【番外編】支え合う二柱
龍神蒼陽姫命が、刻返りから帰って8年の年月が過ぎたころ。昼下がりの心地よい晴天が、さんさんと天都を照らす、そんなとある一日の物語。
「うーん、ちょっと貰いすぎたかなあ」
天都に宛がわれた蒼陽の仕事部屋。そこで彼女は、一人黙々と大量の手紙を仕分けており、その幾枚もの和紙が摺り合う乾いた音は、まるで手紙が呼吸しているようにも聞こえる。
彼女は過去で救出したユキメに、たくさんの文を書いてもらっていた。しかし実際、自分の世界では、ユキメが死んでいるという事実を伝えていないため、その内容は全て取り留めのない内容になっていた。
もちろん蒼陽に宛てさせた手紙ばかりではない。それは兄のフウや、コウやリンに対して書かれた物も多かった。
「これはまだ渡さなくていいかなぁ」
そんな中、一通の手紙を手に取った時、彼女はぼそっと呟く。
「…………なんだこれ」
蒼陽はユキメがしたためた手紙を、とある節目ごとに一通、目を通すのが習慣になっていた。そして今年の春。その手紙に目を通した蒼陽は、すぐさま天陽の住まう社へと足を運んだのだった。
※※※※※※※※※※※※※
「君。蒼陽姫がお越しになっています」
「ほーい」
天陽の社。その内部にて、侍従の一柱が襖の手前で声を通すと、その奥から聞こえてくるは腑抜けた返事。
しかしそんな間延びした声は気にも留めず、侍女はただ静かに襖を滑らせ、蒼陽を中へと通した。
「ひふみっ、よう来たのぅ」
相も変わらず膨大な仕事を抱えている天陽だが、蒼陽の姿を目にしたとたん、彼女は全てを中断して足を平らにした。
「ひふみの方から出向くとは、いと珍しいこともあるもんじゃ」
「あはは、まあちょっと聞きたいことがありまして」
蒼陽は入り口のすぐそばで正座すると、人差し指で頬を撫でながら苦笑い。
「聞きたいこと?」
「ええ。まあ」
彼女はこの世界に転生して間もないころ、龍の里にて一読した、とある文献に書かれていた内容を思い出していた。
「黄泉の国のことなんですけど…………」
黄泉の国。それはすなわち死者の国であり、蒼陽はそこに通ずると言われている一本の道を知るべく、彼女の元を訪ねたのだ。
しかしその名前には、日ごろ陽気な天陽も表情を歪ませる。
「はぁ、いつか聞かれると思っておった」
「えへへ」
「黄泉の国へは行かせぬぞ」
「えへ……へ?」
想定していなかった言葉。蒼陽大好き天陽のことだから、もちろん彼女が快諾してくれると蒼陽は思っていたのだ。
「大体、お主は黄泉の国の事をなんも分かっとらん」
「天陽様のお母さんがいるんですよね?」
「そうじゃ。…………ん、なんで知っとるのじゃ?」
「有名な話ですよ」
にこにこと笑って答える蒼陽。しかし、彼女は手紙に書いてあった物語を読み、ただ偶然に知っただけに過ぎない。
「そうなのか。なら尚更駄目じゃ!」
「何でですか!」
「駄目なものは駄目じゃ!」
頬に空気を溜める両者。だがお互い一歩も退こうとはしない。しかし蒼陽には切り札があった。
「なら別天津神にお願いしてきます」
「なっ!」
蒼陽は、飛儺火を平定した見返りに、刻返りという褒美を受け、さらにその過去では、己の利益だけを追求せず、他者のため健気に尽力した様子が、まさに神の如し偉業として評価されていた。つまりこちらの蒼陽にはコネがあるのだ。
「待て待て、分かった。お主の頼みを聞いてやるのも、余の役目じゃ」
「やった! 天陽様だいすき!」
そう言って駆け出すと、天陽の胸元に顔を埋める蒼陽。しかしこれも立派な作戦。
「ま、まあのぅ」
幼気な少女の如し笑顔を向けられ、余計断りづらくなってしまった天陽は、そんな蒼陽の頭を撫でながら僅かに微笑む。
「それじゃあ黄泉への行き方、教えてくれますか?」
なんとしても蒼陽からの好感を得たい天陽は、これも彼女ためと、少女の我が儘に小さくため息を吐いた。
そしてその数分後、天陽は蒼陽のために、黄泉のルールを説明する時間を設ける。
「よいか。まず黄泉の国とは、死した者の霊魂が行きつく場所じゃ」
「知ってます」
「そして、黄泉の食べ物を口にすると、黄泉の住人となってしまう。恐らくユキメは、もう食べておるじゃろうな」
「間違いないと思います」
榊の枝を、ぽんぽんと手の平に打ちながら天陽は教鞭を取り、そしてその手前で、蒼陽は膝を正して相槌を打つ。
「そして何より注意すべきなのが、黄泉の国では明かりを灯してはならぬという事」
「なぜですか?」
「我が父は、それで母に殺されかけたのじゃ」
「なるほど。つまり姿を見てはいけないという事ですね」
「そうじゃ!」
枝の先を勢いよく蒼陽に向け、天陽は声を尖らせる。
「お主はこの誓いを守れるか?」
「愚問ですね。私の愛は、何にも負けませんよ」
まるで太陽のように力強い眼差し。かつて失い、そして取り戻したその光は、もはや誰にも止められるものではない事を、天陽は良く知っている。
「そうか。お主は変わらぬな」
目を細め、微笑む天陽。そんな彼女の表情は、うら寂しげでもあり、そしてどこか嬉しそうな表情でもあった。
「ところで、もし仮に余が死したら、一二三は黄泉に来てくれるか?」
「…………うーん。多分行くんじゃないですか?」
「多分てなんじゃ多分って!」
「えへへ」
――――そうして、黄泉での振舞い方をある程度教え込まれた蒼陽は、中つ国にあると言われている、黄泉へと通ずる道も地図に示してもらい、早速天陽の部屋にて身支度を整えていた。
「お主を見送るのは、これで二回目じゃのぅ」
そんな中、天陽は切なげな顔ばせでそう呟いた。
「なんか言いました?」
「ん? いや、何も」
「大丈夫ですよ。今度もちゃんと帰ってきますから」
「そう信じておる。お主には、加護もあることだしのう」
「加護?」
「ふふ。願いを聞く神もおれば、また願う神もおるって事じゃ」
「何ですかそれ」
頭に疑問符を浮かべる蒼陽を見て天陽は笑う。そして蒼陽という存在の大きさを、彼女は改めて実感していた。
「お主らは支え合うという事を知っておる。この世界にはまだ根付いておらぬそれは、一二三にとって強みとなろうぞ」
「えー。急にらしくないこと言って、どうしたんですか?」
「うるさい。早く行かぬと、ユキメがどんどん黄泉の食べ物にハマってしまうぞ」
「っふ。そうですね」
そうして蒼陽は、縁側に立って首元の龍玉を美しく光らせる。その輝きは太陽のように眩しく、そして、彼女の心の内を表しているかのようにも見えた。
「じゃあ、行ってきます」
伊邪那岐命が覗いていなければ、二柱は再び一緒になれたと思っています。




