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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
178/202

裏切りの

「夕律様。アラナギの行方は、未だ分からぬままなのですか?」

「…………ああ」


 数年前のあの日、共に笑いあった広間にて、カナビコが声音を重くして言う。

 だが彼だけではない。サカマキもオクダカも、苛立ちを隠せないまま、そわそわと室内を歩き回っている。


「くそッ。上の連中、俺たちの言う事なんてまるで聞く気がねえ!」


 オクダカは座布団を蹴り飛ばし、未だアラナギの捜索に先鉾が動員されない事を、不満たっぷりに嘆き叫ぶ。


「ユウリツ様ッ。やはり命を待たず、我らもアラナギの捜索に乗り出すべきですッ!」

「駄目だ。それをしてしまえば、お主らが処罰を受けることになる」

「でもサカマキの言う通りだッ。このままアラナギが反逆者として片づけられるのを、指くわえて待ってなんかいられねえ!」


 彼らの気持ちは痛いほど分かる。

 誰よりも忠実だったアラナギが、天都を――ましてや先鉾を裏切ることなど、到底考えられる事ではないからだ。

 だからこそ私たちは、今すぐにでも彼を見つけ出し、その身に何が起きているのかを一刻も早く解明したかった。


 しかしそれをさせないのは、天陽が率いる天老たちの言葉。


 奴らはアラナギの行方不明を謀反として見なし、「先鉾も同様の不穏分子と今は考え、しばらく階級を剝奪し、待機を命ず」などと言って来たのだ。――それに加え、「これを破らば、如何なる事由も酌量せず、階級に伴わない処罰も考える」とも言った。


「仮にワシらを裁くのが天秤だったのなら、サカマキの考えにも賛成だったのじゃが」

「ああ全くだぜッ」


 全てを見通し、罪の一切を平等に裁くのが天秤の仕事。しかし断罪するのが天老ともなると、話は全く逆の方を向いてしまう。


「我が君は、一体何をお考えになっておるのだろうか」

 

 カナビコは視線を落としてそう言ったが、しかしこの様な事は、天陽なら絶対にしない。何か企んでいるとしたら雨月。あ奴がきっと、裏で糸を引いているに違いない。


「ユウリツ様、何処へ行かれるので?」

「厠だ。それくらいなら奴らも赦してくれるだろう」


 それが偽りであることはカナビコも分かっている筈だ。だからこそ彼は、部屋を出ようとする私を止めず、ただ小さく頷いて襖を開けてくれた。


「――――シン、おるか?」

「はいっ、ここに!」


 誰の目にもとまらない小部屋。そこで私はシンを呼んだ。


「雨月の様子はどうだ?」


 先鉾が自粛を強制されるのと同時に、私は雨月の動向を見張るようシンに言った。しかし私が報告を求めると、彼女は表情を一層暗いものにして。


「それなのですが、先ほどから雨月の姿が見当たりません」

「なんだと?」

「今朝は確かに天都にいたのですが、今はどこにも。それに加え、天老を初めとする幾柱かの神々も、天都から姿を消しています」


 アラナギが行く知れずとなって一か月。続けざまに雨月も消えた。驚くことではない。姿が見えない天老どもも、既に雨月に取り込まれていたのだろう。


 という事は、アラナギも…………。


 いや、余計な事は考えるな。アラナギが雨月に降ったなどと、根拠もない想像で結論を急ぐな。

 行動を起こすにしても、先ずは確認せねばなるまい。


「私は天陽の所へ行く。お主は消えた神々の匂いを探せ。だが臭跡を見つけたとしても、決して追うでないぞ」

「畏まりました」


 ――――そうしてシンと別れた私は、次に天陽の書斎へと足を運ぶ。


「天陽。今の状況を説明しろ」


 彼女の部屋。鳥のように飛び交う和紙を退け、私は天陽の手前で声音を強くした。

 しかし天陽自身も現状を把握できていないのか、その頬には珍しく冷や汗が伝っている。


「わ、分からぬ。雨月は、雨月はどこに行ったのじゃ?」


 探し物をするかのように、わたわたと辺りを見回す天陽。その無様を目の当たりにした私は、思わず彼女の頬を引っ叩いてしまった。――だがこれでいい。


「しっかりしろ天陽ッ! 雨月はお前を裏切ったんだ!」


 まだ確証があるわけではないが、しかし私は実感していた。物事が全て雨月の計画通りに進んでいる事を。そして用済みとなった天都から、奴が逃げるように離れたことを。


「…………雨月が、余を裏切った?」

「それだけじゃない。天老を含む数柱の天律神も姿を消した。私たちは騙されていたんだよ!」


 目を見開き、その呼吸を慌ただしいものにする天陽。だが私の平手打ちが効いたのか、散り散りになった思考は収束しているように見えた。


「律、教えてくれ。余は、お前を信じて良いのか?」


 目に涙を浮かべる朝陽。

 我が半身ともあろう者が情けないものだ。全く、此奴には振り回されっぱなしだな。


「当たり前だ」


 彼女の両肩を強く握り、私だけを見させる。

 そうすれば次第に涙も退き、朝陽はかつての覇気を取り戻す。

 だから私は、勢いに乗じたまま彼女に求む。

 

「朝陽。私に命じろ。雨月の誅伐を」


 その注文には朝陽も少しだけ渋ったが、それでも断る理由はなのいだろう。彼女は意を決したかのように口を開く。


「分かった。裏切り者どもを、お主の裁量で断罪することを認める」

「確と」


 その時私は、流れが自分に向いて来たと思った。

 朝陽が正気を取り戻し、天都が正常な機能を取り戻した今、やっとで吾月を助け出せるのだと…………そう思った。


※※※※


 ――――アラナギが天下りしたのは、中つ国から遥か遠方に位置する、常世の国と呼ばれる島国だった。


 彼をそこに向かわせたのも、全て雨月による提案だったのだと彼女は言う。


 “自身の内側で、吾月が神体の支配権を奪い取ろうと暴走している”――そう雨月に唆された朝陽は、吾月が再び表に出てくる事と、吾月に賛同する者たちの反発を恐れ、中つ国の平定を急いだらしい。


 これらが、私が天都を出立する前、朝陽から聞かされた真実。


 無論、その中には雨月の嘘も入り混じっているだろう。神霊の強さで言えば、雨月には遠く及ばない吾月が、神体の権利を強奪できるはずがない。


 …………しかしその確信は、私がアラナギ救出のため、数柱の武神を連れて常世の国に赴いた時、音を立てて崩れ去った。


「吾月…………?」


 綺麗な青色が眩しい砂浜。

 私たちがそこに降り立った時、彼女もまたそこにいた。


「お久しぶりです。夕律姫」


 物憂い気な目元。雪のように白い髪。黄金に輝く美しい瞳。

 当然最初は疑った。

 雨月が吾月のふりをしているだけなのでは…………と。しかしその神霊を感じ取った時、疑心は確信に変わった。


 だが一つ分からないのは、なぜ吾月が神霊を保ったまま、この常世の国にいるのかという事。


「吾月。なぜお主がここにおる?」

「気が付いたとき、私は既にここに」

「偽りはないか? 雨月に何かされている訳ではないのか?」

「うん」


 その表情は明らかに嘘をついているものだった。というより、どこか悲しそうな顔ばせ。

 まるでこれから起きようとしている出来事に、彼女は心を痛めているようにも見えた。それもかなり強く。


「夕律姫。初めて貴女を目にしたとき、私は貴女を妬んだ」

「…………何を」

「私よりもお姉さまに愛される貴女が、憎くて仕方なかった。…………だからあなたも、私を許さないで」


 言葉を零すたび、彼女の目からは涙が溢れる。

 彼女が意図的に私を傷つけようとしているのは分かった。その涙を見て。

 でもなぜ、彼女はそんな事を…………。


「まて吾月。それ以上近寄るな」


 両手を広げ、啜り泣きながら歩み寄って来る吾月。

 頭の先からつま先までの全てが彼女の姿。神霊も、その泣き顔も、まるで違わない。だからこそ私は、それに強く警戒することもしなかった。

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