歪な神霊は、彼らの神霊を脅かす
湯栗から遠く離れた村、宇野師村。そこでは今、二柱の神がサンモトの残した僅かな神霊を探るため、燃え尽きた家々の間を歩いている。
「なんもねえなあ」
「だなッ。サンモトとやらは余ほど、神霊を抑えるのが得意と見えるッ!」
陽が西に傾き、赤とも橙色とも捉えられる光を放つ中、オクダカとサカマキはその神経を集中させていた。
「シンより上手いんじゃないか、これ?」
「だとすれば、相当厄介だぞ!」
「ああ、神霊を感知できないんじゃ、目で探すしかねえもんな」
「ヤヅノ蛇神の時と同じだなッ!」
「アイツはもう、死にかけてたからな」
サカマキは炭と化した木材を持ち上げ、それを背中で支えると、中で倒れている焼死体を引っ張り出す。
「こりゃあ、どんだけ墓掘っても足りねえぞ」
「だがやるしかないぞ! この辺りは怨念に満ちている! いつ妖が産まれても可笑しくない!」
「ああ。分かってるって」
成仏できなかった御霊から、妖怪や不浄な神が産まれる事を彼らは危惧していたが、しかしその心配は、直ぐに現実となる。
「サカマキ、感じるか?」
「うむッ、間に合わなんだ!」
太陽が山に隠れたことで日は陰り、そして反対側の空からは、どこまでも暗い闇が空を侵食し始めていた。もちろん彼らは、その時間がどれだけ危険なものかを知っている。
「雲は出しておくが、落雷はなにぶん力を使う、あまり頼りにはするなよ」
「相分かったッ!」
冬季での雷は、条件がそろって初めて完成する。しかし雷神であるオクダカにとって、それを作り出すことは息をするように当たり前の事。
そうして空には雲が重なり、その膨大なエネルギーを中に押しとどめる。
「さあて、久々の戦だ。気を抜くなよサカマキ」
「お主もなッ!」
二柱が声を掛け合うと同時に、焼けた建物や、処理しきれなかった死体から、骸の姿をした何かが起き上がる。それも一つや二つだけではなく、想いの数だけ、その御霊は形を成していく。
「亡髑髏か。数は多いが、大したことはねえな」
「お前は力を温存しろ! 私がやる!」
「確かにこういう時は、お前の神通力が一番かもな」
オクダカは腰の刀を抜くが、それでもそれを構える事はせず、ただ口元を歪めてサカマキノ動向を見守り。対するサカマキは手を合わせ、何かを祈るようにブツブツと言葉を並べ始めた。そして。
「木・八百咲!」
サカマキの気合の入った声と共に、真っ白な骸骨の妖達が、一瞬にしてその首を刈り獲られる。
「塵も積もれば何とやらってやつだな」
「すまぬ、助かったぞ!」
八百万の神。それは天界から下界のあまねく神々の総称。しかし中には神霊が弱く、神体を持つことが出来ない神も存在する。そしてそれらの矮小な神々は、空気や土、果ては水滴や草などを依代としている。
そして、天咲万木命の神通力は、その神々の力を借りる事であった。
どれだけ小さくとも、それらが集まり神霊を合わせれば、攻撃や治癒までの一切を行える万能神へと昇華する。例え姿が見えなくとも、神々は常に見ているのだ。
「相変わらず怖えーなあ」
「気を抜くなッ。違う気配を感じる!」
「デカいか?」
「ああッ」
亡髑髏の遺灰が空間を漂い、ただ静寂だけが木霊するなか、オールマイティなサカマキだけは敵の気配を感じていた。
「上だッ!」
「――あぶねぇ!」
突如、上空から降って来た九本の刀。しかしそれは誰に当たることもなく、地面に突き刺さったまま振動している。
気迫に満ちたサカマキの声が、そのままオクダカの神霊を揺さぶり、直感的な退避をさせることに成功したのだ。
「あはは、外しちゃった」
円を描くように放たれた刀の中心に、一人の女。その腰からは九本の尻尾が生え、頭には大きな耳。その様を見るに、彼女が獣神でない事だけは明らか。
「まさか、天狐か?」
「お初にお目に掛かります。天津神」
天狐。それは神格化した王狐族の総称であり、そして尻尾の数が多いほど、その天狐は強いとされている。加えて九本の尾とは、天狐の中でも最高の神であることを示す。
「神使から神になったのに、妖に付くとは、大層なこったな」
「あはは。よう言われます」
「気を付けろオクダカッ! 囲まれてるぞ!」
「分かってるって」
そして気付けば、彼らの周りには百を超える妖が蠢いており、そのどれもが神に近い神霊を持つ者ばかりだった。
「随分と友達が多いんだな」
「みな天津神を食えると、息巻いとるんよ」
「神を食らうか、妖怪らしいな」
目の前には一柱の神。そして周りには神に近い妖怪ばかり。その事実は、静かにオクダカに汗を流させ。――そしてそれが地面落ちる瞬間、女が笑みのままに動き出した。
「剣呑舞」
女の周りを囲んでいた刀が、一斉にオクダカを目掛けて解き放たれる。その術は奇しくも、蒼陽が使う龍血と同じように見えた。
「電光石火!」
しかし彼も馬鹿正直にそれを受けることはせず、瞬時に瞬間移動を使って女の背後を取った。そしてそのまま、雷を纏わせた刀で反撃に出る。
「檑切り!」
「…………ほう。雷神か」
鋼と鋼がぶつかる甲高い音が響く。
オクダカは完璧な一太刀で確かに天狐を斬ったと確信していた。そして対する天狐も、自身の神体ごと神霊を斬られたものだと思い込んでいた。だが。
「マキ、気を付けろと言ったはずだぞ」
「あはは。悪いね」
オクダカの斬撃は、風のように現れた男によって防がれていた。
その男、背に四枚の黒い翼を生やし、その身長もオクダカと同じく2メートル超え。更にその手には、その神体に似つかわしくない大刀が握られている。
「四枚の羽。大天狗か?」
「バレてたか」
「あはは、だって隠す気あらへんやん」
「ふっはは。九尾の天狐に大天狗とは、随分な顔ぶれじゃねえか!」
笑いの絶えない楽しい戦場。しかし誰もが、その空気に心を落ち着かせることは出来ない。一瞬でも気を抜けば殺されると言う緊張感が、常に空間を支配しているからだ。
「いいね、いいねえ! 妖は腑抜けばかりだと思ってたぜッ」
「荒々しい奴。お主、本当に天津神か?」
「あはは。見れば分かるやろ」
「じゃあまあ、長話もなんだしよ。そろそろ…………」
ここで大天狗と天狐の足元が、まるでスッポトライトに照らせているかのように光り出す。
「幕開けと行こうや」
ドカンッ。と、彼らの足元から上空の雲に向かって、二本の雷が打ち上げられた。
「あははッ、一本焼けちゃった!」
「馬鹿! 何してんだ!」
風の神通力を使う大天狗は、その身を風に変えて、更に天狐をも風にし、間一髪のところで雷を避けていた。しかしそれでも一歩遅かったのか、天狐の尻尾は一本焼け落ちてしまったが。
「丁度いい。打倒カナビコのために考えた術を、お前らで試させてもらうぞ」
オクダカは空に渦巻く雷雲に手をかざすと、くす玉の緒を引くように手を振り下ろす。
「入道雲」
そして空から雲が落ち、地面は瞬く間に霧で包まれる。それはあたかも、雲が大地を食らったかのようにも見えた。
「なあ、早よ出な不味いんちゃう?」
「分かってる!」
彼女らの視界は灰色一色となり、更にさらに冷え切った空気が動きを鈍らせる。それでも妖達は神体を風に変えて出口を目指すが、もちろんオクダカはそれをさせない。
「界雷!」
そして刹那、霧の中は稲光で満たされ、それと同時に激しい電撃が、その中を縦横無尽に駆け回った。
「初めてにしては、まあまあ上出来か?」
「――――オクダカ! 何をしたッ!」
霧を払うように手を振り回しながら、サカマキが神霊を頼りにオクダカの元へと辿り着く。
「何だよ。お前には当たってない筈だろ?」
「そう言う事ではない! 私の獲物が皆消えてしまったぞ!」
「……あ、それはすまなかった」
雷神故に、彼は霧の中の様子が手に取るように分かる。だからサカマキに当てる事も無く、ピンポイントでの電撃で妖どもを撃滅していた。のだが、どうやらサカマキはそれが面白くなかったようだ。
「でもどうやら、仕留めそこなったようだぜ」
「ではカナビコには到底敵わんな!」
「うるせ!」
消えることの無い気配が、まだいくつか残っているようだ。それは当然彼らも把握している。
「やってくれたな天津神」
霧の奥から現れたのは、ボロボロの羽を縮こませた大天狗。さらにその焼け落ちた衣服の下からは、雷に打たれた際に現れる、稲妻のような紋様が赤く浮かび上がっている。
「思い上がるなよ妖怪。お前らがいくら神に近くとも、俺はその神々の上に立つ神だぞ」
「気を抜くなと言ったはずだぞオクダカ! 先ほどから感じる神霊は、こいつの者ではない!」
歯を零し、挑発するかのような言葉を続けるオクダカだが、サカマキだけはその異常な存在に気付いていた。
それは、今ではオクダカによって潰えてしまった、百を超えていた気配よりも、更に強大な物。
「何と言う事か。私の物をここまで奪いおって」
濃霧の中に透き通るような声が響く。そしてその声はゆっくりと近づいており、オクダカとサカマキを必然的に構えさせた。
「借りを作るのは嫌いな性分でな。しっかりと耳を揃えて返させてもらうぞ」
そして現れたるは、男物の着物に身を包んだ女神。腰には一振りの刀と、その手には筆のように長い煙管。
「どうやらお前が、妖どもの親玉みたいだな」
「…………気を付けろオクダカ」
いつもの大声が委縮するほどの神霊。その異常さと強大さは、彼らが一番よく理解していた。
「サンモト様。マキが、やられました」
「そうか。お前らの事は私が一番知っている。残念だったな」
「力及ばず、申し訳ありません」
「よい。お前はマキを供養してやれ」
「…………は」
そしてサンモトの言葉に大天狗は下がり、その姿を霧の中へと消して行った。当然オクダカにかかれば、それを雷撃で追うことも出来たが、しかしそれをさせないのはサンモトの佇まい。
「禍禍しい神霊だな、おい」
「…………こやつは一体」
サンモトの神霊は、まるで混ざり合った絵具のように歪んでいた。そしてその混沌の中でも、特に存在感を放っているのがサンモトの神霊だった。
「サカマキ、この辺りに神霊は残ってるか?」
「…………この霧の中にはおらぬ」
どこからどう攻撃を仕掛ければいいのか分からない二柱。相手の神通力も分からぬうちは、下手に手を出すのは危険だと理解しての警戒。
…………だがそれも、長くは続かない。




