【番外編】残酷な現実
これは、最後の禊祓が終わってから、数十年が経過した冬のある日のこと。
ちなみに今の私は九十歳。身長も153センチと、かなり視界が高くなった。
そしてこれは内緒の話なのだが、この胸のふくらみは、なんと全く成長していない。良く言えばAカップ。悪く言えば絶壁…………。
「って、聞いてるの?」
「…………えっ?」
長机とベンチのような椅子が並んだ、榮鳳官学の大広間。しかしその夜は、やけに生徒たちが盛り上がっており、たゆまぬ熱気がつねに空間を支配していた。
そして私も、午後の空腹を満たすため、いつもの二人とここへ来ていたのだが……。
「ソウちゃん、大丈夫?」
しまった。ヒスイの胸があまりにも羨ましすぎて、私の心が挟まれてしまっていた。
「う、うん、大丈夫。で、何の話だっけ?」
「来週の榮鳳祭よ」
榮鳳祭とは、競い遊び同様、10年に一度開催される、言わば文化祭のような行事だ。
「ああ、もうそんな時期かあ」
官学の夕食は取り放題のバイキング形式。私は皿に盛り付けた鴨肉を、箸で口に放り込みながら呟く。
「前回は全部回れなかったからさ、今度こそは制覇したいよね」
「わえもそうしたいけど、どうしても時間がねぇ」
ユハンは出会った頃とは違い、表情がかなり引き締まってきた。そして口癖の「ふえぇ」も比例して少なくなった。嬉しい様な寂しいような。
「だから計画を練ろうって話をしてるんじゃない」
ヒスイはそう言って頬杖をつく。しかも何の冗談か、机上に胸まで乗せて。
今の私たちは、人間で例えたら齢11歳ほどだ。しかしヒスイの胸は二十歳レベルのふくよか具合。いったい何だこの差は!
「ヒスイ、いつも何食べてるの?」
「何って、毎日一緒に食べてるんだから、ソウも知ってるはずでしょ」
「だったらこの差は何さ!」
「あなた、一体なんの話をしてるのよ」
まるで会話が噛み合っていない。
はいはいそうですか。どうせヒスイには、持たざる者の気持ちなんて分からんのでしょうね。…………っけ。
「それにしても、今日の広間はちょっと熱いわね」
などと言って、ヒスイは紋様羽織を脱ぐ。そして露わになるは、たわわに実った二つの果実。ッチ。
「そうかな。わえは丁度いいけど」
「うん、あたしも」
官学の大広間は、秋と冬の寒い季節の間、炎千石と呼ばれる、無限に燃え続ける石を使った暖房システムがある。さらに大広間自体が、くりぬいた山の中に造られているため、断熱効果もバツグンだ。
「もう少し温度下げてくれないかしら。上衣の中が蒸れて仕方ないのよね」
そう言ってヒスイは、袂から取り出した白い手拭いを、あろうことか上衣の隙間に突っ込んで、おもむろに胸の間を拭き始めた。その表情はどこか恥ずかしそう。
「大変だねぇ」
「ふえぇ」
もちろんその行動に他意が無い事も分かっている。分かっているけど、羨ましい。
「それに最近、なんだか肩も凝るのよね」
まるで長時間机に向かいっぱなしだったかのように、ヒスイは肩を抑えて首を回す。その表情はどこか辛そうだ。
「へー」
「ふえー」
羨ましい悩みだ。全く持って、羨ましい。
「あとさぁ、なんか男子の目が、嫌らしいのよ」
そう言ってヒスイは眉間にしわを寄せる。その表情はどこか怒っているようにも見える。
「へーっ」
「ふえー」
だが、その目が一体どんな目なのか、あたしは知らない。
「あと聞いてよ。わたし最近、武術の授業で思うように動けなくなったのよね。角が重くなったのかしら」
ヒスイは頭に生えた羊のような角を触りながら、疲れ切ったOLのように深い溜め息を吐く。その表情はどこか悩まし気だ。
「へー!」
「ふえええ」
もっと違う要因だよ。
ちなみに私は、武術の成績がバツグンに良い。先生にも、男子より良く動けていると評価されるくらいに。
「どうしたの二人とも。目が赤いわよ」
「へーッ!」
「ふえええええ」
ヒスイが不思議そうな顔で私たちの眼を見ている。ちなみに龍人の眼は、感情の起伏に反応してよく光る。特に怒った時なんかは、本当によく光る。
しかしヒスイは、そんな私たちに構うことなく、皿に乗ったミニトマトを箸でつまんだ。
「あっ」
だが、その丸くてつるつるのプチトマトは、逃げるよう箸から零れ落ちると、あまつさえ彼女の胸の上でワンバウンドして、再び皿に戻るという偉業を成し遂げた。
「へぇぇッ!?」
「はぇぇえ!?」
器用なのか不器用なのか、はっきりして欲しい物だ。
そしてヒスイは、なぜか箸で再チャレンジを試みる。もう手でつまめばいいだろ、とさえ思う。
「あっ」
しかし失敗。そしてトマトは胸の上で、さながら体操選手の如し華麗なジャンプを決めて、みごと皿へと舞い戻った……………………。
「器用かッ!」




