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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
152/202

こんばんは世界

「だれだ」

「さあ。どうせ村の奴でしょ」

「ちょっと見てこい」

「はあ? なんで私が」

「いいから見てこいッ!」

 

 男がそう怒鳴ると、これまで嫌に強気だったオイエも、その目を右へ左へ泳がせる。


「わ、分かったから、落ち着きなよ」


 そう言って女は玄関口の方まで駆けて行き、男は苛立ちを込めた溜息を吐き尽くす。


「サルハミ。声出すんじゃねえぞ」


 彼への虐待が発覚することを恐れたのか、男は声と目つきを尖らせて、サルハミに強く釘を刺した。しかしそれ以前に、彼にはもはや助けを求めるだけの気力もない。


「あ、あんた」


 そして再び姿を現すオイエだが、しかしその表情はどこか怯えているようにも見える。

 サルハミ同様、耳をたたみ、腰から生えた尻尾は、生気を失くした蛇のように垂れ下がっていた。


「どうしたオイエ」


 しかしそんな彼女の姿を見ても、男は依然として強気のまま言葉を掛ける。今まさに危機が迫っていることなど、つゆほども知らずに。


「お、おお、お客だよ」

「客だと?」


 そして、オイエに続いて現れた一つの影。それは鴨居に頭をぶつけぬよう腰をかがめ、遂に彼らのいる居間へと入って来た。


「どうも、お晩です」


 最初の挨拶。まるで家族団欒を邪魔するかのように現れたのは、その黒い長髪を雑に留め、男物の着物に身を包んだ女。さらにその背丈は、今にも天井に届きそうな程大きい。


「誰だてめえは」

「サンモト。そう言えば分かる者もいるが、なに、知らぬ者も多い故、いちいち気にすることでもない」


 さながら月のように輝く眼。その目つきは涼しく、凛々しい眉毛は引き締まったイメージを持たせるが、しかしどこか表情に影を残す麗人。

 そして女、その名をサンモトと名乗り、武器らしき物を何一つとして持ち合わせてはいない様子。これには男も警戒心を解いて。


「サンモトだあ? 知らねえ名だな」


 と、言葉を尖らせる。

 しかし女はそれに臆することなく、それどころか自身よりも背の低い男には目もくれず、きょろきょろと屋敷の隅々にまで視線をやった。


「ところで、今宵は夕餉の最中だったか?」

「見りゃ分かんだろうが。だからさっさと出て行きな」

「そうか。これは儲けた」

「…………あ?」


 その女の不可解な言動を目の当たりにし、男は次第にその威勢を失っていく。


 自分たちを襲う訳でもなく。かと言ってサルハミを助けに来たわけでもない。彼女はただ食卓を前にし、まるでここが我が家かのように胡坐をかいて、自分たちの料理に手を着け始めたのだ。


「うむ。よい塩梅だ」

「何をしてんだ…………お前」


 そんな例えようのない不気味さに、彼らはただ戦慄し、そして気付く。彼女は明らかに、自分たちとは違う世界に住んでいるのだと。


「食わぬのか? 飯が冷めては元も子もなかろう」

「お、おい。いい加減にしねえか」

「なに、飯を食うだけだ。そう構えず、お前らも座れ」


 何も分からない。それ故に頭が混乱し、ただ目の前に広がっている異常を、なんとか理解しようと身体が固まるのだ。

 そしてオイエと男は、互いの顔を見やって汗を垂らす。


「聞こえなんだか。私が座れと言っておるのだ」


 ここで初めて見える女の殺意。だがそれは、まるで虫に向けるかのような軽い殺気であり、気を抜けば叩き落とされてしまうような感覚が、雪崩のように彼らを襲った。


「は、はいっ」

「…………あんた」


 怯えたオイエの弱弱しい声。だが女を刺激するのは不味いと踏んだのか、男はジェスチャーだけでオイエに座るよう促す。


「うん美味い。この焼き物、何の獣肉だ?」

 

 先ほどの殺気がまるで嘘だったかのように、女は綺麗に箸を持って次々と食べ物を口に入れてゆく。


「し、鹿の肉です」

「ふむ。鹿か。山の神に感謝せねばな」


 オイエの言葉に満足そうに頷く女。勝手に上がり込んでは飯を食らう彼女だが、しかし膝を正し、しっかりと茶碗を持って食べている辺り、行儀は良いようにも見える。と思った矢先。


「…………ところで、あなた様は一体」


 ――――バンッ!

 

 と、男が口を開いた瞬間、女はゴキブリを叩くかのような勢いで、その両手を机に打ち付けた。


「食事中だぞッ!」

「っひッ、申し訳ありません!」


 だが、なぜ女が声を荒げたのか、その理由は誰にも分からない。

 そして対する女も、何か気に病んだのか、箸を置いてぽりぽりと頭を掻くと、申し訳なさそうに口を開く。


「いや。済まぬことをした。もっと食事は楽しまなければな」


 そして再び箸を持つと、女は端の方で横たわるサルハミについて、彼らに問う。


「ところで、あの童は何故あのような所で寝ておるのか」

「あっ、いえ、あ奴は昼間の稽古で疲れておりまして、今は寝ておるだけにございます」

「ふむ。飯は皆で食べたほうが美味い。故に起こしてはくれぬか?」

「は、はい。ただいま!」


 もはや女の手玉に取られた男は、そんな彼女の一言一句に従わんと、彼女の言葉通りサルハミを起こそうと席を立つ。


「……おい、起きろサルハミ。あの女の言う通りにするんだっ」


 さながら主人を恐れる犬のように、男はサンモトの視線に怯えながら、彼女には聞こえないだろうトーンでサルハミを揺すった。

 女が来るまでは、サルハミを虫けらのように扱っていた男だったが、しかし今では、自らの命を優先してか、願うような口調でサルハミに声をかける。


「おい、起きてくれっ。頼むからっ」


 だが唸るばかりで一向に起きようとしない彼に、男は徐々に苛立ちを覚える。それは彼に対する嫌悪ではなく、ただただ焦りから来る身勝手な怒り。


「…………起きろって言ってんだろっ。起きねえと、また湯をぶっかけてやるぞ」


 そんな言葉を聞けば、長きにわたって染みついた癖が蘇り、サルハミは条件反射のように飛び起きた。


「わ、分かりましたッ。ちゃんとご飯を食べます、ので、痛い事はしないでください」


 頭を押さえ、わなわなと目に涙を浮かべるサルハミ。

 普段からまともな物を食べいないのか、唇は渇いてしぼみ、オイエやその男とは違って、纏う着物は質素な一枚のみ。そんな彼の姿を見れば、誰だって違和感を覚えるはず。それはサンモトも例外ではない。


「童、お前は愛を貰っていないのか?」


 箸を置き、机上に置いてある煎茶を啜ると、サンモトは何食わぬ顔でそう言う。


「…………あ、愛?」

「な、なにを言ってるんですかいっ、私たちはちゃんとサルハミを…………」


 日常的に行っている虐待の数々を知られたくない男は、不格好な笑みを浮かべては、声の調子を良くさせる。しかしその耳障りな声を聞き、サンモトは彼に睨みを利かした。


「童に聞いておるのだ」

「は、はい」


 その一言で男を黙らせると、サンモトはその顔に笑みを戻し、再びサルハミへと視線を移す。


「して、どうなのだ?」


 だが女の問いに俯いてしまうサルハミ。だがそれもその筈。なぜならサルハミの腕は今、男によって骨が軋むほどに握られていた。そうすれば、痛みを恐れるサルハミが口を紡ぐのも当然のこと。


「童、私が聞いておるのだぞ。答えろ」

「あの、サルハミは、腹の具合が良くないみてぇで」


 ――――ずちゃ。

 

 男が再び口を開いた時、サンモトは机に並べた一膳を握り、自身の隣で震えていた、オイエの左目にそれを突き立てた。


「二度も言わせる気かッ!」

「あ、あぁぁぁっ!」


 箸によって脳天を貫かれたオイエは、そのまま料理が並ぶ飯台に力なく倒れ、首を落とされた鶏のように身体を痙攣させる。もちろんその光景を目にした男も、あまりの恐ろしさに尻込みしてしまう始末。


「……ああ、クソッ。駄目じゃないか。今殺してしまったら」


 オイエの死体を見て、自身の行動を後悔するかのように頭を抱えるサンモト。それに加え、なにやらブツブツと独り言を呟いている。


「……しかしまだ残っている。猶予はあるさ」

 

 まさに常軌を逸した異常な言動。そんな女にとめどない恐怖を覚えた男は、サンモトがそうこうしている内に、自分だけでも助かろうと静かに立ち上がる。音を立てず、息を殺して。


 そして彼女に気付かれないように彼は足袋を滑らして、部屋の壁を背で撫でるように出口へと向かった。だが当然、それはサンモトに目に留まることになる。


「ああ、すまない。少し待っていてくれないかな」

「…………あ、あぁぁ」


 しかし男。その声に身の危険を感じ、遂になりふり構わず玄関へと走った。茶の間を抜け、廊下を走り、履物も履かずに戸口を開ける。そうして目にした光景は、彼の脳に更なる絶望を植え付けた。


「誰か出て来⨧ぞ"」

「サンモト様は如何したのだ」


 目の前に広がるのは、どれも見たことが無いほどの異形の者ども。そしてその背後には、最早いつもの喉かな景色はなく、冬の夜空を真っ赤に染める程の大炎ばかりが広がっていた。


「…………な、なんだよこりゃあ」


 兎の如し逃げ惑う村人と、それを狼のように追う魑魅魍魎。

 あまねく家には火が放たれ、老若男女から子供までの一切を、遊戯でもしているかのように手にかける物の怪たち。

 ある者は食われ、ある者は犯され、ある者は八つ裂きにされている。そんな地獄のような光景は、男から希望の全てを奪い去った。


「おいおいおい」


 そうして男の背後から迫る声。それは家の中から出てくると、戸を静かに閉めて歩み寄る。


「サンモト様、もうよろしいので?」


 そう言って彼女に頭を下げるのは、真っ黒な翼を生やした、鼻の長い真っ赤な妖。その背丈はサンモトより一回り大きく、腕っぷしも巨木のように立派なもの。だがそんな偉丈夫に臆することなく、サンモトは声を尖らせ。


「天狗。どういうことだ」

「は。申し訳も立ちませぬ。低能な妖どもが、言う事も聞かずに……」

「それを止めるのがお前の役目だと、言ったはずぞ」

「で、ですが」

「――――ですが、ですが。お前はいつもそれだ」


 サンモトは男を無視し、天狗の元へと歩を進めると、自分の為に首を垂れる天狗の肩に、そっと手を置いた。


「私が申した事を、覚えておるか?」

「…………サ、サンモト様が良きと申すまで、村は焼くな」

「ご名答。やはりお前は頼りになる」


 生まれたばかりの赤子のように、身を震わせる天狗。本来なら、妖の中でも特に位が高い天狗だが、しかし彼は、目の前に佇む女をただ恐れる。そしてそれは圧倒的な恐怖から来るもの。


「あ、有難き御言葉に…………」

「しかしだ。流石の私にも、限度というものがある」


 女はそう吐き捨てると、強く握りこぶしを作り上げ、それを何の躊躇いも無く天狗の顔面に向かって打ち放った。

 

「…………や、やめッ」


 倒れ込んだ天狗に馬乗りになり、何度も何度も、振り上げては同じ個所を目掛けて拳を叩きつける。そして、最初こそは鈍い音が鳴り響いていたものの、それは次第に水遊びでもしているかのような音に変わっていく。

 

 天狗の周りにいた妖どもも、もはや固唾を呑んで、その行く末を見守ることしか出来なくなり。……そして遂に、天狗はその霊体を塵へと化す。


「ああ、何という事か。お前のせいで、お前を殺してしもうたではないか」


 さながら暴れ馬に乗っていたかの様なサンモトも、今では無に帰した大地にて項垂れながらそう呟いた。

 そうして彼女は立ちあがり、土ぼこりを払って男に言う。


「見苦しい所を見せてしまったな。さあ、夕餉の続きといこう」


 だがそんな凄惨な光景を目にしてしまった男は、もう命乞いをすることしか頭になく。


「こっ、殺さねえでくれッ、どうか命だけは!」


 ――と、自らの自尊心を地に這わせる。しかし女これを聞かず、天狗を殴った際に傷ついた、自らの拳を舐めながら言う。


「案ずるな。お前を殺すのはもう少し後だ。孔を塞いでからな」

「そ、そんな」


 するとここで、サンモトが閉じた玄関戸が音を立てて開き、中からは怯え切ったサルハミが姿を現した。


「な、なにこれ」

「おや、出てきては駄目じゃないか」


 変わり果てた村の景色を見て、サルハミはたった一言、それだけを口にし。そしてそれに気づいたサンモトは、笑顔を作ってそう言った。


「中に戻れ。お前の役目はまだ終わっておらぬ」

「…………役目?」

「しかし待て、お前は確か、愛を貰ってはいなかったな」

「あ、あの。村の皆は」


 眉根を吊り上げ、目には涙を浮かべるサルハミ。非常に狭いとは言えど、たった今彼は、自分の世界が崩壊した事を実感したのだ。


「お前、今から童を殺す。守って見せろ」

「えっ?」


 サルハミの言葉を無視し、サンモトは男にそう促すと、ゆっくりとその歩みをサルハミに向けて進める。だがサルハミの事など微塵も想っていない男には、彼女が一体何の話をしているのか理解できずにいた。


「童を抱え、その命を賭して守れと申したのだ」

「な、なにを言って」

「やれッ!」


 山をも越えそうな怒声に、遂に何を考えることも出来なくなった男は、ただその言葉に従ってサルハミを両腕で包む。


「うむ。良い良い」


 自信に背を向け、不格好ながらも子供を守っているかの様にふるまう男に、サンモトはどこか満足げに頷く。…………そして。


「ぎゃあぁぁぁぁぁあ!」

「っふふふッ。うぅ、埋まってゆく」


 彼女は隠し持っていた短刀で、サルハミを包む男の背に、深く刀傷を入れた。

 そうすれば男は泣き叫び、もはや背に受けた痛みすらも忘れ、サルハミを置き去りに必死の逃走を試みる。


「ユウヤミ」


 だがその無様な逃亡は、どこからか現れた巨大な狼に食われてしまった。

 その灰色の狼。サンモトがユウヤミと呼び、まるで家ほどの巨体を持つ獣の妖は、男の顔面を噛みちぎると、さながら玩具を弄ぶ犬のように男の死体を振り回す。


「さて童。お前の役目も終わった」


 男の亡骸を食らうユウヤミに構わず、サンモトは男児に冷徹な言葉を言い放つ。

 ところが男児は、狼に食われる男の様を食い入るように眺めているばかりで、彼女の言葉にはうんともすんとも言わない。

 そんなサルハミを見たサンモトは、腰を落として男児に顔を近付けると、あたかも壁に向かって話すかのように、こう言う。


「案ずるな。お前もすぐに親元へ逝かせてやる」


 その言葉を聞き、男児は遂にその視線を彼女へと向けるが、それでもその目には光が宿っていた。それは涙による光の反射などではなく、確かなる感情そのもの。


「いやだ」


 意志の籠った力強い一言。彼はしっかりとその目をサンモトへ向け、その言葉を言い放ったのだ。

 それでも女は変わらずの口調で言い返す。


「しかし一人は寂しいぞ」


 そしてサルハミは、確かに力を込めて。 


「せっかく自由になれたんです。まだ生きたいのです」

「生きることが好きか?」

「…………分かりません」


 一目見ただけでも腰を抜かしてしまいそうな妖ども。無情にも蹂躙された見慣れたはずの村並。そしてサルハミの前には、そのどれよりも恐ろしい女。

 それでも彼は、その全てに恐怖を抱かず、ただ淡々とサンモトに言葉を返した。


「お前、私が怖くないのか?」

「貴女は、僕をあの人達から助けてくれた。だから、その」

「っふっふふふふ。良い、申してみよ」


 女は顔を赤らめ、どこか楽しそうに胸を抑えながら、彼の言葉の続きを待つ。


「怖くは、ないです」

「私を、好いておるという事か?」


 言葉の意味を理解できず、サルハミはただただ口を紡ぐ。しかしそれが最良の選択である事は、女が一番よく分かっていた。


「そうかそうか。それならまあいい。私は利口な奴が大好きだからな。その点で言えば、妖ほど信頼できるものもいない」


 腕を広げ、炎を照り返して真っ赤に染まる空を仰ぎ、サンモトはくるくると回り出す。それは舞いのようにも見え、ただただ雪に燥ぐ子供のようにも見える。


「どうだ、童。お前も我らに加わらぬか?」


 そして再びサルハミに顔を近付けると、彼女はそう言った。その言葉に意味はない。否定すれば殺され、頷けば生き延びられる。そんな単純な選択である。


「は、はい」

「うっふふふふふッ。それでよい。それでこそ私に相応しい山犬。犬は利口でなければならない。利口じゃなければ、死ぬだけだからな」


 斯くして彼女はサルハミの手を取り、綱を引っ張るようにして彼を立たせると、背後に列する妖どもに言葉を発する。


「さあ、待たせたな者ども。ここから先はお前らの時間だ。どれだけ食っても良し、どれだけ殺しても良し。私を待っていた褒美だ。たんと愉しめ。だが、言いつけを破った妖どもは皆殺せ」


 その言葉に妖達は卑しく嗤う。ヨダレを垂らすもの。刃を淡々と研ぐもの。抑えきれぬ欲望に身をいきり立たせるもの等など。

 そして彼らは獣のような雄叫びを上げながら、焔の中に身を投じて行った。


「あ、あの」

「ああ、すまない。お前も行きたかったか? でも残念。お前は私と一緒に夕餉の続きだ。孔が広がる前に、留めておきたいんだ」


 そう言ってサンモトは、もはや人としての原型を留めていない男の死体を掴み上げると、にこやかにサルハミと共に家の中へと消えて行った。


皆さんウナギは食べましたか?

私はまだです

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