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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
184/202

宵い酔い善い

 正体不明の敵から攻撃を受けた榮鳳官学。

 山中に佇む学び舎の数々。奇襲を受けて散り散りになってしまった生徒らは、その物陰にて息をひそめる。


「私たち、ここで死ぬのかな」


 陰気臭さと湿気で満ちた校舎の床下。辛うじてそこに逃げ延びた10人ほどの集団の中で、一人の少女が呟くように言った。


「ここにいれば大丈夫よ。だから静かにして」


 頭に巻き角を生やした少女ヒスイは、そう言って怯える低学年の生徒らに笑みを見せる。

 彼女とユハンは、何の前触れも無く始まった敵対的攻撃に戦慄した。いつも通りの日常、いつも通りの講義。いつも通りの面々。そしてその崩壊は、唐突に訪れた。


「せ、先輩。私たち、いつまでここにいれば…………」

「もう少しだから、辛抱して」


 少年少女らから絶え間なく浴びせられる不安と恐怖。もちろんヒスイとユハンらも、この状況に恐れを抱いていない訳ではない。

 しかし最上級生という華やかなその事実が、皮肉にも彼女らを冷静でいさせた。


「ヒスイちゃん。先生方は、助けに来ないのかな……?」

「こらユハン。貴女まで弱気にならないでちょうだい」

「…………で、でもぉ」

「しっかりして。今この子たちが頼りにしてるのは私たちだけ――――」


 ギシ。

 

 と、重々しい足音が、彼女らの頭上で床を軋ませた。

 全員が口を塞いで息を殺す。――しかし死に対する恐怖は、無垢な心を容赦なく嗚咽させる。


 そしてそれを聞きつけたのか、何かを探している様だった足音が突如止まった。


「誰かいるのか?」


 そして男の声。しかしそれは、誰かを思いやるかのような優しい声色。


「俺だ。ニライだ。隠れているのなら出ておいで」

「…………ニ、ニライ先生?」


 彼の声に、思わず反応してしまう一人の少年。そしてそれに続くかのように、他の生徒らも声を上げ始める。


「ニライ先生が助けに来てくれたんだ!」

「先生! 私たちはここにいます!」


 続々と床下から這い上がろうとする生徒たち。


「待ってッ!」


 しかしヒスイだけはそれを止めた。彼女だけは、彼の言動に異常を感じていたのだ。そしてその不穏な予感は的中する。


「先生っ、僕たち、ずっとここに隠れてい――――」


 男児の声が途切れ、続いて悲鳴。


「いやぁッ、ヤメて!」

「何でッ、先生、何でッ?」


 床下から引きずり出される生徒たち。懇願の声も、次々と儚く擦れてゆく。


「授業で教えただろ? 声を出しちゃいけないって」

「せんせ――――っ」

「やめてください! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 ヒスイたちは、たった今頭上で起きている惨状に対し、ただ息を止めることしか出来ない。


「どうしよう、どうしよう」


 ユハンは顔を埋め、静かに肩を震わすが、その恐怖はヒスイも同じである。

 信じていた筈の先生が教え子たちを殺める姿を想像し、その気持ち悪さから嘔吐する。

 床の隙間から滴る血。つい先ほどまで、自身を頼っていた後輩たちの信頼が、生温かく彼女の首筋を伝う。


「何なのよ……これ…………」

「ヒスイちゃん、は、早く逃げよ」


 ヒスイの袖を引っ張るユハンの、その怯え切った表情が彼女に決心させる。

 しかしニライは、その心さえも大きく揺るがした。


「おーい。まだ誰かいるんだろぉ?」

「ヒスイちゃん、早く」

「……分かってる」

「出てこないのなら、この子も殺すからなぁ」

「…………死にたくないよ…………誰か、助けてください」


 その弱り切った声を聞き、這いずる手を止めるヒスイ。その正義感が自分を殺すことになるとしても、彼女は小さな命を見捨てることは出来なかった。


「ヒスイちゃん…………ッ」

「ユハンは逃げて」

「で、でも」


 袖を強く握って止めようとするユハンを見つめながら、彼女は強く言い聞かせる。


「あなたは逃げて。お願いだから」


 その言葉を聞き、遂に彼女は袖を離す。死なせたくはない。かと言って死にたくもない。その狭間の中で溺れ、ユハンは決意した。

 それでもヒスイは笑みを浮かべた。その目に涙を滲ませながら。


「いい? ここから逃げたら、助けを呼ぶのよ」


 それだけ言って、ヒスイは床下から這い上がる。

 そうして彼女を出迎えたのは、自身の倍はある巨漢と、その足元に積まれた幼き生徒たちの亡骸。


「おお、やっぱりお前だったか。ヒスイ君」

「二、ニライ先生、教えてください。なんで裏切ったんですか?」

「はは。裏切っただって? 珍しく不正解だな」


 返り血によって染まった嘲笑。その歪んだ口元からは、ナメクジのように舌が這い出ている。


「俺は最初から、吾月様に忠誠を誓っている」

「さ、最初から?」

「なぁなぁヒスイ。今から死ぬのに怖くないのか? いつも冷静なお前の、可愛く歪んだ表情が見たいんだよ俺は」


 もはや彼女の事を生徒として見ていないかのような眼差し。その目で彼女を舐めるように眺めながら、ニライは刀に着いた血を拭う。


「ずっと我慢してたんだ。可愛い可愛い子共に囲まれる辛さ。分かってくれよ」

「先生を慕っていた生徒を殺して、何も感じないのですか!?」

「感じる? 感じてるさ。この上ない愉悦をな」

「――――下衆が!」


 ヒスイは腰の刀を抜き、怒りにまかせてニライに斬りかかる。

 しかし埋めることの出来ないリーチの差が、足蹴となって彼女の横腹に食い込んだ。


「ぅぐ…………ッ」

「いいぞぉ。良い顔するじゃないかぁ」


 血の海に倒れるヒスイ。感情に従っての攻撃は防御を想定していなかっため、刺すような痛みが内臓に損傷を与える。


「っがぁあぅ」


 痛みに悶える彼女は、血溜まりの上で腹を抑え、屍の匂いで戦意を失いかける。


「全く。この六十年間何をしていたんだ?」

「…………ふ、ふるべ、ゆらゆらと」

「その判断も遅い」

「ッぐ!」


 優位に立とうと祝詞を奏上するも、再び放たれた蹴りを受けてしまい、惜しくもそれは中断される。

 そしてニライは、荒い呼吸はそのままに、彼女の息の根を止めるべく刀を振り上げた。


「安心しろ。死体になっても可愛がってやるからな」


 朦朧とする意識の中、彼女は死を覚悟する。薄れてゆく痛みに対し、その無念を一層強いものにしながら。


「…………ごめんなさい。みんな」

「はは! その皆と一緒に眺めていろ。自分の骸が弄ばれる姿を!」


 振り下ろされる凶刃。ヒスイの最期は、もうすぐそこに迫って。


「【縁切り! 離心ッ!】」


 しかし瞬間、彼の刀が宙を舞った。


「ユ、ユハン?」

「ほう! ユハンもいたか!」


 刀との縁を切られたニライは、しかし彼女の姿を目の当たりにして、その笑みを更に不快なものにする。


「龍人の生徒が少ないから、探していたところだ!」

「よくも皆をッ!」


 足を龍に還らせ、更に腰からは龍の尻尾。


「いいぞぉッ。出来ればその姿のまま死んでくれッ!」

「殺してやるッ!」


 龍脚による最速の詰め。尻尾によってバランスが保たれた龍体では、如何なる速度でも体制を崩さない。


「悪くない姿だ!」

「そんな」


 しかしユハンが繰り出した激烈な蹴り技でさえ、牛騎族であるニライの防御力の前ではゼロに帰す。


「久しぶりの龍狩りだ。愉しませてもらうぞ!」

「ぃぎっ」


 ニライはヒスイの足を掴み、そのまま地面に叩きつける。そうすれば床は裂け、生身の身体は砕かれた。

 だがそれでもユハンは立つ。


「り、龍椀」

「三か所同時に出来るのか!」


 意識を失う四か所の、その三か所目。だがかつてソウに与えられた強靭な精神力が、ユハンの意識を強く保たせた。


「【抜刀・閃光!】」

「おおっ」


 完璧なバランスと完璧な速度。そして龍椀によって底上げされた斬撃の威力は、ニライの防御を遂に捲る。

 そして龍尾による追撃。ユハンは抜刀の反動を流すように身体を回すと、そのまま尻尾による打撃を食らわした。


「いいぞいいぞ! 至極面白い!」

「そのまま死んでしまえ!」


 空気が震え、室内の温度が上昇する。

 ユハンはよろけるニライに隙を見出し、今ここで決着を付けようとした。


「【龍尖ッ!】」

「ほぉぉぉッ!」


 尾の先端に集まる圧縮された熱。それは熱線となって泣き叫び、ありとあらゆる物体を溶断しながらニライに迫る。


「【酒嵐しゅらん!】」

「――――ッ?」


 ここで更にヒスイの神通力が発動。問答無用で対象を酔わすこの術は、ただ心地良いでは済まされない。


「がはッ!」


 ニライの血中アルコール濃度は致死量へ到達。大脳および中枢神経の麻痺は呼吸を狂わせ、状況判断能力を著しく低下させる。


「いけっ…………ユハンッ」

「あ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!」


 炎を従える龍のみに許された神秘。それは火の神ですら震えてしまう最強。全てをつんざく熱線は、遂にニライの腹へ食らいついた。


 …………しかし。


「【月・満ち黄金】」


 全てを拒否する結界は、あまねく希望をも却けた。


「そ…………そんな」

「っふふ。はッはッはははははははッ!」


 ニライの神通力。それはまさに月の輝き。黄金の中でニライは嗤い、ヒスイとユハンに絶望を植え付けた。


「お、惜しかったな……ぉえっ……お前ら」

「不抜の結界…………?」

「ぞうだッ。これでお前も一回休みだろッ。うぷっ、おえ゛ぇぇぇぇぇ」


 吐しゃ物をまき散らしながらニライは笑む。その目は既にあらぬ方を向いているが、意識だけは辛うじて留めている様だ。


「ばっはっは。酒も入っで――っひっく。楽じくなってきたどころだぁ゛」


 床に倒れ、それでもなお彼女らの元へ這いよるニライ。その表情は最早正気とは言えないが、異常とも呼べる執着心が、彼を彼のままでいさせた。


「ユハンっ、とどめを!」


 ヒスイはユハンにそう促すが、しかし龍尖による体温の上昇で、彼女の身体は山のように重たくなっている。


「い、今」


 だがユハンは立ちあがる。全身から汗が吹き出し、口からは大量の唾液が滴るが、それでも彼女は刀を握った。


「…………死ね」


 彼女はニライに目掛けて鉾先を光らせるが、しかし遠のく意識に足元がふらつき、あろうことか片膝を着いてしまう。


「っぶははッ。戦の最中は感情を持つなと、教えだはずだぞ」

「…………うるさい!」


 ユハンは必死に刀を振るが、しかしその無様な太刀筋で斬れるほど、ニライも甘くはない。

 彼はユハンの腕を掴むと、リミッターの外れた腕力で彼女の頬を殴り抜ける。


「ぁぐ」

「もう遅い゛ッ。ごぼッ…………じ、じっくりと愉しんでから殺じてやる。っふうっふふふふ」

「やめて。来ないで!」


 逃げようとするユハンに覆いかぶさり、全ての体重を彼女に預けるニライは、そのままユハンの横腹を殴り続ける。


「い゛ッ、――――痛ッ」

「お゛ぉ゛ぉぉぉえッ。動き……回るな。酔いが回る」

「龍椀っ」


 彼女は腕を龍に還そうと試みるが、しかしクールタイムに陥っている彼女に龍玉は反応しない。


「やめて! ユハンを離して!」

「はぁっはははあ。ユハンの次はお前だ。そこで待ってろ」


 ヒスイが仕掛けた神通力は、それでも負傷によって掛かりが甘く、更にはニライの生命維持機能に追いつかず、今まさに解除されようとしていた。


 それ故に焦るヒスイ。


 彼女はなんとか身体を持ち上げ、落ちていた刀を拾って体勢を保たせる。


「このっ。ユハンから…………離れろ」


 そうして振り下ろした刀はニライに食いつくが、しかし弱く。ニライは構わずユハンに攻撃を加え続けた。


「ヒスイちゃん…………」


 助けを求めるように手を伸ばすユハン。その口からは、内臓破裂による吐血が痛々しく噴き出る。


「やめてっ。やめろっ。このっ」


 ニライの膨れ上がった筋肉に食い込んだ刀は抜けず、ヒスイはただ子供の様に、弱弱しい拳を叩きつけることしか出来なかった。


「邪魔だッ!」

「――――ぅッ」


 徐々に正気を取り戻したニライ。今度は確かに力を込めてヒスイを殴り飛ばした。


「全く厄介な神通力だ。折角の興に水を差しやがって」


 ニライは確かな足でその巨体を持ち上げる。その手にユハンの髪を掴みながら。


「まだ死んで無いだろうなぁ。なぁッ? ユハンッ」

「…………ゆ、ゆはん」


 全身の筋肉が無くなったかのように項垂れるユハンを見て、ヒスイは涙と共にその名前を口にした。…………だがしかし、ユハンからの返事はない。


「っはっはっは! まあここまで楽しませてくれたんだ。ご褒美に、一緒に並べて穢してあげるからなぁ。ひっく」


 ユハンを引きずりながらヒスイに歩み寄るニライ。彼女の目にはもう、絶望しか映っていない。


 これから始まる地獄。今にも絶えてしまいそうな親友の姿。卑しい笑い声。山積みとなった屍。吐き気を催す程の血の匂い。


 絶望によって支配された感覚器官は、安らぎを求めて思い出に浸る。


 これまでの官学生活。卒業間近ともなり、寂しい想いはあったけれど、しかしそれを凌駕するほどの幸せが、彼女の脳内を埋め尽くす。


 この地獄の中、唯一支えとなる甘美な記憶。


 それを思い返しながら、ヒスイは静かに瞼を閉じた。


「【遥の訪れ】」

「……………………え?」


 突如現れた一つの神霊。

 それに気づき、ヒスイは再び光を捉える。


「…………なッ?」

「相変わらずだな。コウドウ」


 ニライの胸から突き出る白銀。それは鮮血を纏って絢爛に輝く。


「ア、アラナミ?」

「弱者をいたぶるのは強者だけの特権。って言ってたっけ?」


 二メートルは優に超えるニライを、更に上から見下す甚大な男神。雑に掻き上げた赤茶色の髪。涼し気な目元。そして貴し天津神の神霊。


「なぜだ…………吾月様に、殺された筈じゃ?」


 アラナミが刀を引き抜くと、ニライは彼の姿を目にするべく振り返る。


「あぁ? 俺様はこの通りだぜ?」


 嫌に笑うその笑みは、ニライを子犬のように怯えさせ、その膝を着かせた。


「龍狩りを追放してから見かけなかったが、まさか吾月の間者になってたとはな。全く笑えるぜ」

「お、お前も吾月様に忠誠を誓っていたはずだろ」

「ぎゃッはははッ! 馬鹿言うんじゃねえ。俺が慕うのは兄貴だけだ」

「じゃあ結舞月様とは…………」

「ああ。誓いなんざ立ててねえ。ただ兄貴の嫁だったから、傍に居ただけだ」


 そうしてアラナミはにんまりと笑い、物干し竿の如し長刀をニライの首に添える。


「さあって。てめえに使ってる時間も無いんでな。まあ、潔く死ねや」

「ま、待ってくれ! 俺は――――ッ」


 その惨めな命乞いも虚しく、アラナミの鋭い一刀によって、ニライの首は竹のように切り落とされた。


「あーあ。ったく、こんなに殺しやがって」

「…………あ、あの」


 呆れたようなため息を吐くアラナミに向かって、ヒスイは苦しそうに声を絞り出す。

 

「あ? なんだ、まだ生きてたのか?」

「た、助けて頂き、有難うございます」


 ヒスイが放った最初の言葉は礼だった。そしてそれを聞いたアラナミは、何とも可笑しそうに笑いだした。


「ひゃっはっは! 真面目な奴だなっ。まさか俺様に礼を言うとは」


 馬鹿にしたような笑い。これにはヒスイもいい気はしなかったが、しかしアラナミの次の言葉に、彼女は大いに安らいだ。


「しかしまあ、あのニライ相手によく堪えた。あとは任せて、ゆっくり休めや」

「…………は、はい」


 3メートルは超える巨体をかがめ、ヒスイの頭を雑に撫でまわすアラナミ。そしてヒスイは、包み込む様な安心感とその神霊に、頬を染めて頷いた。


「お頭様ッ。あっちにいた奴らは片付けました!」

「おーう、ご苦労。そんじゃ、残りの偽龍狩り共もとっとと殺しに行くかねえ」

「はい! どこまでも付いていきますよッ」

「いや、お前はここのガキ共を診てやってくれ。まだ息がある奴もいるんだ」

「ええッ? 私がですか!?」


 襖を開けて現れた一人の女兵士。彼女はどうやら戦いたい様子だが、しかしアラナミの指示を受けて口を尖らせる。


「勘弁してくださいよ!」

「悪いな。でも、お前しか頼れる奴がいねぇんだわ」


 彼が笑顔と共にそう言えば、女はまんざらでもない様子で顔を背ける。


「そ、そこまで言うなら…………」

「よし。じゃあ頼んだぞ」

「えっ、ちょっと! 行くの早いですって! もっと言ってくださいよ!」


 流星の如し速さで立ち去ったアラナミに、女は泣き叫ぶようにそう言った。


 そしてそんな遣り取りを眺めていたヒスイは、少し肩透かしを食らった様な感覚を覚え、安堵の溜め息と共に眠りに就いたのだった。

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