神産み
「夕律様。如何なさいますか?」
「お前らはこの事を天都に知らせろ」
「し、しかし」
「私の事なら案ずることは無い。行け」
「…………か、畏まりました」
吾月の不穏な振る舞いには、皆が固唾を呑んだことだろう。
当然私も、今なお歩みを進める彼女に警戒心を抱く。が、彼女と過ごしたこれまでが、その不信を拭わせた。
――――吾月を始めて目にしたとき、私とは間反対の性格だった彼女を、私は苦手としていた。内向的で、なのに己よりも他を優先する彼女を。
だがそれも、長くは続かなかった。
今でも忘れはしない。天陽の荒魂だと差別されてきた私に、誰よりも優しくしてくれたことは。そして、荒魂と言う印象を、誰の心からも払拭してくれたことは。
「ごめんなさい、夕律姫」
吾月は隠し持っていた短刀を、私の喉元に目掛けて振り下ろしてきた。だが殺気は籠っていない。
「雨月の命か?」
彼女の腕を止めたまま、私は吾月に問う。
しかし返ってくるのは涙だけ。
「答えてくれ吾月。これがお主の意志ではない事を」
「嫌だ。もう嫌だよ…………雨月」
束の間のこと。先ほどまで涙して、私に突き立てようとした刃を震わす彼女は、たった今それら全てを止め、再び鉾先の突進を始めた。
「ッく!」
「っひひひひひひッ。油断ですわ。夕律様」
私は辛うじて刃の貫通を抑えたが、それでも刀身の七分ほどをこの神体に受け入れてしまった。吾月の神霊が雨月に変わったとき、その力が遥かに向上したがゆえに。
「ふふふッ。雨月よ、この時をどれほど望んだことか」
「おや。もしや此方に会いたかったのですか?」
「ああ。この上なくな」
雨月の腕を掴んだまま、私は奴の顔面に拳を放つ。…………が。
「【満ち黄金】」
「不抜の結界。吾月の神通力も使えるのか?」
結界によって阻まれた拳の突き。その奥では雨月が嫌な笑みを浮かべている。
「油断だぞ。雨月」
この世の全てを拒絶する結界。それが吾月の神通力。だが私からすれば、それを破るのは障子戸に穴をあけるくらい容易な事。
「この結界を力ずくでこじ開けるとは、荒々しい事この上ないですね」
「所詮お前は信仰も無い弱神。そりゃ結界も脆くなるさ」
冷や汗を流す雨月を掴み、結界内から引きずり出す。
思った通りだ。生まれて日も浅い此奴は、まともな信仰を得ていない。いくら吾月より精神が強かろうと、信仰が無いのであれば…………。
「【欠け月】」
「――――っ!」
「ふむ、初めてにしては上出来ですね」
突如私の神体に刻まれる無数の切り傷。
大した痛手にはならんが、しかしこの神通力は吾月のではない。これは一体?
「これがお前の神通力か? だとしたら随分と弱いものだな」
「ひひひひ。これは別です」
再び繰り出される斬撃。目に見えないのが厄介だが、どうってことは無い。
それよりも今は、こいつの神通力を把握せねば。
「此方の中に、どれだけの神霊が存在しているか、ご存知でしょうか?」
僅かに宙に浮いたまま、雨月は絶えず三日月のように嗤いながら口を開く。
「どういう意味だ?」
「此方と吾月以外に、あとどれだけの神霊が宿っているのか。それをお聞きしているのです」
「…………二柱だけではないのか?」
「ええ」
あり得ない。
基本的に、一柱の神には和魂と荒魂の二つしか存在しない。故に一つの神体に宿る神霊は最低でも二つの筈だ。
「…………幾つだ?」
私がそう聞くと、雨月は気味の悪い笑顔と共にその言葉を口にする。
「四十七です」
「――――馬鹿なッ。だとしたら、自我を保つことなど到底不可能なはずだ!」
「っひっひひひひ。……ええっ。確かに吾月は苦しんでおりました。いつか我を失い、自分が自分では無くなってしまうのではないかと」
嫌な汗が頬を伝う。
数十年前から、吾月は何かに怯えるようになってしまった。
だが私はそれを、吾月が雨月に神霊を脅かされていたからだと思っていた。
もし雨月の言っていることが誠だとしたら、吾月という神霊は、もうとっくにすり潰されているのかもしれない。
「だが、それはお前も同じことだろ?」
「それは少し違います。此方は、吾月の願いから産まれた存在です」
雨月は軽く両腕を広げ、さらに言葉を続ける。
「この国も、彼女が望んだがゆえに産まれた国。心の安寧を求め、そして自らの居場所を作るために」
「笑わせるな。お前を、吾月が望んだだと?」
「ええ。四十七の神霊に潰されそうになった彼女は、その統率と消失を望み。そして此方は、その望みから産まれた神霊。つまり雨月とは吾月の荒魂ではなく、全く別の存在とも言えますね」
出鱈目だ。そんな事、信じれる訳が無い。
「疑っておいでの様ですね」
「当たり前だ。嘘が下手な吾月でも、もっとマシな嘘をつくぞ」
「ひひひひっ。ならばお見せしましょう。我が神通力を」
そう言って雨月は、自身の人差し指と中指を握り、それをまるで雑草でも引き抜くかのように千切って見せた。
「何を…………」
「さあ、これであなた達は自由ですよ。苔乃花、末永岩」
神体から切り離された二本の指は、たちまちのうちに腐り果て、そこから二柱の女神が光と共に化生した。
「如何ですか、自分の神体は?」
「…………ああ。とても良きに存じます」
「我ら二柱、御君に感謝申し奉る」
吾月の指から生まれた女神。そのどちらも瞳は黄金に輝き、そして雨月に首を垂れる。
「神産み…………」
「ええ。神霊は限りますが」
意図せぬ化生は稀にあるが、故意に神を作り出すなど誰にでも出来る業ではない。
…………まるで、かの二柱の偉業の如し奇跡。
「雨月。私たちを産んだという事は、私たちが夕律を殺せば良いのですか?」
「おっ。神体を得て早々戦か?」
苔乃花と呼ばれる女神は蔑むような眼をこちらに向け。そして末永岩は屈託のない笑みを浮かべてそう言った。
しかし雨月は、呆れたと言わんばかりの表情でため息を吐く。
「ふぅ。吾月の荒魂といえど、まさかここまで好戦的とは思いませんでした」
「なに言ってんだよ。こっちは初めての神体にうずうずしてんだ。戦いたくって仕様がないんだぜ?」
「お姉さま。少しお言葉が汚く存じます」
「うるせぇなあ。お前もその筈の癖に」
少女のように燥ぐ女神たち。まるで私の事など眼中にない様だが、しかしその心中は、どうやら戦いたくて我慢できないらしい。
「全く。低く見積もられたものだな」
「あ、何か言ったか?」
「雑魚が何匹結束しようが鱶の餌。私には敵わん。と申したのだ」
「あっはっはっはっはッ。言ってくれるぜ! なあ苔乃花!?」
「…………ええ。舐められたものです」
流石は荒魂だ。積極的で荒々しい所は、私と通ずるところがある。かと言って、部下に欲しいとは思わんが。
「まあ善い。私も戦好き。雨月の長話に飽き飽きしていたところだ」
「ふむ。非道いですね」
雨月の立ち位置から察するに、どうやら奴は戦に参加しないらしく、代わりに苔乃花と末永岩が私の前に立ちふさがる。
「お主ら、得物は持っておらぬのか?」
「産まれて間もないもので。残念ながら」
「そうか。では私も、真剣は使わぬことにしよう」
「おいおいおい。何だよそれ! 私たちは全力のお前と戦いたいって言って…………」
末永岩がそう声を尖らせると同時に、私は彼女の後ろを取ってやった。
そうすれば二柱とも目を丸くし、すぐさま私から距離を取る。
「一回死んだぞ」
「…………は、はは。まるで見えなかった」
「……何が面白いんですか。お姉さま」
汗を流し笑う末永岩に、苔乃花は怒りとも見れる顔で末永岩を睨む。
――今もだ。こいつらは戦いの最中だと言うのに、私から目を離しすぎだ。これでは話にならん。
「まるで、童に武術を教えている様だな」
「っくそ。言いやがる」
身構えたまま、こちらに攻撃を仕掛けようとしない彼女ら。吾月の荒魂と言うから、どんな神が産まれたのかと思ったら…………。
「興が冷めた」
「何だと」
「つまらんと申したのだ。三一」
真正面から光の移動。私は奴らの懐に入り、そして形式ばった格闘で丁寧に倒してやった。それでも立ち上がることは不可能な程に。
「おい雨月。一体何が狙いだ?」
「さて、何の事でしょう」
「禄に信仰もない女神を差し向けて、何がしたいのだ?」
「なに。これからの為に、経験を積ませただけですよ。我らはまだ未熟ゆえに、貴女に敵わぬことなど承知しております」
「殊勝な事だな」
「ひひひ。そんなことより、戦のさなかに敵から目を離してよかったので?」
「【神無月】」
その瞬間、まるで宙に浮くような感覚が私を襲い、同時に鋭い痛みが全身に走る。
「…………ぐッ」
なんだ。何をされた?
「よしよし。成功だな」
「でも少し、短いのではありませんか?」
「うるせ。初めてだから仕方ないだろ!」
背後には平然とした様子で嗤う二柱の女神。
しかし何故だ? 手加減したとはいえ、再起不能に陥るだけの損傷は与えたはず。
「信仰も無く、神体も脆いお主らが、先ほどの負傷でなぜ立てる?」
「傷を癒すのが、私の神通力ですから」
自信を持った笑みで苔乃花が言う。
どうやら少し、気を引き締める必要があるようだ。
「ならばさっきの神通力が、お主のものか」
「正解だぜ、ドサンピン」
「一時的とはいえ、神体から神霊を抜くとは、面白い力だな」
私がそう言ってやれば、末永岩は小首をかしげ。
「なんで分かった?」
「ハッタリだ」
「…………お姉さまの馬鹿」
「なんだと苔乃花!」
「――仲が良いんだな」
「どこをどう見て言ってんだハゲ!」
愉快な奴らだ。しかし。
「治癒ともなると厄介だ。殺すことは避けたかったが、仕方ない」
「来るぞ!」
「分かってます!」
初めて彼女らに向ける殺気。経験不足とはいえ、それを気取ることくらいは出来るらしい。
「――――あぐ!」
「苔乃花!」
先ずは苔乃花から殺すべく、私は神霊を貫く勢いで手刀を放った。…………が、寸での所で苔乃花が身を守り、失敗。
続いて追撃。
「【神無月!】」
しかし末永岩の神通力が発動し、再び眠気に襲われたかのような感覚に見舞われる。だが分かっていればどうってことは無い。
「何で効かないッ?」
「神霊の差だ」
末永岩の術を跳ねのけ、そのまま尻込みする苔乃花に拳を放つ。
しかしその時。
「【誘夜月】」
黄金色の光が苔乃花を包んだかと思うと、彼女の姿は瞬く間にこの場から消え失せてしまった。
そして同時に雨月の声。
「せっかくの戦を邪魔してしまい、申し訳ありません」
「最後になって子が可愛くなったか?」
「ひひ。そうですね。彼女らはまだ惜しい」
だが末永岩はこれが面白くなかったらしく。雨月に向かって声を荒げる。
「何すんだよ雨月!」
「あなたもです。もう戦は楽しめたでしょう?」
「おいまさか…………!」
そして続けざまに、末永岩も苔乃花と同じように姿を消してしまった。
「お前だけになってしまったが、それでよかったのか?」
「ええ。構いませんとも。それより吾月が、貴女に話があるそうですよ」
「なんだと」
雨月がそう言った直後、吾月の神霊が表に出てくる。雨月の芝居などではない。これは紛れもなく、吾月の御霊だ。
「…………ごめんなさい。夕律姫」
先ほどまで余裕の表情だった雨月とは取って代わり、吾月は泣きじゃくりながら私に謝った。
「吾月。雨月の言った事は誠なのか? お主の中に四十を超える神霊がいるという話は」
「うん」
「なぜ黙っていた。正直に話していてくれれば、私は力になったのに」
「こうなるって分かっていたら、私もそうしてた。でも私は臆病だから、皆に迷惑が掛かるって思って…………」
そうして吾月は、手に持った短刀を鞘から抜き、私に向ける。だが殺意は感じられない。
「でももう、これで終わり」
「待てッ!」
白金の刀身を逆手に持ち、彼女はそれを自身に向ける。
「ごめん。でもこれだけは忘れないで。私はずっと、夕律の味方だよ」
吾月の自刃を止めまいと、私はすぐさま彼女の元へ駆け寄った。――――しかし。
「【神無月】」
一瞬の暗闇。そして意識が戻った時、私は吾月に抱えられたまま動けずにいた。
…………どうやら私は、彼女の想いを逆手に取った雨月に、隙を突かれたようだ。
吾月に対して抱いた慈愛が、ここに来て私たちの邪魔をしたらしい。…………厄介なものだ。
――――吾月の為に私は泣いた。彼女が私の神霊に刃を突き立てようと。この御霊の行方が黄泉だろうと。
私は彼女を想って笑顔に努め、彼女は私の為に涙を落とした。
「…………ご、吾月」
眩しい日照りを遮るように、私は月に手を伸ばす。その柔らかい頬に、心地の良い温もりが伝う頬に触れたくて。
「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」
「……謝ることは……ない。あの時……お主の頼みを聞けなかった……私への罰だ」




