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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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敵か、味方か

 黄色い落ち葉が吹きすさぶ、黄金の田園が美しいのどかな景色。遠くには小さな古民家が幾つも並び、夕飯時なのか、心安らぐような香りがここまで漂う。


「蒼陽姫、山中には敵の見張りもおります故、片時も私の傍を離れないでください」


 いつも通りの棒読みだが、しかし日頃ぶっきらぼうなシンの表情すらも、今日は特別強張っているように思える。


「分かった。行こう」


 そしてシンの言葉通り、私は彼女の後ろについて斜面を駆ける。

 だが、じきに陽も沈む頃の林はとても暗く、首元にまで迫る笹やぶが邪魔で仕方ない。けれど、先頭を走る甲冑部隊のお陰で、私が通るころには程よい獣道が出来ていた。

 …………しかしこの陣形。シンの部隊を甲冑が囲み、さらにその中でシン達が私を囲うように走っている。まさか私を守っているのか?


「気を付けろッ。敵の気配だッ!」

「全員構えろッ!」

「来るぞ!」


 それらの声と同時に山が揺れる。そうして森の奥から現れたのは、まるで全身が血で染まっているかのような巨大な鬼。


「物の怪だッ。恐らく敵に妖使いがおるぞ!」

「奇襲部隊は作戦を開始しろ!」


 頭が樹木の先にまで届きそうな程の巨体。その紅鬼を前にし、咄嗟に太刀を抜こうとする私の手をシンが握る。


「我らはここで別れます」

「甲冑部隊を放っておくの?」

「ここで敵を引き付けるのが奴らの仕事。我らは目的はあくまでも奇襲です」


 シンの部隊は神霊を隠すのに長けた隠密の者ばかり。故に私たちの仕事は、その手薄になった屋敷を奇襲する事。つまりこの展開は作戦通りなのだ。だから私も大人しく、その覗かせた刀身を鞘に納めて頷いた。


「こちらへ!」


 彼女は部下たちに手だけで合図を送ると、まるで平地を駆けているかのような速度で斜面を走り出す。だから私も、脚を龍に還らせて追いかける。


「隊長、この方角で間違いないのですか!?」


 初めて踏み入る土地のはずなのに、シンは一切の迷いを見せず駆け続ける。そんな彼女に不安を抱いたのだろう、一柱の男神が並走してそんな問いを投げたのだ。


「そうだ」


 たった一言、まるで安心させる気が無いその言葉に、奇襲部隊の士気は下がり始める。まあ無理も無いだろう。


 ――――あぁぁぁぁぁぁぁあッ。


 するとここで悲鳴が聞こえる。それは甲冑部隊のいる後方からではなく、私たちが向かう先の方から聞こえてきた。それも一つや二つだけではない。


「ぎゃぁぁぁぁぁあ!」

「全員離れるな! 背を向け合って本体を探せ!」

「クソ! クソ! クソォ!」


 次第に聞こえてくる悲鳴と怒号。それは走るほど近づいて来る。


「全員止まれ」


 ここでシンが隊の進行を止めた。

 そして絶えず林の中に響いているのは、さながら地獄の底から湧き出しているかのような、おどろおどろしい絶叫。敵は一体、何と戦ってるんだ?


「畜生! どこに居やがるんだッ!」

「気を付けろッ! 術者よりも先ず刀を折れ!」

「あぁぁぁあッ。いてえ、痛ぇ!」


 木々の合間でこだまする金属音。この先で、敵が“正体不明の何か”とせめぎ合いをしてるのだろうが、イマイチ状況がつかめない。


「シン、私たちも行こう」

「駄目です。もう少しだけここで待機します」


 居ても立っても居られず、私はシンにそう提言したが、彼女はそれを悉く拒否する。だが他の者も同じ気持ちの様で…………。


「シン殿、我らのほかにも部隊がいたので?」

「他の勢力の介入か?」

「我々はこのまま待機でいいのか?」


 得体の知れぬ存在と、自分たちの知りえない情報に混乱し、シンの部下たちも静かに困惑し始める。なぜ頑なにシンは動かないのか、それは誰にも分からないようだ。


「龍だッ! 龍が出たぞ!」

「術者はそいつだッ、斬り殺せ!」


 再び敵のものらしき声が木々の隙間を縫いながら聞こえてくる。そして聞こえた龍という言葉。それが神獣を指しているのか、はたまた龍人の事を言っているのかは分からないが、奴らは確かにその存在に怯えていた。


「収まってきたぞ」

「終わったのか?」

「分からぬ。しかし我らが助かったことに相違はない」


 彼、彼女らの言葉通り、数えきれないほどの悲鳴や叫びは、今や一人か二人だけのものになった。

 そうして耳をも塞ぎたくなるような惨劇は、最初の悲鳴が聞こえてからほんの数秒で終わりを迎えたのだ。


「参るぞ」


 ようやくシンが腰を持ち上げる。まるでこの瞬間を待っていたかのように、ゆっくりと冷静に。

 そして、そんな彼女の号令と共に私たちは走り出した。地獄へと引き寄せられるように、ただ真っ直ぐその方向へと。…………そして。


「なんだ、これは」


 その惨状を目の当たりにし、一柱の男神が声を漏らす。だがその他は、言葉すらも出ない程その表情を青ざめさせた。

 転がる死体。どれも部位欠損が激しく、そして筆で絵具を飛ばしたかのように、周りの木々には夥しいほどの血が付着している。故に込み上げるのは吐き気。


「誰の仕業だ」

「生き残りはいないか?」

「…………百人以上はおるぞ」


 もはや甲冑など意味を持たぬほど綺麗に断たれた敵の亡骸。ハサミで切られたかのような胸当てには龍の刻印。間違いなくこいつらは敵の陣営。しかし一体誰が…………。


「時間がない、もたもたするな」


 こういった風景は見慣れているだろう隊員でさえその顔を引きつらせているのに、シンはそれを味わうことなく冷徹に言い放つ。どんなメンタルしてんだよ。


「隊長、これをやったのは、我らの味方なのでしょうか?」

「そうだ。故に何も心配はいらぬ」


 しかしそれでも皆の顔は青ざめたまま。でもまあそれもそうだ。たったの数秒でここまでの景色を作り上げる味方なんて、信じられるわけがない。


「此奴らは恐らく援軍として送られた龍狩りだ。屋敷は近いぞ」


 それだけ言うとシンは再び足を前に出す。

 そうだ、こんなの所で怖気づいている場合じゃない。本当ならこいつらは私が殺すはずだったんだ。

 ……………………でももし人を殺したら、私は私のままでいられるのだろうか。家族や友達の前で、いつも通り笑って過ごすことが出来るのだろうか。


「全員気を引き締めろ。そろそろ着くぞ」


 その言葉に気が付けば、血の匂いが充満する林も出口を見せた。そして開けた土地と、高い塀に囲われた大きな屋敷が目に入る。

 もう太陽も山の向こう側。ここから先は夜の世界だ。


「ここから隊を別ける。私と蒼陽姫が目標に近づく間、お主らは周りの雑兵を片付けてくれ」


 シンと私は双子の神と主宰神の撃退。しかしシンの強さがどれほどの物なのかは分からない。ユキメと私が一緒になっても敵わなかったのだ。果たして大丈夫なのだろうか…………。


「お前達か。我らの国を滅ぼさんと、薄汚い土足で上がり込んだ輩どもは」


 ――――突然の声。それは私たちが林を抜けた直後、まるで障子戸の隙間から差し込む月明りのように現れた。


「全員散れッ!」


 シンが声を荒げる。少し手順は狂ったが作戦通りの展開。それに加え奴の弟はいない。アラナギたった一柱だ。でもなんだコイツ、何か変だぞ。


「…………お前、腕はどうした」


 アラナギの姿を目にした瞬間、私の身体は地熱を吸い上げているかのように燃え滾った。そして安心したのだ。こいつらに対する怒りがまだ衰えていなかったことに。それなのに、それなのにッ。


「何で腕が無いんだよッ。あの時はあんなに強かったのにッ、何で、誰に斬られたんだよッ」


 寂しそうに靡く羽織の右袖。それ以外は十年前と何も変わらない。私の倍以上はある身長に、こいつが纏う狂気の神霊。真っ黒な袴も、その佇まいの全てが変わらないと言うのに。


「……何であの時と同じままでいてくれなかったんだよ」


 クソッ、クソッ。こんなんじゃ私が馬鹿みたいだ。


「大神の神使よ。名を何と申す」


 子供のように喚く私に構わず、まるで降り続ける梅雨のような静けさを持って、アラナギはただ私の名前を聞いた。それは敵味方関係無しの、さながらアスリートが、尊敬する相手選手に問うような感じで。


「蒼陽姫命」

「違う、そんな上辺だけの名前ではなく、お主の真の名前です」

「一二三」


 なぜか私は、人間だった頃の名前をアラナギに呟いた。深い理由はない、ただこの名前を出すことが、今は正解な気がした。


「確と。手前は、荒那岐命と申す」


 そう言ってアラナギは太刀を抜く。だが十年前は確かに右手で構えていた。斬られたのは利き手だったのだ。


「案ずるな、右手だろうと左手だろうと、あの時と変わりはせぬ」


 言ってくれる。


「シン、ここは私一人でやるから、あなたは国つ神の方を」

「承知。姫、ご武運を」


 そう言ってシンはこの場から立ち去る。しかしハナからそうするつもりだったのだろう。彼女からは一切の闘志を感じられなかったのだから。


「天叢雲斬、天羽羽斬」


 つまりこれは、私とアラナギの一騎打ち。最初はここで死んでも構わないと思っていた。どうせユキメのいない世界、死ねば彼女に会えると。でも違った。違うからこそ、私はアラナギに勝たなければならない。勝ってもう一度、ユキメの前で笑うんだ。

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