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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
179/202

神産み

「夕律様。如何なさいますか?」

「お前らはこの事を天都に知らせろ」

「し、しかし」

「私の事なら案ずることは無い。行け」

「…………か、畏まりました」


 吾月の不穏な振る舞いには、皆が固唾を呑んだことだろう。

 当然私も、今なお歩みを進める彼女に警戒心を抱く。が、彼女と過ごしたこれまでが、その不信を拭わせた。


 ――――吾月を始めて目にしたとき、私とは間反対の性格だった彼女を、私は苦手としていた。内向的で、なのに己よりも他を優先する彼女を。


 だがそれも、長くは続かなかった。


 今でも忘れはしない。天陽の荒魂だと差別されてきた私に、誰よりも優しくしてくれたことは。そして、荒魂と言う印象を、誰の心からも払拭してくれたことは。


「ごめんなさい、夕律姫」


 吾月は隠し持っていた短刀を、私の喉元に目掛けて振り下ろしてきた。だが殺気は籠っていない。


「雨月の命か?」


 彼女の腕を止めたまま、私は吾月に問う。

 しかし返ってくるのは涙だけ。


「答えてくれ吾月。これがお主の意志ではない事を」

「嫌だ。もう嫌だよ…………雨月」


 束の間のこと。先ほどまで涙して、私に突き立てようとした刃を震わす彼女は、たった今それら全てを止め、再び鉾先の突進を始めた。


「ッく!」

「っひひひひひひッ。油断ですわ。夕律様」


 私は辛うじて刃の貫通を抑えたが、それでも刀身の七分ほどをこの神体に受け入れてしまった。吾月の神霊が雨月に変わったとき、その力が遥かに向上したがゆえに。


「ふふふッ。雨月よ、この時をどれほど望んだことか」

「おや。もしや此方に会いたかったのですか?」

「ああ。この上なくな」


 雨月の腕を掴んだまま、私は奴の顔面に拳を放つ。…………が。


「【満ち黄金】」

「不抜の結界。吾月の神通力も使えるのか?」


 結界によって阻まれた拳の突き。その奥では雨月が嫌な笑みを浮かべている。


「油断だぞ。雨月」


 この世の全てを拒絶する結界。それが吾月の神通力。だが私からすれば、それを破るのは障子戸に穴をあけるくらい容易な事。


「この結界を力ずくでこじ開けるとは、荒々しい事この上ないですね」

「所詮お前は信仰も無い弱神。そりゃ結界も脆くなるさ」


 冷や汗を流す雨月を掴み、結界内から引きずり出す。

 思った通りだ。生まれて日も浅い此奴は、まともな信仰を得ていない。いくら吾月より精神が強かろうと、信仰が無いのであれば…………。


「【欠け月】」

「――――っ!」

「ふむ、初めてにしては上出来ですね」


 突如私の神体に刻まれる無数の切り傷。

 大した痛手にはならんが、しかしこの神通力は吾月のではない。これは一体?


「これがお前の神通力か? だとしたら随分と弱いものだな」

「ひひひひ。これは別です」


 再び繰り出される斬撃。目に見えないのが厄介だが、どうってことは無い。

 それよりも今は、こいつの神通力を把握せねば。


「此方の中に、どれだけの神霊が存在しているか、ご存知でしょうか?」


 僅かに宙に浮いたまま、雨月は絶えず三日月のように嗤いながら口を開く。


「どういう意味だ?」

「此方と吾月以外に、あとどれだけの神霊が宿っているのか。それをお聞きしているのです」

「…………二柱だけではないのか?」

「ええ」


 あり得ない。

 基本的に、一柱の神には和魂にぎみたまと荒魂の二つしか存在しない。故に一つの神体に宿る神霊は最低でも二つの筈だ。


「…………幾つだ?」


 私がそう聞くと、雨月は気味の悪い笑顔と共にその言葉を口にする。


「四十七です」

「――――馬鹿なッ。だとしたら、自我を保つことなど到底不可能なはずだ!」

「っひっひひひひ。……ええっ。確かに吾月は苦しんでおりました。いつか我を失い、自分が自分では無くなってしまうのではないかと」


 嫌な汗が頬を伝う。

 数十年前から、吾月は何かに怯えるようになってしまった。

 だが私はそれを、吾月が雨月に神霊を脅かされていたからだと思っていた。


 もし雨月の言っていることが誠だとしたら、吾月という神霊は、もうとっくにすり潰されているのかもしれない。


「だが、それはお前も同じことだろ?」

「それは少し違います。此方は、吾月の願いから産まれた存在です」


 雨月は軽く両腕を広げ、さらに言葉を続ける。


「この国も、彼女が望んだがゆえに産まれた国。心の安寧を求め、そして自らの居場所を作るために」

「笑わせるな。お前を、吾月が望んだだと?」

「ええ。四十七の神霊に潰されそうになった彼女は、その統率と消失を望み。そして此方は、その望みから産まれた神霊。つまり雨月とは吾月の荒魂ではなく、全く別の存在とも言えますね」


 出鱈目だ。そんな事、信じれる訳が無い。


「疑っておいでの様ですね」

「当たり前だ。嘘が下手な吾月でも、もっとマシな嘘をつくぞ」

「ひひひひっ。ならばお見せしましょう。我が神通力を」


 そう言って雨月は、自身の人差し指と中指を握り、それをまるで雑草でも引き抜くかのように千切って見せた。


「何を…………」

「さあ、これであなた達は自由ですよ。苔乃花コノハ末永岩スエナガ


 神体から切り離された二本の指は、たちまちのうちに腐り果て、そこから二柱の女神が光と共に化生した。


「如何ですか、自分の神体は?」

「…………ああ。とても良きに存じます」

「我ら二柱、御君に感謝申し奉る」


 吾月の指から生まれた女神。そのどちらも瞳は黄金に輝き、そして雨月に首を垂れる。


「神産み…………」

「ええ。神霊は限りますが」


 意図せぬ化生は稀にあるが、故意に神を作り出すなど誰にでも出来る業ではない。

 …………まるで、かの二柱の偉業の如し奇跡。


「雨月。私たちを産んだという事は、私たちが夕律を殺せば良いのですか?」

「おっ。神体を得て早々戦か?」


 苔乃花と呼ばれる女神は蔑むような眼をこちらに向け。そして末永岩は屈託のない笑みを浮かべてそう言った。


 しかし雨月は、呆れたと言わんばかりの表情でため息を吐く。


「ふぅ。吾月の荒魂といえど、まさかここまで好戦的とは思いませんでした」

「なに言ってんだよ。こっちは初めての神体からだにうずうずしてんだ。戦いたくって仕様がないんだぜ?」

「お姉さま。少しお言葉が汚く存じます」

「うるせぇなあ。お前もその筈の癖に」


 少女のように燥ぐ女神たち。まるで私の事など眼中にない様だが、しかしその心中は、どうやら戦いたくて我慢できないらしい。


「全く。低く見積もられたものだな」

「あ、何か言ったか?」

「雑魚が何匹結束しようが鱶の餌。私には敵わん。と申したのだ」

「あっはっはっはっはッ。言ってくれるぜ! なあ苔乃花!?」

「…………ええ。舐められたものです」


 流石は荒魂だ。積極的で荒々しい所は、私と通ずるところがある。かと言って、部下に欲しいとは思わんが。


「まあ善い。私も戦好き。雨月の長話に飽き飽きしていたところだ」

「ふむ。非道いですね」


 雨月の立ち位置から察するに、どうやら奴は戦に参加しないらしく、代わりに苔乃花と末永岩が私の前に立ちふさがる。


「お主ら、得物は持っておらぬのか?」

「産まれて間もないもので。残念ながら」

「そうか。では私も、真剣は使わぬことにしよう」

「おいおいおい。何だよそれ! 私たちは全力のお前と戦いたいって言って…………」


 末永岩がそう声を尖らせると同時に、私は彼女の後ろを取ってやった。

 そうすれば二柱とも目を丸くし、すぐさま私から距離を取る。


「一回死んだぞ」

「…………は、はは。まるで見えなかった」

「……何が面白いんですか。お姉さま」


 汗を流し笑う末永岩に、苔乃花は怒りとも見れる顔で末永岩を睨む。


 ――今もだ。こいつらは戦いの最中だと言うのに、私から目を離しすぎだ。これでは話にならん。


「まるで、童に武術を教えている様だな」

「っくそ。言いやがる」


 身構えたまま、こちらに攻撃を仕掛けようとしない彼女ら。吾月の荒魂と言うから、どんな神が産まれたのかと思ったら…………。


「興が冷めた」

「何だと」

「つまらんと申したのだ。三一」


 真正面から光の移動。私は奴らの懐に入り、そして形式ばった格闘で丁寧に倒してやった。それでも立ち上がることは不可能な程に。


「おい雨月。一体何が狙いだ?」

「さて、何の事でしょう」

「禄に信仰もない女神を差し向けて、何がしたいのだ?」

「なに。これからの為に、経験を積ませただけですよ。我らはまだ未熟ゆえに、貴女に敵わぬことなど承知しております」

「殊勝な事だな」

「ひひひ。そんなことより、戦のさなかに敵から目を離してよかったので?」


「【神無月】」


 その瞬間、まるで宙に浮くような感覚が私を襲い、同時に鋭い痛みが全身に走る。


「…………ぐッ」


 なんだ。何をされた?


「よしよし。成功だな」

「でも少し、短いのではありませんか?」

「うるせ。初めてだから仕方ないだろ!」


 背後には平然とした様子で嗤う二柱の女神。

 しかし何故だ? 手加減したとはいえ、再起不能に陥るだけの損傷は与えたはず。


「信仰も無く、神体も脆いお主らが、先ほどの負傷でなぜ立てる?」

「傷を癒すのが、私の神通力ですから」


 自信を持った笑みで苔乃花が言う。

 どうやら少し、気を引き締める必要があるようだ。


「ならばさっきの神通力が、お主のものか」

「正解だぜ、ドサンピン」

「一時的とはいえ、神体から神霊を抜くとは、面白い力だな」


 私がそう言ってやれば、末永岩は小首をかしげ。


「なんで分かった?」

「ハッタリだ」

「…………お姉さまの馬鹿」

「なんだと苔乃花!」

「――仲が良いんだな」

「どこをどう見て言ってんだハゲ!」


 愉快な奴らだ。しかし。


「治癒ともなると厄介だ。殺すことは避けたかったが、仕方ない」

「来るぞ!」

「分かってます!」


 初めて彼女らに向ける殺気。経験不足とはいえ、それを気取ることくらいは出来るらしい。


「――――あぐ!」

「苔乃花!」


 先ずは苔乃花から殺すべく、私は神霊を貫く勢いで手刀を放った。…………が、寸での所で苔乃花が身を守り、失敗。


 続いて追撃。


「【神無月!】」


 しかし末永岩の神通力が発動し、再び眠気に襲われたかのような感覚に見舞われる。だが分かっていればどうってことは無い。


「何で効かないッ?」

「神霊の差だ」


 末永岩の術を跳ねのけ、そのまま尻込みする苔乃花に拳を放つ。

 しかしその時。


「【誘夜月いざよい】」


 黄金色の光が苔乃花を包んだかと思うと、彼女の姿は瞬く間にこの場から消え失せてしまった。

 そして同時に雨月の声。


「せっかくの戦を邪魔してしまい、申し訳ありません」

「最後になって子が可愛くなったか?」

「ひひ。そうですね。彼女らはまだ惜しい」


 だが末永岩はこれが面白くなかったらしく。雨月に向かって声を荒げる。


「何すんだよ雨月!」

「あなたもです。もう戦は楽しめたでしょう?」

「おいまさか…………!」


 そして続けざまに、末永岩も苔乃花と同じように姿を消してしまった。


「お前だけになってしまったが、それでよかったのか?」

「ええ。構いませんとも。それより吾月が、貴女に話があるそうですよ」

「なんだと」


 雨月がそう言った直後、吾月の神霊が表に出てくる。雨月の芝居などではない。これは紛れもなく、吾月の御霊だ。


「…………ごめんなさい。夕律姫」


 先ほどまで余裕の表情だった雨月とは取って代わり、吾月は泣きじゃくりながら私に謝った。


「吾月。雨月の言った事は誠なのか? お主の中に四十を超える神霊がいるという話は」

「うん」

「なぜ黙っていた。正直に話していてくれれば、私は力になったのに」

「こうなるって分かっていたら、私もそうしてた。でも私は臆病だから、皆に迷惑が掛かるって思って…………」


 そうして吾月は、手に持った短刀を鞘から抜き、私に向ける。だが殺意は感じられない。


「でももう、これで終わり」

「待てッ!」


 白金の刀身を逆手に持ち、彼女はそれを自身に向ける。


「ごめん。でもこれだけは忘れないで。私はずっと、夕律の味方だよ」


 吾月の自刃を止めまいと、私はすぐさま彼女の元へ駆け寄った。――――しかし。


「【神無月】」


 一瞬の暗闇。そして意識が戻った時、私は吾月に抱えられたまま動けずにいた。

 

 …………どうやら私は、彼女の想いを逆手に取った雨月に、隙を突かれたようだ。

 吾月に対して抱いた慈愛が、ここに来て私たちの邪魔をしたらしい。…………厄介なものだ。


 ――――吾月の為に私は泣いた。彼女が私の神霊に刃を突き立てようと。この御霊の行方が黄泉だろうと。


 私は彼女を想って笑顔に努め、彼女は私の為に涙を落とした。


「…………ご、吾月」


 眩しい日照りを遮るように、私は月に手を伸ばす。その柔らかい頬に、心地の良い温もりが伝う頬に触れたくて。


「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」

「……謝ることは……ない。あの時……お主の頼みを聞けなかった……私への罰だ」

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