神様ってのは
「じゃあ、骨休めという事で、少し聞かせてもらえますか?」
「へいっ」
という訳で、私たちはそれから彼らの顛末について、欠伸が出るほど長っ長と聞かされた。もちろん私から聞いたので、途中で遮るようなことはしなかったが、それでもクサバナとアシナは、仲良く囲炉裏の傍で寝てしまっていた。あろうことかユキメまでもが船を漕ぐ始末。
――まあ、とりあえず要約するとこうだ。
妻のユウキは雪女と呼ばれる妖であり、サンモトの狂気に耐えかねた彼女は、逃げるようにこの湯栗村まで来たらしく。しかし彼女はしばらく何も食べていなかったため、無念にも途中で倒れてしまった。だがそこにヒーローの如く現れたのが、現夫のフウキという訳だ。
そうして、それから二人で愛を育み、子を作り、アシナを育み、ぶらぶらぶら…………今に至ると言う訳だ。
「フ、フウキっ、何もそこまで言わなくてもいいじゃないか」
「何言ってんだ。俺たちの話をする上では、欠かせない話だろう」
「……そうだけど。私は恥ずかしいよ」
「いいじゃねえか、減るもんじゃあるめえしよっ」
ため息が出るー。もう何リットルの息を吐いたのかすら分からない。人の自慢話ほど退屈なものはないが、惚気話も大概である。
そして私と同じ気持ちだったのか、イチャラブする彼らを横目に、ユキメは声量を落として私にこう言う。
「ソウ様、私たち、何しに来たんでしたっけ」
「…………えっと。何だっけ」
つまり何が言いたいのかというと、彼らの話は、本来の目的すらもド忘れするほどの情報量だってことだ。
「そうだ。妖の退治に来たんだった」
「ああ、そうでしたね」
しかしどれだけの時間が経ったのだ?
少なくとも、この村にたどり着いた時は、まだお天道様も空にいた。だが障子戸から差し込んでいた日光も、今では見る影も無くなっている。
とすれば、妖が活発になる時間もそろそろと言う訳だ。なんだ。思ってたよりいい時間帯だ。
「ユウキさん、妖が次どの村を襲うか、とかの話とかは聞いてないの?」
短い期間とは言え、一時は彼女もサンモトの下に身を置いていたのだ。サンモトの目的が分からなくとも、次に襲う村の目星くらいは付いているかもしれない。
しかし彼女は、まさにお手上げと言ったジェスチャーを私に見せる。
「さあね。奴らは手あたり次第なんだ。まるで旅籠に寄る感覚で、目に付いた村を焼き払っていくのさ」
「つまり、何も分からないって事?」
「すまないね。私ももっと力になりたいんだが」
くそー、まじかー。手掛かりなしじゃんか。こうなると、生き残っている村を救おうにも救えないぞ。
「いや、サンモトの情報を知れただけでも御の字だよ」
「そうかい。やっぱり神様ってのは出来てるんだね」
「まあね。じゃあとりあえず、今日は遅いから、明日くらいに襲撃を受けた村々を見て回ろうと思う」
その言葉を聞けば、フウキは目を丸くして、その鼻息を荒げる。
「ちゅう事は、今宵はこん村にいてくるるって事ですか?」
「うん。天都から仲間が来るまでは、この村を拠点にサンモトの捜索に出るつもり」
「なんと、まだまだ天津神様がこん国に降られるので?」
「ええ。ですがお二方、我らは内密でこの国に入ってる故、どうかこの事は誰にも言わないで頂きたい」
ユキメのナイスな捕捉が入る。恥ずかしながら、私はすっかりその事を失念してしまっていた。でもまあ、バレたらバレたでサンモトの討伐って言えばいいだけだ。
そうして私たちは、湯栗に宿が無い事を聞かされたので、結局彼らの家にて、交代制で見張りをたてながら一夜を過ごすこととなった。
――――そして翌日。
眩しい朝日がさんさんと積雪を照らす美しい雪景色。
そんな息も凍りそうな寒さの中で、私たちは妖によって滅ぼされた村々を調査するべく、フウキから貰った傘を被って家の玄関を出た。
「行ってらっしゃあい」
そう声をかけてくれたのは娘のアシナ。その小さな手と、狼のようなもふもふの尻尾を振り回しながら、両親と共に私たちを見送ってくれたのだ。
そして嬉しい事に、アシナは遂にユキメの魅力に気付いたのか、私たちの中で誰よりもユキメに懐いていた。やっぱり美しさは無敵だ。
「ソウ様、子供とは良い物ですね」
「そうだね」
無邪気に手を振るアシナを見ながら、ユキメはぽつりと呟く。その言葉の真意は分からないが、彼女も今では220歳。子供が欲しいと思うのも無理はないのかもしれない。
だがそれを純粋な気持ちで受け止めることも出来ない。どうしても考えてしまうのだ。私はユキメと一緒になりたい。でもそれでどうなるのか……と。
もちろんこれまでにもユキメの愛を感じることはあった。でもそれは、あの時の誓いが生きているからだ。私はユキメに強要している。――し続けている。無償の愛を、私に注ぎ込め――と。
それが私の罪。彼女の心を歪めてしまった私の。
だから私は彼女と離れるべきなのかもしれない。彼女の役目は終わったんだ。そうさ。もうこれ以上、ユキメを縛り付ける理由はない筈だろ。
「ゆっ、ゆきめ」
地図を頼りに、龍昇で廃村へと向かい、そして降り立った山の麓で、私は彼女に叫んだ。
もちろん彼女は振り返る。墨汁のように艶やかな髪。絹のように滑らかな肌。その白さは雪にも負けず、その目は太陽にも負けない。やはり彼女は美しい。
「どうされました?」
失った腕――――と、その目。それは私の責任。その重さが、私の決意を鈍らせる。ここでハイさよならは、無責任にもほどがある。やはり私は、彼女を。
「その、寒いからさ、もう少しくっついていいかな?」
ああ、ダサいなあ。何やっても駄目だ私は。本当にムカつく。…………くそ。
……それでもユキメは私の言葉に喜び、積もる雪すら物ともしない軽そうな足取りで、私の傍に寄って来てくれた。そうすれば、ただ感じるのは暖かみ。
「ソウ様。手を繋ぎましょう」
「えっ」
「ほら」
そう言って私の手を取るユキメ。
今では彼女との身長差も20センチと離れていない。だから今では、恋人のようにこの手を繋げる。そして、私はそれが嬉しかった。大人の女として、彼女に見て貰えそうな気がして。
「こうして貴女と手を繋ぐと、なんだか不思議な気持ちになります」
「不思議な気持ち…………」
駄目。それ以上は――――。
「ええ。まるで」
言わないで。
「――ユキメ。私たちは、女同士だよ」
それ以上の言葉はいらなかった。これだけあれば、彼女の心を傷つけるには十分。本当にクズで最低な、たった一言の解けない呪い。
「私は、構いません」
それでも彼女はそう言った。どこか柔らかい口調で。
私には分かる。これは微笑んでいる時の声音だ。ずっと一緒だったから、分かる。
でも私は、彼女の顔を見ることが出来ない。見てしまったら、この心が、簡単に靡いてしまいそうで。
だから見ない。俯き、ただ次に踏む雪だけを選ぶ。逃げているのか。それとも私は、戦っているのか。自分自身から。それとも自分自身と。
「駄目だよ、そんなの。ユキメは、もう私の傍に居なくてもいいんだよ。これからは、好きな人を見つけて、好きな人と暮らすことも出来るんだよ」
彼女のためを想うなら、私が彼女に言わなければならない。
「でも、約束しました。ずっと貴女の傍に居ると」
彼女の本当の幸せは、ここにはない。だから言うんだ。それが私の責任だ。彼女の愛を歪めてしまった私の。
「この仕事が終わったら、その約束も忘れて」
「そんなっ、そんな事できませぬ!」
ユキメが立ち止まる。まるで地に根を張ったかのように、全く動く素振りすら見せずに。
「ユキメは。ユキメには、普通の人生を歩んでほしいの。もちろんこれからも私はユキメに会いたい。でもね、それは普通の関係として、昔のような、関係に戻って」
「そ、そのような事を、申さないでください。わっ、私は、だって貴女の事を…………」
手遅れになる前に、いや、もう手遅れなのかもしれない。飛儺火で彼女と再会した時、私は彼女に言ってしまったのだから。
ユキメが今どれだけ悲しい思いをしているのか、私には分かる。だってずっと一緒にいたから。一緒にいたからこそ、私も同じ気持ちなのだから。
「ごめんねユキメ。でもこれは、私からの命令」
「い、嫌だ。ソウ様、私は、ユキメは…………っ」
それでも私は願う。
“彼女が私との約束を忘れて、これから先、純粋な愛を抱くことが出来ますように。彼女がこれから、たくさんの幸せに囲まれて生きていけますように。誰もが羨むような良い人を見つけて、ユキメに似た可愛い子供が産まれて、その生涯を安寧に終わらせる事が、出来ますように”
「所願成就」
雲一つない青空で、太陽が楽しそうにその身を焦がす。この寒い季節でのそれは、まるで遠く離れてしまった心のように切ない温もり。
「そんなっ、そんな! 何を願ったのですかッ? い、嫌です、ユキメはあなたの傍に居たいっ。誓いなんて、約束なんて関係無しに、私は、貴女のお傍で!」
その膝を濡らし、私の袴を掴み、そして私を見上げるユキメ。その綺麗な緋色の目からは、ただただ悲しい涙が流れ続けている。
でもこれでいいんだ。人を正しい方向へと導くのは、神としての私の定め。
「お願いですっ、その願いを取り下げてください! こんなの、こんなのッ!」
そして遂に、ユキメは糸が切れたように泣き始め、私の袴を強く握りしめたまま、へたり込んでしまった。
「こんなの…………嫌だ」
当然の如く、私の両眼からも涙が溢れる。でも腹立たしい事に、その涙の量は、ユキメよりも僅かに少なく感じた。
「ユキメ。今回の……仕事は、私の神使として、尽力してください」
天陽様、これでよかったんでしょうか。
嗚咽を繰り返すユキメを眺めながら、私はふとそんなことを思った。もう何が正解で、何が正しいのか分からない。神様も楽ではない。
“簪に手をかざせ!”
「え?」
突如聞こえてきた声。聞こえたと言うより、なんだかそう聞こえた気がするだけなのだが。でも確かに、私はそう言われた。
だから私は、何が何だか分からないまま、後頭部へと手を回し、ユキメに貰った簪に触れた。
――――その瞬間。
「…………はっ」
見渡す限りの白。縦も横も無く、ただ眼が眩むほどの無色に包まれた異空間。気が付けば、私はその世界にいた。




