死してなおも生き続ける意思
今朝は決して気持ちいのいい朝とは呼べなかったが、しかしユキメのお陰で何とか気分を保たせた私は、手早く身支度を済ませて 天界の都へと赴いていた。
「姫様、皇神に何か御用ですか?」
「うん。少し話がしたくて」
「承知いたしました。では中へどうぞ」
天陽様に会うため、長たらしい手続きを終えた私は、最後の門番でもあるシンに話を通し、彼女の書斎へと足を踏み入れる。
すると出迎えるのは、相も変わらずの散らかった部屋。
「お、こんな朝から珍しいのう、一二三」
「再三言うようですが、私の事は蒼陽と呼んでください」
「あ、ああ。すまない」
妃屶での一件以来、仕事以外で天陽様と会う事は少なくなった。
私が荒魂だという事実を隠されていたことが、やはり心の何処かで引っかかっていたからだと思う。
あの時はユキメのお陰で乗り越えることが出来たが、それでも、日を追うごとにその事実は私を確かに蝕んでいた。
そして止めを刺すかのように今朝の夢。
「して、何用じゃ?」
「吾月について、お聞きしたいことがありまして」
躊躇わずにそう言えば、彼女はばつの悪そうな顔で頭を掻く。
「それは、今せねばならぬ話か?」
「はい」
彼女は一度大きく息を吸うと、意を決したのかのように膝を正した。
「分かった。それで、何が聞きたいのじゃ」
「聞きたいことは沢山ありますが、先ず天陽様が雨月とどういう関係だったのか教えてください」
「…………また懐かしい名前が出て来たものじゃ」
その名前を彼女が知っているという事は、今朝のアレは夢ではなかったという事。
私が夕律と呼ばれる女神だった時代に、私が実際にこの目で見て来たもの。
「天陽様はあの日、吾月より雨月を選んだんですか?」
「…………蒼よ。まさかお主、記憶を取り戻しておるのか?」
私の質問など意に介さず、彼女は目を大きくして問うてきた。
だがその答えははっきりとしていない。
記憶を取り戻したと言うより、断片的な部分を朧げな夢で追体験したと言う方が正しいからだ。
「少しだけですが」
「そうか……っ」
だが私がそう答えると、彼女は陽のように美しい目から涙を流し、私の両肩をぐっと抱き寄せる。
「律。どれほどお主に会いたかったか」
一方的に注がれる愛。
これまでにも幾度か味わったそれは、私ではなく夕律へと向けられていたものだった。
本当に、気持ちが悪い。
「答えろ朝陽。お前は妹である吾月より、己の利となる雨月を選んだのか?」
それでも私は、彼女との会話の中で自らの優位性を高めるため芝居を打った。
まるで自分を殺しているかのような感覚に陥るが、今は堪える。
そしてそれが功を奏したのか、天陽様は一拍ほどの間をおいて小さく頷いた。
「吾月の気持ちは、考えなかったのか?」
「…………余は主宰神じゃ。如何なる時も合理的に考えねばならぬ」
「楽な方へ逃げただけだでしょ」
「かもしれん。そのせいで、お主に苦労をさせたのも事実じゃ。すまぬ事をしたと思うておる」
それは夕律を想っての言葉。私の心には一切響かない。
私がこれまでせっせと築き上げてきた天陽様との関係も、今は無いに等しい。否、そんなものは最初から存在しなかった。
彼女の愛は、全て蒼陽に向けられたものではなかったのだから。
「天陽様。私は、吾月を助けます」
「律?」
「夕律は死にました。きっと彼女がそれを望んだから」
私が夕律の生まれ変わりだと聞いた時、知りもしないその女神を嫌った。
でも違った。
彼女は確かに私だった。だから安心した。あの夢を見て。――夕律の気高い意志は、私も確かに持っている物だったのだから。
「雨月を殺し、吾月を解放したら、私は天律を離れます」
「…………何を言う」
「神号と蒼陽の神名もお返しします」
「そんな事は断じて許さぬぞ!」
勝手だ。全て、彼女の勝手。今の怒号も、この肩を掴む彼女の手も。全て天陽の勝手なのだ。
夕律もそれに嫌気が差していた。だから私が産まれた。
……私が天陽の神使になったことを、きっと彼女はよく思っていないだろう。天陽が雨月を選んだあの日に、夕律が愛する彼女は消えたのだから。
「許すも何も、貴女が決める事じゃありません」
聞きたいことはまだ沢山あったけれど、私はその言葉を最後に天都を後にした。
吾月を救うなどと啖呵を切ったが、当然、この先の事は決めていない。
でもまあ何とかなるさ。行き当たりばったりなのはいつもの事だから。




