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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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もう一つの始まり

「おい、戦の邪魔すんなって言ったはずだよな」

「す、すいやせん! でも、お頭が…………」


 その言葉だけあれば、アラナミの理解は十分に及んだ。それ故に楽し気だった彼の表情は一変。


「――――兄貴に、何かあったのか?」

「お、お頭が、アラナギの頭が、討ち死にしました」


 悔しさと悲しさが溶けて入り混じり、男は絶えず涙を頬に伝わせながらアラナギの死を弟のアラナミに伝える。


「今、なんて言った…………?」


 彼にとっては、まるで太陽が消滅したかのような到底受け入れがたい報告。しかしシンにとって、それは刀を治めるに十分値する吉報だった。


「お、おお、俺らの頭が、龍に殺られちまった」


 ――――ガシャン。と、屋敷の中から音が響く。全員がそちらへ目を向けると、そこには握り飯を盆ごと落とした結舞月の姿。


「ア、アラナギ様が?」


 瞼を閉じたままその両肩を小刻みに震わせる結舞月。愛する者を失ったと知った瞬間、彼女は呆然と立ち尽くす。

 しかしシンはこの時を好機と見定め、飛儺火を治める国つ神を討たんと駆けだす。

 ――――そしてまさにハエを叩くような速さで刀を抜き、彼女は殺気に満ちた斬撃を結舞月に繰り出した。


「よせッ!」


 兄の死を受け入れられず目を泳がせるアラナミは、自分でも気づかない内に神通力を使った。そして感じる冷たい感触。彼は結舞月を抱え、自らシンの刃を背に受けたのだ。


「大将ッ!」

「アラナミ様ッ」

「貴様ァッ、よくも姫と大将を!」

 

 親でも殺されたかのような表情を浮かべ、配下の兵はすぐさま槍を構えてシンに向かうが。

 「…………ちく、しょう」

 しかし彼もまた、その槍ごと悉く切り捨てられる。


「…………はは、よくもまあ俺様の可愛い子分を」

「邪魔は斬るだけだ」

「言うねぇ」


 致命傷にまで及ぶほどの斬撃を、その畳みのように広い背に受けたアラナミは、どこか諦めたように言葉を零す。


「結舞月だけは、見逃してもらえねえか?」


 と、命乞いなどせず。ただ一言だけ願うような儚い言葉。そして最後に見たアラナギの背を思い出し、それが二度と帰ってこない景色だった事をその痛みと共に受け入れた。


「…………ならぬ」


 しかしシンも神勅を受けている身。そこに一切の私情はない。目の前の命がどれだけ尊いものだろうと。そのあとの景色が、どれだけの後味の悪さを残す事を知っていても。


「まあ、そうだよな」

「…………ア、アラナミ様」


 怯える草食動物のような結舞月の表情。そんな彼女の顔ばせが、アラナミの中にある消えかけた想いを呼び起こす。それは最後に交わした兄との金丁。


「遥の訪れ」


 いつ事切れても可笑しくない状況の中、アラナミは恐らく最後の神通力を使って結舞月と共に外へと出る。


「まだそんな力を」


 シンもすぐさま追撃の体勢を取るが、しかしそれ以上の速さでアラナミは空へと翔び、あっという間に遥か上空へ。しかしそれも、結舞月の手助けがあったからこそ成しえた業。


「あそこまでは追えないか」


 夜空を見上げ、月明かりを頼りに彼らの姿を捉えるシン。しかし彼女の余力では、既に彼らに追い付くことなど不可能だった。


「シン、アラナミはどこ」

「…………蒼陽姫!」


 ここで蒼陽がシンの元に合流。その傷だらけの神体からは、アラナギとの戦いがどれだけ激しかったのかが窺える。


「姫、よくぞアラナギを討ち取りました」

「まだだよ。まだアラナミが残ってる」


 蒼陽も夜空を見上げアラナミの位置を特定するが、しかし彼女も既に限界を超えており、龍昇での追撃は不可能と判断した。


「申し訳ありませぬ。私としたことが、あと一歩及びませんでした」

「いや、十分だよ。あれだけの手傷なら次で殺せる」


 アラナギを討ったからなのか、蒼陽は意外にも冷静だった。シンは彼女が直ぐにでもアラナミを追うと思っていたのだが、しかしそうしない蒼陽に違和感を覚える。


「姫、アラナギとの戦の際、何かあったのですか?」


 そして蒼陽の纏う神霊にシンは眉をひそめた。なぜならそれは、祝詞を奏上して纏った天陽の神霊ではなく、それに似た別の神霊だったからである。


「そんな事より、すぐにでも天都から援軍を呼んでこの村を抑えないと」


 アラナギが死に、その弟と主宰神の結舞月がいなくなった今、まさに彼女らには絶好の機会であることに間違いはなかった。


「そうですね。ここを平定すれば、飛儺火は我らの物」


 彼女らは直ぐに鳥笛を使って天都へ場所を知らせる。そうして援軍が来れば、飛儺の村は完全に天都の勢力によって埋め尽くされ、その統治下にあった諸々の国も天都に平伏することとなる。それが今回の飛儺火遠征の狙いだった。


「そんな単純なものなの?」

 

 口角に付いた血を拭いながら蒼陽は問うた。彼女自身も、国盗りがそこまで簡単ではない事を重々承知しているからだ。


「いえ、ですがここから先は外交に長けた者の仕事。私たちはこれにて終幕です」

「そっか」


 無事天陽から仰せつかった仕事を完遂し、シンもようやく肩の荷が下りて一息つく。しかし彼女の憂いは、まだ別の所に残っている。


「姫、まだ気は晴れませぬか?」

「……………………うん」


 人を殺し、なおかつ仇まで討ち取ったと言うのに、蒼陽の目は依然として光を宿さない。そんな彼女の影を見たシンは、心の何処かで危惧していた事が現実になる事を恐れた。蒼陽が荒ぶる神と成り果てる事を。


「姫、もう十分ではありませんか。ユキメ殿もきっと、そこまでは望んでおりませぬ」


 それは蒼陽も分かっていた。否、それよりもずっと前から、ユキメは復讐なぞ望んではいないという事を。そしてこれまでの全てが、自身のただの自己満足であることも彼女は内で感じていた。

 ……そして仇であるアラナギが死んだとき、そのどうしようもない感覚が彼女の中で確実なものへと形を変えていた。


「もう帰ろう。天都に」


 尋常ではない数の天津神の気配を感じた時、蒼陽はシンに提案し、シンもその言葉にただ頷いた。


 ――――そうして、愛する者を殺されたことから始まった、小さな少女の復讐劇は幕を降ろすこととなる。


 しかし、そのおかげでもう一つの火種が、いま大火にならんと音を立てていた。


「アラナミ様、私たちはこれから、どうすればいいのでしょうか?」


 東の空が薄く白んで来た有明けの頃。飛儺の国から遠く離れた上津野かみつのと呼ばれる片田舎の地で、結舞月は怪我の酷いアラナミを看病していた。


「すまねえ姫。俺が不甲斐ないばかりに」


 風に吹かれれば倒れそうな、その小さな一棟の床に横たわるアラナミ。その全身には包帯が巻かれ、断たれた腕からはまだ血が滲んでいる。だがそんな痛みを感じる間もないほど、彼は心の中で轟々と復讐心を燃やしていた。


「くそ。こんなのは慣れっこのはずだったんだがなぁ」

「アラナミ様…………」


 ユイゲツの表情も、まるで夜明けの月のように淡い色を放っている。目は真っ赤に腫れ、泣き疲れたたのだろうか、その声は本来の美しさを失っていた。


「心配すんな。残った龍狩りは全員こっちへ招集した。直ぐにでも建て直して、飛儺を取り返しに行くさ」


 怪我の修復による神霊の消費。その際の体温上昇による熱で、アラナミの身体は尋常ではない程の高温になっていた。しかしそんな苦しみの中でも、彼は結舞月に心配を掛けさせまいと絶えず笑みを浮かべて見せる。だが、その効果も最早薄い。


「…………アラナギ様は、本当に亡くなられたのでしょうか。あの言葉だけを信じ、私たちはここまで逃げおおせて来ましたが、どうにも信じられません。うん」


 横たわるアラナギの傍で正座をし、その頭を深く落とす結舞月。そんな姿を見てしまえば、アラナミも励ましの言葉をかけるほかなかった。


「もしかしたら、まだどこかで生きているかもな」

「また、お会い出来ますよね?」

「ああ。きっといつかな」


 などと言葉を取り繕うが、アラナギの死は他の誰よりも、彼自身が一番実感していた。長らく共に過ごした兄弟ゆえに、その神霊が消えたことは真っ先に感じ取ったのだ。


(兄貴、どうやら俺たちは負けちまったらしい。だが約束通り、あんたの結舞月は守ってみせた。だから安心して逝け)


 おぼろげな思考に鞭を打ち、アラナミは心に誓う。それが茨の道である事は承知の上で、しかし歩き慣れたその道を、彼は再び歩もうと決心した。


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