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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
173/202

吾月

「生きてますか?」というメッセージをいただき、「生きてます」と答えました。

この歳でそういう遣り取りをするとは思ってもみませんでした。


 最近“超”が付く程忙しいので、しばらくは不定期更新となります。ご了承くださいませ。

 天都に佇む巨大な社。そこは主宰神を初めとする余多の神々の仕事場であり、同時に住家と申しても過言ではない。


 なれば当然、そこが私の家であり、武官としての勤め口ともなる。


 しかし事務仕事を主とする役方とは違い、いかんせん暇な私は、日がな一日ぼうっとしているのが現実だ。


夕律ゆうりつ姫!」


 参道の如し長い階段を上がった先。この社の入り口にて、胡坐をかいて町を見下ろしていると、誰かが私の名前を呼ぶ。


 振り返ればそこには女神。――姉の朝陽あさひとは違って髪は短く、色もどこか冷たさを覚える雪色。


「吾月。また務めを疎かにしておるのか?」


 私が溜め息を最初にそう申せば、彼女は口から歯を零し。


「だって、つまらないから」

 

 と、申してきた。…………全く呆れたものだ。

 だから私は彼女のためを想い、重ねて溜め息を吐きながらも言ってやる。


「朝陽に叱られるぞ」


 太陽神である朝陽、もとい天陽から叱責されるのは怖いものだ。彼女の分身とも言える私でさえ、時折恐怖を感じるくらいに。


 けれど吾月は、その物憂い気な目線を空に放って、思ってもみなかった言葉を呟いた。


「だったらいいなぁ」


 迂闊だった。掛ける言葉も見つからない。


「……そうか」


 ――吾月と朝陽は、過去に一度だけ大きな争いを起こしている。姉妹喧嘩と言えばそれっきりなのだが、しかしあの時の私は、そう言う風には捉えられなかった。


 見たことも無い顔ばせで、まるで楽しんでいるかのように戦う吾月。

 そして、普段ならげんこつ一つで完勝する朝陽が苦戦を強いられ、終いには敗北。結果、岩戸に引きこもってしまい、世界から光が消えた。


 それから天律神たちは、朝陽を出すべく岩戸の前で知恵を出し合っていたが、しかし吾月だけは、終ぞ姿を見せなかった。


 朝陽の性格が原因で、昔から小さな喧嘩はよくあった。そして吾月が負け、いつも彼女が先に謝っていた。それなのに、あの時だけは違ったのだ。


 そしてそれ以降、純粋な性格だった吾月は変わってしまい、常に()()()怯えるようになってしまった。


 人の多い所を避けるようになり、得意だった帖付の仕事も辞め、今では書物庫で一柱、ひっそりと文献の整理を行っている。

 

 朝陽との確執も、未だに解消されないまま。


「朝陽とは、まだ何も話してないのか?」

「…………うん。姉上とは、顔を合わせづらくって」


 そう言って吾月は、優し気な目を半分閉じて下唇を噛む。その表情は、とても見られたものではない。


「なあ吾月。お主は…………」


 ごん。と、私が言葉を言いかけたところで、何かが社に衝突したような、そんな乾いた音が耳に飛び込んで来た。


「なんだ?」


 音が聞こえた方に目を向けると、胡麻のように小さな黒い物体が視界の端に映る。目を凝らしてよく見てみれば、そこには力なく横たわる燕の姿。


「燕か」

「下界から飛んできたのかな?」

「みたいだな。どうやら天下龍も、お主と同じく呆けているらしい」


 私がそう申せば、吾月は口をつぐんで俯いてしまう。軽い冗談も真に受けるところが、吾月の可愛さでもある。だがそれ故に私は、変わってしまった吾月が不憫でならない。


「戯言だ。そう暗い顔をするな」

「もうっ、夕律姫は意地が悪すぎるよ!」


 吾月も今では、私の前でしか感情を見せなくなってしまった。本音を申せば、もっと昔のように他者に対しても笑ってほしいのだが、今の吾月は初冬の氷柱のように脆いため、それをなかなか言い出せずにいる…………。


「私、ちょっと見てくる」

「あ、おい」


 吾月はそう言って立ち上がると、ただまっすぐ燕の元へと歩んでいく。なので私も、すぐさま彼女の後を追う事に。


「どうだ?」

「息はあるみたいだけど、寸分も動かないよ」


 しゃがみ込み、髪を垂らして燕を診る吾月。その視線には、苦しそうに呼吸をする小鳥。飛ぶ体力も最早残されていないように見える。


「たった一匹で、ずっとここまで飛んできたのだろうな」

「家族とは離れちゃったのかな」

「かもしれん」


 まるで十五夜に焦がれる兎のように、彼女は膝を着いて燕の命を見守っている。

 その光景は、今にも死にそうな燕に、自分の姿を重ねているようにも見えた。


「斯様に小さな命と言えど、放っておくのは可哀そうだ。さっさと楽にしてやろう」

「…………え」

「無益な痛みを、終わらせてやるのだ」


 私がそう言えば、こちらに向けた目も再び燕に行く。非情に聞こえるかもしれんが、燕もきっと、それを望んでいる。


「こやつの神も、きっと赦してくれるさ」

「でもこの子は、まだ生きたいって思ってるんじゃないかな」


 依然として視線を落としたまま、吾月は呟く。

 どれだけ矮小な命でも、彼女は平等に思い遣ることが出来る。――――否、優しすぎるのだ。それ故に一柱で抱え込んでしまう。だから私は、その行く末が不安でならない……。


「看取るのか?」

「うん」

「そ奴は望んでおらぬかもしれんぞ?」

「そんなの分からないよ。結局私たちは、私たちの裁量で世界を決めないといけないから。他者の想いなんて、私たちには分からないんだから」

「だったら、そのまま放っておけば善いだろ」


 吾月の言葉に被せてしまった。

 故に沈黙が流れる。

 恐らく彼女も気づいているのだろう。国造りが終わってしまえば、私たちが世界にしてやれることはもう何も無いという事を。

 だから朝陽は、世界には干渉しないという道を選んだ。


「夕律姫も、姉上の考えに賛成なの?」

「そう言う事を考えるのは得意じゃないけど、朝陽がそう決めたのなら、私はそれに従う」

「下界で人々が苦しんでいても、私たちはただ眺めているだけなんだよ?」

「それに手を貸しても、世界は善い方向へは進まない。それはお主も分かっておるはず」


 私がそう申せば、吾月は燕をすくい上げて立ち上がる。


「この話はまた今度にしよ。とりあえず今は、この子の看病に専念するよ」


 そうして吾月はこの場を去る。


 きっと私なら理解してくれると思っていたのだろう。…………けれど私は、間違えてしまった。


 何も考えず、“朝陽の決定に従う”などと言って、私の意見を聞きたかった吾月の気持ちを、軽々しく踏みにじってしまったのだ。


 きっと、今日の事を深く後悔する日が来るだろう。恐れている事が起きるとしたら、きっとその時だ。


 吾月が吾月ではなくなってしまう事。彼女が天都に敵対心を抱くこと。下界と天界の神々が、対立してしまう事。


 そうならない為に今何をするべきなのか、私には分からない。だから怖いのだ…………。


「吾月め、やぁっと消えよったかー」


 ――――吾月が去ってから少し経った後、変わらずの陽気さで朝陽が顔を出した。


「朝陽、いたのか」

「まあのぅ」


 口を尖らせ、どこか面白くなさそうな顔をする彼女は、燕が墜落した場所を眺めながら口を開く。


「あ奴は元気じゃったか?」

「ずっと見ていたのなら、分かってるはずだろ?」


 私がそう言えば、彼女は眉根を寄せてその表情を曇らせる。

 だから私は、しばらく黙り込む彼女を見かねて、先に話を振ってやることに。


「朝陽、お主いつまでこうしておるつもりだ?」


 すると彼女は、ため息を吐きながら秋の稲穂のような髪を弄り出す。


りつ、お前もそれを言うか」

「…………吾月は、苦しんでおるぞ」

「そう言われてもな。最近のあ奴は全く分からんのじゃ」

「だがこのままだと、吾月は確実に我らの敵となるぞ」


 どうやら私の言葉が刺さったらしく。朝陽は綺麗に伸びた親指の爪を甘噛みし始める。

 爪を噛むのは昔からの悪い癖だ。解決が難しい問題に直面すると、彼女は赤子のように親指を歯で挟むのだ。


「その癖も、いい加減治したらどうだ」

「うるさいのう。言われずとも分かっておる」


 苛立ちを隠せない朝陽は、明後日の方に睨みを利かし、小さく舌打ちをする。

 私は朝陽の荒魂であるがゆえに、神として成熟する前の彼女を知らない。だが私が化生したときから、朝陽は何も変わっていない。だから余計に腹が立つ。


「もし吾月が天都を離れ謀反など起こしてしまったのなら、それこそ手遅れだぞ」

「うるさい! ならばどうするべきか申してみよ!」

「吾月に詫びを入れるんだ」

「それは嫌じゃ!」


 本当にため息が出る。こやつは誠に成長しておらん。負けず嫌いな所も、恣意的な所も、何もかもだ。


「お前が変わらぬのなら、吾月も変わらぬぞ」

「むぅ! 何ゆえ夕律はあ奴の肩ばかり持つのじゃっ」

「今のお前を好いておらんからだ」


 今まで溜め込んでいた感情が爆ぜそうになる。――だが、似たような感情を先に出したのは朝陽の方だった。


 ――――私は不意に胸倉を掴まれ、そのまま馬鹿にならん力で柱に叩きつけられる。


 だが朝陽は、鬼のように息を荒くするだけで何も言わない。それどころか、今しがたの行為を強く後悔するかのように、見開いた目を次第に潤わせた。


 そして着物の襟から手を離すと、朝陽はそのまま私の胸元に顔を埋め、せせらぎの様にすすり泣く。


「……なぜじゃ。なぜ左様な悲しき事を平然と言える」


 まるで子供だ。吾月も朝陽も、まるで聞き分けの無い童の如し気立てである。


「朝陽。吾月との仲を戻せ。私も傍にいてやるから」


 今朝はせっかく綺麗に着付けが出来たのに、朝陽のせいで着崩れてしまった。だが、斯様な物はまた直せばいい。それだけの手間で済むのなら、今の言葉も死にはせん。


「お主も吾月との縒りを戻したいのだろ?」

「……やかましい。糸の話は聞き飽きた」

「茶化すな。誠の気持ちを申せ」


 私がそう言えば、朝陽はしばらく沈黙を保った後、口を開く。


「明日じゃ。明日、改める」


 なんとも朝陽らしい言葉だ。とてもじゃないが、天都を統治する主宰神とは思えん。

 だが、彼女がここまで素直になったのも初めてだ。


「馬鹿者」

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