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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
158/202

ユキメ


「精神世界?」


 ではない。見た目は全く一緒だが、どこか違う。と言うか、私は一度だけここに来たことがある。……アレは確か、初めて龍玉を貰った日の。


「おい!」


 そして目の前には知らない女性。その顔には小面のお面を付けており、背丈は私と全く同じ。というか、髪形も、声も、その毛先までの全てが、まるで私の様だった。


「お前なあッ!」


 何故か彼女はそうがなり立てながら私の方へと歩んでくる。そしてそのスピードは掛け算のように早くなると、遂には私の目の前にまで来てしまった。


 ――ぼかっ。


 そして何故か、彼女は私の左頬を殴り、更には胸倉を掴んで、柔道の技みたいに私を押し倒す。いやそれだけならまだよかった。


「お前ッ、マジでッ、このっクソッ」


 何度も何度も、彼女はその拳で左側の頬だけを殴り続ける。

 パーじゃなくてグーって、乙女に向かってなんだコイツ!


「いッ、いたッ、痛いって! やめろッ!」

「馬鹿がッ、クソムシがッ、このブスがッ!」


 だが私だってやられっぱなしは許さない。――そう意気込んだ私は、彼女が拳を振り上げた瞬間を見計らって、彼女の腹部に強烈な一発をお見舞いしてやった。


「ブスは余計だろうがッ、このブス!」


 何なんだコイツは! っていうかそもそも何で私はここにいるんだ!


「お前、私に向かってよくも!」

「何だよ、やんのか!」


 どうやら私の本気の一撃は、彼女にとってはかなりのダメージだったみたいだ。

 そして吹き飛ばされた女は、ゆっくりと立ち上がって、ガムを吐き捨てるように血を吐くと、驚くべき行動に出た。


「日・天照陽あまてらすひ

「…………は?」


 先ほどまで私と同じ背丈だった女は、その神体を天龍体へと還す。しかもあろうことか、そこから放たれる神霊は、私と全く同じ物。


「天羽羽矢ッ!」


 女の周りで生成を始める真っ赤な血矢。そのどれもが槍のように長く、その矢先は刀のように鋭利。そして彼女は、それを何の躊躇いも無く私に放つ。


「――嘘でしょ!?」


 咄嗟に私も脚を龍に還し、光の如し速度で迫る矢を、間一髪のところで避けた。

 

「なんなんだよお前!」

「ホラー映画とかでさあ、一番最初に死ぬ人っているじゃん? 結構陽気で、皆を和ませるようなムードメーカー」


 ホラー映画? ムードメーカー? なんでそんな言葉知ってるんだ? 

 いや、今はそれどころじゃないだろッ。


「何の話だ!」

「お前の話だよ」

 

 そう吐き捨てると同時に、女は左手で印を結ぶ。…………そして。


「發」


 その瞬間、私の遥か後方にて何かが光った。そして少し遅れて轟音と突風。多分さっきの血矢が爆発したんだ。

 ――いや、爆発なんて生易しい物じゃない! 


「ぐあッ!!」


 その大爆発は、僅かな秒数を置いて私の背を突き刺し、凄まじい速度で前方へと吹き飛ばす。そして、そんな私に追い打ちをかけるかのように、女が私を遥か上空へと蹴り上げた。


「――ッ!! クソ、クソ、クソ!」


 ちくしょう、龍椀で防いだのはいいが、何て威力してんだ、龍昇でのコントロールが全くできない!


「まだまだ私の怒りは、こんなものじゃ収まらないぞ!」


 今や私の下でゴマ粒くらいの姿になってしまった女が、確かにそう叫んだのが聞えた。

 どんな声帯してんだよ!


天 逆 鉾あめのさかほこ


 あ、死んだ。


 突き上げられる私の目の前で、いま大爆発が起きた。目も空けられない閃光、凄まじい爆音は私の鼓膜を引き裂き、その熱放射は私の肉体を骨まで溶かす。


「――――はッ!」


 そして気付けば、私は五体満足の状態で、未だに白紙の異空間にて漂っていた。


「気付いた?」


 私の斜め上方にてふわふわと浮遊する一柱の女神。その顔はお面に隠れているので、決して見ることは出来ないが、しかし私は薄々気付いている。彼女が、もう一人の私であることを。


「何者だ、お前」


 そう私が問うと、彼女は私の傍まで寄って来る。


「お前の中の怒りだ」

「…………はぁ?」

「ビンボンはいないけど、我慢してね」


 やっぱり間違いない。こいつは私だ。つまらん映画ネタまで出してきやがって。


「お前がユキメを悲しませたとき、こうやってお前を殴れるように仕組んでおいたんだ。一回限りだけどね」

「何それ」

「――でだッ、お前ユキメに何したんだよ!」


 宙に漂いながら、胡坐をかいて怒鳴る女。

 しかしどうやらコイツは、私がユキメを悲しませた事実だけに基づいて、私の顔面をタコ殴りにしていたらしい。いくら何でも滅茶苦茶だ。


「それは、その」

「はぁ。怒らないから、正直に話せ」


 深い溜め息。そしてどこかの先生みたいな言葉。その約束が守られたことは無いけれど、ここは包み隠さず喋った方がいい様だ。


「…………ユキメに、別れを告げた」

「え、なんで!?」

「私たちは女同士だから。それにユキメには、正しい道を歩んでほしくて」


 またしても深い溜め息が聞えてくる。それどころは女は小指で頭を掻きながら、その視線を明後日の方向へ向ける。


「いいか。そんなくだらない事で、ユキメを悲しませるな。お前だって、ユキメが好きなんだろ?」

「愛してる」

「はいはい。それなら、なおさらだ」

「でも、私は神様だから。ユキメを間違った方向へ行かせるなんてことは、出来ない」


 まるで叱られている子供のように、私が俯きながらそう言うと、彼女は今度、大きく息を吸って言葉を続ける。


「お前みたいな奴は、神様って言わないよ。ただの自己中ブスだ。大体お前は、人の幸せを願う神だろ」


 ムカつくけどその言葉は正しい。でもそれなら尚更だ。


「人の幸せを願うなら、ユキメの幸せを願うのも当然だろ」

「ばか。今時いないぞ。お前みたいな頭の固い神様は」

「なにそれ」

「神様ってのは気まぐれで、トレンドに流されるもんなんだよ。ファッションしかり、経済しかり、人が求めているからこそ、それを与える。それが神様」


 何だよコイツ。ついこの前まで人間だった癖に。分かった様に言いやがって。


「今、ついこの前まで人間だった奴が、何言ってんだ。そう思ったでしょ?」


 しまった、顔に出てたか?


「お前は私だから、何考えてるかなんて、おおよそ察しがつく」


 っけ。厄介な奴。


「それに今の私は龍王だし、名前も増えた。お前よりは立派に神様やってるんだよ」

「龍王!?」

「この世界、なんとなく懐かしい感じがするでしょ?」

「うん。玉迎ぎょくむかえの時、確か私はここに来た」

玉迎ぎょくげいな。まあどうせ忘れるから、無意味な訂正だけど」


 そうだ。玉迎え――もとい玉迎の儀式が終わった時、私の記憶はすっぽりと抜け落ちていた。その証拠に、私は今の今まで、この場所の事も忘れていたのだから。


「じゃあ、結局向こうに戻っても、忘れてたら意味ないじゃん」

「だから、これをあげる」


 そう言って女は、羽織の袂から一つの髪飾りを取り出すと、それを私に握らせた。だが私は、その小さな髪飾りに見覚えがあった。

 白い花を模した、控えめな装飾の髪飾り。これは、ユキメがずっと身に着けていた髪飾りだ。確か最後に見たのは、常世の国から帰るとき…………。


「まさか!」

「しー」


 まさか彼女が、ユキメを助けた、私を救った、恩人? じゃあ、今私の髪を留めている簪も、この人の――――。


「ところで、あの記憶法はまだやってるの?」


 ……などと、彼女は私の思考を遮るように話を切り出す。


「え? まあ、うん」

「なら良かった。それじゃあ、その簪は寝室に置いておくといい」


 寝室。それが現実世界の寝室ではないことくらい、私でも理解できた。

 記憶の宮殿。それは記憶したい事を、なじみ深い場所と結び付ける行為。頭の中でその場所へ行けば、自ずと物事を思い出せるという画期的な方法だ。

 私はその中でも特に、自分の寝室には大切なことを仕舞っておく事が多い。そしてそれを、彼女は理解していた。


「向こうに戻ったら、寝室に行って思い出せ。ここまで振り返ってきて、私は変わったんだと」


 ――――なんだそれ。

 

「でもいいの? これ、大切な物じゃ」


 私がそう言うと、彼女は大いに笑った。何とも楽しそうに。そしてひとしきり笑うと、彼女は楽し気な声のまま、私にこう言う。


「私はいいの」


 もしかしたらこの人は、私ではないのかもしれない。ましてや私の中の怒りなんかでも。だってものすごく、遠い存在に感じるのだから。


「ところでお前、愛が何か、知ってる?」

「…………求め、そして与えること?」


 私がそう答えると、彼女は三回ほど頷いた。果たして、その回数が何か意味を持っているのかは分かりかねるが、どうやら正解したようだ。


「うん。どうやら、ここに呼んだのは無駄ではなかったみたいだね」


 そう言って、彼女はひらひらと手を振りながら、くるりと振り返る。

 そして、私はそこで初めて、彼女の後姿を見た。それはとても大きく、誰よりも真っ直ぐ伸びていた。加えてその髪には、同じ髪飾りがきらりと光っている。


「あと、ありがとね。私は今、幸せだよ」

「…………え?」


 ――――彼女がそう言った瞬間、私の身体は浮力を失い、まるで床がすっぽりと抜け落ちたかのように、自由落下を開始した。


「あ、恰好つけてて言い忘れてたッ」


 しかし落ち始めて数秒したころ、彼女は踵を返すと、私を見下ろしながらそう叫んだ。


「天陽様には――――ッ!」


 だがその言葉を、私が最後まで聞くことは無かった。もちろん、それを記憶する時間も。

 でもやっぱり、アレは私だ。彼女のどこか抜けている様を見るに、それは私の中で確実なものとなった――――。。

 

※※※※※※


「…………ッ!」


 ふと我に返る。

 何故だか、私は今さっき、誰かと会っていたような気がする。


 そして視線を落とすと、目の前には泣き崩れたユキメ。対する私の眼からも、とめどなく涙が流れ続けていた。


「ごめんねユキメ。今は仕事を…………」


 そこまで言いかけたところで、私は言葉を中断した。手に残る違和感が、私にそうさせたのだ。

 だから私は、その違和感の正体を確かめるべく、おもむろに視線を右手に移す。


「簪? いつの間に」


 知らない間に握っていた小さな簪。それは真っ白な花を模った、見覚えのある髪飾りだ。…………これは確か、ユキメの。


 ――いや、私はつい最近、これを誰かに手渡された気がする。なんだ、思い出せ。


 そうだ、宮殿だ。何かしら覚えがあるのなら、私は絶対、宮殿のどこかにそれを仕舞っているはずだ。


 集中しろ。何か大切なことを忘れている気がする。集中しろ!


――――――――――――


『玄関。ここは違うな』


 ――――私は宮殿を幾つか有している、学校の教室に、施設の部屋、他にも官学の女子寮とかだ。

 そしてその中でも特に大きいのが、天千陽の実家だ。目隠しをしてでも、隅々まで歩けるくらい事細かに把握しているから。


 そうして私は玄関を開けて、中へと足を踏み入れる。


『あ、この下駄。緒が切れた時、ユキメが直してくれたんだよな。――結局、サイズが合わなくなったから捨てられたけど』


 下駄箱で見つけた小さな下駄を眺めながら、私は頭の中で呟いた。どうでもいい事をいつまで経っても覚えているのは、この記憶法の一番のメリットだ。


『ふふ。この廊下。玉迎ぎょくむかえの日、私がユキメを引っ張って行ったなあ』


 他にも思い出せることは沢山ある。壁に付いた傷。天井の不気味な木目。軋む床。そのどれもに、私は記憶を詰め込んでいる。


『居間だ。私が官学に行く日のユキメの顔、今でも忘れらない』


 もちろんお父さんやお母さん、お手伝いさん達との思い出も沢山ある。さらに、机の上にはケーキや、蕎麦、ウナギ、団子など、忘れたくない思い出の全てが、皿に乗って並んでいる。


『ユキメの寝室。そういえば三十の頃、変な夢を見た。丁度、初めてユキメとキスをした日の夜だ』


 ていうか私の宮殿、ユキメの事で一杯だな。

 あーあ、思い出の中でも泣くなんて、本当にダサすぎるだろ。年寄りじゃあるまいし。


 ――――それじゃあ、残すは私の寝室だけだ。


『散らかりすぎだろ』


 雑貨や本、それに叢雲や、ユキメに貰った簪も置いてある。


『簪だ。でもこれは今付けているやつ』

『愛が何か、知ってる?』


 誰だ。姿は見えない。声だけが部屋の中で響いて聞こえる。


『求め、そして与える事』

『ここまで振り返って来て、私は変わったんだ』

『幸せを願う神』


 言葉、痛み、簪。

 私は、変わった。


『ユキメの幸せは、私。私の幸せは』


 ユキメがいなくなったあの日から、私は扉を開けるのが億劫になっていた。私の家には、彼女との思い出が多すぎるからだ。


 だけど今、改めて玄関を開けた時、私は帰って来られたような気がした。

 そして思い出した。私がユキメの事をどれだけ求めていたか。

 失って初めて気付き、取り戻して実感し、振り返ってようやく、愛を確かめることが出来たのだ。


 ユキメの過去によって狂った私の愛は、ユキメとの思い出によって補強された。それが、簪の意味。私が再び玄関を開けるために、誰かが、簪を私に手渡した。


「私の幸せは、ユキメ」


 細雪と共に、私は言葉を零す。


「ユ、ユキメ…………ユキメっ」


 そして抱きしめる。


「ごめんユキメッ、ごめん、ごめんなさい!」


 だけどユキメは、いつもみたいに手を回してはくれない。私が願ったから、忘れちゃったのかな。


「本当はね、本当は私ねっ」


 それでも言おう。今しかない。情緒不安定だと思われてもいい。この言葉が私たちを苦しめることになってもいい。――今、言うしかないんだ。


「貴女の事を、愛してるの」


 笑いそうになるくらいクサい台詞。一生言うことは無いと思っていた。でもいつかは言いたかった。愛する人の前で、


「…………ソウ……様」


 膝が冷たい。涙が冷えて寒い。本当に寒い。こんな季節は、早く過ぎ去ればいいとさえ思う。でもこういう季節だからこそ、感じる物もある。


「ユキメ、私と、結婚しよう」


 言っちゃった。


「そ、そんなのっ」


 無理だよね。だって私は、ユキメをこんなにも傷つけちゃったんだもん。


「承服、できません」


 今、私の耳元で、私はフラれた。

 そっか。まあそうだよね。でもこれでいい。願いは叶っているはず。彼女はこれから、幸せな人生を歩んでいける。


 あーあー。私この先、どうやってユキメと顔を合わせればいいんだろう。


「だってその言葉は、ユキメから言いたかったから」

「…………え」


 そしてユキメは、私の身体をそっと遠ざけると、その涙でびしょ濡れの顔を、私に向けた。


「ソウ様、貴方の全てを、わたしにください」


 今、目の前で、私はプロポーズされた。

 一回で酸素をたくさん取り込み、それを小分けにして溜め息を吐く。だがそんな無様に震えた吐息ですら、空中では一つの塊となって大気に消える。冬の寒さと言うのも、存外悪い物ではない。


「い、言うのが遅いよっ」

「ごめんなさい」


 全く、どこでそんな台詞を覚えたんだか。

 まあそれはさておき、ここからは私たちだけの時間。誰にも邪魔はさせない。

 それに、他人の惚気話なんて、聞いても面白くないでしょうに。

 だからこっから先は、語るに及ばずってやつだ。

 ちなみにこれは余談だが、ビアンカかフローラかと聞かれたら、私は断然フローラと言う。

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