二つの喜びと、大きな一つの問題
時は流れてクリスマスの夜から約一年後の冬。官学の女子寮にて、私が一人で本を読んでいると、その通達は来た。
「今年も寒すぎだろ」
相変わらずの寒さにウンザリしながら、私は布団にくるまり、蝋燭の明かりを頼りに本を読み更けていると、なにやら縁側の方から物音がする。
「なんだ、またユキメが山の方から入って来たのか?」
私はユキメとちょいちょい夜を共にする。だからと言って、別にいやらしい事をしているわけではない。
「ユキメ。別にそんなコソコソしなくても…………」
と言いつつ、私も声を落として襖を開けると、そこにユキメの姿はない。しかし視界の端には黒い物体が映る。
そんな違和感にふと視線を下げて見れば、そこには一羽の烏が止まっており、せっせとと毛づくろいをしていた。
「烏?」
ちなみに烏は好きだ。アイツらは地球を綺麗にしてくれる益鳥だから。
しかしこのカラス、何か変だぞ。足が三本ある?
あれ、なんか既視感…………。
と思ったその瞬間、なんと烏は火を付けられたフィルムのように燃え始め、瞬く間に白い煙に包まれたのだ。
「うわッ。何で!?」
他にも思うところはあるが、私の口からはその言葉しか出てこなかった。だってそうでしょ。動物愛護団体もライフルを担ぎそうな事件が、今私の目の前で起きたのだから。
「どうも!」
しかし心配は無用だった。なぜなら煙がはけるのと同時に、つやっつやの黒髪を持つ幼女が現れたからだ。
「…………おまえ」
「お初にお目にかかります。蒼陽姫! わたくし、大神様の烏にして、名をカヨナと申します!」
そう言ってぺこりと最敬礼する幼女。身長は大体120センチ程。私が三十歳の頃と同じくらいの背丈だ。正直言って可愛い。
…………しかし。
「何がお初だッ。お前あの時の八咫烏だろ!」
「ふぇっ?」
「白を切ると言うのか!」
そう言って私が彼女の小さな肩を掴むと、あろうことか幼女は眼を潤わせながら息を荒くした。
「お前のせいでなッ。…………お、お前の」
さながら小動物のように怯えるカヨナ。しかしこの世界で年は関係ないのだ。もしかしたら彼女は、私より年上かもしれない。だからここはガツンと言ってやる!
「…………おまえ……が」
「お、おお、お赦しくだしゃいっ」
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ。可愛すぎますぅ!
もう怒れない! こうなってしまったらもう怒れません!
「うんうん、いいんだよっ。もう過ぎたことだし、気にしてないよ! なんなら今の今まで忘れてたくらい!」
頬を赤く染め、目から涙を零す幼女を見て、私はつい抱きしめてしまった。
「く、苦しいですぅ」
「あっ、ごめんね!」
そうして私がカヨナから遠ざかると、涙目の幼女は、どこか艶めかしさを帯びながら着物を直す。
「……お邪魔したようなので、日をあたらめます」
「…………あ、改めるね」
頭を落とし、さながら親に叱られて拗ねた子供のように、彼女はそう言い放って背を向ける。これは不味いぞ。一体どうすれば…………。
「あ、お菓子あるけど、食べてく?」
その瞬間、ピタリと身体を硬直させた幼女は、続けざまに肩を振るわせ始めた。しかし怒っているのか、泣いているのか、はたまた嬉しいのか、私には分からない。
「食べないなら、いいんだけど」
少し意地悪く私がそう言うと、彼女は再び振り返る。しかもその顔には笑み。どうやら作戦は成功したようだ。
「よ、よろしいのですか?」
「もちろんだよぉ!」
なにやら恥ずかし気に顔を赤らめる幼女に、恥ずかしながら私はもうメロメロである。出来る事なら、この子にホイップクリームを乗せて食べたい。
そうして私は彼女を部屋に招き入れ、残りのロウソクにも火を灯して部屋を明るくする。
「蒼陽姫っ、これは何と言うお菓子ですかっ?」
すっかり機嫌を戻してくれた幼女は、皿に乗ったケーキに目を輝かせながら、私とケーキを交互に見やって歯を見せた。
「これはね、ケーキって言うんだよ」
「ケーキですかぁっ。私、こんなお菓子初めて見ました!」
うんうん。やっぱり幼女にはケーキだよな。
本当はユキメのために作ったのだが、少女の幼気な笑顔を見れたから良しとしよう!
「そっかそっかぁ」
「た、食べてみてもよろしいですかっ?」
「うんうん。遠慮なんかしないで、たーんとお食べ」
そうして彼女は大きく口を開けて、ケーキを箸で食べ始める。
もはやこの世界の人たちのリアクションは見飽きたが、しかし一様に頬を抑える様はいつ見ても良い。
「美味しい?」
机に頬杖をつきながら私が問うと、少女も両手で頰を抑えながら答える。
「おいひいですっ!!」と。
「それより、私になんの用事で来たの?」
少女がケーキを食べ始めて数分後。私は彼女に一番大切な事を聞いてみた。
すると彼女はケーキを飲み込み、袂から一通の文を取り出して私に手渡す。
「遅ればさせながら! この度はオクダカ様の神前式の件で参りました!」
「遅ればせながらね」
わざとではない言い間違い。そして早口言葉でも練習しているかの様な呂律。全くもってけしからん尊さ。
「ん? オクダカの神前式?」
「はい! 大変おめでたい事に、オクダカ様が川の女神様と身を結ぶのれございます!」
神前式って結婚式のことだよな。あいつ、まだやってなかったのか。
てっきり私を呼ばずに、身内だけで楽しんだものだと思っていた。
「今しがたお渡しした文が、蒼陽姫へのご招待状にございます。ご確認くらはい!」
依然としてケーキを食べ続けながら、カヨナは私に手渡した和紙を指さしてそう言う。
なのでワクワクしながらその内容に目を通してみれば、なんて事はない。ただクソが付くほどの達筆で、オクダカの惚気話がつらつらと書いてあるのみ。そして文末には、是非ともお越し願いたく候。と、何とも畏まった文脈で綴られていた。
「めっちゃくちゃ綺麗な字書くな、あいつ」
などと、表面上では冷静さを取り繕うが、しかし内心は、もの凄ーく嬉しかった。
「という訳で、私の役目も以上でございます!」
私がオクダカの惚気話を読み終えると同時に、カヨナも丁度ケーキを食べ終える。しかし、まだ何か言いたげな様子……。
「あ、あの蒼鷹姫」
「どうした?」
もじもじと、まるでトイレでも我慢しているかの様に、少女は身を捩らせると。瞼を力一杯に閉じて声を張る。
「また、またケーキを食べに参っても宜しいですかっ?」
あああああああああああッ!!!
私をキュン死にさせる気かこいつ! 二度も私を殺す気かこいつ!
「もちろんだよお! いつでもおいでっ!」
「やった! じゃあ、また明日参ります!」
などと、まるで遠慮の欠片も見せない幼女。これはまた、私のお菓子作りの腕が一段と上がりそうだ。
私のケーキを美味しそうに平らげたカヨナを見ると、まるで子供が出来たかのような感覚になる。存外、誰かの為に料理を作るには、愛情も必要なのだな。
そう考えると、私はこの世界に転生して良かったのかもしれない。
「む。誰か来る」
「ど、どうされました蒼陽姫」
ここで感じる一つの気配。この気配は間違いない。
「ソウ様っ、ケーキを作ったと聞いて、ただいま参上仕りました!」
――――ユキメだ。
クリスマスプレゼントを心待ちにしていた子供の様な表情で、ユキメが縁側から入り込んで来たのだ。しかしそれも束の間の事。その表情は、息を吹きかけた洗顔泡の如し儚さで消し飛んでしまう。
「ソウ……様? 何者ですか、その女子は」
「あっ、いやこの子は天陽様の使いで」
「ご学友であるならまだしも、わたくしの知らぬ神を招き入るとは、何事でございましょうか」
ゆらゆらと、影の濃い笑顔を作って、ユキメは私の元へと歩みを進める。
「しかも、ケーキまでご馳走しているとは…………」
「ひいっ」
浮気がバレた不貞夫の気分だっ。いや、その気持ちは知らんけど。とにかくこの状況は不味いッ。
「それじゃあ蒼陽姫、ごちそうさまでしたっ。また明日参りますね!」
そして何という事か、カヨナはそんな私の気苦労を知ってか知らずか、その姿を再び烏に戻し、颯爽と縁側から逃げて行ってしまったのだ。
「また明日、とはどういう意味です。納得のいくご説明をお願いします」
「ユ、ユキメ。…………ケーキ食べる?」
いつもなら食べ物第一で物事を推し量るユキメだが、その夜だけはそう言う訳にもいかなかった。
そうして結局、私はそのあと長い時間を使って、何とかユキメを納得させたのだった。




