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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
176/202

不気味な黄金

「一つだけ、私のお願いを聞いてくれる?」

「聞きたくない」

「私がアナタを傷付けてしまう前に…………」

「やめろ! それ以上申すな!」

「私を、殺して欲しいの」


 吾月が私に短刀を向ける。だがその鉾先は、私に向いていない。

 

 そして次第に吾月の手が伸び、私の腕を掴む。それはなぞるように手元へ来ると、遂に私の手を握った。


「お願い」


 岩肌の様な柄の感触。彼女はそれを握るように促すが、そんな事は断じて出来ない。


「やめてくれ吾月。きっと他の道があるはずだ」

「無いよ。もう抑制できないの。これ以上、自分の中の自分を、私自身では」


 彼女の目は本気だった。

 夜空のように澄んでいた黒い目。今では月のような黄金が混じっている。美しくも不気味な色。


「…………すまない」


 たったそれだけを言って、私はその場を立ち去った。

 救いの手を差し伸べるために来たはずなのに、私は彼女を見捨てたのだ。それも自分の為に。


 ――――それから数年後、吾月は消えた。


「お姉さまっ。今日も麗しゅうございます!」


 天陽の書斎に行くと、そこには必ず雨月うげつもいる。

 吾月の代わりに神体を支配している雨月は、今では天陽にべったりだ。


「雨月殿。お主は貴し月の神として自覚し、もう少し自重した振る舞いをしてもらいたい」

「いいではないか律。雨月もそれは分かっておるだろう」


 吾月とは違って、自分の感情を包み隠さず露わにする雨月は、天陽との関係も上手く築いている。否、天陽が求めている神を、ただ演じているような気がしてならない。


「うふふ。流石、お姉さまは此方の事をよく理解しておりますね」

「吾月の荒魂だろうと、余の妹に違いはないからのう」


 嫌味の無い笑みを浮かべ、天陽の肩に頭を置く雨月の姿は、誠に彼女を慕っているかのようにも思わせる。

 

 いや、もしかしたらそうなのかもしれないが、それでも、天陽が雨月と笑っている所を見るのは、とても我慢できるものではない。


「ん? どうした律」


 私が席を立つと、天陽は小首をかしげながら問うてくる。


「野暮用を思い出した。少し出てくる」


 もちろんそんなものは無いが、この淀んだ空間にいるよりかは幾らかマシなので、私はその嘘だけを残して部屋を出た。


シン、おるか?」


 書斎を出てすぐの所にある広間。

 私が囁くようにその名を呼べば、数ある柱の内の一本の影から、小さな神が姿を見せる。


「ここにおります。我が君」

「報告を」


 私は天都の武神たちを統括している戦神ゆえ、幾柱かの神々に雨月を探らせていた。そして彼女には、その指揮を任せている。


 だが、彼女の表情はどこか暗い。


「誠に申し上げにくいのですが、これと言って目ぼしい成果は得られませんでした」

「左様か。やはり雨月には、何の目的もないのだろうか?」

「分かりません。…………ですが私から見ても、あ奴からは何か異質なものを感じます」


 影の神であるシンは、隠密に特化した神だ。故にその観察眼は信頼に足る。

 だからこそ恐ろしい。あの雨月が何を目的とし、何を画策をしているのか、全く分からないのが。


「お前もそう思うか」

「ええ。――それと、恐れ多くも我が君。自らの神格も弁えず、貴女様に意見することをお許しください」

「何度も申すが、そういう堅苦しいのは端折ってよい」

「はぅっ。も、申し訳ございませぬ!」


 誰よりも忠誠心の強い彼女は、事細かな礼儀すらも欠かさない。それこそが彼女を信頼する一番の理由であり、忍びの指揮を任せた理由でもあるのだが。


「それで?」

「はっ。今現在忍ばせている者たちの中には、この勅に疑問を持っている者も多数います。やはり、今の吾月様の状況を、部下たちにも開示すべきだと思うのです」


 やはりそうなるか。


 ――私は、吾月が今、その神体の支配権を荒魂に奪われていることを隠している。天陽の妹である吾月が、今では全くの別神であるという事が知れ渡れば、天都は確実に混乱してしまうからだ。


 しかしそれは天陽も同じこと。主宰神ゆえに、吾月が消えてしまった事を善しとしている事実を、他の神に知られる訳にはいかない。だから彼女は、未だに吾月の消失を天律神たちには黙っているのだ。


 だからこそ私にとっても都合がいい。

 天都がこの事実を知るよりも前に。天陽が中つ国の平定を終わらせるよりも前に。何よりも優先して吾月の神霊を取り戻す。


 故に、今はまだ時期尚早。


「駄目だ。神々が雨月の事を知れば、吾月を信仰していた者達はきっと騒ぎ立てる。そうなれば天都は機能を失い、下界からの信仰も減ってしまう」

「で、ではせめて、先鉾にだけは明らかにしても良いのでは?」

「ならぬ。先鉾は私の部下ではあるが、奴らが忠誠を誓うのはあくまでも天陽だ。その天陽が良しとしているのなら、先鉾は何もせん」


 私がそう言えば、彼女は眉間にしわを作って黙り込んでしまう。

 シンに重荷を背負わせているのは分かっている。きっと彼女も苦しんでいるはずだ。生まれて間もない彼女だからこそ特に。


「……畏まりました」

「すまんなシン。苦労をかける」


 彼女の頭に手を置き、撫でるようにその言葉だけを言う。

 するとシンは顔を上げ、どこか照れくさそうに微笑む。


「い、いえ。姫様の為なら、骨身をも惜しみません」

「ふふっ、そうか。かたじけない」

「お、恐れ多いです!」

「それじゃあ、引き続き頼んだぞ」

「はっ」


 そう言って私が立ち去ろうとすると、シンが珍しく引き留めてくる。


「あの。姫様」

「……ん、なんだ?」

「その、あの。この仕事が終わったら、また晩酌のお供をさせて頂けませんか? ――あっ、ご迷惑でなければの話ですが…………」


 いつだったか、私が一柱で杯を傾けていた時、シンが酌をしにやって来た事があった。

 酒が苦手な彼女だが、楽し気に飲むあの時の表情は今でも忘れない。あの晩だけは、どんな安酒も美酒に感じた。


「ああ」


 私が笑みを浮かべて頷くと、彼女は水面のように目を輝かせ、再び頭を下げた。


「恐悦至極に存じます! このシン、寝る間も惜しまず勅を完遂してみせまする!」

「おい、無理はするな…………。って、もう行ってしまったか」


 誠に恵まれているのだと感じる。彼女のような、心の底から信頼できる者が傍に居てくれて…………。


 だがその二日後、私は彼女との約束を遂に果たすことが出来ず、その時を迎えてしまった。

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