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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
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声、孔、神霊

「ところで、信仰は集まったか?」


 果実のように真っ赤な日差しが、山間から零れるように差し込む山道にて、私はつい興味本位で、彼女にそんな付かぬ事を聞いた。


「うん!」


 さながらウサギのように、軽快に足を弾ませながらユウヤミは答える。


「そうか。よかったな」


 ユウヤミは完璧だ。これはお世辞でも何でもない。客観的に見て、ユウヤミの神霊はもはや神としての形を成しているのだ。それに比べ、私はやはり完璧には程遠い。


「そろそろ夜が来る。足を速めよう」

「そうだね」


 太陽の光が次第に弱くなり、山中は眼前も見えぬほどの暗闇を作り始める。恐らく妖も活発になり、危険が増してしまうだろう。あれだけ憎かった太陽も、今では少しだけ恋しく思えてしまう。


 そして走り始めて数刻した頃、あと数十分で神津杜にたどり着くと言うところで、山犬が威嚇するかのように吠え始めた。


「な、なんだろう」

「静かに。妖の気配がする」


 陽の出ているうちは妖も大した脅威にはならん。しかしこれだけの暗さだと、少々厄介かもしれない…………。


 ――――と、その時、突然私の神体に、まるで太刀で斬られたかのような刀痕が刻み込まれる。


「ヨツミっ」

「大丈夫だ!」


 痛みのない傷に、この鋭い切り口。こいつは風鎌かざかまだな。よりによって厄介な奴が出たもんだ。


夜鏡神よかがみ


 すぐそばに佇む大木に手を添え、私は神通力を使って傷を移す。そうすれば神体の傷は消え去り、代わりに龍の首のように太い巨木が、周りの木々を巻き込みながら倒れ込んだ。


「どこにいやがる」


 風鎌はある種の風神だ。妖ゆえに風の妖術は大した傷にはならんが、山犬とユウヤミには堪えるだろう。

 …………だから何だ? まさかこいつらを守ろうとしているのか、私は。


「来るッ!」


 ユウヤミの言葉に気が付けば、目の前にはこちらに向かって飛来してくる風鎌の姿。イタチの様な長細い胴体に、両手には三尺ばかりの長さはある長刀。


「任せろ」


 そう言って、私が奴の邁進を食い止めようとした時だった。


 “ヨツミ、ここで死ぬか、まだ生きたいか、選びなさい”


 頭の中で反響する女の声。今度ははっきりと聞こえる。しかし私はこの声に聞き覚えがある。どこだ。どこでこの声を聞いた?

 

 “時間がありません。お早く”


「まだ……生きたい」


 凄まじい速度で向かってくる風鎌と、この正体も分からぬ謎の声に焦らされ、私は咄嗟に返答をしてしまった。…………すると。


「――――身体がッ」


 まるで、石になってしまったかのように、私の神体からだは硬直してしまう。そして目と鼻の先には、今にも太刀を振り下ろさんとする風鎌の姿。このままでは不味いッ。


「クソっ、ユウヤミ、ここから離れろ!」


 何を言ってるんだ私はッ。自分が死ぬかもしれないって時に!

 死にたくない。死にたくない。死にたくないッ!


 …………いやでも、これから先を生きてなんになる。飼いならされた畜生の如し毎日に、私はなぜしがみ付こうとしている。誰からも求められず、かといって誰かを必要としているわけでもない。そんな無様な生き恥を晒すくらいなら、いっそここで死んだ方が楽になれるだろ。


「ヨツミッ!」


 蝋で固められたかのように動けずにいると、そんな声が左方から私の耳に入り込んで来た。そしてあろうことか、その声は遠ざかることもしなければ、その場に留まる事もしない。

 ……馬鹿な奴。さっさと逃げればいい物を。

 ユウヤミ。お前は完璧だよ。私が理解できない物を全部知っている。信仰の集め方も、与え方も、求める方法も全部。そしてお前は、私に空いた孔の埋め方も知っている。

 私はそれが知りたかった。この暗い孔が何を欲していたのかを。


「来るんじゃないッ、逃げろユウヤミ!」


 風鎌の凶刃が、いま私の神体を切り裂こうとしている。

 ああ。つまらん神生だった。


「――――嫌だッッ!」


 その声と同時に、私を包み込む暖かい感触。そして感じる、秋の寒空さえも打ち消してしまう程の温もり。

 それが起きたのは、全てを諦め、私が目を閉じた瞬間だった。


「何してんだ、馬鹿者!」

「…………ぅぐッ」


 ユウヤミは私を押し倒すと、まるで庇うかのように風鎌の太刀をその背に受けたのだ。

 そしてその刹那、私の孔は確かに埋まった。


 ――そうか、今分かった。私に足りない物が。その正体不明の衝動が一体何のか。


「私に、愛をしているのか?」


 確かそんな言葉だった気がする。いつぞや赴いた村で、男女が言い合っていた言葉。意味は知らないが、しかし私は確かに感じている。


「おい。しっかりしろ!」


 風鎌に何度も切りつけられ、ユウヤミは既に私の上で虫の息となっている。――もしかして、死ぬのか? ユウヤミが?


「おいッ、おいッ!」


 そして妖が、ユウヤミごと私を貫こうと、その鉾先を突きつけてきた時。ずっと吠え続けていた山犬が風鎌の腕に食らいついた。


「よせ、やめろッ、お前まで死んでしまうぞッ」


 くそくそくそ! 動け身体ッ。動け、動け、動け、動け動け動けッ!


 “死にたくなければ、私に神体を捧げなさい”


 再び頭の中に聞こえる女の声。しかしこいつの声に反応したせいで、私の身体は動かなくなった。つまりこいつは、私の敵であることに違いはない。


「やるもんかッ、私の中から出て行けッ!」

“私に忠誠を誓いなさい。そうすれば、あなたは完璧な神となる”


「そんなものに興味は無いんだよッ」

“たった一度だけ、私に誓えばいいのです。そうすれば、その女神も、狼も救えるでしょう”


「うるさい、うるさい、うるさいッ!」

“ひひ。強情ですのね”


 ここで頭の中にうたが響いて来る。そしてその詩を聞くと、私の神霊がどんどん遠のいていくのが分かる。頭の中の声が、私の神体を乗っ取ろうとしているのだ。


 感覚で分かる。今ここで神体を渡してしまえば、私は一生こいつの家畜だ。そんなのは絶対に嫌だッ。


“色ハ匂エド”

「クソッ、黙れ!」


 しかしその詩は、遂に私の頭を支配し、あまつさえこの口からも這い出ようとしてくる。


「“散リ……ヌル……ヲ”」

「やめろッ、やめろッ!」

「“我ガ……世誰ゾ、ツ、常ナラ、ム"」

「やめてくれッ」

「“有為ノ奥山、今日超エテ"」

「…………い、嫌だ」


 そして私の神霊が、別の何かに押し出されそうになった時、今にも消えそうな儚い声が囁いて来た。


「…………ヨツミ、だ、だいじょう…………ぶ?」


 声によって広がりかけていた孔が、そのユウヤミの声によって浸食の足を遅らせる。ユウヤミの声が、私の神霊を繋ぎ止めようとしてくれてるのだ。


「“ア、アア浅き…………”」


「ユウヤミッ、私に、私にッ」


「“夢見ジ…………酔イモセズ"」


「私に、愛をしてくれ」


 その言葉を口にした瞬間、なぜか神霊が熱くなり始めた。これまで感じたことも無い熱さだ。それに加え、動悸も一層激しい物と化す。


「…………ふふ。……何言ってるの…………私はずっと」


 消えそうな神霊。消えそうな声。消えそうな温もり。消えそうな存在。今ではその全てが愛おしい。


「貴女の事を…………愛してた」


 ――――ああ、暖かい。


 このとき初めて私は、言葉が温もりを持っていることを知った。それは紛うことなき、私の孔を埋めてくれる尊い温もり。

 それに、今もまだ妖と戦っている山犬からも、それを感じることは出来た。

 あの時、アイツからも私は暖かみを感じたのだ。

 そうか。愛とは、言葉だけの物ではないのか。

 だとしたら、その全ては全部私の物だ。ユウヤミの愛も。山犬の愛も全部、全部わたしの物だ。誰にも渡しはせぬ。誰にも奪わせはせぬ!


 誰にも、誰にもだッ。


「夜鏡神!」


 私は神通力を使い、ユウヤミの傷を半分だけ受け取った。他者から受け取った傷は、決して移すことが出来ないからだ。だがしかし、ユウヤミを無事に連れ帰るだけの余力はある。


「まだ死ぬな。ユウヤミ」


 そう囁いて、気を失っているユウヤミをそっと寝かせると、私はふらつく足に力を入れて立ち上がる。

 …………ふふ、全く。笑ってしまうほど情けないな。


 そして私は、ここまで風鎌を留めておいてくれた山犬の傍に立つ。


「山犬よ。よくぞ私を守ってくれた」


 全身に刀傷を受け、既に満身創痍の山犬。

 しかし彼は、そんな身体になりながらも、私とユウヤミを守ろうと戦ってくれていたのだ。それは愛以外の何物でもない。

 彼は私の貸しを、もう十分すぎるほど大きくして返してくれたのだ。しかし借りを作るのは嫌いな性分。だから今度は、私が返す番だ。


「お主は下がってろ」


 それでも彼は引き下がらない。それどころか、依然として牙を剥きながら、妖に向かって唸り続ける始末。


「ふふっ、そうか。やはりお主は、ユウヤミに似ている」


 などと言って余裕を見せるが、ふと気づけば、私たちの周りには夥しい数の物の怪が、まるで死肉に群がる蛆のように蠢いていた。


「ほう。私の物を食おうとしておるのか?」


 岩のように大きな顔の妖や、まるで風に靡く旗の様な妖。他にも屍の様な姿をした奴や、ごきかぶりの様に群れを成す小鬼など、その種類を数えていたらキリがない程だ。


「はっはっはッ。面白い。うぬらに程度というものを、教えてやる」


 ――――そうして私と山犬は、その場にいる妖どもの全てを、まさに蛙を食らう蛇の如し勢いで、次々と殺していった。

 

 風鎌の太刀の様な腕を千切り。巨木の様に大きな妖を両断し。まるで岩の様に転がる妖の、その醜い顔面を引き裂き。ユウヤミを狙う小鬼どもの一切を薙ぎ払った。


 傷を受ければ神通力で返し、私を喰らおうと迫って来れば逆に喰らい。内臓を引きずり出し、頭を粉砕し、四肢を捥ぎ取り。私はまるで、血に飢えた獣の様に殺しまくった。


 そしてそんな私たちの頭上からは、死んだ妖どもの遺灰だけが、さながら雪の様にしょうしょうと降り積もる。


「秋雪だな」


 気付けば妖は、私たちの視界から姿を消していた。

 あれだけ意気揚々と欲望を剥きだしにしていたと言うのに、敵わぬと分かれば直ぐに逃げ去る。妖とは分かりやすくていい。腹が減れば食らい、暇があれば殺し、女がいれば犯す。

 私は、そんな妖どもの生き方に、どこか憧れているのかもしれないな…………。


「ユウヤミ、聞こえるか?」


 戦いも終わり、私が彼女に声を掛けると、ユウヤミはまるで眠っているかのような表情のまま、寝言を呟くように声を漏らす。


「ヨツミ…………怪我は、ない?」

「馬鹿者、私の心配をしている場合か」


 私が傷を半分受け取ったことが幸いしてか、彼女の顔色はそこまで酷くないようにも見える。しかしユウヤミは血を流しすぎた。早く家に帰って治療しなければ。


「起こすぞ」

「…………うん」


 なるべく彼女が苦しまないように、私は優しく抱き上げる。

 すると、私の両手が塞がったことで、危惧の念を抱いたのか、山犬がまるで斥候の様に先陣を切り始めたのだ。


「利口なやつ」


 妖から受けた傷は全て流したものの、私の神体にはユウヤミから受け取った傷がまだ残っている。故に、あまり悠長なことはしていられない。

 

 だから私は、妖を警戒する山犬の反応を窺いながら、なるべく足早に神津杜まで急いだのだった。


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