おめでたい日
そしてあの夜から数か月が経過した今日。私は今、オクダカの挙式に参加すべく、天都にある天陽様の社へと足を運んでいる。
「やさしいー。もーりーにはー。神話がー。いーきーてるー」
などと、境内の林の中にある池を眺めながら、一人で口ずさんでいると、背後から玉砂利を踏む音が聞こえた。
「よお蒼陽」
少し低めのハスキーボイス。そんな耳に優しい声に振り向けば、そこにはいつもと違って、地味で真っ黒な袴に身を包んだシロギ副学長が立っていた。派手派手な耳飾りも、今日は外してきたようだ。
「シロギ先生。官学の仕事はいいんですか?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。友の祝日だ。仕事なんてしてる場合じゃねえだろ」
などと言って、シロギ先生はどこか嬉しそうな顔で空を見上げる。何しても格好つくのが腹立つんだよな。
「オクダカと友達なんですか?」
「まあな。アイツが先鉾に任命される前は、よく下界へ遊びに行ってたもんだ」
「へえ」
まあ女好きの二柱ゆえ、どこか気が合うところがあったんだろう。どことなく雰囲気も似ている。
「それより、今日はズイエン先生も来てるんですか?」
「いや、流石に二柱揃って官学を出る訳にもいかねえからな。学長は今も仕事中だ」
「ふうん」
でもまあそれもそうか、平和な現代の高校でもあるまいし、ましてや、いつどこで賊の襲撃があるかも分からないからな。
「そう言えば、オクダカは化生した神だから、親はいない筈ですよね」
「その代わり、先鉾が親族として参加するんだぞ」
「へえ。なんか笑っちゃいそうですね」
そう言って、私がどこか他人事でいると、シロギ先生はなんとも不思議そうな表情で小首をかしげた。
「何言ってんだ。お前も先鉾だろうが」
「…………あ、そっか」
この世界で見る初めて結婚式に浮かれて、私はすっかりその事実を忘れていた。
“天陽の先鉾”は、天陽様から直々に拝命された者のみがなれる栄誉ある役職。私は生まれてすぐ天陽様の神使になったので、彼らと接する機会も多く、その偉大さを忘れていたが。しかし尋常であれば、一生に一度拝めるかどうかの瀬戸際らしい。
「先鉾かあ。未だに何の仕事もしてませんけどね」
「馬鹿。先鉾は主宰神の懐刀だぞ。そんなホイホイ勅が下るかよ」
「え、そうなんですか?」
んー。でもまあ、確かにそうかもしれない。
現に飛儺火を平定する際、先鉾は一柱として動員されなかったし、私が官学に入学した時こそは、カナビコも単身で私のバックアップに来たが。しかしたったの十年で退職したのだ。
例外を挙げるとしたら、ヤヅノ蛇神を誅伐する時くらいだが、それは彼がそれだけ危険だったって事か、私を護衛するためのどちらかだったのだろう。
「あっ、そうだ、俺はお前を呼びに来たんだった」
「私を?」
私が考え耽ていると、シロギ先生は手の平をぽんと叩いて、忘れ物を思い出したかのように言葉を続ける。
「そろそろ神前式が始まるんだ。早く行くぞ」
「あ、もうそんな時間か」
そうして、私はシロギ先生と共に会場へと向かったのだが、しかし今回あたしはオクダカの親族として出席するので、彼とも直ぐに分かれることとなった。なぜなら、私はオクダカとヤチオの花嫁行列に並ばないといけないからだ。
「おお。ようやく来られましたな、蒼陽姫」
行列に参加する集団の中に入ると、真っ先にカナビコが私の元に寄って来た。ちなみに彼の服装も、落ち着いた色の袴に、真っ黒な羽織という、まるで葬式の様な格好だ。
それどころか、他の参列者も皆同じような着物を纏って楽しそうに談笑している。
そしてかく言う私も、普段は着ないような地味めの袴を着て、赤い菊の紋が入った深緑色の羽織を羽織って来た。というか、それしか暗い色の羽織が無かったのだ。
「ごめん、こういう雰囲気には慣れてなくてさ。ちょっと一人になってた」
「ふぉっふぉ。無理もない。それに、クサバナもまだ寝ておる」
「いつも寝てるね、あの女神」
「先鉾の仕事以外にも、奉行の仕事で忙しいからの」
「ふうん」
そう相槌をして、クサバナを探すべく辺りを見回してみるが、いかんせん皆身長が高すぎて、探そうにも探せない。
「ところで、知らない神も多いようだけど」
「ああ。あの神々はヤチオ殿の親族ですな」
集団の中でも、取り分け背の小さな神々たちが目立っている。というか、天都チームの背が高すぎるのだ。これも信仰の差ってやつなのか?
だがよく見ると、ただ一柱だけ背が長く、他の国津神とは様子が違う男神も目に見えた。恐らくサカマキよりも大きい。
「…………陽殿」
そして、ここで聞こえる囁き声。最初は聞き間違いかとも思ったが、それは確かに私の名を呼ぶ声。
「…………ぶりです」
噂をすれば。というやつなのか、振り返るとそこには、カーブミラーほどの身長を誇る巨神サカマキが、眠りこけたクサバナを背負いながら白い歯を零していた。
白髪の短髪に、まるで巨木のように太い体幹。本来は声もそれに負けなくらい大きいのだが、今はクサバナを起こさないように声を抑えているのだろう。
「久しぶり!」
「…………お元気でしたか?」
「もちろんよ。サカマキは?」
「…………私はこの通りです」
声は小さい物の、サカマキはその背筋をしゃんと伸ばして、自慢してそうな肉体美を私に見せつけてくる。
しかし、相変わらず音量調整が下手くそだな。私はもう慣れてしまっていたが、最初はこれを聞き取るのに苦労した。
「皆の者、此度の主役が来るぞ」
ここでカナビコが、口角を僅かに上げながら境内の入り口の方を見やる。そしてその視線を追っていけば、目に入るのは巫女に先導された二柱の神。それは黒とストライプ柄の袴に身を包んだオクダカと、白無垢の着物を纏ったヤチオヒメだ。
「おお。和風だ」
「いやはや、めでたいですのう」
参列者の注目を浴びる中、オクダカは照れたように頬を赤くし、ヤチオはまさに花嫁らしく、その表情を少々綻ばせながら、しずしずと歩みを進めている。
なんだか、見てるこっちまで恥ずかしくなる。
「おう、悪いな忙しいのに」
そうしてオクダカは私たちの前に立つと、その頭を照れくさそうに搔きながらそう言った。
「なあに、お主の祝日じゃ。礼はいらぬ」
その会話を始めとし、彼らはさながら親子のように話を広げ始めた。
オクダカとカナビコには、私の知らない過去がある。かと言って、そこに踏み入ろうとも思わないが…………。
そして私はその時、そんな二柱の取るに足らない雑談にさえも、どこか重みを感じた。
「おひい様も、官学を休んでまで来てくれたこと、礼を言わせてもらう」
「ふふ、よしてよ気持ち悪い。私は興味本位で来ただけだし」
腰を落とし、わざわざ私に目線を合わせるオクダカに、私はつい笑ってしまった。こういう時って、普段お茶らけてる奴こそ大人しくなるから面白い。
「そうか。そう言って貰えると、俺も気が楽になるよ」
「っぷ。もしかして緊張してるの?」
「当たり前だろ。縁組なんて初めてなんだからよ」
「まあそれもそうか。とにかく、結婚おめでとう」
私がそう言うと、オクダカは呆れたように息を漏らし、その皿の様に大きな手を私の頭に乗せた。
「あ、ソウちゃん?」
そしてここで割り込んでくる声。次から次へと忙しいが、だからと言って嫌な気分でもない。
「ヤチオヒメ!」
「久方ぶりですねっ」
私に声をかけてきたのはヤチオだったわけだが、しかし私はあまり彼女の事を知らない。まあ確かに彼女を助けたのは私たちなんだけど、だからと言ってそこまで交友があった訳でもなかった。
そして何を隠そう、ヤチオと会うのはこれで三度目なのだ。妖の夫婦から助けた時と、彼女の神体から毒が抜けた時。そして今日だ。
透き通るような白い肌に、艶々とした金髪。そして背丈はなんと、オクダカより少し小さいくらいの超高身長なのだ。にしても二柱とも2メートル越えとは、産まれてくる子供が楽しみだ。
「いやあびっくりしたよ。まさかヤチオヒメがここまで積極的だったとは」
そう。なんと今回の結婚は、ヤチオヒメの果敢なアタックが功を奏したが故の結果なのだ。だが確かに、初心そうなナナナキとは違って、彼女にはどこか遊び慣れている感じもある。
これは聞いた話だが、なんでもカナビコが、ヤチオを救ったのはオクダカだと教えていたらしい。あながち間違いでもないが。
「はい。私のお命を救ってくださった殿方ですもの。お慕いするのも当然ですっ」
「へ、へぇ」
そう言ってヤチオは、まるで木々にしがみ付く蝉のように、オクダカの神体に体を寄せる。どうやら彼に首ったけの様子。しかもオクダカもどこか嬉しそうだ。全く見せつけやがって。
「ふぉっふぉ。良い子ではないか、オクダカよ」
「うるせ」
カナビコは髭をモフりながら、優しいお爺ちゃんのように笑んで見せる。更にサカマキも、声には出さないものの、何度も頷きながら目から涙を零していた。まあクサバナは相変わらず寝ているが。
「それでは準備が整いましたので、皆々様、本殿の方へ参りましょう」
しばらく談笑すること数分、ここで巫女装束を着た女神が、その言葉を隅々まで行き渡らせようと声を張った。
「さて、わしらも並ぶとしますかの」
「だね」
はてさて、一体どうなる事やら。




