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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
181/202

雨月

 再び夢を見た。長い夢を。


 妃屶ひなたでの一件が終わって以来、私がこの官学に通う事は少なくなった。それでも今は6年生。

 

 無事にここまで進学できたのは、先鉾として忙しい日々を送る私を、官学側が配慮してくれたからだ。


 そしてなぜ、私がいま官学に足を運んでいるのか。それはウヅキに会うため以外に他ならない。


「ウヅキ君?」

「はい。どうしても話したい事があって」


 しかし返ってきた答えは意外なものだった。


「実はね、ウヅキ君、十数年前から学校に来てないの」

「……え」

「ソウ君は滅多に顔を出さないから知らなかったんだね」

「じ、じゃあ今はどこに?」


 焦りと同時に汗が伝う。

 夏だと言うのに、まるで秋のような涼しさを覚える。


「私たちも探してるんだけどね、まだ分からないの。妹のユウヅキ君も知らないって言うし」

 

 嫌な予感が絶えず私を襲う。

 私が夕律の記憶を取り戻し始めたかと思ったら、今度はウヅキが行方知れずとなっているのだから。


 誰かに監視されているのではないかと疑いたくなる程、タイミングが良すぎるのだ。やはりウヅキは…………。


「何か、心当たりとか無いのでしょうかっ?」


 焦燥のままに私は聞く。全く。ミウ先生が知るはずもないのに、一体何をしているのだろうか。


「ご、ごめんなさいね。私には皆目…………」

「あ、あははっ。そうですよね。無理を言ってしまい申し訳ありません」


 きっと、今の私は不格好な笑みを浮かべているに違いない。焦りが混じった不細工な笑顔。

 だがそれすら気にならない程、私の心は焦っていたのだ。


 ――――ミウ先生の事務室を出た後、私は下りの浮石に乗りながら考えていた。


 吾月と重なるウヅキの面影。夢の続きで目撃した彼女の優しさ。自分を捨ててでも他者を優先する彼の優しさを。


「ソウ様」


 頂院から降ると、ユキメが私を出迎えてくれた。背に広がる蒼空さえも、霞んで見える美しさで。

 数十年前に失った腕と目は、間違いなく私の責任。決して、ウヅキのせいではない。


「ユキメ。腕の痛みはどう?」

「え…………。急にどうされたのですか?」

「その、たまにさ、痛そうに抑える時があるじゃん? でも最近、それも見なくなったから」


 するとユキメは、寂しそうに靡く羽織の袖を、左手で優しく握りしめる。けどその表情に、苦しみは無い。


「もうすっかり良くなりました。痛みも左程感じません」

「そっか」


 彼女との楽しい時間。その筈なのに、頭に残る憂いがそうさせない。しかし彼女は、いつもと変わらない笑みで私の頭を撫でる。


「ふふっ。ソウ様は優しいですね」

「え、えぇ?」

「このユキメ。貴女のお傍に居られることが、幸せでなりません」


 すんなりと入って来る彼女の声。雨のような寂しさ、それでいてどこか暖かみを感じる声。

 ああ。今すぐ彼女に口付けをしたい。あの柔らかい頬に触れたい。彼女の全てが欲しい。

 でも私の中の夕律が、まだ早いと言ってくる。全てにケジメを付けるまで、私の我が儘を聞いてくれと。


「分かってるよ。律」

「――――え?」

「あっ、ううんっ。何でもない! 独り言!」


 身振り手振りで取り繕うが、しかし彼女は鋭い。


「律とは、ソウ様の前身の神様の事ですか?」

「…………うん」

「何か、思うところがあるようですね」


 私の頬に手を添えて、彼女はこの目を覗き込んでくる。全てを見透かすような緋色の目で。

 

 だから私は言う事にした。夕律が生きた時代の話を。吾月が雨月と言う名の神に、縛られていることを。そしてウヅキと吾月が、同一の神かもしれないという事を。


「よくぞ、私に話してくれました」


 私の話を聞き終えた後、彼女は囁くようにそう言った。


「でもね、ユキメの怪我は、決して吾月…………じゃなくて、ウヅキのせいなんかじゃ」

「ソウ様。私はこれまで、この怪我で誰かを恨んだことはありません」


 私の言葉を遮るように彼女は言う。

 更にユキメは私の耳元に口を近付けると、今にも触れそうな距離で言葉を続けた。


「むしろ感謝してるくらいです。お陰で、ソウ様は私から離れられないのですから」

「…………え」

「分かりませんか? 私の右腕は今、貴女の内で、貴女の心を握っているのですよ?」


 初めて目の当たりにするユキメの一面。

 さながら心臓を握りつぶされるかのような感覚を覚えたが、彼女は直ぐに笑顔を見せた。


「うっふふ。冗談です」


 子供の様に無邪気に笑うユキメを見て、その言葉が本当に冗談だったことを理解する。そしてその瞬間、緊張によって溜まった空気が、音を立てて口から噴き出た。


「っこ、怖いよ!」

「あははっ。だって、余りにも神妙なお顔だったんですもの」

「もう。ユキメの冗談は心臓に悪い!」

「ふふ。ごめんなさい」


 口元を袖で隠しながら笑うユキメ。けど、その冗談のお陰で私の不安が消え去ったことは、最早言うまでもない。


「……やっぱりユキメには敵わないな」

「ん、何か仰いましたか?」

「ううん。独り言」


 そう言って私が口を綻ばせると、彼女も気持ちが良さそうな顔で微笑みを返してくれた。


「さて! 面倒ごとはちゃちゃっと片付けて、早く結婚しよ!」


 背筋を伸ばし、大きくを吸った息を吐きながら、私は空に向かって言葉を放った。

 そうすればもちろん、彼女は顔を真っ赤にするわけで。


「そ、そそそっ、そのような大声で申さずともっ」

「あれー? さっきまでの余裕はどこに行ったのかな。我が人生の伴侶よ?」

「じ、人生の伴侶だなんて…………」


 遂にユキメは立ち眩みを起こして膝を着く。そして私は、それを見て大いに笑う。


 本当に楽しい。全ての物事がどうでもいいと思えるくらい、彼女と過ごす時間は心地が良い。


「――――ああっ、ここにおられましたかッ、蒼陽姫!」


 それでも時間と言う物は、本当に酷なものである。


「何か?」

「今すぐ学長舎へお越しくださいッ」

「何か、あったんですか?」

「急襲です! たった今、西ノ宮の街が襲撃を受けました!」


※※※※※※※※※


「兄さま、大丈夫?」

「え?」

「またぼうっとしてたよ?」


 西ノ宮の外れに位置する小さな集落。

 私が村長ミカヅキの家で夕餉を取っていると、白兎族のユウヅキが、私の顔を覗き込んでそう言った。

 なので私は、兄として彼女に伝える。微笑みながら。


「大丈夫だよ」


 すると彼女は口を尖らせ、綺麗に整った眉をひそめて。


「最近の兄さま、何か変」

「え、そうかな?」

「うん。官学にも来ないし、月が出る度、悲しそうな顔するし」


 ユウヅキとは、まだ出会って日も浅い。

 なのに彼女は、私の事をよく知っている。

 いや、私からすれば短いように感じるだけで、彼女達からすれば、これが尋常なのだろう。


「ユウヅキは、僕の事が好きかい?」


 私がそう言えば、彼女は白米を口に運ぶのと同時に、目を皿のように大きくした。


「きゅ、急にどうしたの?」

「今では兄妹だけど、元は孤児同士だったろ? だから兄として、上手く出来たかなって思って」


 別れの言葉は切り出せなかったが、やはり急だったろうか?

 そんな憂いで頭が一杯になる。でもユウヅキは、手に持った茶碗を囲炉裏の傍に置き、その口元を僅かに綻ばせた。


「ユウヅキはね、ウヅキが兄さまで善かったって思ってる。利他的で、どこまでも優しい兄さまが、私は好きだから」


 その言葉に、涙がこぼれる。


 ―――白兎族は昔、月の神を信仰していた。


 彼らも他の種族と同じように生活をしていたが、月の神が謀反を起こしたせいで、迫害を受けるようになってしまった。


 それが800年前の平定。


 月の神に信仰を捧げたばかりに、彼らは後ろ指を指されるようになったのだ。


「そうか。僕も、ユウヅキが好きだよ」


 心の芯から出た言葉。

 けれど私は、その言葉に自身がない。

 神によって保障された彼らの生活。その筈は、彼らが信仰する私によって、断たれてしまったのだから。


「兄さま…………」


 頬を赤らめ、どこか恥ずかしそうに身をよじるユウヅキ。彼女と過ごせる時間も残りわずか。

 だから私は、最後の願いとも言える頼みを、彼女にすることにした。


「なあユウヅキ。もう一回、僕の事を“おにい"って呼んでくれないかな」

「え?」

「あの呼び方、好きだったんだ」


 産まれてすぐに両親を失くした彼女。

 村長のミカヅキが彼女を連れてきた時、初めて妹と呼べる存在が私に出来た。そして心を開いた彼女が、私の事をそうやって呼んだのだ。


「お、おにい」

「ふふ、ありがとう」

「もうっ、恥ずかしいってば!」


 いろりを囲み、こうして家族で食事を摂る。


 私が神様と呼ばれていた頃、私はそれに憧れていた。唯一姉と呼べる存在は、私の事を腫物のように思っていた。


 だからこそ楽しかった。この時が。いつまでも続けばいいと思っていた。


 コンコン。


 ユウヅキが頬をふくらませ、私に向かって目を尖らせたとき、屋敷の扉を誰かが叩いた。


「こんな時間に誰だろ?」


 彼女が席を立ち、訪問者を迎えようとする。

 戸の向こうには誰がいるのか、私は知っている。――開けてはいけないなんて事、分かってる。


「待ってユウヅキ」

「え?」

「僕が見てくるよ」


 土間へ行こうとするユウヅキを引き留め、彼女の体を優しく抱き寄せた。 


「…………兄さま?」

「僕が居なくても、しっかりな」


 私はそれだけ言って、伝わる彼女の体温を遠ざける。

 それは、もう感じることの出来ない温もり。これで()は、永遠に一人。


「何それ。どういう意味?」

「ううん。なんでもない」

「ちょ、ちょっと!」


 私を止めようとする彼女を無視し、私は玄関へと向かう。

 もちろんユウヅキは後を追って来るが、私は神通力を使い、不抜の結界で彼女を居間に閉じ込めた。

 音も通さぬ結界のため、彼女が何を言っているのかは聞き取れない。きっと必死になって結界を叩いている事だろう。


 でもごめんね夕月ユウヅキ。あなたとはここでお別れだ。


――――――――


「随分と手間取ってたけど、大丈夫、雨月ウヅキ?」


 戸を開けると、そこには一柱の女神が立っていた。

 黄金の月下でしおらしく、優々閑々とした立ち姿で。――しかし眉根を僅かにひそめており、その複雑な心境を面に出している。


「うん。僕は大丈夫だよ。那々名嘉ナナナキ


 西ノ宮の民から厚い信仰を受ける彼女は、今では立派な川の神となった。

 その半身は蛇のように物々しく、かのヤヅノ蛇神にも劣らない神霊を纏っている。……だが、それを素直に喜べるほど愚直ではない。


 彼女がこうなってしまったのも、私のせいなのだから。

 あの日、私が彼女を大川の神に仕立て上げたばかりに、彼女は今日まで苦しんで来たのだ。


「本当に、お母様の言葉に従うつもりなの?」


 彼女が私に問う。

 それは気遣っての言葉なのだろうが、私は死んだ二枚貝のように口を紡いだ。

 

「ソウちゃんは、どう思うかな?」


 暗い声音で、さらに彼女が問うてくる。が、どれもこれも答え辛いものばかり。

 

 …………ずっと考えないように生きてきた。

 

 800年前、彼女は私の両目を見据えながら消滅していった。目に映る私の顔を、涙で歪ませながら。


 ――――和魂の弱化は、荒魂の消滅に伴う。故に吾月は、ソウ様の神霊が、ただの神使から荒魂に成る時を待っていた。


 あの時の失敗を力とし、今度こそ確実な消滅へと追いやるために。

 そして姉上の神霊が弱まった瞬間、天都を掌握するための侵攻が始まる。


 私たちは黙って傍観することしか出来ない。誓約のせいで。――それは決定された未来。


「ナナナキ、滅多なことは言うものじゃないよ」

「で、でも」

「吾月の意志は、僕たちにとっても益となる。これでいいんだ」


 私たちは神霊を通して常に見られている。

 今や九つにまで減らされた神霊は、どこで何をしていても掌の上。こうして二柱で話をしていても、密談など到底出来ない。


 何か不穏な動きを見せてしまったら、吾月によって神霊が追い出されてしまう。

 実際それで、結舞月は愛する者を殺めてしまった。


「じゃあもう、やるしかないんだね」


 決心したように那々名嘉は呟く。

 これから親でも殺すかのような、神妙な顔つきで。

 

「その時が来たら、僕がやるよ。貴女には荷が重すぎるから」

「ううん、大丈夫。もうこれ以上、雨月には苦労かけさせたくないから」


 和魂に近い神霊を持つ彼女は優しく、申し訳程度の気遣いさえ跳ね返すように言った。


 ――――吾月を覗く四十六の神霊たちは、完璧な器となる事を求められ、吾月に忠誠を誓うように仕向けられる。


 そうなってしまえば、神霊は鎖に繋がれた犬のように、吾月の支配下に置かれてしまう。


 だがそうならなかった者もいる。


 誰よりも荒魂としての神霊が強かった四莵三ヨツミは、比類なき精神力をもって唯一吾月の手から逃れた。

 

 希望の光が差したと思った。


 だが、ツキに見放された私に、幸運が続くはずもない。


「じゃあ、一緒に殺そう」


 進退両難だった私にとって、唯一幸運だったと言える事。それは、ナナナキという理解者が傍に居てくれた事だ。彼女が居なければ、私は道端に落ちている銀杏のように腐っていただろう。


「ありがとう。ナナナキ」

「うん」


 彼女の提案に、私は賛同の意を表した。

 きっと彼女も同じ心でいるはずだ。大切な者を殺めるのは、とても辛いのだから。

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