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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
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彼女の憧れ


「その穢れから生まれた妖ってのが、天狗や犬神だって言うの?」

「ええ。それに加え、奴らは神にも匹敵するほどの力を持つと言われています。そして奴らは信仰ではなく、人々の“恐怖”によって力を保っており、故に恐れが集まりやすい山奥や、都などの密集地によく現れると言われています」


 妖も一種の神か。もしユキメの言葉通りなら、そんな妖達がこの村を襲えば、まさに一息で吹き飛んでしまうだろう。そして分からないのが、なぜこんな小さな村を襲うのかということ。


「フウキさん。何か妖に襲われるような心当たりはありませんか?」


 触らぬ神に祟りなしという言葉通り、大人しい妖や暴神に襲われる人ってのは、大概何かやらかしていることが多い。密漁や乱獲、他にも罰当たりな事をしている者などだ。だからそれを聞くために、私は彼にそう問うた。


「んー。俺らん村は小さいけん、そう言う事は日頃から気ば付けとるんで、特に何かした訳でもなかとですよ」

「そうたい! うちらはちゃんと神様にお礼ば言いよるし、お祭りだってしとるたい!」


 フウキは腕を組んで考え込み、娘のアシナは両手で拳を作って、まるで私に噛みつくかのように声を張った。


「ああ、そうなんだ。アシナちゃんは偉いねえ」

「うん!」


 しかし困った。これじゃあ益々分からなくなるばかりだ。さてどうしたものか。


「…………皆さんは、妖の神をご存じでしょうか?」


 ここで割り込む声。フウキやアシナとは違い、訛りのない言葉を使う女性の声は、居間の奥、その暗闇で満たされた部屋から、静かに歩いて来た。


「これ、ユウキ。客んおる間は奥におれて言うたろっ」

「すまないね。でもどうしても、我慢できなくって」

「あ母ちゃんっ」


 そう言って、私たちから少し離れたところに女が座ると、これまで父親の傍を離れなかったアシナが、犬のような尻尾をぶんぶん回しながら駆けてゆく。


 そのユウキと呼ばれた女は、まるで海のように青い髪を腰まで垂らしており、肌は雪のように白い。そして、家の中は羽織を脱げるほど暖かいと言うのに、女はまるで外出でもするかのように着込んでいる。


 しかし驚いた。フウキから美しい妻とは聞いていたが、まさかここまで…………。


「ソウ様、あまりその様な目で人様の奥方を見てはなりませんよ」

「いっ、いや、私はそんな」


 しまった、つい表情に出してしまっていた。


「と、ところで、妖の神というのは?」


 妖のような気配を隣から感じながらも、私は仕切り直しを計るべく、一つ咳ばらいを挟んで言葉を切り出す。すると妻のユウキは、その細い目をさらに細めて、どこか悲し気な様子で言葉を始める。


「妖の神、その名をサンモトと言うのですが、その荒ぶる神が現れてから、妖どもは群れで行動するようになったのです。それも種族や位など一切関係なしに」


 ここで出てくる新しい名前。人の名前を覚えるは得意だが、しかし聞いたことない神の名だ。国津神か?


「サンモト…………。ユキメは聞いたことある?」

「――残念ながら、一度も」

「クサバナは?」

「――ない」


 二人とも即答だ。クサバナに関しては、もう少し考えてくれても良かった気がする。

 

 でももしかしたら、このサンモトとか言う神が、ヤマオノの言っていた荒ぶる神なのではなかろうか。それなら辻褄も合うしな。


「ちなみに、その神が現れたのは、いつ頃の話で?」

「今から六年ほど前の事です」

「ふむ、割と最近の話なんですね」

「はい。妖どもが村々を襲い始めたのも、丁度その頃からなのです」


 見た目通り物静かな性格だと窺えるユウキ。その声も、耳を澄まさなければ聞こえないくらいの声量だ。薪の弾ける音がうるさく聞こえるほどに。それに加え、そんなに厚着するなら、もっと囲炉裏の傍で話せばいいだろ、とさえ思う。


「なるほど。ところで、襲われた村ってのは、この辺りにもあるんですか?」

「ええ。湯栗ゆぐりの隣村と、ここからもっと北にある宇野師うのしという村です」

「出来ればその村の場所を、地図に記してもらいたいのですが、いいですか?」


 私がそう言えば、ユキメは不安を煽る表情を私に向け。クサバナは「面倒くさい」といった言葉が聞えそうな程の、その歪んだ顔を見せつけてくる。

 まあ旅行気分のクサバナは置いとくとして、ユキメの不安顔も今の私からすれば可愛い物だ。それに何と言ったって、ここには先鉾のクサバナもいるのだ。心配は無用さ。


「まさか、サンモトさ……。いえ、荒ぶる神の討伐に出向かれるつもりですか?」


 私の言葉に、ユウキは髪と同じ色の蒼目を丸くして、声を少しだけ上ずらせた。しかしその様子から察するに、やはり彼女は何か知っている様子。


「いえ、相手がどんな神かも分からぬうちは、こちらも下手には出来ません。故に今は、その下調べと言った感じでしょうか。そこまで派手な事をしているのなら、何かしら痕跡も残しているでしょうし」


 するとユウキは、膝元で甘えるアシナに視線を落とし、同じようにぽつりと言葉も呟く。


「左様ですか、こちらとしては、あのような暴神は早く討って欲しいものだが…………」

「こ、こらユウキ。お客に対して失礼やろ」

「フウキ。私も今や其方の妻。子を想う事の何がいけないと言うのだ」


 フウキの注意の言葉も虚しく、彼女はその尖らせた声を容赦なく彼に向ける。確かに妻は夫よりも力を持つものだが、しかし何処か違和感を覚える。というか、最初からユウキにはそれを感じていた。


「あの、ユウキさんは、何の獣神なんですか?」


 私はつい気になっていたことを聞いてしまう。フウキとアシナは城狼しろ族の者だと耳を見れば分かるが、しかし対するユウキには、それらしき物が見当たらないからだ。


 ――だがやはり不味かったのか、その問いには二人とも口を紡いでしまった。さりとて、その行動はどうにも目に余る。


「貴女には、獣神が本来持つ、獣の部分が無いようにも見えるのですが」


 しかし両者は今なお無言を貫いたままであり、決まりが悪い表情のまま、互いの顔を見合っている。どうやら、少しばかり神霊を露わにした方がいい様だ。


 ――――そうして私が、纏いをする感覚で神霊を放つと、夫婦は愚か、娘のアシナでさえもそれに反応して表情を強張らせた。


「ッえ…………あっ、ああ、貴女様は一体」


 先に声を発したのはフウキだが、しかしユウキも同じように膝を正し、アシナを抱きかかえたまま、狐にばかされたかのような顔でこちらを窺っている。


「あなた方の敵ではありません。ですのでどうか肩の力を抜いて、有りのままを話してください」


 とは言っても、この様子じゃリラックスは出来ないか。これでも抑えているつもりではいるんだけど。存外難しいな…………。


「蒼陽、下手くそ」

「う、うるさいな」


 するとやはり私の不格好な神霊が目に付いたのか、囲炉裏の傍でごろごろと寝転んでいたクサバナが、それを指摘してきた。


「な、なんと貴し神霊っ。こぎゃん神様ば、まさか今ん今まで気付かんで。……どうかお赦しくださいませ!」

「いえ、そこまで畏まることもありません。私はただ話をして欲しいだけなので」


 私がそう言えば、フウキは部屋の隅で怯えている妻に面を向ける。

 それにしても、ユウキの怯えようは異常だ。本来なら神前ではフウキのように頭を下げるものだが、しかし彼女は親に叱られた子供のように俯いたたままなのだ。


「ユ、ユウキっ」

「…………分かってる。まさか天津神を連れてくるとは、其方は誠に目が利く」


 そうして彼女は踏ん切りがついたのか、自らの膝元にしがみ付き、絶えずその目を私に向ける娘を撫でながら、静かに息を吸いこんだ。


「私は、元はこの辺りに住んでいた妖怪なのさ」


 そんな彼女の告白に、夫フウキは依然として正座を保ったまま俯き、その表情をどこか暗くさせた。

 

 ――にしても驚いた。獣神ではないと分かってはいたが、まさか妖怪だったとは。


「ソウ様、どうされるおつもりですか?」

「どうって?」


 ユキメが袖を使って私に耳打ちをしてくる。だがその質問の意味を私は理解できない。どうするって、何をどうしろって言うんだ。


「あの女の言う事が誠であれば、クサバナ様はきっと黙ってはおりませぬ」


 その言葉に気付かされる。

 確かにそうだ。クサバナは天秤の統括。目の前にいる妖をみすみす放っておくなんてこと、するわけがない。斯様に思わせるは、いつの日か西ノ宮で目の当たりにした彼女の仕事ぶり。

 それを思い出した時、私は恐る恐る、そして彼女には気取られないように、眼球だけを動かしてクサバナの様子を窺う。しかし。


「蒼陽、何か思案してるみたいだけど、私はお休み中だから」


 彼女は相も変わらず、猫のように腹を天井に向けて、しかしその両目でしっかりと私を捉えながら、流暢に口を動かした。


「そ、そっか」

「でも私の休暇は気まぐれ。心が変われば仕事をする」


 まるで釘を刺しているみたいだ。私が動き出す前に、お前が何とかしろ。と。ただサボりたいだけなのか、それとも私を試しているのか。その意図は汲みかねるが、でも確かにこの心臓に、その五寸ばかりの釘が打たれことは事実。


「ユウキさん、知っていることがあるのなら、全て教えてください」

「け、けど」

「アシナとフウキさんの事を想っているのなら、私たちに協力してください」


 私が擦り寄ると、彼女は近づいた分だけ後ずさりをする。それは神と妖の関係性を強く表している様だった。


「貴女が何をしてきたのか。それを今咎めるつもりはありません。それとも、そんなつまらない事で、この村を妖に滅ぼされても良いと言うんですか?」

「ま、先ずはその御神霊を、収めてはくださらぬか?」


 仕方なく、私はその言葉通りに神霊を抑え込む。するとユウキの表情は途端に和らぎ、それと同時に、フウキとアシナも全身の筋肉を失ったかのようにへたり込んだ。


「ぷは……ッ。す、凄まじい神霊だあ。もう息ばするだけで精一杯でしたよ」


 そんなにヤバいのか私の神霊。なんだか少し恥ずかしくなってきた。


「それじゃあ、そのサンモトとやらの話をお聞かせください」


 まるで応援している野球団が、サヨナラホームランを打ったかのように、一気に肩の力を抜く一家だが、私はそれに構わず話を切り出した。そうすれば妻のユウキは、一言一言を、まるでここにいない誰かを恐れるように、言葉にしてゆく。


「……あれは六年ほど前の事。サンモト様、いえ、サンモトは突然、妃屶ひなたの隣国、長門の国にて産まれた。そして奴は一気に妖の勢力図を書き換えると、遂にはこの国の妖ですら従わせてしまったのだ」


「妖にも勢力があるんですね」


「ああ。我ら妖にも、穏便に過ごしたい者や、争いを好まない者もおる。そしてその真逆の存在も。そしてそれらは自然と派閥になっていき、お互い干渉しないように、その日まで生きていたのさ」


 ユウキに撫でられ、気持ちよさそうに耳を畳むアシナ。そんな少女をいつくしむような眼で眺めながら、ユウキは言葉を続ける。


「そしてサンモトが現れた時、その均衡は崩れ、それまで大人しかった妖どもも皆、サンモトが率いる第三勢力に付いてしまった」


「第三勢力?」


「私たちがそう呼んでいただけさ。けれど、サンモトの思惑は誰にも分からない。何が目的で、一体何を求めているのか。――だが配下どもにとっちゃ、そんなことは問題ではない。サンモトの強さと、残忍さだけがあれば十分なのさ」


「それじゃあ、なぜ荒ぶる神が村々を襲うのかは、分からないと?」


「そうさ。けどね、親子や夫婦に対するサンモトの執着心は異常だよ」


 なんだそれ。


「サンモトは必ず、自分の欲求を満たすまでは、妖どもに村を襲わせない。まず最初にサンモトが二人ほど殺し、その後に残った村人を妖が襲っていく。それが奴らの中にある唯一の決まりさね」


「その二人というのが、親子や夫婦という事ですか」


「その通り。サンモトは決まって家族や夫婦を殺す。それが私たちには理解できなかった」


「私たちという事は、貴女も一時はサンモトに付き従っていたのですか?」


 私がそう返すと、ユウキは平手打ちでも食らったかのように表情をくしゃっと歪ませる。だがそれも束の間、彼女はどこか諦めたように口を開いた。


「仕様がないだろ。私だって死にたくはなかった。サンモトに平伏するしか道が無かったんだ。…………でも、すぐに逃げたよ。私にはとても耐えられるものじゃなかったからね」


 するとここで、ユウキの悪事が裁かれるとでも思ったのか、夫のフウキが慌てふためいた様子で、その声を荒げ始めた。


「――ゆ、ユウキは、心優しい妖怪なんやっ。雪山で遭難した者ば麓まで連れて行ってくれたり、冬眠出来んかった毛ん荒物ば鎮めてくれたりする妖怪なんやっ」

「…………フウキ」


 ため息が出る。なんだか私が悪者みたいな扱いだ。まあ、もうこれ以上は聞く必要もないし、ここは彼らの馴れ初めでも聞いて、場を和ませるとしよう。


「仲が良いのですね。恥ずかしながら、ここまで妖と獣神が難なく生活を共に出来るとは、思ってもみませんでした」

「へへへっ、まあ俺たちん話なんて、詰まらんもんですよ」


 どうやらまんざらでもない様子。というか、話したくてうずうずしていると言った感じだ。それに、私としても少し気になるところがある。彼らがどうやって、種族間の壁を乗り越えて愛を育んだのか…………。


「へえ。そう言われると、余計聞きたくなりますね」

「そ、そうですかい? 天津神様に聞かせるほどの大層なものではないですが、そこまで仰るなら、少し俺たちん足かけについて話しましょうかね」


 などと言って、人差し指で鼻の下を擦るフウキ。妻のユウキも今なお隅っこの方に座っているが、その表情はどこか恥ずかし気だ。

 そういえば、つい最近も誰かさんの惚気を聞かされたよな。

 いや、いい事なんだろうけど、退屈なんだよなあ。

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