〇.五話 転生者らしいこと②
「結婚かあ」
今や先鉾のメンバーでもある私に、その話が回ってきていないのは気になるところだが、しかし今はケーキ作りに集中しよう。
「……もし私が結婚しても、絶対呼んでやらないからな」
今作っているケーキが、なんだかウエディングケーキにさえ思えてくる。
「よし、あとは焼くだけだ」
乗らない気分はもはや無視して、私は小麦粉、卵、砂糖、牛乳を神通力でよく混ぜ合わせて、それをかまどで焼き上げる。
――――そして数十分後。
「おおっ、意外といい感じ!」
数十年ぶりに嗅ぐスポンジケーキの甘い匂い。そして淡い黄色をしたフワフワの生地を見れば、私のテンションは青天井に上がり続ける。
「バタフラーイ今日は、今まーでーのー、ふんふんふーん、ふんふんふーん」
生地を外で冷やしている間、私は鼻歌を口ずさみながらイチゴを洗う。
――私って、意外とお菓子作りの才能あるかもしれないな。
……そう言えば、小学生の頃はケーキ屋さんが夢だったっけか。そんな私が、今じゃ神様となってケーキ作ってるんだもんな。ほんと笑える。
時刻はだいたい昼過ぎ。ケーキに乗せるには戦力外の痩せたイチゴを頬張りながら、私は生地が冷えるのを今か今かと待ちわびる。
「そろそろかな」
そうして縁側に置いていたスポンジケーキを台所に持って行き、釜から生地を取り出す。
「うんうん。いい感じ」
あとは生地の形を整え、独自に作ったホイップクリームでコーティングするだけだ。
「払い斬り!」
先ずスポンジケーキを横半分にカットする。そうしたらクリームを塗ってイチゴを乗せる。そしてもう片方の生地でサンドイッチ。あとは満遍なくクリームを塗って、イチゴを乗せたら…………。
「完成だ! 名付けて、神代ケーキ」
出来上がったのは、おおよそ9人前のホールケーキ。これを西ノ宮で売り出せば、大金持ち間違いなしだろう。けっけっけ。
――――そして九等分に切り分けた内の1ピースを、私は味見がてら口に運ぶ。
「うん。まあまあかな」
やはり生クリームを使っていないので、なんだかさっぱりとした味わいになってしまった。しかしケーキであることに間違いはない!
――――そして待ちに待ったクリスマスの夜。
私は一番にこのケーキを食べて欲しかったユキメを、早速自室へと招いていた。
「ソウ様、これは…………豆腐ですか?」
「そうだよー」
ケーキなんて代物を目にしたことが無いユキメには、これがイチゴの乗った豆腐に見えても仕方はない。
「ユキメの為に作ったんだよ」
「ソ、ソウ様が…………わたくしの為に?」
「うん。いいから食べてみて」
案の定、目に涙を浮かべるユキメは、初めて見るであろうケーキの先っちょを箸で切り分ける。しかし中から現れた黄色いスポンジに、ユキメは眉をひそめた。
「ん、豆腐ではないようですね」
「そうだよー」
「それになんだか、甘い匂いもします」
そんな事を言いながらも、ユキメは恐る恐るケーキの断片を口の中に入れた。その瞬間。
「…………ッ!」
「どう?」
目を見開き、硬直するユキメ。おまけにその片目は、今まで見たこともないくらいの輝きを放っていた。
私のキス、ケーキ以下かよ。
「…………ほ、頬っぺたがっ、落ちそうですっ」
しかし頬を抑えて、まるで子供のように笑うユキメの顔は、この世の何にも代えがたい可愛さを持っている。ああ、この表情を永久保存したい。今度はカメラを作ろう。
「気に入った?」
「んんんっ、まっこと美味にございます!」
パクパクとケーキを口に運んでいくユキメ。いつもならどんな料理でさえ、ユキメを前にすると刹那の内に蹂躙される。しかし今回の彼女はまるで、城攻めでもしているかのように、少しずつ削ってケーキを食べているのだ。それほど食べるのが勿体ないのだろう。
私としても、これほど嬉しいことはない。
「ユキメ、あーん」
私は自分の箸でケーキを切り分けると、それをユキメの口元へ運ぶ。
「へっ?」
「あーんして、ほら」
そしてユキメは、今にも爆発しそうなほど顔を赤らめると、その龍眼を泳ぎに泳がせながら口を開ける。自分から仕掛けておいて何だが、なんだか私まで恥ずかしくなってくる。
「美味しいです。ソウ様!」
たった今、私の願いが一つ叶った。愛する人にケーキを食べさせるという夢が。この箸は、しばらく洗わないでおこう。
「ソウちゃーん、来たよー」
ここで襖の奥から聞こえてくる声。
そう。私はユハンとヒスイも呼んでいたのだ。やっぱりクリスマスは人がいた方が楽しいのだ。
そして彼女らを部屋に入れ、私はケーキを1ピースずつ皿にのせて彼女たちの前に出す。
「ソウ、なんで豆腐に伊致寐姑が乗ってるのよ」
「――だから豆腐じゃないって」
「ソウちゃん、これ食べ物なの?」
「――そうだよ」
などと、ケーキを目の当たりにした瞬間、表情が曇り出す少女たち。しかしこれを食べれば、きっと彼女らも将来ケーキ屋さんを志すはずだ。
「大丈夫ですよ。とても美味しいので、ぜひ食べてください」
まだ自分のケーキが残っていると言うのに、ユキメはヨダレを垂らしながら彼女らのケーキに釘付けになっていた。
「まあ、ユキメ先生がそう仰るなら」
「ふええ。豆腐なのに甘い匂いがする」
まるで今から毒キノコを食べるかのように、ぶつくさ呟きながらケーキの端をつまむ少女たち。だがそんな思いも、ケーキを口にした瞬間ものの見事に変わる。
「…………ッ!」
「…………ッ!」
ここまでのリアクションはユキメと同じだ。さあ、ここからどう反応する!
「――――何よコレッ!」
甘いものが好きなヒスイは、これまで見たこともない、さながら鬼のような形相で次から次へとケーキを食べ始める。
しかしユハンはケーキを口にした瞬間、白目をむいて畳に倒れ込んでしまった。
「ユハンッ?」
「ソウ様、どうやら気を失ってしまった様です」
クソッ、ユハンには刺激が強すぎたか。
「栓ないですね。ユハン君のケーキは私が頂きます」
「言ってる場合か! ユハンを医務室へ連れていかないと!」
そしてなんやかんやで、ユハンはその数秒後に目を覚まし、獣のように虎視眈々とケーキを狙うヒスイとユキメに見守られながら、初めてのケーキを食したのだった。
――――翌日。私は官学の授業が午前で終わってしまったので、余ったケーキを天都へ持っていくことにした。とは言っても、昨夜私たちでもう一切れずつ食べたから、残り1ピースしか残っていないが。
しかしこの最後の一切れを、一体誰に食べさせればいいのだろう。
あ、そうだ。一番最初にすれ違った神にご馳走しよう。
そう心に決めた私が、ポケモンでも探しているかのような心持で、天陽様の社を練り歩いていると、向こうから歩いて来る一柱が目に入った。
「これはこれは、蒼陽姫。今日の授業はもう終わったのですかな?」
カナビコだ。
ちょっと心許ない気もするが、しかし幾千もの年月を生きている彼が、一体どんなリアクションを見せてくれるのか期待も募る。
「うん。それよりさ、ちょっと食べて欲しい物があるんだけど」
「食べて欲しい物?」
「そうそう。どこか空いてる部屋とかないかな」
「…………?」
そうして私は、小首をかしげるカナビコに案内されるまま、何部屋もある社の一室に足を運んだ。
「ほう。豆腐を食べて欲しいと」
「いやこれは豆腐じゃなくてね、ケーキって言う甘味なんだけど」
「けえき?」
「まあまあ、ちょっと食べてみてよ」
皿に乗ったケーキを不思議そうに眺めるカナビコ。どうやら生まれて初めて見るようだ。
そしてカナビコが箸でケーキを突こうとしたその時。
「こんな所にいたのかカナビコ!」
そう声を張り上げながら、襖を開けて入ってくる一柱。相変わらずやかましい声の持ち主は、先鉾の一柱であるサカマキだった。
「おおサカマキ。どうかしたのか?」
「大したことではない! 蒼陽姫も、久しゅうございます!」
「やっほ」
なんだか久しぶりに会った気がする。
「おお、蒼陽姫がこれを食べて欲しいと申されてな」
そうしてカナビコがケーキを指さすと、サカマキもそれを食い入るように眺め始める。
「これは豆腐か!?」
「いや、ケーキとか言う面妖な甘物じゃ」
「そうそう」
流石はカナビコだ。物事の飲み込みが早い。
するとここで、再び襖が開く。今度は誰だ?
「おお! クサバナか! どうしたのだ!?」
サカマキのビッグボイスを直に食い、眉間にシワを寄せる眠たげな女神。
クサバナは主に罪人を裁く仕事をしているのだが、その多忙さ故に、あまり見かけることはない。
ちなみに、彼女と会うのはこれで二度目だ。
「ここ、クサバナの昼寝部屋」
「そうか! それはすまぬ事をしたな!」
まるで謝る気がないサカマキをよそに、カナビコは彼女を宥める様に口を開く。
「しかし見よクサバナ。なんと蒼陽姫が、我らのために菓子をこしらえてくれたのじゃぞ」
つっても1ピースしかないけどな。
そしてクサバナは薄ら目を開け、皿に乗った一切れのケーキを見やると、朧げな表情のままにこう呟く。
「…………豆腐?」
それはもういいだろぉ。しかもカナビコが菓子だってさっき言ってたよね!
「クサバナ。これはな、ケーキとか言う甘物じゃ」
まるで三歳児に言い聞かせる様に、カナビコは膝に手をついて説明した。
「けえき。クサバナも食べる」
「そうかそうか。ならば先に食うてみよ」
「うむ! それがいい! ちなみに私は一番最後で良いぞ!」
なんか譲り合っている気がする。こいつら、私が毒でも盛ってると思ってるのか?
「……蒼陽」
ここでクサバナが私に顔を向ける。
「ん? なに?」
「お腹壊したら裁くから」
彼女は目を見開き、その感情のこもっていないオッドアイを私に向けると、確かな冷たさを孕みながらそう言った。しかも流暢に。
――こ、怖ええええええええ!
「や、やはりわしが先に頂こう」
私を気遣ってくれたのか、カナビコは冷や汗を流しながら箸を持った。
こいつら、一体私を何だと思ってるんだ……。
「何だ。やっぱりお前らか」
そうして、またしても飛び入る声。何となくそんな予感はしていたが、やはり襖を開けたのはオクダカだった。
「お主も来たのか、オクダカ」
「そりゃあ、こんな一室に、先鉾の神霊が四つもありゃな」
「オクダカ! 蒼陽姫がけえきとやらを作ってくれたぞ!」
「…………オクダカ、先に食べて」
まさかこんなくだらない事で、先鉾が一堂に会すとは思わなかった……。
「言っておくけど、豆腐じゃないからね」
「そうじゃ。これはケーキと言う甘物じゃ」
「けえき?」
「ああ! 最後に入ってきたお主が先に食え!」
「オクダカ早く」
その押し付け合いやめてくれー。そういうのが一番傷つくんだぞ。
すると、そんな私の悲しみを感じ取ったのか、ここでカナビコが妙案を出す。
「ならば、全員同時に食おうではないか」
「成程、それは良い案だ!」
「なら私が切ってあげる」
「なあ、けえきって美味いのか?」
確かにいい案なので、私はなるべく均等になるよう切ってあげた。じゃないと、誰が一番大きい方を食べるかで、揉めることは明白だからだ。
しかしイチゴはどうしても等分できないので、これは一先ず端の方へ退けておくことに。
「じゃあ、せーので食うぞ」
オクダカがケーキを箸でつまむと、全員に目を配りながらそう言う。まるでロシアンルーレットでもやっているような雰囲気だ。
「相分かった」
「いつでも行けるぞッ!」
「眠いから早く」
もうお前らには絶対作ってやらないからな。
――――そして全員がほぼ同時に、もはや一口サイズにまでなってしまったケーキを頬張った。
「…………ッ!」
「…………ッ!」
「…………ッ!」
「…………ッ!」
よし。ここまでは予想通りの反応だ。ここからだぞ、本番は。
「なんだよ…………これ」
オクダカは額に冷や汗を浮かべながら、まるで飴玉でも溶かしているかのように、その口をもごもごさせる。
「ほぅ。これは中々に甘美じゃの」
やはりお爺ちゃんであるカナビコの反応は薄い。しかし目を閉じ、いつまでも箸を口に突っ込んでいる辺り、驚いている事に違いはない様だ。
「この酸味と甘みが溶け合う感じッ。誠美味なものなりッ! 此の様な甘味は初めて食す!」
意外にもサカマキは、他の誰よりも目を輝かせながら、事細かに感想を述べてくれた。
「…………蒼陽、クサバナ、もっと食べたい」
私よりも少し背の高いクサバナは、私の袖を握りながら眉根を吊り上げると、まるで子供のようにそう言った。
これは可愛いぞ…………。
「悪いんだけど、もうこれで全部なんだよね」
どうだ思い知ったかっ。たった今口にしたその一欠片を、後悔の念と共に味わうがいい!
「えぇ、クサバナ、もっと食べたいぃ」
「けえきとか言ったか? おひい様、あんた天才だぜ」
などと目を丸くする二柱を他所に、カナビコとサカマキは皿に残ったイチゴを眺めている。
いや、そんなまさかな。ここにいるのは皆神様だ。たかがイチゴで喧嘩はしないだろう。
「して、この残った伊致寐姑、だれが食う」
――――カナビコは髭をモフモフしながらその言葉を放った。しかしそこに、いつもの穏やかさはなく、ただただ不穏な空気が流れ始める。
「誰って。決める方法は一つしかねえだろ」
「なんだオクダカッ?」
「いや、それを一番知っているのは、あんただろ。じじい」
オクダカの鋭い眼差しがカナビコを突き刺す。
対するカナビコは、その言葉に口角を僅かに上げると、まるでオクダカの動向を探るかのように口を開いた。
「そうじゃな。ここは公平に、じゃんけんと行こうか」
「っふ。耄碌したなじじい。俺に負けるのが怖いのか?」
二柱の間に沈黙が生まれ、そこに残された私たちが介入する余地は、もう無い様に見える。
「ふぉっふぉっふぉ。小童が、格の違いを分かっておらぬようじゃのお」
挑発するかのような言葉に、オクダカの表情に笑みが浮かぶ。
「じゃあ、表に出ろや」
「いい機会じゃ。誰が先鉾で最強か、お主に教えてやるわ」
「望むところだ」
そうして二柱は、火花を散らしながら部屋を後にする。…………すると。
「待てッ! 私も加わるぞッ!」
と言って、サカマキも彼らの後を追っていった。
「はぁ。もう帰ろ」
などと、ため息交じりに私がそう言うと、クサバナがおもむろにイチゴをつまみ上げ、あろうことか何の躊躇いも無く、それを口の中に放り込んだ。
「…………あ」
「蒼陽、ご馳走様。クサバナは疲れたから、もう寝る」
「うん。おやすみ」
もう知らね。




