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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
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一二三四三

 コイツは人間だった頃の私だ。

 愛の何たるかを知らずに育ち、自分の損得だけで物事を考えていた私に。他者に対して思いやりという物は不必要と考え、ただただ受け身で生きていた頃の私に。


 もし私がこの世界でも同じような境遇で生きてきたのなら、サンモトの様になっていたのは私かもしれない。


 求める事を知らず、自分の置かれた環境を恨み、それを世界のせいにして、ただひたすら待っているだけの。


 だがそうならなかったのは、自分が恵まれているという、持たざる者からしたらどうしようもない現実に、私は救われただけに過ぎない。だが同時に私は、この世界で初めて、求めるという事を知った。それは紛うことなき、自分で学んだもの。


 最初はもちろん不細工なものだった。だが今になってようやく分かった。不格好ながらに私が求めていたからこそ、手を差し伸べてくれる人達がいたのだと。


 けれど、サンモトはそれを知らない。そして取り返しのつかないことを数多くやって来た。そこに間違いはないし、赦そうとも思わない。


 だから私は――私が、こいつを殺してやらないと駄目なんだ。


 彼女を殺して罪を償わせ、そして彼女が転生した世界で、愛を知って貰う。それが今の私に出来る唯一の事。


 だから私は願う。

“彼女が再び産まれた時、その時は、彼女に渇くことのない愛をお与えください”


 願いが叶うかどうかは分からない。彼女はそれだけの事をしてきたのだから。

 環境のせいだなんてぬるい事を言うつもりもない。だが私は、本当にどうしようもない馬鹿だから。この願いが叶う事を願っている。


 コイツは人間だった頃の私だ。だからこそ、彼女には同情してしまうし、彼女には今度こそ、幸せになってもらいたい。


 だからそのために、私が…………。

 

「お前を殺す!」


――――――――


 もしあの時、ユウヤミを助ける事が出来ていたのなら、私はこいつの様に生きていたのかもしれないな。


 他者に対して犬の様に愛想を振りまき、そして他者から愛される犬のような性格のコイツに。


 なあユウヤミ。もしお前が生きていたら、私もお前の様になれたのだろうか。人々から愛され、常に笑顔が絶えなかったお前の様に。


 私はどこか、お前のような生き方に憧れていたのかもしれないな。青空の様に澄んでいて、太陽の様に力強くて、月の様に美しかったお前に。


 お前は完璧な神だったよ。妬むことすら億劫になる程にな。人々から愛され、そして求められ、お前は与え来た。


 なあユウヤミ。お前は今の私を見ても、変わらず愛してくれるか?

 私の手はひどく汚れてしまった。自分の損得だけで生きていた罰だろう。他者の想いなど顧みず、自分の欲求だけを満たしていた。


 死んだら赦してもらえるなんて思っていない。私はそれだけの事をしてきたのだから。

 でも、最後に一つだけ願うとしたら、私はもう一度、自分をやり直したい。


 ユウヤミ、お前は完璧なんだ。お前の様な神は、お前意外に知らない。――だからこそ、私の願いも叶えてくれよ。私はもう、愛を求めることに何の躊躇いもない。


 なあユウヤミ、私が今ここで死んだら、もう一度お前に会えるだろうか?


 会いたい。ユウヤミ。お前に会いたい。


「来いッ、天津神ッ!」


――――――


 一点の曇りも無い冬空に、響き渡る協和音。

 それは彼女たちの想いを一つにし、そして遂に、四莵三よつみの刀が折れてしまった。


「終わりだ!」


 四莵三の神体に刻まれる一筋の傷。それは今までのどれよりも深く、そして確かに、彼女の神霊にまで及んだ一撃。


 一二三は怯む四莵三の隙を見逃さず、すぐさま彼女の胸倉を掴むと、全身全霊を込めてその神体を遥か上空へと投げ飛ばした。


 そして両手を掲げ、手で作り上げた円の中に、彼女の姿を捉える。


「さらばだ」


 閃光が駆け抜ける。そしてたちまちのうちに爆炎が広がり、昼のような明るさを作り上げた。轟音、高熱、突風。それは星ですら風船のように割ってしまう威力だが、しかしその爆発は一二三の掌の中で収束してゆく。


「私の勝ちだ」


 太陽が消え、再び夜が訪れる。しかし夜空に浮かぶ影は、今やたったの一つだけ。

 あれだけ騒々しかった夜空も、今は季節の終わりの様に静かなものだった。


「あー、畜生、強敵だったなぁ」


 戦いが終わったことで緊張がほぐれたのか、蒼陽は全身から襲ってくる激痛に顔を歪める。四莵三は、今まで戦ってきた誰よりも強敵であり、そしてこれまでの戦いの中で一番、勝利して嬉しかった相手であることに間違はない。


 そして、違う出会いをしていれば、きっと彼女は自分にとって、掛け替えのない人になっていた。という想いさえ芽生えていた。


 そんな四莵三との激戦が終わり、勝利の余韻に浸る中、蒼陽は奇妙な孤独感に苛まれていた。それが一体どういう感情なのかは分からないが、そこにいない四莵三の影を眺めながら、蒼陽は月を見上げる。


「ソウ様!」

「ユキメ?」


 そしてここで、山犬と戦っていた筈のユキメが、なぜか蒼陽の元に現れて強く抱擁。しかしその身体は、まるで何事も無かったかのように健全なもの。


「あれ、犬神は?」

「分かりません。私は彼と戯れ――いえ、対峙していたのですが、何と言うか、全く戦意を感じなかったのです」


 どうやら彼女と山犬は、全く戦っていなかった様子。そしてユキメは視線を落とし、どこか切なげな表情で、言葉を続ける。


「ですがあの爆発の後、彼の神体は急に浄化を始め、遂には消えてしまいました」

「…………犬神か。惜しいモフモフを失ったなぁ」

「はい。アレは誠に、尊いものです」


 犬神は人に憑く妖怪。故に四莵三の神霊が消えてしまった事で、その依り代を失い浄化したのだ。

 山犬はただ、彼女からの愛情を求めていた。彼女の命令に従い、そして彼女に褒めてもらう事が、妖とまでなった彼の喜びだった。


 恐らくそこには苦しみもあった事だろう。だがそれでも、彼は四莵三の傍に居たかったのだ。初めて出来た、家族とも呼べる存在の横に。


「それじゃあ、二つお墓作らないとね」

「ええ。また妖が産まれたら困りますものね」

「でもその前に、ちょっと一回、休憩してもいい?」

「もちろんです」


 夜も更け、そして朝陽が昇るまで続いた二柱の戦いは、こうして蒼陽たちの勝利で幕を降ろした。


 ただただ自分たちの想いを貫くためだけの戦いではあったが、しかしそれで救われた御霊は少なくなかった。


 四莵三によって潰えた命。そんな四莵三の恐怖に支配されていた妖達と妃屶ひなたの民。そして片時も彼女の傍を離れなかった山犬と、身勝手な運命によって狂わされた四莵三。そのどれもが、蒼陽たちの手によって、浄化されていったのだ。


 しかしそうでない者がいる事も事実。

 四莵三の傘下に加わったお陰で救われた妖や国津神たち。

 力が無く、ただ死んでいくだけだった者達は、彼女の死を大いに嘆いた。たとえ彼女の行為が許されざる行いだったとしても、彼、彼女らにとっては、まさに自分たちに救いの手を差し伸べる神だったのだから。


「また一人になった」


 サルハミは彼女の死にゆく光景を眺めながら、ただ静かに涙を流していた。一度光を取り戻した彼の世界は、再び闇に覆われたのだ。

 

 彼にとっては四莵三が全てであり、そして彼女の背中だけに憧れを抱いていた。だがそれを奪ったのは紛れもなく蒼陽であり、そして彼の憎しみは、確実に彼女へと向き始めている事も事実。


「少年」


 そんな彼に掛けられる言葉。

 寂れた漁村の波打ち際にて、押し寄せる波を座って眺めていたサルハミは、その声に振り向く。


「お前も、親元に行きたいか?」

「ソウ様! 何を申すのですか!」


 四莵三との激戦でボロボロになった袴を纏う一柱と、自身が攫った時と大して変わらない姿の龍人。それはサルハミにとっての怨敵。


「…………お前ッ!」


 彼は仇を目にした途端、さながら狼のように牙を剥き、砂浜に足を取られながらも駆け出した。そして拳を握り、確かな殺気を込めて、蒼陽を殴り殺す勢いで飛び掛かる。


「殺してやるッ!」


 放った拳が届かない事は、彼も心の何処かで理解していた。それでもサルハミは、頭の中を埋め尽くすほどの怒りに身を任せ、流れる感情のまま蒼陽に拳を向けた。


 そして伝わる感触。最初は柔らかく、そして続けざまに硬い物を殴ったかのような感覚が彼の拳に伝わる。それは、彼の放った怒りが、蒼陽の左頬に命中した感触だった。


「クソ、クソ、クソッ。何で、何でだよ」


 そして倒れ込む蒼陽に馬乗りになると、彼はその拳を何度も同じ個所に目掛けて放ち続ける。

 それは蒼陽の神体からすれば、かすり傷にもならないくらい弱弱しい攻撃だが、それでも彼女の心には、しっかりと彼の想いが伝わった。


「…………何で、何でやり返してこないんだよ」


 そうして彼は拳を止めると、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れ、嗚咽を繰り返した。


「お前も分かっていた筈だ。彼女のしていたことが、悪いことだったってことを」


「そんなの関係ない! 僕はただ、お母様が好きだったんだ! …………なのに、お前が殺してしまった」


「そうだ。お前は一人になったんだよ。サンモトは帰って来ないし、彼女に殺された人たちも、もう帰っては来ない」


「だから何だよ。お母様は悪い神様だから、諦めろって言うのかよッ」


「現実を受け入れろッ。そして色々考えて、それでも考えが変わらないなら、もう一回私の所に来い。その時は、私も手加減はしない」


 サルハミの気持ちは、蒼陽が一番よく分かっていた。ただ一つだけ相違点があるとすれば、それは愛する人が、もう帰っては来ないという事。


 ――――ユキメが死んだとき、蒼陽の自殺を思いとどまらせたのは、仇に対する憎しみがあったからこそ。だが結局のところ、自分を変えるのは自分であることに違いはない。それでサルハミが変わらないのであれば、蒼陽は彼の敵として、立ちはだかるつもりでいた。


 しかし彼が考えを変えた時は、彼の幸せを全力で願う事を心に決めている。


 それは最早ギャンブルに過ぎないが、彼が求めない物を与えるようとする行為は、彼のこれからに対して、ただ邪魔な障害にしかならないことを、彼女は理解している。


 ――――彼女が目指す神としての在り方は、ただ世界を傍観し、その行く末を見守ることに徹底する事。


 故に中つ国の平定が終わり、人の時代が来た暁には、蒼陽はそういった神になる事を決意していた。


 それが彼女なりの、世界の愛し方。下手に手を出してしまえば、世界は簡単に変わってしまうのだから。


「分かった。その時までは、今のままでいてください」

「もちろん。私は不滅だから」


 そうしてサルハミは震える手を握り、蒼陽たちの前から姿を消した。


「あの子、恐らく風の神通力を使う妖と契りを交わしています。もし再びソウ様の前に現れたら、手強い相手になっているやもしれませんよ」

「いいんだよ。多分その時は一生来ないから」

「何故、そう思われるのですか?」

「さあ、なんとなく」


 …………それから蒼陽は、ユキメの提案で漁村から少し山奥に入った空き地に墓を作ることにした。そこはかつて神津杜と呼ばれていた場所。しかし今では、人の往来も全くない寂れた場所だ。


「ふう。終わったぁ」

「ふふ、お疲れさまです」


 岩を削り、出来るだけ形を綺麗に整えると、彼女らはそれを四莵三たちの墓標にした。そしてそれぞれの墓に、色の異なる椿を添えた。


「でも、何で三つ?」

「ここには、もう一柱眠っておるのです」


 綺麗に並ぶ三つのお墓。降り続ける雪は墓石に積もり、一見寒そうな風景にも見えるが、蒼陽の目には、とても安らいでいるようにも見えた。


 そして蒼陽は、四莵三たちの墓の前で、その彼女たちの過去についてユキメに聞かされた。

 

 四莵三は常世の国から来た神である事。信仰を集めるために村々を巡らされていた事。そして“完璧な神になりなさい”という聞き覚えのある言葉。それは奇しくも、ナナナキやヤチオが、一本足のオガ夫婦から言われていた言葉と、全く同じように聞こえたのだ。


「じゃあ、彼女の名前は四莵三って言うんだね」

「ええ。そして彼女らもまた、吾月によって狂わされた一柱です」

「なんだか、頭が追い付かない。その話、天陽様の前でもう一回聞かせてくれる」

「ええ。畏まりました」


 ――――


 四莵三との戦いが終わり、私たちが栄白に帰った時、街は何一つ変わらない活気で溢れていた。


 この街の住人は四莵三の存在を知らない。彼女は、郊外の村々ばかりを襲っていたのだから。

 だが、湯栗の村人たちは皆、盛大に私たちを祝ってくれた。

 寝たきりのオクダカとサカマキには構わず、私たちは夜が来るまで村人たちと騒ぎまくった。フウキや雪女のユウキ。そして娘のアシナ。一番喜んでいたのは彼らだったのかもしれない。


 結局ユウキは、四莵三がいなくなったにも関わらず、フウキ達と共に暮らすことに決めたらしい。多分そこに葛藤は無かったのだろう。


 そうなった過程はとても歪だが、四莵三の出現で、愛を得られた者もいたという事だ。


 ――――そうして四莵三を打倒した私たちは、晴れて結婚するツミキとコノハの神前式に参加することに。


「都弥紀様、これからも末永く、よろしくお願いします」

「ああ。俺の方こそ、よろしく頼む」


 結局彼らは、四莵三の討伐とは関係無しに、縁組することを二柱で決めていたらしい。私たちが必死こいて戦っている間、都弥紀と苔乃花は栄白でデートに興じていたそうだ。


 全く、私たちがどれだけ大変な思いをしてきたと思ってるんだ…………。


「ふぉふぉ。蒼陽姫、荒ぶる神の討伐、大儀でありましたぞ」

「ありがとう。でも、そんなに喜べるものでもないよ」

「ん? それはどういう意味じゃ?」

「四莵三は、常世の国から来た神だった。そしてあの国には、私たちの知らない秘密がまだ残っている」


 ユキメから四莵三の過去を聞かされた時、私は今のカナビコと同じリアクションをした。


 天都の統治下に置かれ、そして天都の為に信仰を捧げていると思っていた国が、実は全く違うかもしれないという事を知ってしまったから。


 もしかしたら、あの時聞かされた常世の歴史も、真っ赤な嘘なのかもしれない。そう考えると、私の中で歪んだ不快感が、絶えず吐き気を誘い続けていた。


 私が今までやって来たことが、すべて裏目に出ているような気がしてならない。ヤヅノ蛇神から始まった私の物語が、全て計画されている物だとしたら?


「ソウ様、如何されましたか?」

「ごめん、ちょっと厠に行ってくる」


 私は一体、何に踊らされてるんだ。吾月か? それとも、この世界にか?


 何も分からない。もし、私がこの世界に転生してくることすら、誰かの計画の一部だとしたら…………。


「ぉえッ」


 …………まあいいさ。何が来ようと、私が全部解決してやる。私にはユキメがいるのだから。彼女さえいれば、私は頑張れる。


 中つ国の平定ももうすぐ終わる。それが終わった時は、私も成人になっているだろう。そうなれば、ユキメと結婚もできる。あと少し。後少しなんだ。――――頑張れ私。


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