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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
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憂月

「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」

「……謝ることは……ない。あの時……お主の頼みを聞けなかった……私への罰だ」


 夕律姫が私を止めようと駆け寄った瞬間、雨月は私と入れ替わった。


 少し考えれば分かったはずなのに。私は自分の心を優先してしまった。


 誰よりも私に寄り添ってくれた彼女を、私は裏切った。今、夕暮れのように冷えてゆくその手で、私の頬を撫でる彼女を。


“吾月、今すぐ此方と代わってください”


 ――――心の中で、雨月が神体の支配権を奪わんと声を荒げる。

 雨月が夕律姫を刺した瞬間、私は怒りに任せて支配権を奪い取った。けれど、後にも先にもこれで最後だろう。


 彼女を抑え込むのも限界だが、でももう少し。あと少しの辛抱で、夕律姫は救われる。


“今すぐ代わりなさい!”


 夕律姫が常世の国に降りた時、彼女を殺めるという条件で、別れを言う時間を雨月から貰った。


 そして、彼女を殺めるという誓いは今達成されようとしている。しかし夕律の神霊がこの世を離れぬ限り、優位はこちらにある。


 今回ばかりは、誓約に助けられた。


「…………姉上」


 きっと夕律姫の異常を感じたのだろう。尋常ではない速度で、こちらに向かってくる神霊。


「吾月…………。貴様、何をしておる」


 眩しい光と共に現れた姉上は、私の腕の中で苦しむ夕律を見て目を尖らせた。眩い太陽は光を強め、海でさえも怒ったように荒れ狂う。


「姉上。最後に、私の願いを聞き入れてはくれませんか?」

「お前ッ、一体どの口で!」


 姉上はそう叫んで私の頬に拳を振るう。けれど痛みはない。誓約を破りかけている私は、もうすでに堕ちかけているのだから。


「夕律姫を。彼女の御霊を、ここではないどこかへ、転生させてください」


 私の言葉など最早聞こえていないのか、姉上は更に私を殴ろうとその拳を振り上げた。

 だがそれは、放たれる前に止められてしまう。


「…………よせ。朝陽」

「律…………ッ」


 夕律姫は地に伏したまま、言葉だけで彼女を抑制した。

 そうすれば姉上は、私に向けた怒りを鎮め、それとは間反対の感情をもって夕律姫を抱きしめる。


「無事かっ、今すぐ手当してやるからな!」

「無駄だ。自分の事だから分かる」

「か、斯様な事を申すな」


 誓約を破ることになるだろうが、彼女を生かすために私は願う。


「姉上、どうかお願いです! 夕律姫を、別の世界へ!」

「…………っ」


 朝陽は妹である私よりも、そして身勝手に展開するこの世界よりも、誰よりも夕律の事を大切に想っていた。


 だからこそ辛い筈だ。

 愛する者と離れてしまう事は、私だって辛い。でも、苦しむのが私たちだけで済むのであれば、きっと姉上も其の方を選ぶ。


「吾月。お前はどうなる」


 今にも消えそうな夕律を抱え上げ、姉上は私に問う。その表情に、もう怒りは見えない。


「誓約を破った私は、もうじき消えてしまいます」

「そうか」


 最期に見ることが出来た姉上の顔。憎しみで終わるかと思われた私たちの関係は、意外にも穏やかに崩壊するのだと感じた。


 嗚呼。こんな事なら、もっと早くに、彼女の事を理解しようとするべきだった。つまらない意地など通さずに、素直に言えばよかったのだ。


「姉上。どうか、後をよろしくお願いします」


 そう言って頭を下げると、彼女は僅かに震えた声で。


「達者でな。憂月ウヅキ


 それは私のもう一つの名前。夕律が彼女の事を“朝陽”と呼ぶように、親しみの込められたもう一つの名前。知っているのは姉上だけだけど、今日、初めて彼女にその名で呼ばれた。


 こういう気持ちを、一体何と呼べばいいのか分からない。――――でも流れる涙は正直だ。確かに私は、彼女たちの事を愛していたのだと知る。


「朝陽も」


 こちらに背を向け、その両肩を小さく震わす彼女。そして私が最後にそう言うと、朝陽は一回だけ頷いて、この場から去って行ってしまった。


 これでもう、私は私の愛する者達と会う事はなくなる。


 とても悲しい事だけど、なぜか清々しい気分。


 ずっと幸せに。


―――――


「吾月。あなたは本当に困った子です」


「…………ねえ雨月」


「なんですか」


「貴女が私の中で生まれた時、吾月の神名が欲しいって言ってたよね」


「ええ」


「あげるよ」


「今更どうしたのです?」


「私の手には余るから」


「では、お言葉に甘えて」


「でもね、一つだけ約束して欲しい」


「約束?」


「陽の世にはもう、顔を出さないで欲しい。これは月の神としてのお願い」


「笑止。此方の事を知りながら、ぬけぬけと」


「貴女が何をしようとしているのかは分かりかねるけど。彼女に嫌われた今、どちらにせよ太陽を拝むことは出来ない」


「…………」


「まあでも。私には関係ないからいいんだけどね」


「なら精々、私の中で口惜しむのですね」


「残念。誓約を破った私は、これから黄泉へ堕ちるから」


「ひひひひ。そうは行きませんわ。貴女はこれからも無力に生きて、愛する者達がむざむざと殺される様を見るのです」


「どういう意味?」


「死してからのお楽しみですわ」


「雨月…………?」


「此方の名は吾月ですよ。雨月ウヅキ


「待って、最後に教えて!」


「っひっひっひ。さらば、ごきげんよう」

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