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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第四章 常しえに咲きし妖花
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〇話 二度目の禊③

吾月ごがつなあ。吾月はなあ。何と言えばよいか」

天陽あまはる様の事を“お姉さま”って呼んでましたけど。妹なんですか?」


 顎を指で挟みながら、彼女は天井を見上げる。


「まぁのう。あ奴も昔は天都あまつに住んでおったのじゃ」

「へえ。じゃあ今はどこに?」

「昔色々あってな。今は夜の世界…………」


 そこまで言ったところで、彼女の頬がリスのように膨らむ。一体どうしたのだろう。


「よっ、夜のせかっ、っぷぷ。夜の世界っに。ぷっはっはははは。だめじゃ、もう言えぬ!」


 なんであんなジョークでツボってるんだよ。頼むからしっかりしてくれー。


「夜の世界にいるんですか?」


 正直、夜の世界が何なのかも分かってはいないが、ここは話を進めるため、取りあえず分かったようなふりをする。


「っふふ。そうじゃ」

「それで? その吾月の目的は何なんですか」


 ひとしきり笑った後、彼女は長い深呼吸を終えて話を切り出す。


「余が何故、中つ国を平定しようとしているのか、ひふみは考えたことがあるか?」

「天都のような安寧をもたらすため。ですよね?」

「それは表向きじゃ」


 表向き? じゃあ本当の理由は何だ。っていうか吾月と関係あるのかそれ。

 などと、私が口を紡いで考えていると、天陽様は視線を落とし、どこか切なげな表情で言葉を続ける。


「余はな、いずれこの中つ国も、お主の世界のようにしたいと思うておる」

「私の世界?」

「うむ。お主のような、人間が台頭する世界にのう」

「…………なるほど」

「じゃがそのためには、我ら八百万の神は、人間に影響を与えぬよう身を隠さねばならぬ」


 という事は、いずれ私の世界みたいに、人間は神様を認識することが出来なくなるって事か。なかなか興味深い話だが。しかし、それに反発する神もいるんだろうな。


「つまり、それが気に食わない神もいるって事ですね」

「そうじゃ。もともと天界に暮らしておる神は得心しておるが、国つ神はこれに真っ向から反発した」

「それが、800年前の平定ですか?」

「お主は勘が良いのお」


 よく言われる。人間だった頃は、割といい高校にも行っていたし。

 しかし歴史は苦手だ。特に日本史。あと政治も。あと経済も。あと体育も。そして、もっと神話についての勉強もしておけばよかった。と、今さら後悔が募る。


「そして、それらを率いたのが吾月じゃ」

「え、でも吾月って当時は天津神だったんですよね?」

「あ奴は、自分たちよりも遥かに劣っている種が、国を支配することが気に入らなんだのじゃろう」


 うーん。その気持ちは分からなくもない。私も昔は人間だったが、今こうして神として生活していると、このまま神々が国をまとめていた方がいい様にも思えるのだ。


「故に、吾月は決して余とは相容れぬ存在となった」

「…………でも、再び現れた」

「うむ。吾月は夜を統べる神ゆえ、陽が沈んだ時や、日食の時にしか降ることは出来ぬ。しかし今も、神使や配下の神を使って、色々やっとる様じゃ」


 配下の神。てことは、今もどこかで生きている双子も、吾月の思想に感化されて国つ神になったってことか?


「恐らく今も、吾月は平定を阻止しようと、企んでおるのじゃろうな」

「恐らく、ですか」

「あ奴は昔から、何を考えておるのか分からなんだ。故によく喧嘩もした。ある時は余が負けて、そのショックでずっと引きこもっていた時期もあったのう」


 なんか聞いたことあるぞ。


「もしかして、鏡に映った自分を、他の神と勘違いして出て来たってやつですか?」

「えっ、何で知ってるの?」


 やっぱりか。過程は違えど、やることは一緒って事だな。


「まあ、私の世界の神様も同じ事してましたから」

「天照もか?」

「ええまあ。それより、そろそろ禊祓を…………」


 禊の部屋に来てからかれこれ30分以上は経過している。別に天陽様となら何時間でも一緒にいられるが、それ以上に私はユキメといたい。


 しかし天陽様は私の言葉を聞くと、まるで子供のように空気を頬張る。


「何ですかその顔」

「禊が終われば、一二三は帰るんだろ?」

「そりゃあ、…………まあ、ええ」


 そりゃそうだ。と、きっぱり言おうと思ったが、しかしその後の天陽様の気持ちを考えると、どうにもやるせないので、私は少し言葉を濁した。


「寂しいのう。つれづれよのう」

「天陽様だって、まだ飛儺火の仕事が残ってるんじゃないですか?」

「っぐ。余計なことまで思い出させおって」


 そして、ようやく禊祓が執り行われることになり、私は心の底から安堵のため息を吐いたのだが、しかし私は、この儀式の恐ろしさを忘れていた。



「じゃあ、いくぞ」

「どんと来い!」


 三十歳の頃は死ぬかと思ったが、しかし今の私からすれば、こんなのはただの水浴びだ。今日こそは耐えてみせるぞ!


 ――――そうして頬に当たる雨粒。最初は小雨の様だが、水の量は飛び石を渡るように増えてゆく。


「ぬるいですよ天陽様っ。もっと強くできないんですか?」

「……………………ハァ」


 その言葉を皮切りに、降水はどんどん強くなってゆく。今の強さを例えるなら滝行だ。あの頃の私なら、きっと立ってはいられなかっただろう。

 だがその水圧は、まるで階段を二段飛ばしで登るかのように、助走なく強大なものとなってゆく。


「ぅぐぐ。…………まだまだ」

「なあ、禊祓はそういう儀式ではないんじゃが……」

「何言ってるんですかっ、私はまだ行けますよ!」

「正気かひふみ」


 天陽様の呆れた様な声が僅かに聞こえるが、今の私にはもっと強い衝撃が必要だった。


 頭の中に渦巻く不浄。特に、謎めいた吾月の、その目的に対する不安や、誰かに助けられてばかりの、自分の弱さへの怒り。他にも色々と思うところはあるが、私はその一切を、この流れる水と共に、自身の奥底に留めたいのだ。


「ッッく!」


 訂正する。これは水じゃない。このアラナギの神通力を食らっているかのような負荷。これはもはや山だ!


「おーい。本当に死んでしまうぞ」


 息もできない。足もガクガク。だがまだ行けるはず。私は、私は…………ッ。


「はいお終い!」

「…………ぷはっ」


 通り雨のようにピタリと止んだ奔流。整えようにも言う事を聞かない呼吸。けれど、まるで心を押しつぶすかのような、あのどうしようもない気がかりは、この腹の底へと堕ちて行った。


「もう少し行けたのに!」

「駄目じゃ。それに、着物も着崩れとるぞ」


 気づけば肩まで丸出しになった肌。しかも水行のせいで真っ赤に腫れており、私が見てもどこか痛々しさを覚える程。


けど、これでいいんだ。お陰で雑念も、多少は消えてくれたようだし。


「…………天陽様。中つ国の平定は、どれくらいの所まで進んでるんですか?」

「残るは、飛儺火より東部にある諸々の小国と、西ノ宮より遥か西方の国々だけじゃな」

「結構進んでるんですね」


 びしょ濡れの着物を、天陽様の神通力で乾かしてもらいながら、私は乱れた髪を整える。


「まあ、先鉾や他の天津神が、献身的に取り組んでくれとるおかげじゃ」


 そう言う天陽様の表情にはどこか影が残る。しかしそれは私も同じだ。確かに飛儺火の平定は多難だったが、それ以外は不気味なほど順調なのだから。


「何で吾月は、動かないんですかね」

「それは分からぬが、足を速めることに越したことはない。故に一刻も早く中つ国から信仰を集め、吾月の策に対応できるようにせねばなるまいぞ」


 私の着物を撫でるように乾かす天陽様。まるでアイロンで仕上げたかのように綺麗だが、私たちはこの着物のようにサッパリとは出来ずにいる。それでも今は、この心を強く保たせなければ。


「そうですね。ならサクッと、残りの国も統治しましょう!」


 そう言って私が笑って見せると、天陽様はその綺麗な顔を綻ばせながら、私の冷え切った体を優しく包み込んでくれた。これは、これまで幾度となくあった、一方的なハグではない。もっと、愛情の込められたもの。


「…………天陽様?」


 今思えば、彼女にしっかりと抱きしめられたのはこれが初めてだ。しかしなかなか悪くない。

 まるで野原で寝転んでいるかのような心地よさ。そして日に包まれているかのような落ち着く匂い。耳と耳が触れ合う感覚。手を回した時の、天陽様の暖かい背中。聞こえる息遣い。そのどれもが、いま私を包み込んでくれている。


「無理はするな」


 初めて耳にするその濡れたような声。まるで曇天に隠れた太陽のような控えめさ。今は神様とはいえ、元人間の私には、もったいないくらいの幸福だ。


「はい。大神も」


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