を、よくぞここまで…………」

「今のアラナギ様は、ただ命令に従って動くだけ。霊力も神体の損傷も関係ありません」

「どうすればッ、彼を倒せるのですか!?」


 アラナギの攻撃を躱しながら、彼女は結舞月に問う。炎も斬撃も届かない彼の前で、ズイエンは打つ手を見出すことが出来なかったのだ。


「心臓を貫くか、術者である私を殺す以外ありません」

「それはまた、無理難題ですね」


 結舞月に攻撃が届かないことは言わずもがな。それを成すためには、最低でも二人は必要だという事も彼女は分かっている。


 だから彼女は心に決めた。死への恐怖を捨て、全てを差し出す覚悟の基。


「今から貴女だけを攻撃します。お覚悟を」

「はい。よろしくお願いします」


 …………それからズイエンは、目標を結舞月だけに絞って攻撃を繰り返した。当然、息の根を止める勢いで。しかしそれらは悉く失敗に終わり、彼女の霊力はもう、底に先触れる。


「大事ありませんか!?」

「ええ。神霊はボロボロですが、これでいいのです」


 神通力の多用と、その身に受けた数々のダメージ。それらが彼女の神霊を脅かす。だが彼女は口角を上げた。


「…………なにを?」

「アラナギを、成仏させるのです!」


 ズイエンは刀を握り、アラナギに向かって突き進む。それはもう、何度も試して失敗した愚行。その筈だった。


「え…………?」

「神霊を抑えるとは存外難しいものですね」


 その強大さゆえに神霊を抑えきれなかったズイエン。しかし極限まで削られた彼女の御霊は、アラナギの感知も及ばないほどにまで小さくなっていた。


 それゆえに届いた一刀。それはアラナギの心臓を貫き、その神体を遂に散らせた。


「…………どうか安らかに。アラナギ様」


 横たわる夫に羽織をかける結舞月。しかしその目に涙は浮かんでおらず、ただ安らいだ感情だけが浮かんでいる。


 そして彼女はズイエンに顔を向けると、ぐっと表情に力を込めて叫ぶ。


「吾月が出て来ます! 早く私を殺してください!」

「…………分かりました」


 ズイエンは残った力を振り絞り、結舞月を仕留めるべく駆け出した。最後の言葉を聞けない事を、唯一の心残りとして。


 しかしその躊躇いが、彼女に最悪をもたらした。


「甘いですよ。お二方」

「…………しまった」

「ひっひひ。それにまだ、楽にはさせませんよアラナギ」


 再び現れた吾月。閉じた瞼は大きく開き、醜く歪んだ笑みを見せる。だがそれだけではない。彼女はアラナギの亡骸に手を添えると、神通力を発動させようとした。

 

 だが今のズイエンに、それを止める力はない。


「【黄泉帰り】」


 結舞月の神通力は、かつて自らの手で殺めた者を黄泉から召喚するという物。

 ここまで来てなおも、吾月は結舞月を苦しませた。

 愛する者の魂を、まるで毬のように弄ばれる気持ち。

 死してようやく安楽を得た筈なのに、再び地獄へ呼び戻される心。

 それを誰よりも口惜しむのは、結舞月と()以外に他ならない。


「感動の再会だなぁ」

「――――な」


 吾月によって発動しかけた結舞月の神通力は、瞬く間に現れたアラナミの奇襲によって潰える。


「アラナミっ?」

「ああそうだぜ、そうだともッ!」

「…………まさか貴方が……ここで出てくるとは」

「この日をずっと待ってたぜ。手前ぇが兄貴を殺したあの日からなぁッ!」


 背後からの致命的攻撃。アラナミによって繰り出された苛烈な激突は、一瞬のうちに吾月の神霊を破壊した。

 

「……ひひ…………油断でしたわ」

「逃がさねえぞ!」


 吾月の神霊が器からの脱出を図った時、アラナミはその首を斬り落とさんと二本目を抜く。

 それは生前、兄のアラナギが握っていた“大量おおはかり”。


 全てを断ち切る快刀が放たれる。()()()()()()()。…………だがしかし、その斬撃はあと少しというところで止められた。


「っくそ」


 戻って来た結舞月の神霊。しかし神体の損傷に耐えきれず、それも直ぐに虫の息と化す。


 彼女は姿勢を崩し、力なく膝から落ちかけた。だが、アラナミが咄嗟に支える。


「アラ……ナミ…………様?」

「ああ。久しぶりだな、姫」


 アラナミは彼女をそっと寝かし、差し伸べられた手を丁寧に包む。だが感動の再会とは、到底呼べるものではない。


「来て、くれたのですね」

「あんたを守るのが、唯一残った約束だからな」

「ふふ…………。ありがとう」


 涙を流し、苦しそうに歯を零す結舞月。痛みによるものではない。それは、安らぎを得られた彼女の、この上ない至上の笑みであった。


「最期に少し…………我が儘を言ってもいい?」

「ああ」

「私を、アラナギ様の横に」


 蛍のように淡く光る神霊は、まだ消えまいと彼にすがる。


 アラナミにとって、結舞月はただ兄の許嫁に過ぎず、それ以上でもそれ以下の存在でもなかった。ただの女神。兄が愛し、そして愛された――ただの。


 しかし死に際とは、そんな心さえも大きく揺るがす。


「痛むか?」


 彼は結舞月を抱き上げると、その目元を少しだけ歪ませてそう言って、――――そして結舞月は笑って返す。


「いいえ」

「…………そうか」


 そうしてアラナミは、彼女をアラナギの隣に横たわらせる。まるで赤子を寝かしつけるかの様にゆっくりと。


「ああ、アラナギ様…………これでようやく、一緒に…………」


 僅か数秒の呆気ないものだった。彼女が言葉を零し、そして優しい笑みのままで息絶えるのは。


「おいアンタ」

「…………なんでしょう」


 彼女が逝き、しばらくした後、アラナミはズイエンに声を掛けた。結舞月と繋いだ右手はそのままで。


「少し止血を頼めねぇか?」

「止血?」

「あんた火の神だろ? 俺が腕を斬った後、傷口を焼いて欲しいんだ」

「なぜ、そんなことを?」


 握った手を決して離さず、彼は笑みと涙を零す。


「借りもんだからさ、この腕。そろそろ返さねえとドヤされちまう」


 おもむろに右袖を捲るアラナミ。そうして露わになった右腕には、丁寧に縫い合わされた跡があった。

 それを見たズイエンは、僅かに微笑んで頷いた。


「んじゃ、頼んだぜ」


 そうして、静かに眠る二柱を眺めながら、彼は自らの刀を握った。

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