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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
129/202

あなたを愛しています

「蒼陽、参上いたしました」

「うむ。急に呼び出してすまなかったな」


 正座をしたまま襖を閉め、蒼陽はその場から一切動くことなく天陽との会話に入る。


「飛儺平定の褒賞は頂きましたが、他にも何か御用が?」


 遠征に行く前と比べたら穏やかな声になったのだが、しかしその表情は、シンの言葉通り晴れぬまま。


「うむ。お主に色々と聞きたくてのお。それに、お主にも会いたかった」

「なんですか?」


 笑わぬ蒼陽に気を不味くし、天陽は可愛らしい笑顔を作って見せるが、しかしそんな尊い表情にも蒼陽は眼もくれない。

 

「まあ単刀直入に聞くが、ひふみ、お主今回の遠征でどれだけの命を殺めた」


 緩めた表情を取り消し、小さくため息を吐くと天陽は問う。


「128人と1柱です」


 なんの躊躇いも無く、自らが殺めた者達を数字にして出す蒼陽。その表情を少しも変える事無く言い放つ蒼陽に、天陽はどこか焦りを感じる。


「そうか。その時、何か感じたか?」

「いえ、何も」


 天陽は次に言う言葉を見つけることが出来なかった。だがそれもそのはずで、彼女自身が心の奥で期待していたのだ。蒼陽が人を殺めた事に対して思い悩んでいるという事実を。

 しかし蒼陽からは一切の感情を見いだせず、天陽はただ混乱した。


「…………後悔は、しておらぬのか?」

「してますよ。ですが、起きたことはもう仕様がないので」


 やはり眉一つ動かさない蒼陽に、天陽はこの事を重く受け止める。

 ――――その昔、天陽には蒼陽と同じように可愛がっていた一柱がいた。そしてその神は、誰かを殺めた事実に頭を抱え、そしてそれを乗り越えて立派な神へと成長した。

 だがしかし、蒼陽は多感すぎた。ゆえに彼女の精神は既に龍神としての形を形成していたのだ。しかしそれでは、いつか彼女自身に大きな災いとなって降りかかる。その事実が天陽の心に重くのしかかっていたのだ。


「ひふみ。お主はこれからも、誰かを殺める事に躊躇はないか?」

「どうでしょう。ただ仕事には支障ないと思います」

「お主は、人を殺したのだぞ?」

「いまさら後悔してるんですか? 私を今回の遠征に行かせたことに」


 もちろん少なからず後悔はしていた。だがそれは、蒼陽の精神を神へと近付けるためのやむなし一手だと考えていた。そして実際、蒼陽の御霊は神の如し神霊へと成り代わったのだ。故に多少の後悔は天陽もせんなきことと受け止めていた。


「そうじゃな。……余はもしかしたら、お主の事を分かり切ったつもりでいたのかもしれない」

「なんですかそれ。だったらこの世界に転生させたことを悔いてくださいよ」


 ここで初めて蒼陽の顔に感情が籠る。


「こんな世界で私に幸せを与えて、何がしたかったんですか? 本当ならあの時死んでいた筈なのに、訳の分からない理由で連れて来られて、挙句には家族を失って。一体何だったんですかッ」

「ひふみ…………」

「なんで私をあのまま死なせてくれなかったんですかッ。こんなことになるのなら、何であの時ッ…………」


 この世界に来てから、蒼陽は人として成長した。神でもなく、神使でもなく、ただの人間として。そしてこの世界で克服したものも少なくはなかった。しかしその培ってきたものが、今の彼女を苦しめている。


 涙を流し、死んだ顔に感情を浮かばせる蒼陽。天陽はそんな彼女を見るのが堪えられなかった。だがそれでも、彼女は自らの心に焼き付けるように蒼陽の目を見据え、そして同時に、ある事実を蒼陽に伝える事を決心する。


「ひふみ。七十年の時と引き換えに、もう一度だけユキメに会えるとしたら、お主はどうする」

「……………………は?」


 涙を拭い、突如投げられた質問に困惑を見せる蒼陽。

 だがその言葉には、既に死んでしまった蒼陽の心を、再び蘇らせるだけの希望があると天陽は踏んでいた。


「刻返りじゃ」

「どういうことですか……?」

「この世界にも、三柱の別天津神ことあまつかみという存在がおる」


 唐突に出てきたその名前は、聞いたことがあるうろ覚えの範疇ではあるが、蒼陽自身も知っていた


「お主の世界でも知られておる存在じゃな」

「この世界にも、それと同じ神がいるという事ですか?」

「いや、この三柱の独神は絶対の存在じゃ。お主の世界が出来上がったのち、我らの世界も同様に国産みから始まった」

「それで、その三神が何だと言うんですか?」

 

 話が大きく脱線しそうになったところで、蒼陽の一言が天陽を引き戻す。


「今回の飛儺火平定の一件は、他の誰でもない、その一柱からの神勅だったのじゃ」


 あまりに突然の話に言葉を失う蒼陽だが、天陽は構わず話を続ける。


「それで、お主の働きを見ていた一柱が、その褒美として刻返りを提案された」

「時間を遡るんですか?」

「あくまでもひふみが望めば。だけど」

「過去を変えて、ユキメを生き返らせるという事ですかッ?」


 ――――少しだけ蒼陽の表情が明るくなる。

 しかし現実はそこまで優しい物ではない。天陽はその期待を裏切ることを承知の上で、更に蒼陽にとってこの上ない残酷なものになると知りながらも、その事実を彼女に伝える事を決意。


「…………いや、過ぎてしまった事を変えることは出来ない」

「じゃあ何なんですか、もう一回ユキメの最期を見ろという事ですか?」


 眉間に深いシワを作りながら、蒼陽はそれでも話を聞き続ける。


「お主が過去へ戻って未来を変えたとしても、それはまた別の世界となって生き続ける」

「…………平行世界?」

「それに加え、神との誓約として、戻った年月分だけお主はその世界で過ごさねばならぬ。誰とも接触することなくな。さらに過ごした年月の七倍もの年数が、この世界に課せられることになるぞ」


 蒼陽に突きつけられた選択肢。これからの七十年を空白にし、十年と言う時間を孤独に過ごすのか、それとも過去へは行かず、この世界での七十年を大切に生きるか…………。


「誰とも接触できないって事は、じゃあユキメとも会えないんですか?」

「彼女を助けることが出来たとしても、一二三がユキメに会える時間は数分だけじゃ。もちろん顔を隠してな」


 再びユキメに会えるかと思いきや、それが叶わぬ願いとなったことを知り、蒼陽の顔はこれまでにないくらいの複雑なものを作り上げた。――――だがしかし、彼女の答えは決まっている。


「それでも私は、過去へ行きます」

「孤独の道じゃぞ」

「もう、歩き慣れてます」

「しかし、お主は今日まで家族や友人と過ごして来ただろ。それに過去から戻って来ても、他の者はひふみより多くの時間を過ごしている状態なんじゃぞ」


 天陽の本音は、蒼陽を過去へなど行かせたくなった。しかし自身より遥か上位的存在から言い渡された刻返りを、蒼陽に伝えない訳にはいかなかった。だから彼女は、蒼陽にこれを断って欲しかったのだ。蒼陽には、今の時間を大切に生きて欲しい。そう願って。


「構いません。私がこの世界で七十年行方不明になろうと、もう一人の私には、幸せな時間を過ごして欲しいのです。……こんな思いをするのは、私だけで十分ですから」


 自らの時間を犠牲にし、分岐する世界の幸せを願う蒼陽。その精神がもはや人間のものなのか、あるいは神がかりなものなのかは誰にも分からない。


「その心は、変わらぬか?」

「はい」


 ユキメが死んだ十年前から、一切の希望すら抱いていなかった蒼陽の目が、今その内でひたすら大炎に薪をくべている。そんな久しく目の当たりにするソウの目つきに、天陽は小さくため息を吐いた。


「…………全く。余計な所まで余に似た様じゃな」

「七十年後はもっと、人を思いやれるような神様になっていてくださいね」

「おい、その一言はいらんじゃろ」


 少しだがソウの表情に笑顔が戻る。彼女にとってユキメとは、それほどまでに大切な家族だったのだ。だからこそ、世界が二つに別れようとも、もう一人の自分には幸せに生きて欲しいと、彼女は心の中で強く願った。

 そして、そんな彼女にだからこそ、天陽はもう一つの事実をソウに伝える。


「本当は断って欲しかったから黙っていたけど。実を言えば、その者が刻返りに関して一切口外しないのであれば、一二三は自分の正体を明かせることになっている」

「……それってつまり」

「ユキメが約束を守れる者という確信があれば、ひふみは彼女に会えるってこと」

「そういう事って、普通先に言いません?」


 目を細め、さらに口も尖らせてソウがアマハルを睨む。

 だがそれも、アマハルにとってはようやく取り戻すことが出来た、かけがえのない愛すべき表情であり。それと同時に、それだけの力を持つユキメと言う存在に、彼女はどこか嫉妬の念すら抱いていた。


「それじゃあまあ、七十年後の未来までお別れだが、他の者に何か言っておくことはあるか?」

「え、今すぐ過去へ行くんですか?」

「どちらにせよ誓約の一つとして、この事を他者に言うことは出来ぬからな」


 今となっては驚きもしない事実。だからソウは、真っ先に思い浮かべた父母と、友達への言伝を頼む。


「じゃあ父と母に、どうか心配しないでと言っておいてください。あと友達には、私は旅行にでも行っていると伝えて、自殺なんかしてないから心配するなと言ってください」

「っふふ。そうか」

「それと、シンにも言っておいてください」

「シンにもか?」

「はい。宿屋での願いは、私が叶えると」

「宿屋の願い? なんじゃそれは」


 天陽は小首をかしげるが。しかしソウにとっては、それも一つの叶えるべき願いであり、自身を支え続けてくれた、大切な友への感謝の意であった。


「私たちだけの秘密です」

「なにそれッ、余計気になる!」

「まあ、アマハル様には関係のない事ですから」

「むぅッ」

 

 どこか意地の悪い言葉に、嫉妬心とも捉えられる天陽の感情に拍車がかかる。だが久しく感じる心の起伏に、彼女自身も安堵の表情を浮かべた。


「あと、私の大切な神様に言っておいてください。また会う日まで、どうかお元気で。と」

「……ん、誰じゃそれは」

「まあ、それくらいですかね」

「名前を言ってくれんと伝えることは出来んぞ」


 恐ろしく鈍感な天陽にソウの口から溜息が出る。しかし彼女はそれ以上言う事はせず、刻返りの瞬間を待つことにした。


「――――それじゃあ今から刻返りを行うが、これは余も経験したことが無い未知の術だ。まあ心配はないと思うけど、何かあれば向こうの私を頼ってくれ」

「了解です」

「じゃあ、達者でな」

「アマハル様も」


 そうしてお互い笑顔を浮かべると、天陽は静かに祝詞を奏上する。その詞はとても心地の良い声で読み上げられ、次第にソウの身体も光を帯び始める。


「さらばじゃ」


 最後に天陽がそう言うと、ソウの姿は跡形もなくこの世から消え去った。


 ――――光の洪水。まるで狭いトンネルの中を高速で走り抜けるような歪んだ景色。ソウはその中で絶え間なく襲ってくる不安感と戦いながら、再び目にするユキメの姿を心待ちにしていた。

 そして光が闇へと代わり、気付けば彼女は宇宙と空の狭間のような場所で目を覚ました。


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