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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
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私は闇の中で産まれた

 自らの意思を介入させる暇もなく、ソウから引き離されたユキメは今、湯栗の村から更に遠く離れた漁村に、その身を捕らわれていた。


 その漁村、妖以外に人の気配は無く、かつては栄えていたのだろう漁港も、今では沈みかけた船が何隻が停船しているだけである。


「っく」


 そんな病に侵されたかのように朽ち果てた村の一角、他の建物に比べれば、比較的建物としての体裁を保っている一棟の廃屋に、彼女は隻腕を柱に括りつけられ、さらに猿ぐつわを施された状態で監禁されていた。


(何とかして、この状況を打開せねば)


 口を塞がれているため祝詞も奏上できず、おまけに彼女を拘束しているワラ縄も、努力次第で切れそうなほど柔な物でもない。


(龍脚)


 そこで彼女は足を龍に還すと、臀部を浮かせるようにして爪先を手元にまで持ってゆく。


(後少し)


 そして足の爪は縄に達し、持ち前の柔軟性を活かした脱出方法は、成功したかのようにも見られた。…………しかし。


「何をしているのだ?」


 目の前に現れたサンモトの、その甚大な神霊にあてられたユキメは、圧倒的な力の差を前にして、全身の筋肉を委縮させてしまう。


「ふふふ。活きのいい龍だな」

「おあえおえあいはあんだ?」

「待て待て、縄を解いてやる」


 そうしてサンモトがユキメの猿ぐつわを外すと、ユキメは静かにその口を開く。


「お前の狙いは何だ」

「ふふ。同じことを、あの小娘からも聞かれたよ」

「ソウ様は無事なのかッ?」

「そう怒鳴るな。指一本すら触れちゃいない。いや、触れることも出来んかっただろうな」


 サンモトもまた、ソウの神霊には強い警戒心を抱いていた。今まで幾度となく自分を照らしていた太陽が、まるで自分だけを嫌っているかのような絶望感に、少なからずサンモトも恐怖していたのだ。


「それに誓いもある、もし私がお前に触れでもしたら、私の神霊は黄泉へと堕ちるだろう」

「そこまでして、一体何がしたいのだ」

「孔さ」


 サンモトは人差し指でなぞるように、胸の間にゆっくりと指を走らせる。


「ここがな、疼くんだよ。どうしようもなく、乾くのだ」

「何か、病を持っておるのか?」

「うふふふ。あの小娘がお前を好いておる訳が、少しだけだが分かったような気がする」


 そう言って彼女は、ユキメの肌には決して触れぬように、あたかも頬を撫でるようなしぐさを、ユキメにして見せる。


「あの時、ユウヤミを生かしていれば、私もお前らのようになれていたのかもしれない」

「そのユウヤミとやらは、今はおらぬのか」

「ああ。死んだよ。いや、私が殺したと言ってもいい」


 言葉だけを取れば、サンモトが悲壮に満ちているようにも捉えられるが、しかし彼女の声音には、一切の感情が籠っていない。ただただ人形に語り掛けるかのように、サンモトは言葉の一つ一つを、静かに零していく。


「ユウヤミ、お前は今、黄泉の国におるのか?」

「何を申しておる」

「死すれば私も、再びお前に会えるのだろうか」


 彼女はまるで、目の前にいるユキメを誰かの影と重ねている様だった。それはユキメが死んだとき、蒼陽が墓の前で言葉を呟いていたのと同じ。既にこの世にはいない誰かを、確かに慈しんでいた。


「だがもしかしたら、もうすぐ会えるかもしれないぞ」

「其方、死ぬ気か?」

「アレに敵うはずがないだろう」

「ソウ様は其方を殺しはしない。きっと、其方の幸せを願ってくれる」

「ふっふふふふ。少しばかり、私の話をしてやろう。小娘が来るまで時間もあることだしな」


 そうしてサンモトは帯から刀を抜くと、それを傍に置いて胡坐をかく。一見すればくつろいでいるようにも見えるが、しかしユキメは依然として、彼女の間合いの中にいる。


「誰にも話したことの無い、私とユウヤミ達の過去だ」


※※※※※※※


  

 私は地下で産まれた。

 暗くて、湿っていて、それでいて、悪臭で満ちた閉鎖的な空間。

 そんな闇の中で、私は化生した。


「産まれたぞ」

「ああ。また女神だ」


 最初に聞こえたのはその声だった。年老いた二人の男のしゃがれた声。


「背の長さは六尺八寸。体量はおおよそ一俵だ。書き留めたか?」

「うむ。確と」


 まるで人形を弄ぶかのように、白装束の二人は私の神体を隅々まで調べ上げた。それが私の、初めての屈辱。

 そして、頭に鬼のような角を生やした男たちは、まだ起き上がることもままならない私にこう言った。


「お前の名は四莵三ヨツミ。お前はこれから、絶佳なる神にならねばならぬ」


 ヨツミ。それが私の名前。じめじめとした部屋にて化生した私に、まさにお誂え向きの名前だ。


「しからば、上へ連れて行こう」

「うむ。そうだな」


 そうして私は二人の男に連れられ、その部屋を後にしたのだが、今でもあの禍禍しさは忘れられない。部屋の奥から漂っていた、歪な何かの存在を。


「足元に気を付けよ」


 そんな男の注意を聞きながら、石を削ったかのような階段を上がると、そこには洞窟のような、一本の長い道がある。そしてその奥にある門を開くと、地下とはまるで比べ物にならない景色が広がっていた。


 まるで私の神体を浄化してくれるかのような澄んだ空気に、どこまでも広がっていそうな壮大な自然。

 空には、黄金色の満月が浮いており、遠くからは獣の遠吠えらしきものも聞こえた。


「ここからしばらく歩くぞ」


 それから私は、二人の老人と共に山を下った。

 鬱蒼とした森に囲われた長い階段を、おぼつかない足取りで一段一段下ったことは今でも覚えている。しかし所々に魔除けの灯篭も建てられており、そこまで暗い道ではなかった。


「しかし、ヨツミはどこに送るのだ?」

「そうだな。栄零様に聞いてみぬ事には分からぬが、恐らく葦原の西側、長門の国辺りに送られるだろう」

「長門じゃと? あそこには既に送ったはずぞ」

「いや、あの者らは大和へと移ったそうだ」


 その時の会話は、今の私でさえ到底理解できるものではなかった。

 ただ一つ分かっているのは、化生した神々を遥か中つ国へと送って、信仰を集めさせることが、彼らの目的だという事だけ。出来る事なら、あそこへは二度と行きたくはない。


 ――――そうして山道を抜けると、そこにはたくさんの建物が並んでいた。どれも上等そうな木造の建築物で、各所に高い塔が佇んでいる、不思議な町。

 私はそこで食べ物を貰い、そして蝶々のような色をした、可憐な着物に着替えさせられたのだ。あの時の私は、きっと喜んでいたに違いない。


「ヨツミ、と申しましたか。貴女はこれから、我ら御君の為に信仰を捧げねばなりません」


 町で一番の大きさを誇る建物。その社のように甚大な建物の大広間で、私は一柱の女神にそう言われた。


「我らが一つとなれば、我が君の代は悠久の栄華を極める事でしょう」


 余多もの獣神や神に囲われた美しい女神。その中で私は膝を着かされ、半ば無理やりな形で頭を下げさせられた。そしてそれが、私の二度目の屈辱。

 いくら腹を満たそうとも、いくら高貴な衣服を与えられようとも、まるで満ちることの無い月のように、私の心が満たされることはなかったのだ。


「しからば、この者は長門へ降らせよ」

「心得ました」


 それから私は、化生してまだ数刻も経っておらぬと言うのに、家畜のように船に乗せられて中つ国へと送られた。もはや私の意志が介入する余地など、毛先ほども残さずに。


 そして船に乗ってから、一体どれだけの歳月が過ぎたのかは覚えていない。ただ、尋常ではないくらいの時間が過ぎたことだけは確かだった。


「長き船旅、ご苦労であったぞ」


 船が到着すると、一人の男が私にそう言ってきた。その言葉に目を覚まし、船室から出て甲板から外を見れば、目の前には小さな村が佇んでいた。

 

 照りつける太陽が鬱陶しい港。そこは大海に面する小さな漁村だが、しかし停船している船は少なく、村自体もまるで病に侵されたかのような廃退っぷりだった。


「よくぞ参られました。ささ、旅の疲れは牛車の中で」


 私が船を降りると、桟橋には巻き角を生やした一人の老婆。名をマキノと言うのだが、私はまだ、彼女がどんな獣神なのか分かりかねている。


「それでは我らは、ここで失礼仕る」

「はあい。ご苦労様」


 さながら梅干しの様な顔を綻ばせてマキノがそう言うと、私をここまで連れてきた男たちは、会釈だけだを返して再び乗船した。


「さあてと。それじゃあ、私たちの家に帰りましょう」


 海上を奔る船を見送った後、マキノは私を見上げながらそう言った。しかしその笑みも、どうせ表面上だけの薄っぺらい感情だろう。

 そして、私より小さくて弱そうな老婆の、そんな意図を汲みかねる表情が、私の中の何かを、轟轟と燃やし始めたの感じた…………。

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