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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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おかえり。

 ユキメ。私の愛する龍人。

 あの時はごめんね、助けてあげられなくて。最後の言葉を最後まで聞けなくてごめん。最後、あなたへ言葉を送れなくてごめん。

 当たり前のように四季が巡った。秋が来る度あなたに焦がれた。

 あのね、わたし毎日ユキメの御墓へ行ったんだよ。この世界じゃ十年なんて一瞬だけど、私には千歳ほどの時間に感じたんだ。

 会いたいよユキメ。会いたいよ。どうすればいいの? 

 私はこれから、貴女なしでどうやって過ごしていけばいいの? 

 教えてよ。あの時、ずっと傍に居てくれるって言ったのにさ。


「あ゛あ゛あ゛ぁッ、嫌だッ」


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。会いたいよ。もう一度だけ、あと一回でいい。もう耐えられそうにないんだよ。今年の秋が終わったら、私はもう……………………。


「大丈夫です、私はここにいますよ」


 頬にそっと雨粒が当たる。雨が降っているのか、次第に身体も冷めていく。でも寒くはない。この布団に包まれているような安心感。絶えず私を抱きしめる暖かみ。

 嫌だ。逝かないで。


「う゛ぅ…………」

「大丈夫です。もう大丈夫ですよ」


 懐かしい声。いつも私の傍に居てくれたユキメの声。


「終わりました。もう終わったんです。だから安心してください」

「ゆ…………きめ」


 怖い。怖くてたまらない。一度でも振り返ってしまえば、再び現実に戻されそうで。振り返った時、そこに在るのがくうのみだったら…………。


「ユキメ、なの?」

「ええ、ええ。ユキメです」


 いやだ。もう嫌だ。もう貴女を失うなんて嫌だ。たとえこれが幻だったとしても。


「い、いやだ。…………嫌だよユキメッ、離さないでッ。ずっとこのまま、ずっと私の傍に居てッ。もう嫌だ。もう耐えられない。幽霊でも幻でもいい、ずっと傍にッ」

「決して離れません。私はずっとお傍におりますよ」


 返事が返ってくる。

 ちゃんと言葉が返ってくる。いつもの、お墓で返ってくるような虚しい言葉ではない。しっかりとした、確かな温もりを抱いて返ってくる声。


「会いたかったッ、会いたかったよッ。もうどこにも行かないでッ。もうこれ以上は無理ッ」

「大丈夫です。私はちゃんと、生きてますよ」


 もう無理、今すぐ顔が見たい。今すぐ振り返って、今すぐ抱きしめたい。鼓動を聞いて、温もりを感じて、彼女の全てを――――。


「ユキメッ」


 ああ、ここにいる。確かに彼女はここにいる。抱きしめたこの感じも、このお腹の感触も、この匂いも、この安心感も全部、全部彼女のものだ。


「申し訳ございませぬ。今までお独りにしてしまって」


 優しい声。

 ―――それからのことは、よく覚えていない。

 ただひたすら泣いたことだけは覚えている。

 けれど、どれだけ泣いたのかは覚えていない。

 最後、ユキメが何を言ったのかは覚えているが、そのあと私は何て返したのか分からない。

 でも彼女の笑顔は覚えている。いつも見せる泣き顔も覚えている。食べ物を頬張っている顔や、いつも下から見上げていた顔、彼女に唇を重ねた時のことも。


 だから彼女を抱きしめた。この十年間を、そのすべてを取り戻すかのように。アルバムに写真を貼るかのようにゆっくりと。


 そうして気づけば、私は彼女にキスをしていた。脚を龍に還して、この137センチの身長を、少しでも彼女に近付けるために。


「好きだよ」


 ちょっと驚いていたけど、彼女の頬は紅くなっていた。包帯が巻かれており、月明かりもぼんやりとしていてよく見えなかったが、もう片方の目も淡く輝いていた。

 腕も一本しかないが、それでも抱きしめる強さは変わっていなかった。もちろんあの抱擁感も。


「そ、それは、どちらの意味で言ったのですか?」

「…………全部」


 私がそう言うと、彼女ははにかんだ。やっぱり彼女は美しい。片目が無くとも、腕が無くとも、それら全てがプラスになるくらいに。


「ユキメ、私は…………」


 同時に後悔が襲い掛かる。ユキメが生きているのなら、私が殺したアラナギは一体何のために死んだのだろう。彼はユキメが生きていることも知っていたはずなのに、それを私には一切教えずに。

 私は子供みたいに泣き喚き、彼を亡き者にした。私はアラナギを。私がアラナギを、殺した?


「大丈夫です。アラナギは生きておりますよ」

「え…………?」

「あの爆発の直前、私をここまで連れてきてくださった方が、彼を遠くの方まで避難させていました」

「本当に?」

「ええ。ソウ様は誰も殺めてなどおりませぬ」


 その言葉を聞いた時、不意に還りが解け、私はそのまま崩れてしまった。そして心の底から安堵した。

 もちろんそんな資格など私にはない。実際死人も多く出ている。私と共に出撃した神々も、国を守ろうとした龍狩り達も。

 本当なら私も誰かを殺していただろう。そして誰かに恨まれ、いつかその牙が私に向いていた筈だ。ただそうならなかったのは、誰かに助けられただけの偶然でしかない。


「その人って、今どこにいるの?」


 お礼を言わなきゃ。その名も知らぬ誰かに。その人のお陰で私は…………。


「それは分かりませぬ。ただ」


 そこまで言いかけてユキメは黙った。どこか切なげな表情で。


「ただ?」

「いえ、恐らくはもう、帰るべき場所へ帰ったのだと思います」


 まるで愛する人を想うかのような顔つきで彼女は天を仰ぐ。その名無しの誰かが、今もそこにいるかのような表情で、流れる涙を一層激しい物にして。


「私も、あの方には助けられてばかりでした」

「…………そっか。私たちの恩人だね」

「ええ。それに、幸せそうなお顔をしておりました」


 そう言って微笑むユキメ。それはいつも私に見せてくれるような優しい笑み。なんだか少しだけ嫉妬してしまう。


「さあ、後は天津神に任せて、私たちは帰りましょう」


 その笑みを今度は私に向け、ユキメは手を差し伸ばす。お雛様のような綺麗な手。いつもは右手だったが、左手も悪くない。


「立てますか?」

「…………あはは、ちょっと無理そう。おんぶして」

「ええっ、もちろんです!」


 久しぶりに彼女に背負われた。初めておぶられた時とは比べ物にならないくらい狭くなったが、それでも私には十分すぎる程の広さだ。


 ――――そうして、私の独りよがりで始めた復讐劇は幕を降ろした。

 あの後、アラナミはシンによって撃退され、同時に飛儺の主宰神も逃げたらしい。そして統治者を失った飛儺は平定され、飛儺を失った諸々の国も次々と天都に降った。もちろん投降しなかった国もあるが、結局はアマハル様の筋書き通りに事が運んだわけだ。


 それからしばらくは天都もお祭りムードだったが、今回の戦は死者も多く、とてもじゃないが心の底から喜ぶことは出来なかった。

 天陽様は今回の作戦が一番犠牲者の少ない方法だと言ってはいたが、しかしそれは戦の中だけの話だ。家族を亡くし、取り残された者達はきっと、あの時の私と同じような気持ちでいるのだと思う。そうして今もまだ苦しみと戦っているはずだ。

 いつまで経っても終わらない。かといって終わらせることも出来ない。小さな火種から始まった大炎は、恐らくこれから先も、その苦しみを燃料にして大きくなるのだろう。そしてそれは飛び火し、関係のない人たちを巻き込み、人や国が滅んでゆく。そこにもう私の入る余地はない。もう、どうしようもないのだ。



「これがユキメのお墓だよ」


 …………二日後、雲が高く、そのからっとした秋空が美しい天千陽の霊園にて、私はユキメの希望で、彼女自身のお墓を案内することになった。


「自分の墓を見るとは、不思議な感じですね」


 そう言ってユキメは笑う。

 天陽様は彼女が生きていたことを隠していた。しかしそれはある神様からのお願いだったらしい。私はあんなに悲しかったのに、ヒドイ話もあるものだ。


「そう言えばこれ、あの時渡そうと思ってたんだけど」


 私は自分の髪から簪を抜き取り、それをユキメに渡す。十年前、彼女に渡しそびれた髪飾り。


「わ、私に、送り物ですか?」


 久しぶりに見る彼女の泣き顔。痛々しさは残るが、それでも狂おしいほどかわいい。


「うん。雨ざらしにするのも嫌だったから、私が付けてたんだ」

「…………誠、幸せでございます」


 そうして彼女は、頬を染めながらそれを受け取ると、おもむろに自分の簪も髪から外す。驚くことに、それは全く同じ髪飾り。


「同じ簪だ」

「これも送り物なのです」


 そう言って後ろに立つと、静かに私の髪を結い始める。ユキメに髪を結って貰えるなんて、ここまで伸ばした甲斐があったものだ。しかし一体、誰から貰ったのだろう。


「今日まで私を守ってくれた髪飾りです。今度はソウ様がお持ちになってください」

「いいの?」

「ええ。だって私はもう、ソウ様から離れませんもの」


 自分で結い上げた時とは比べ物にならない、まるで髪が頭に吸い付くような安定感。そして髪飾りから感じる僅かな神霊。産まれた時から一緒にいたような、しかしどこか遠い存在のようにも感じる。


「ど、どうですか?」


 私があげた髪飾りがユキメの髪を留めている。もう一生見られないと思っていた光景が、いま私の目の前で恥ずかしそうに笑っている。


「…………うん、似合ってる」

「勿体のうお言葉です」


 恥ずかしながら涙が出てしまう。だから本格的に泣く前に、私はもう一つ送り物を渡すことに。


「この菊。誰が置いたのかは分からないけど、これもユキメに送られた花だよ」


 二日前、まるで拾ってくださいと言わんばかりに置いてあった真っ赤な菊。だれが手向けたものなのかは分からない。しかしこの菊は確かに、彼女へと送られたプレゼントだ。


「…………これは」


 ユキメはその菊をしばらく眺めると、それを抱きしめるように胸に当てて口元を綻ばせる。どうやら彼女には心当たりがあるらしく、その目には涙を留めている。

 それが一体誰からの送り物なのかは分からないが、私はそれ以上聞かないことにした。だって嬉しそうな顔をする彼女に、水を差すなんて無粋なことは出来ないから。


「本当にゆきめ…………なのか?」


 その日家に帰ると、兄のフウも官学から一時的に帰宅していた。


「フウ様。ご心配をおかけ…………」

「――――ユキメッ!」


 彼女の言葉を待たずして、フウは彼女に強い抱擁をする。

 あれだけユキメの事を怖がっていたのに、今では赤ん坊のように泣きじゃくっている。だがそれは父も母も同じだ。彼女が亡くなったことを悲しんだのは私だけではない。みんな私と同じだけ泣き、同じだけ苦しんでいた。なのに私は十年間、それに気づかず一人で抱え込んでいた。本当にバカみたい。


「お帰りなさいユキメ」

「リン様っ」


 けどユキメと再会した時、お母さんが一番泣いてたかな。いや、お父さんか?


「よくぞ。…………よくぞ無事でっ」

「ただいま、戻りました」


 ユキメはフウを抱きしめ、そして両親がユキメを抱きしめる。これほどまでに嬉しい事があろうか。もし彼女がいないままだったら…………。

 いや、考えるのはよそう。だって彼女はここにいるのだから。

 

 結局、今回の私は何も出来ていない。またしても誰かに助けられた。名無しの誰かに、多分会うことは出来ないだろう恩人に。

 だから私は願った。その者に永久の幸福をお与えくださいと。

 それが唯一私にできる感謝のしるし。願いが届いたかは分からないが。届いていればいいな。


 そしてユキメが生きていたという事実は、私を大きく成長させてくれた。失って初めて気づき、取り戻して初めて、今まで私を支えてくれた人たちの有難みを知った。

 自業自得ではあるが、この十年はもう取り返すことが出来ない。だがその代わり、これから先を大切に生きよう。名無しの誰かが与えてくれた、この幸福を…………。


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