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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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命を削り、火花を散らし

「女を逃がすとは、存外、人懐こいのだな」

「ああ? 邪魔だからに決まってんだろ」


 中庭に立つ一柱の影。その白い被衣は月明りを纏い、ほんのりとその色を輝かせる。


「なるほどなあ、どうりでここまでの侵入を許したわけだ」


 アラナミも気配を感じ取れていなかったわけではない。ただその神霊の矮小さ故に、ただ注意をしていなかっただけ。しかし彼女を目の当たりにした時、それが勘違いだった事に気づき彼は笑った。


「どんな雑魚かと思って不安だったが、どうやら思い過ごしだったようだな」

「悪いが、話している暇などないぞ」

「っはっはっは。いいねえその言葉。つまりはあれだろ? 時間がねえから全力で来るって事だろ?」

「語るに及ばず」


 被衣を被った巫女装束は、その一瞬にして姿を消し、気付けばアラナミの背後へと回りこむ。戦いの始まりは、そんな巫女の不意打ちから始まったのだ。


「全く、最近の若い奴はよお、何かと速さを重視するけどよ…………」


 しかしアラナミは巫女の刀を手甲で受け止める。巫女が遅いわけではない。確かに完璧な不意打ちではあったが、ただそれ以上にアラナミの速度が尋常ではなかった。


(なんだ、今の速さ)


「全く無粋だよ。もっと世界を楽しまねえと」


 得体の知れぬの速度に、巫女はすぐさま距離をとる。


「お、いいねえ。美人じゃねえか」


 顎のラインまで切られた艶やかな髪。日本人形のような目鼻立ち。被衣がはだけ、その素顔が月明りによって露わになると、アラナミは思わず声に出した。


「でもまあ、結舞月ほどじゃねなぁ」


 被衣の巫女はシンだった訳だが、別に顔を隠すことは最早何の意味も持ち合わせていなかった。それよりシンにとっては、なによりも早く敵の神通力を理解することが優先。


八咫瞳黒やたのどうこく・乙」


 相手の視界を盗むシンの神通力。その“乙”とは、自らの視界を相手に植え付ける事であり、相手はつまりシンの視界を見ることになる。


「おいおい、面倒くせえことするなあ」


 混乱するアラナミに、シンは容赦なく斬りかかる。そしてその刃を振り下ろす瞬間、彼女は眼をつむり、相手に一切の情報を与えない。


「残念」


 鉄と鉄のぶつかり合う甲高い協和音が、早馬のように屋敷の中を駆け抜ける。


「なぜ防げる」

「甘いんだよお前は。こんなの、鏡を見るようなもんだろ?」

「…………やはり一筋縄ではいかぬか」


 一刀を防がれたシンは、再びアラナミとの距離を空ける。

 一六〇程の身長、リーチの面では三メートルもの巨躯に敵うもずもなく、彼女は一撃離脱の遠距離戦法を決めたのである。


「でもまあこのままでいいぜ。いつか自分の技を外から見て見たいと思ってた所だ」


(……なんだ、居合か?)


 腰の太刀に手をかけて、その重心を深く重力に添わせる。


「さあお待ちかね。これが俺の神通力だ」


 空気が一切揺れることの無い異常な気配。ただの抜刀でないことは瞭然。しかしシンとアラナミの距離は五メートル以上も空いている。

 龍血をつかった蒼陽の抜刀術ですら、走らない限りこの距離は埋められはしないだろう。だがしかし…………。


「抜刀。はるの訪れ」


 ――――たった一瞬。否、シンにとっては一瞬すらも贅沢な時間に感じた程。


「あーらら、少し浅かったか」


 アラナミはシンの前から姿を消し、そして同時に、彼女の神体には凶刃による斬撃が加えられる。


(なんだっ。何をしたッ!?)


 瞬間移動。彼女の頭は零秒の出来事をその言葉で処理する。だが仮に瞬間移動であるのならば、対象の元に移動した後に攻撃を行わなければならない。しかしアラナミはそれを同時にやってのけたのだ。

 ――――故に生まれるのは混乱。


(雷神の電光石火ではない。一体なんだッ?)


 装束の下に忍ばせておいた胸当てに、わき腹から右の肩にかけて刀傷を入れられる。しかし防具が無ければ、斬られていたのはシンの神体だった。


「何が何だか分かんねえってか?」


 不敵な笑みを浮かべるアラナミの、その余裕しゃくしゃくたる表情が、あまつさえシンにさらなる焦りを打ち込む。


(姿が消え、それと同時に私は斬られた。原因と結果が同時に…………)


 しかしアラナミは彼女に思考時間を与えない。再び鞘に刀を治めると、地に根を張るように腰を落とす。


(まただ、あれがくる)


 先ほどの神通力を警戒し、シンはすぐさま猫の如し速力で距離を置く。


「残念、後ろだ」


 しかし背中に走る痛み。今度はその刀身をもろに受けてしまった。


「……………………くそッ!」

「あははあ、悪いねえ、何か俺だけ」


 考えれば考える程、今度は体の動きが鈍ってしまう。しかし考えなければ、再び傷を負ってしまう事は必至。


 神体は神霊を守るための最後の鎧。神霊にさえ届かなければ、身体は幾らでも回復できる。さらにシンの神体も決して弱い物ではなく、アラナミの斬撃も僅かな所で神霊には及ばなかった。


「んー。なかなかの神体だが、もうそろそろキツイだろ?」


 どこかつまらなさそうに峰で肩を叩くアラナミ。

 しかしその言葉通り、次の攻撃でシンの神体は崩れてしまう。つまり彼女はそれまでにアラナミの神通力を解明しないといけない。


(抜刀、斬撃、残心。奴はそれらを全て同時に行う。…………動作を省いているのか?)


「おおッ。その表情、その顔は分かった顔だねえ。だからどうってことはねえがな」


 アラナミは再び納刀。

 対するシンも深くまで理解したわけではない。しかし今の彼女にとっては、それでも十分すぎるほどの解。


「八咫瞳黒」


 彼女は眼をつむり、アラナミの視界を盗む。だが攻撃の瞬間を窺う訳ではない。彼女はアラナミの視線という僅かな情報から、彼が次にどこを斬るのか山を張った。


「抜刀、遥の訪れッ」


 ――――互いの太刀に響く音、そして衝撃。その持ち手を痺れさせるほどの振動は、シンに僅かな希望を与えた。


「はッははははははッ。やるじゃねえか天津神ッ」


 シンの動体視力は、武士のそれを遥かに凌駕している。長年培った観察眼は伊達ではない。


「いいぞッ、面白くなってきたァッ。俺様の攻撃を止めるたぁ、燃えるじゃねえかァッ!」


 それから琴の連弾つれびきのように続く怒涛の連撃、しかしその嵐のような猛攻すら、シンは全て受けながす。


 刀と刀がぶつかる、さながら楽器のような快感な響き。その鋼の衝突による旋律は、シンとアラナミの闘争意欲を沸きあがらせる。


「あぁぁッはッはッはッはッ、最高だッ、今まで会った奴の誰よりもなッ!」

「べらべらと良く喋るやつだ」


 テンポの良い音楽に合わせるように踊る巫女。さらにそれに合わせるアラナミ。そのテンションは天を突き抜け、もはや下がることを知らない。


「お前とはここで殺し合う運命だったんだろうなッ、俺たちはここで、今まさにこの瞬間ッ、こうして出会うのが最高の形だったんだッ!」


 アラナミの神通力は、過程をすっ飛ばして結果を生むこと。ゲームで言うところのモーションキャンセル。しかし瞬間移動とは違い、飛ばした過程はそのまま身体に影響するため、攻撃を続ければ呼吸は尽きる。それに加え神通力の多様で、その体力消費はマラソンを全力疾走するように激しい。


「押して参るッ!」


 そして生まれた隙を狙ってシンが一刀を入れ、アラナミの腕からは血が流れた。しかし流る一滴それすらも、彼にとっては愛おしい戦いの一部であった。


「はあっ、ははは。お主、名を聞かせてくれ」

「手前、天津比売アマノシンヒメと申す」

「津か。悪くねえ名だ。俺は荒那波命アラナミノミコトと申す」

「確と」


 アラナミは決して手を抜いていた訳ではない。一刀一太刀に全霊を込め、確かに殺す気でシンに向かっていた。しかし彼女の適応能力がそれを上回り、それら全ては受け止められた。

 そんな彼の呼吸は、もはや呼吸とも呼べないほど絶え絶えだった。


「ひっひっひ、いやあ、楽しいねえ」

「息が上がっているぞ」


 そう言うシンの体力も、既に限界が近い。それはアラナミも感づいていた。


「これまで戦ってきた奴らは、俺様の神通力を受けきれず死んでいった。初めて殺した国つ神も、龍人も、どんな奴らでさえ、三回も斬れば皆死んじまった」


 水面に浮かぶ鏡のように美しい満月。アラナミはそれを見上げると、その口元を静かに綻ばせる。


「俺はもう神通力を使えねえ。使ったところで止められるしな」

「つまり…………」

「ああそうだ、ここから先は、単純な武の勝負だ」


 舞い上がった黄葉は、再び足元に降り積もり、二柱の行動を静かに待ち続ける。

 風が沈黙の間を吹き抜ける。そしてぽたぽたと顎の先から落ちる雫が音を立て、葉に重くのしかかってしがみ付く。

 そんな静けさの中、一歩踏み込めば刃が届く距離で、二柱はその太刀を両手で構えた。そして…………。


「八咫瞳黒・乙」


 ここでシンは神通力で自分の視界をアラナミに強制。それでもアラナミは嬉しそうに口元を歪め、その瞼をそっと閉じる。


「楽しい斬り合いはさせてくれねえってか」

「目的が違うのでな」

「そうかい。まあそうだよな…………」


 ダメージ量で言えばシンの方が重傷。だが対するアラナミも、神通力の連続使用で体力が尽きかけている。――――つまりこれが最終ラウンド。


 どこからともなく舞い込んで来た一枚の黄葉が、まるで果し合いの開始を伝えるように二柱の間をゆるりと落ちた。


「一刀ッ!」

「一刀・桜花」


 再び耳をつんざくほどの金属音。その月光の下で弾ける火花、それは確かに相手を殺そうと打ち込まれるが、それでも二柱の間には奇妙な連帯感。


「っくっははッ、この体格差で互角とは、ただの間者じゃねえなッ」

「懐に入られるのは苦手かッ?」

「そうかもなあッ、ここまで戦い辛れぇ敵は初めてだ!」


 シンは相手の腕の長さを警戒し、刀を逆手に持って近距離をメインとした攻撃を行う。そしてその低めから斬り上げるような斬撃は、シンの計算通りアラナミにとって戦い辛いものと化す。


「ちょこまかと、忍びらしいじゃねえか!」


 さらに視界までも封じられ、腕を伸ばせが足が斬られ、足蹴を放てば腕が斬られる。そうしてアラナミに蓄積する細かいダメージ。


「悪いな、私ばかり」


 隠密を得意とするシンの刀は短く、まるで大木のように強靭な神体をもつアラナミには、そう大した刀傷を負わすことは出来ない。しかしそれも続けば痛手になるため、アラナミはすぐさま距離をとろうと足を下げる。それでもシンは、それをさせまいと蛇のように食らい続けた。


「っははッ。相性ってのはあるもんだな!」

「一刀・劇」


 生まれた隙をついて、シンはアラナミの甲冑を叩き斬る。そして順手に持ちかえ、その斬り込みをなぞるように刃を返す。


「クッソ」


 腹部に走る激痛にアラナミの体勢は崩れ、シンは間髪を入れず追撃――――。


「二刀ッ・結結ゆうゆう


 隠し持っていた腰の短刀を抜き、目にも留まらぬ速さでアラナミの刀を叩き折る。そして折れた刃はくるくると宙を舞い、月下の中でその淡い光を乱反射。


「刀がッ」

「抜刀・閃光」


 ここでシンは視界を返し、唖然とするアラナミの腕を一太刀で斬り落とした。


「ッぐぅ!」

「最期の言葉を聞くッ」


 刀を握ったまま地に転がる腕。肘から先を失いアラナミは片膝を着く。

 そしてシンはその隙を逃すまいと、その項垂れる首を目掛けて咄嗟に刀を振り上げると、冷酷とも温情ともとれる言葉を言い放った。


「全く気が早えな。まだ一本落ちただけだろうがッ!」


 しかしアラナミの戦意は、まだ潰えていない。

 ――――故にその残火が大炎になる事を恐れたシンは、薪を割るようにすぐさま刀を振り下ろすが。


「くそ!」


 アラナミは足払いをし、シンによる斬首を回避。さらに足を浮かせた彼女にそのまま岩をも砕く凄まじい蹴りを放つ。

 それは満身創痍の神体には応える打撃、シンは口から微量ながら血を噴き出し、これ以上のダメージが及ぼす神霊への影響を恐れた。


「兄貴がいる限り、俺様は死なねぇ」


 馬鹿になった蛇口のように、その腕から血を流しながらアラナミは立つが、しかしそんな彼に、恐らく一番聞きたくないであろう凶報が入る。


「た、大将ッ」


 突如現れた雑兵。青ざめた表情で登場した彼は、アラナミのボロボロの姿にさらに怖気づいた。


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