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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
166/202

今は昔

遅くなりました…………。

ここからはヨツミの一人称で始まります。とは言っても少しだけですが( 一一)


「ヨツミ。ここの暮らしはもう慣れたかしら?」


 神院と呼ばれる組織が設立した、神津杜かんのもりと呼ばれる屋敷で暮らし始めて、はや数十年が経過したころ。私が朝餉を食べていると、マキノがそう問うてくる。


 皿に盛られた種々雑多な山菜。それ以外は米と味噌汁のみの質素な朝食。この神津杜では、食事は朝夕の二回のみ。しかもその全てが、今朝の食卓と全く変わらない。いい加減うんざりしてきた。


 だから私は、蔦のような不味い山菜を頬張りながら、その鬱陶しい質問にただ一回だけ頷いて見せた。


「そう。よかったわ」

「ところでお母様。今日はどの村まで信仰を集めに行けば良いのですか?」


 私とマキノ以外にも、この屋敷にはもう一柱の女神がいる。


「今日は宇野師うのし村まで行ってきてもらうわ」

「宇野師村ですね!」


 この女神はユウヤミと言って、私より後にこの神津杜に入ってきた矮小な神だ。背丈も私の胸元ほどしかない。そして彼女はマキノを慕っており、そんな彼女の事をいつからか母と呼ぶ様になった。


「宇野師村って、山の向こう側だろっ。そんな遠くまで行かないといけないのかッ?」


 神津杜に来てからというもの、私たち二柱は毎日毎日、信仰を集めるために何里も歩かされる。まるで、首輪をつけられた犬畜生の様に。


「ヨツミっ。お母様にそんな言葉遣いは駄目だよ」

「ユウヤミの言う通りよ。完璧で美しい神を目指すのなら、意識を改めなさい」


 完璧な神。それがマキノの口癖だ。しかしそんな物に興味はないし、心底どうでもいいとさえ思っている。


「……はいはい」


 そうして彼女らに責められた私は、小さく舌打ちをして、元より不味いが、しかし一層不味くなってしまった食事の続きを始めたのだった。


「それじゃあ、行ってらっしゃい」


 ――――朝餉を済ませると、マキノは早く行けと言わんばりの口調でそう言ってくる。だがこれも毎度の事なので、私はすっかり慣れてしまっていた。


「行ってまいりますっ」


 ユウヤミはまるで子供の獣神のように、大手を振って玄関を出る。恐らく生まれたばかりでまだ未熟なのだろう。だが、そんな幼気な彼女を見ると、胸の奥がなんだかムズムズする。

 最初こそは、この例えようのない衝動も直ぐに収まったのだが、しかし最近はどんどん酷くなる一方。一体この気持ちが何なのか、私は未だに分からない。


「ヨツミっ、今日はいい天気だね」

「…………ああ」


 山に入ってから数刻したころ、私の少し前を歩くユウヤミは、変わらずの活力のままで空を見上げてそう言った。

 だからそんな言葉に釣られて、私も空を見上げてみるが、しかし生まれるのは彼女の様な感情ではなく、ただただ腹の奥底に積もる強い劣等感だけ。

 どこまでも澄んだ秋の青空。そしてその中心で輝く太陽。それらはまるで、私が持っていない物を、自慢げに見せつけているようにも見えた。


「ねえねえ、ヨツミはさ、完璧な神様になったら何をしたい?」


 ユウヤミは突然振り返ると、背を前に向けて歩きながら、私にそんなことを聞いて来る。


 だが私は、その質問の答えを知らない。なぜなら私は、マキノやユウヤミの言う完璧な神というやつには、到底なれそうにないからだ。――ただ今は、この心にぽっかりと空いた孔を、一体どうすれば塞ぐことが出来るのか。そんな考えだけが。……それだけが、私の頭の中で蠢き、脳を食らっている。


「お前は、何をするんだ?」

「ちょっとぉ、私が聞いてるんだよ」

「いいから教えろよ」


 さながら栗鼠のように頬をふくらませるユウヤミに、私はそう冷たく言い放つが。それなのに彼女は、一切嫌な顔せず答えてくれる。何でそんな顔ができるのか、不思議で仕様がない。


「神様になったら私はね、助けを求めている人々を救ってあげたいんだ」


 反吐が出そうなほどの綺麗ごとを、何の躊躇いもなく口に出すユウヤミ。

 この頭上に蔓延する青空や、私を嘲笑うかのような太陽と同じく。こいつは、私には無い物を持っている。それを奪えるものなら奪ってやりたいが、しかし私はその方法を知らない。


「じゃあ今度はヨツミの番ね」

「私にはない」

「えーっ。絶対あるはずだよ!」

「しつこいぞ」


 などと、そんな軸も持たない会話を続けながら歩いていると、私たちは遂に、目的の宇野師うのし村にたどり着いた。


「はぁぁっ、着いたぁ!」


 “信仰を集めよ”などと言われて、度々行かされるこの村は、肥えた土地と豊富な水で溢れている恵まれた村だ。故にその規模も大きく、盗賊や妖などの襲撃もそうそうないらしい。

 そして、その環境のお陰もあってか、往来する村人たちは皆、悠々とした表情でせいを励んでいるのだ。


「よしっ、それじゃあ今日も頑張ろうね!」


 そうして村に着くや否や、ユウヤミは息荒げにそう言って、さっさと私の前から消えてしまう。

 ――神津杜かんのもりからここまで半日以上は歩いたと言うのに、元気なものだ。

 などと思い耽ながら、私はどこか休めそうな場所を探す。


「あそこだな」


 村の外れにぽつりと佇む一本の楓。正面には村の田畑が広がり、後方には葉が落ち切ってしまった森林。人気の少ない場所を探していた私には、まさに絶好の場所だ。

 だから私は、稲刈りを終えた茶色い田んぼのあぜ道を、思うがままの足取りで進みながら、その楓を目指す。


「一体、何がいいんだか」


 そして木の根元に腰を下ろし、楽しそうに村の辻を歩く人や、せっせと汗を流しながら、刈り取った稲を天日干しにする人たちを眺める。一体何が楽しくてそんな事をやっているのかは分からないが、そんな村人たちを目に入れていると、自ずと虫唾が走るのだ。


「子供、親、恋人、夫婦」


 私には、これらの言葉の意味が分からない。一体なんの利益があって、奴らは他人と生活をしているのだろう。アイツらは私と違って、青空の様な暮らしをしているのに、何でわざわざ自分に縛りを課すような真似をするのだろう…………。


「あー。くそ」


 …………来た。またこの感覚だ。孔が疼くかのようなこの感じ。まるで芋虫が心臓を這っているかのような、このムズムズとした衝動。この切なさを晴らすことが出来れば、私の孔は埋まるのだろうか?


 ――――ガサッ。


 と、背後の森林から物音が聞えてきた。

 その音の正体を確かめるべく、腰を据えたまま振り向くと、そこには私に向かって牙を剥く、灰色の山犬が一匹。


「畜生か?」


 いや、いつまでも唸っている様を見るに、人に飼われている様子はない。


「去ね。さもなくば殺すぞ」


 しかし山犬は、逃げる素振りを見せるどころか、依然として牙を見せながら、ゆっくりと私に迫ってくる。まあ相手は獣。神語が通づるはずもない。


「そうか。ならば死ね」


 そう言って私は、念動力で山犬を絞め殺そうと、掌を向ける。

 生き物を殺したことはないが、かと言って殺すことに躊躇いがあるわけでもない。そもそも私には、命だとかはわからないのだ。


 ――――などと、そんなことを思いながら、私が念動力を発動させようとした瞬間だった。なんと山犬は、突然牙を収めたかと思うと、おもむろに私の手を舐りはじめた。


「な、なんだお前」


 まるでナメクジが這い回っているかの様な触感。ただただ気持ち悪い。

 だから私は、すぐさまこの手を引っ込めた。しかし誰に対しても愛想を振りまくこの感じ、どこかユウヤミと似ている。


「……その足」


 そして私は、どこかぎこちない山犬の歩き方を見て、自然と視線が山犬の足元へと移った。

 よく見ると、山犬は右後ろ足に怪我を負っており、灰色の毛並みには黒ずんだ血がこびり付いていたのだ。


「丁度いい。私の昼餉になれ」


 このまま妖や他の獣に食われるくらいなら、いっそ私が食おう。

 そうして再び山犬の頭に手をかざすと、山犬は甲高い声を出しながら尾を振り始める。今から食われると言うのに、呑気なものだ。


「…………いや、こいつを殺すと仲間が来るか?」


 山犬は確か群れを成して行動しているはずだ。――そう思った私は、首を左右に振って辺りを警戒するのだが、それでもコイツの仲間らしき山犬は見当たらない。……どうやらこいつは一匹狼の様だ。

 産まれた時から一匹なのか、それとも他の山犬に見捨てられたか。まあどちらにせよ、まだ腹は減っておらぬ。

 

 私は肺に溜まった空気を抜き、視線を再び村の方へと向ける。

 腹が減ったら殺そう。だが、逃げられたら逃げられたで構わん。


 ――――そして、一体どれだけの時が流れただろうか、気付けば日は西へと傾いていた。しかし隣にはまだ、あの山犬が居座っており、かいがいしく足の傷を舐めている。


「痛むのか?」


 私がそう声をかけると、まるで言葉が通じているかのように、山犬は情けない声で鳴く。

 だから私は、そんな山犬の足に手をかざして、その傷を治してやることにした。食う前に腐られたんじゃ、適わないからな。


夜鏡神よかがみ


 私の神通力は、この身に受けた傷を他に移すことが出来る。それが生き物であれ、そうでなかれ関係無しに。しかし不便な事に、相手から受け取った傷は、最早どこにも移すことが出来なくなるという欠点がある。


「…………っ」


 山犬の傷が癒えると同時に、私の右足に痛みが走る。私の神体からすれば、こんなのはかすり傷だ。しかしこの私が、まさか獣如きの傷を受け取る事になるとはな…………。


「貸が一つだ。その身をもって償えよ」


 私がそう言って頭を撫でてやると、まるで元気を取り戻した山犬が、何の冗談か今度は私の頬を舐め始める。


「おいよせっ」


 しかしこの時なぜか、今までどうしようもなかった私の孔が、少しだけ埋まったような感覚を覚えた。そして同時に、その孔を塞がせまいと湧き出る声。

 その声の正体は終ぞ分からないが、まるで私が私ではないような感覚に陥る。


「――――ああっ、こんな所にいた!」


 その明るい声にふと気が付けば、大きく手を振りながら、小走りでこちらに駆け寄ってくる一つの影が見えた。


「ヨツミっ、もうすっごい探したんだからね!」

「す、すまん」


…………すまんだと? 何なんだ、何で私は、ユウヤミなんかに謝った。


「いいよ。じゃあ帰ろっか」


 初めて口にする言葉に、私はつい動揺してしまった。

 しかしユウヤミはそんな私に構わず、その顔に満面の笑みを作ると、蛇の如し速さで私の手を取って、引っ張るように私を立ち上がらせる。


「ねえねえっ、それより何このワンちゃんっ。可愛いぃ!」


 そして最初こそはユウヤミに威嚇をしていた山犬も、ついに彼女を敵だと認識しなかったのか、今では良い様に撫でまわされている。

 そんな光景を目の当たりにすると、まるで胸が満たされるかのような充足感と、それを拒絶するかのような薄気味悪い声に再び襲われる。


 そして私が、私でなくなってしまうような感覚。全く持って分からない。


 ――――だが私は、その初めて味わう正体不明の感情と、頭の中で蠢く謎の声を、もはや特に気にも留めずに、なぜか付いて来る山犬と、嬉しそうに笑うユウヤミと共に帰路についたのだった。

 


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