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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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いろはにほへと

 時は少し遡り、天都が飛儺火を平定せんと ソウと幾柱の神々を飛儺へ送り込んだその日。

 天には鏡のように美しい丸い黄色が浮かび、秋の澄んだ夜空をその輝きで照らしている。


「ひゃっ、ッぶねー間に合ったッ。アイツ滅茶苦茶やりやがってッ!」


 ユキメを助けるために過去へと遡って来た蒼陽は、現在飛儺の遥か上空にて不満を叫んでいた。

 だがそれもそのはずで、彼女はもう一人の自分が戦闘の際に発動させた神通力の、その半径100メートル近い爆発から辛うじて逃れていたのだ。しかし術者であるソウは、その爆発を数秒で収めたため、爆風などによる追撃が一切なかったのが最大の救いでもあった。


「…………つってもあれも私だもんなぁ。ほんとアホだなあ」


 などと、蒼陽はもう一人のソウを眺めながらぶつくさと呟く。

 そしてその片手には、ソウとの戦闘で再起不能となったアラナギの姿。彼女はユキメをソウの元へと送り届けた後、本来なら殺されていた筈のアラナギを命からがら助け出していた。


「私ですらあそこまではやらなかったぞ」


 そうして不満を零しながらも、彼女は天龍体のままで思考し、気絶したアラナギをひとまず避難させるという結論に至る。ここで彼が死んでしまったら、弟のアラナミが龍狩りを率い、ソウを殺しに来ることが明白だったからだ。


「ほんっとに感謝しろよな。誰一人殺さずに済んだんだし。この先の七十年も経験できるんだし、何よりお前は、ユキメと一緒に暮らせるんだし…………」


 まるで友達に愚痴を吐くかのように蒼陽は呟く。しかしその表情はスッキリとしたもので、口角は僅かに上がっている。


「さてっ、私もそろそろ帰らなきゃだし、こいつをアラナミの所まで送ってやるか」


 ユキメの救出から約十年。蒼陽は毎日毎日を悠々自適にユキメと過ごしていた。それはもう楽しく。

 しかし刻返りのタイムリミットが刻々と迫る中、彼女はアラナギの救出に、残り僅かな時間を費やすことを選んだのだ。


「んーと、ユキメからもらった髪飾りはあるし、ハグもいっぱいしたし、渡す物も渡したし、言い残した言葉もない。よし!」


 龍昇による飛翔の中、彼女は指を折りながらこれまでの十年間を振り返った。そして一つ一つの思い出を掘り起こしては、その表情を絶えず変えさせる。――――そして。


「…………ここは」


 爆発が起きてから数分した後、腰の帯を蒼陽に掴まれ、空中で“くの字”の体勢のままアラナギは目を覚ます。

 そんな彼の最後の記憶は、胸倉を掴まれて上空へと投げ飛ばされた瞬間までだった。それからの事はまるっきり覚えてはいないが、しかし死への恐怖だけは彼の心の中に深く沈殿していた。


「目覚めたか?」


 過酷な戦いによって、神体も神霊も崩壊しかけているアラナギは、蒼陽からの声掛けによってなんとか意識を引き留める。


「…………お主は」

「十年ぶりだね」


 別世界のアラナギとはいえ、彼は本来ユキメを殺すはずだった憎むべき敵。しかし今の蒼陽は、その憎悪一切すらを抱いてはいない。


「船上の龍神ですか」

「そうだよ」


 そしてアラナギは、まるでボロ雑巾のようになってしまった自身の姿を見て一言呟く。それは独り言を零すように、ゆっくりと静かに。


「…………負けたのか」

「……………………うん」


 これまでは敵として幾度となく顔を合わせてきたアラナギの、その初めて垣間見る表情に、蒼陽の心は複雑な感情を作り上げる。敵とはいえ、アラナギは大切なものを守るために戦っていた。そしていざその視点に立ってみれば、アラナギはただ英雄でしかなかったからだ。


「なんで。…………なんで十年前、私たちを襲った?」


 ――――故に蒼陽は苛立っていた。アラナギを殺すことになったのも、飛儺火が平定されたのも、すべては十年前の強襲から始まり、結局は全て彼らの自業自得なのだから。


「月が、肉塊のように真っ赤な月が浮かぶとき、その答えは分かるでしょう」

「何だよそれ」

「我らが何故、天都を離れて吾月様に降ったか、分かりますか?」

「いや…………」


 虚ろな思考で、そしてその口元もおぼつかない中、アラナギは振り絞るように言葉を出し続ける。

 しかし、そんな彼から投げられた質問は、蒼陽の頭に疑問符だけを浮かばせた。


「俺たちは、中つ国平定の神勅を受け下界へと降臨した。そして出会ったのが、結舞月という名の国つ神でした」


 その言葉を聞いて思い出すのは、王狐族の村で聞かされた飛儺のおとぎ話。


「竹から生まれた姫か」

「っふ。あの話を聞いたのですね」

「まあね。どうにも信じられないけど」

「無理もない。伝説とはそういう物です」


 そして数秒の沈黙を置いた後、アラナギは言葉を続ける。


「結舞月は、常世の国つ神だ」

「常世の国って、あの?」


 アラナギの口から出た常世の国と、十年前、蒼陽が実際に平定した常世の国は、奇しくも同じ場所を指していた。しかし何故ここでその名前が出てくるのかは、蒼陽自身も分からずにいる。


「ああ。数百年前、俺たちが降臨したのは飛儺ではなく、常世の国なのです」

「おとぎ話だと、飛儺になってたけど?」

「あの話は、民の信仰を得るための作り話にすぎません」

「じゃあ、双子が結舞月ユイゲツに求婚したって話は?」


 その言葉を聞いた時、アラナギは気管に溜まっていた空気を押し出すかのように笑う。


「結舞月に縁談を申したのは誠の話。その後の無茶な要求もしかり」


 年寄りが思い出に浸るかのような和やかな笑み。だが彼は、そんな表情を一変させて次の言葉を始める。


「…………しかし実際、俺たちは吾月様に踊らされていただけに過ぎなかった」

「まてまて、お前らは吾月に忠誠を誓ったんじゃなかったのか?」


 十年前の船上で、彼らは確かに吾月のことを崇めていた。しかし蒼陽は、そう思えば思うほど、つい先ほど放たれた言葉に矛盾を感じてしまう。


「……そこが、あの神の恐ろしい所だ。吾月は一柱だけではない。いや、一柱のみでもある。お主もこれまで出会って来たはずです」

「おい、もっと分かりやすいように言え!」


 ソウとの戦闘で霊力を使い果たし、あまつさえ神霊にまでも修復困難なダメージを負ってしまったアラナギだが、しかし舌を噛み切るほどの余力は残っている。そんな彼がなぜ、蒼陽にここまで話をしてるのか。それは、最後の願いともとれる強い思念があったからだ。


「最期に、結舞月に会わせて欲しい」

「今向かっているから、さっきの話をもっと詳しく!」

「…………結舞月に、会えば分かる」


 その言葉が蒼陽の足を速めた。それはアラナギの為でもあり、焦りでもあり、敵の正体を早く知りたいと言う苛立ちでもあった。


「クソッ、何なんだよ一体!」


 アラナミの神霊にたどり着くまで残り僅か。蒼陽に残された時間も後少し。そして、何か途轍もない事が起きているという、心に巣食う形容し難い恐怖。その全てが、蒼陽の神霊を徐々に侵し始めていた。


 ――――そうして飛儺火の国々を通り過ぎ、その遥か北方。鬱蒼とした森に囲われた、上津野かみつのと呼ばれる片田舎に蒼陽は降り立つ。


「アラナミはどこだ?」


 アラナギを草むらに横たわらせ、彼女は辺りを見渡す。

 空には鏡のような満月。そんな不気味な月明りを頼りに見てみれば、目の前には腐りかけた廃村。しかし神経を集中させて気配を感じ取れば、並ぶ廃屋のどれかにアラナミがいることは確実だった。だがそれ以外にも、もう一つの弱弱しい神霊も感じる。


 ――――カラカラカラ。


 と、ここで一棟の玄関が静かに音を立てる。


(誰か出てきた?)


 得体も知れぬ誰か。しかし神霊はそこまで大きくはない。それでも蒼陽は天叢雲斬を背から抜く。そして構え、こちらに向かってしずしずと歩いて来る影を警戒した。


「ど、どちら様ですか?」


 聞こえる女の声。それは怯えているようだが、その足取りは確かなもの。

 そして月明かりが女の顔を照らし、遂に蒼陽はその正体を認識する。


「…………だれだ?」


 瞼を閉じ切った妙齢の女。纏う着物は碧く、その髪は雪のように白い。背丈は蒼陽よりも高く、恐らく2メートルにまで達するほど。


「わ、私は、結舞月と申します。うん」

「お前が…………」


 天女のように美しい風貌。放つ神霊は儚く、虫も殺さないような性格だと見て取れる。


「アラナギ様の神霊を感じたので、外へと出て来たのですが。貴女は一体…………」

「――――結舞月か?」


 ここでアラナギが上体を起こし、その名前をぽつりと呟く。


「アラナギ様っ」

「待てッ、近づくな!」


 アラナギを見るや否や駆け出す結舞月に、蒼陽は言葉による抑制を試みるが、それでも結舞月は止まらない。それどころか、涙を流し、まるで数年ぶりに、主人と再会した犬のように走る彼女に、蒼陽は何をすることも出来ず、それから先をただ傍観するしかなかった。


「ああっ、生きておられたのですね! この結舞月、ただあなた様の身を案じておりました!」


 そして膝を着き、アラナギの神体を抱きしめる結舞月。その感情に他意はなく、一見すれば愛する者の無事を喜んでいるようにしか見えない。


「心配をかけたな。結舞月」

「いえっ。結舞月は信じておりました」

「ふふ。そうか」


 その表情を綻ばせ、互いの愛を確かめるかのように抱き合う二柱の神。その様子はまるで、今生の別れの様だった。


「…………結舞月。お主に伝える事がある」

「はい。確と聞いております」


 アラナギは、涙する結舞月の頭にそっと手を置くと、その額を彼女の額に重ねる。


「お主は、我が一生の中で、一番の華であった」


 その言葉はまさに最期の言葉。自身の死を受け入れた英雄が、ただ愛する者へと手向ける言葉。そんな光景に、蒼陽はただただ息を呑む。


「…………はいっ……はいっ。わたくしも、同じにございます」

「お主に会えてよかった」


 涙をくくみ、その口元を綻ばせ、アラナギは一言一言を確かに彼女へと伝える。


 だが蒼陽は理解に苦しむ。アラナギの神霊は確かに半壊にまで及んではいた。しかしそれでも死に至るほどではなかったのだ。ではなぜ彼がそんな言葉を発したのか。…………それは、蒼陽も直ぐに知る事になる。


「嫌ですッ。嫌です!」


 ――――結舞月の様子がどこかおかしくなる。


「おやめくださいっ。まだアラナギ様は生きておられるのです!」


 天を仰ぎ、まるで許しを乞うように叫ぶ結舞月。その頭上では満月が笑い、秋の夜空を美しく照らす。


「こんなのは嫌です! こんなのっ、こんなのはッ。ああッ、吾月様ッ!」


 アラナギを抱きしめ、決して離れまいと強く身を寄せる結舞月。そんな閉じ切ったまぶたからは、絶えず涙が溢れており、その悲しみを彩っている。


「…………結舞月、やはりお主はうつくしい」


「アラナギ様ッ、アラナギ様ッ、嫌だ、嫌だっ、嫌だぁぁぁアッ!」


 そして結舞月が叫んだその瞬間、アラナギの首が流れ星のように宙を舞った。


「――――ッおい!」


 蒼陽は咄嗟に刃を向ける。しかしその鉾先を何に向けているのかは分かっていない。まるで事態を飲み込めず、彼女はただ混乱していた。


「色ハ匂ヘド、散リヌルヲ」


 だがそれもその筈。いま確かにアラナギの首を落としたのは。


「我ガ世誰ゾ、常ナラム」


 つい先ほどまで涙して、その想いを強く抱いていた。


「有為ノ奥山、今日越エテ」


 結舞月自身であったからだ。


「浅キ夢見ジ、酔ヒモセズ」

「……………………お前は」


 そして達磨落としのように成り代わった神霊。それは決して忘れもしない歪な神霊。まるで真っ黒な海の底から、声にならない声で囁いて来るかのような得も知れぬ不気味。


「嗚呼、可惜夜あたらよですこと」


 閉じたまぶたを大きく見開き、地に伏した首無しの死体には目もくれず、結舞月はただ月を扇いで醜く嗤う。否、それは結舞月の姿をした別の何か。


「…………神憑、か?」


 神憑。それは神使がその身に神を降ろす術。だが結舞月は神であり、神霊が神霊を宿すなど聞いたことも無かったため、それが違うことは蒼陽も気付いていた。しかしそれ以外に、この状況を理解できる言葉が見つからないのだ。


「っひっひひひ。アラナギ、うぬはもういらぬ。うん」

「…………吾月」


 蒼陽がその名を口に出す。確かに見えているのは結舞月ではあるが、その中を満たしているのは吾月の神霊。だが完全な神霊ではない。それはまるで、一つの卵に二つの黄身が入っているかの様。


「お前は一体、何なんだ」


 吾月は面を天に向けたまま、その視線だけを蒼陽に下ろす。その目は満月のように美しく、何者をも魅せる輝く黄金。


「ああ、いらしたのですね、そこに。うん」

「結舞月に、何をした」

「ひひひ。何も」


 蒼陽は今すぐ吾月に攻撃を仕掛けることも出来る。しかし彼女はそれが出来ずにいた。そうさせるのは、十年前に船上で見た天陽と吾月の戦い。太陽が月に隠れただけで互角。ならば夜の世界では、吾月の方が圧倒的であることは火を見るよりも明らかだからだ。


「二つめの太陽。うぬはまだ殺せぬ。うん。その時が来るまでは」


 緩やかで、そして上品なしゃべり方と、その口癖。それらは全て結舞月のもの。十年前とはまるで別の神のようにも思える言動は、蒼陽の心に溜まる不快を一層大きい物へと変えていた。


「その時が来たら、死ぬのはお前の方だ」

「っひひひひッ、うぬはまた違った可愛げがある。うん」

「お前…………」

「――――姫ッ!」


 ここで横やりを入れるかのように突き刺さる声。二柱がその方向へ目を向ければ、そこにはアラナミの姿。しかし片腕は無く、物干し竿の如し長刀を、さながら杖のようについている様は、まさに虫の息といった様子だ。


「よせッ、来るな!」


 蒼陽はアラナミに声を飛ばす。それはアラナギ同様、吾月が弟のアラナミさえも殺してしまうと思ったが故の言葉。しかし吾月は笑みを浮かべたまま、何もしようとしない。


「なんだよ、これ」


 そしてアラナミはすぐに兄の死体に気付く。首はなくとも、その見慣れた背中は確かにアラナギのもの。


「…………おい。どういうことだてめえ」


 その顔に憤怒の感情を浮かべながら、彼はおぼつかない手つきで鞘から刀身を抜く。だがその鉾先は震えており、確かな方向へと向かない。

 ――――そしてここで、蒼陽の身体が光を纏い始めた。刻返りの残り時間が尽きたのである。


「くそッ、タイムアップだっ。――今すぐ逃げろアラナミッ!」


 足元から始まる世界への帰還。そしてその消失が頭に及ぶ間際、彼女はアラナミに言い放った。そこにはもはや、アラナミの怒りなど見えてはおらず、彼女はただ彼の身を案じていた。


 …………しかし無念にも、彼女がそこから先を知ることは終ぞ敵わなかった。














終わったッ! 第三部完!

 

恐らく、ソウとアラナギの戦いで分かった方もいらっしゃると思います。ええそうですとも。私はジョジョが大好きなのです。


でも一番好きなのは五部ですね!

ちなみに六部もアニメ化しますね!

楽しみですね!

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― 新着の感想 ―
[一言] 三章完結お疲れ様です。いやーなんだか色々ありましたこれまでで1番好きな章でした。ユキメが死んでからどうなるかとも思いましたが、ダークな感じが読んでいて楽しかったです。 ユキメが生きていた方…
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