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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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夜月に輝く白き花

 イチョウの木が美しい黄色で染まり、その山々に一切の緑を残さず一色。

 その盆地、飛儺の山中に存在する小さな村。王狐の農村や白兎の村とは違い、その細部にまで手を入れたような整った情景。 

 ゆらゆらと小川を流れる鮎は逆らい、風が吹けば積もった黄金は蝶のように翔。夕焼けのような赤トンボは稲の隙間を奔り、吹き抜けた家へと足を運ぶ。


結舞月ユイゲツ、西日は体に障りますよ」


 村の最奥、鳥居をくぐって石段を登ったところに佇む屋敷。その縁側にて、膝を正す女に羽織を掛ける男が一柱。


「あ、申し訳ありません。アラナギ様」


 まぶたが閉じ切ったうら若い年の女。その高く結った髪は雪ように白く、紅葉の如し太陽を見に受け、頬を染める。


「よい。それより、今夜は十五夜だな」

「ええ。吾月ごがつ様も今頃、団子を食べて首を長くしてることでしょう。うん」


 その言葉に顔をほころばせながら、アラナギはその巨躯を降ろして、足を縁側の外へと投げ出す。


「月が恋しくはないのか?」


 新月のように黒い着物に身を包むアラナギ。その少し癖のある赤茶色の髪は、結舞月と並ぶとその色を一層映えさせる。


「時として焦がれる事はありますが、それでも、わたくしはここが好きです」

「ふふ、そうか。それなら俺も安心だ」


 庭の鹿威しが、潤いと渇きを織りなした音を打つ。

 一見すれば仲のよい夫婦にも見えるものだが、アラナギは尽きることの無い不安に、ただただ結舞月の身を案じている。


「おーい兄貴ぃ、キミヨの婆さんが団子持ってきてくれたってよ」


 両腕を袖に仕舞い込んで、縁側の奥から歩いて来る男。顔つきはアラナギと一緒ではあるが、兄とは真逆の性格は、着物の着方や髪形によく映し出されている。


「そうですか。あとでお礼を申しておかねばなりませんね」

「おっ、今夜は夫婦仲良くお月見かい?」


 茶化すような笑みを浮かべるアラナミに対し、アラナギは視線を正面に向けたまま軽くあしらう。


「うるさいぞアラナミ」

「へいへい、邪魔者は散るとするかね」


 そう言ってひらひらと手を振りながらアラナミは歩き去る。

 仲がいいのか悪いのか、そのやり取りを見ていた結舞月は、ふっと笑みをこぼして袖を口に添えた。


「どうした?」

「いえ、誠仲のよろしい兄弟だと思いまして。うん」


 目を閉じたまま笑う結舞月に、アラナギもつられて笑ってしまう。


「世話が掛かるばかりで、可愛くはないな」

「ええ、そうですの?」

「ふふっ、アラナミは昔かそうだ」

「昔…………。そういえばアラナギ様は天津神と聞きいてはおりましたが、アラナミ様は違うのですか?」

「そう言えば、話したことはなかったな」

「ええ、他の者も不思議がっておりますよ。うん」

「そうか、困った奴らだ」


 結舞月の言葉を聞くと、アラナギは腕を袖に仕舞い込んで、話をまとめるために少し考える。


「…………そうだな、どこから話せばいいか」


 陽も傾き、その姿が山の後ろに隠れた時、アラナギはその言葉を始めとし、自分たちの過去について話し始める。


「俺たちは確かに天都で産まれたのだが、ものごごろがついた時は既に、アラナミは下界へ送られていた」

「……何故、そのようなことが」

「父が双子を良く思わなくてな。アラナミが俺の悪い部分から化生した子だと信じていた」


 眉根を吊り上げ、口を紡いでしまう結舞月。常に目を閉じているため、その目の色を窺うことは出来ないが、どこか悲し気な表情にも見える。

 そんな彼女の気心を知ってか、アラナギは静かに笑んで話を続ける。


「そうして俺はアラナミを知ることなく天都で育ったのだが、あるとき中つ国での仕事を受け、西ノ宮に降りた時だった」

「アラナミ様を、見つけたのですか?」

「ああ。街の社で、アイツは用心棒をしていた。それでその時ばったり遭遇したのだが、俺たちは直ぐに自分たちが兄弟だと分かった」

「ふふ。お顔が同じですものね。うん」

「そうだな。それから西ノ宮へ降りる度、あいつとはよく酒を酌み交わした。自分の過去を話したり、日々の不満を語り合ったり。…………今思えば、あれは本当に楽しかった」


 話が進むにつれ、表情を綻ばせるアラナギ。それは船の上で蒼陽たちに見せたものではなく、ただただ思い出に浸るような純粋な笑み。


「まあ、あとは結舞月も知っておろう」

「ええ。あの日の事は忘れませぬ。うん」

「お主の難題には手を焼いたな」


 そう言って二柱は肩を寄せ合い、仲良く談笑しながら夕焼けを見上げる。その並んだ背中は、さながら親と子のような体格差。


「おッ、お頭!」


 しかし夫婦水入らずを邪魔するかのように、庭の奥から甲冑を着た男が、鬼から逃げる子供のような形相で走ってくる。


「どうしました」


 そんな容易ならざる雰囲気でもアラナギは動じないが、しかし慌てふためく男の様子に、結舞月は怯えた様子で袖を掴む。


「敵襲ですッ。ゴズ隊長がやられ、更にハバキとエニシも行方知れずです。恐らくはもう…………」

「――――兄貴ッ、襲撃だ!」


 同時にアラナミも姿を現すが、しかし顔面蒼白な兵士とは違い、その顔は菓子を目の前にした子供のように血の気で溢れている。


「分かりました。残存兵力で屋敷を固め、指揮官はドウライにお願いします」

「ッは。各地の兵も呼び寄せますか?」

「よい。ここにおる者だけで討つ」

「御意ッ」


 アラナギの指示を受けた男は、そのまま最敬礼をして再び走り出す。

 そしてアラナギは次に、その視線を研いでアラナミに問う。


「して、何故ここまでの侵入を許したのですか」

「分かんねえけどよ、どうやら敵は子供みたいだぜ」


 その言葉を聞き頭に浮かんだのは、十年前に大海で出会った蒼陽の姿。その少女が殺した龍人の仇を取りに来たのだと、アラナギは瞬時に理解する。


「アラナギ様、大丈夫なのですか?」


 閉じたまぶたをこじ開けるように湧き出る涙。袖を握り、まるで子犬のように震える結舞月に、アラナギはそっと頭を撫でる。


「問題ない。少し外す」

「兄貴ぃッ、早く行こうぜ!」

「分かってます。ですがアラナミ、お前には結舞月の護衛を頼みたい」


 うきうきとした表情を一変させ、今度は鋭い目つきで兄を睨むアラナミ。


「はぁ!? 何言ってんだよッ」

「馬鹿者。敵の狙いは結舞月です」

「はぁ?」


 アラナミも兄同様、敵が子供と知った時、十年前の龍人の子が復讐に来ているものだと誤解していた。しかし狙いがユイゲツだと知った時、彼は再び白い歯を零す。


「ああっはっは。なるほどね、国盗りか」

「そうです。結舞月を討ち、その信仰を天都の物にせんと企んでいるのでしょう」

「わ、私が狙いですか?」

「心配すんな姫、俺様が守ってやるからよ」


 ユイゲツの護衛であれば、きっと手練れと渡り合えるという可能性を加味し、アラナミは兄の要求を快諾。実力主義の彼にとって、より強い相手と戦う事だけが一切の興を沸き立てていた。


「頼みましたよアラナミ」

「おう。兄貴もな」

「アラナギ様、どうかご無事で、うんっ」

「大丈夫だって姫、兄貴は強ぇからよ」

「結舞月、心配はいらぬ」


 アラナギは結舞月を安心させるべく優しい笑みを見せると、続いてアラナミに険しい目つきを向け、ただ一回だけ頷いた。


「アラナギ様…………」

「そんじゃあ、俺様も着替えてこよっかな」


 そうして二柱は戦に備えるべく着替えを始める。アラナギは夜を模しているかのような黒い袴。そしてアラナミは、太陽を表すかのような真っ赤な甲冑に身を包んだ。そして両者の装束には龍の紋様。


「さあて、それじゃあ侵略者どもを根絶やしにするとすっか」

「あまり気負いすぎるな、緊張は隙を生みます」

「おいおい、そりゃあ俺様に言ってんのかい?」

「お前には必要のない言葉でしたね」

「おうよ、俺様は誰よりも楽しんでるからな」

「それより、結舞月の事は頼みましたよ」

「任せろ、命に代えてもな」

「……その言葉、天都を思い出す」


 身長3メートルほどの巨躯。二柱とも体格差は変わらないが、しかしその表情は大人と子供。アラナギは常に冷静さを保つ一方で、アラナミは今か今かと息を荒らす。


「では結舞月、行ってくる」

「はいっ、お気をつけて、うん!」


 屋敷の玄関。着替えを済ませたアラナギは、静かに草鞋を履いて立ち上がる。そして不安げな笑顔を見せる結舞月に、そっと腰を落として視線を合わせると、おもむろにその唇を彼女の口元に重ねた。


「はわわわわっ」

「おいおい、他所でやってくれ」


 ユイゲツは顔を真っ赤にし、アラナミは気まずそうに頭を掻く。そんな二柱に微笑みを見せると、アラナギはただ静かに敵の元へと向かう。外で待機していた龍狩りと共に。


「――――アラナミ様、相手の方は一体どんな方なのですか?」


 アラナギを見送った後、二柱は再び縁側へと戻り腰を落ち着かせる。そうしてただ静かに月見でもするかのように夜空を眺めていると、結舞月はそっと息を吐いてそんな質問を投げかけた。


「なあに、ただのガキさ。姫が気にすることじゃねえ」


 そんな不安げな表情を見せる結舞月に、アラナミは目じりにシワが出来る程の笑顔を見せる。なにせ相手は自分たちに手も足も出なかった子供。そんな子供に負ける兄貴ではない。と、アラナミ自身も自負していた。


「……ところで、姫は兄貴のどんな所が好きなんだ?」

「え、今聞くことでしょうか? うん」

「まあまあまあ、こういう時は他愛ない会話をするもんだぜ」


 ユイゲツの言う通り、この緊迫した状況の中でそのような話題を出すアラナミは少々はずれている。しかしそれも彼なりの優しさだった。

 そんな彼の心を知ってか、ユイゲツは顔を和やかなものにし、その白い指を畳みながら答え始める。


「そうですねえ。優しい所、頼りになる所、お布団のような抱擁感に、一緒にいて楽しい所。あとですね、お料理もお上手なんですよ。うん」

「あっはは、それは俺も知ってる」

 

 楽し気な会話をしながら縁側に座る二柱。その背中は夫婦にも見間違えるほどだが、その間には一人分ほどの隙間。


「アラナミ様は、アラナギ様のどんな所を好いておるのですか? うん」

「馬鹿、弟の俺に聞くなよ」


 どこか照れたような笑み。しかしその表情には他意はない様に見える。兄弟ゆえの気恥ずかしさというもの。


「うふふ。アラナミ様も存外、分かりやすいお方ですね。うん」

「なんだよそれ。…………でもまあ、兄貴はやっぱり兄貴だよ」

「羨ましいです。私も、そんな兄上か姉上が欲しかったものです。うん」

「義理の弟の前で言うか?」


 誰もいない大きな屋敷に響く、二柱の楽し気な笑い声。――屋敷の外では今まさに殺し合いが行われているが、その不安をユイゲツに一切与えない様、アラナミはその余裕を絶えず浮かばせていた。。

 …………しかしそんな空間にも、異常物は紛れ込んでしまう。


「姫、ちょっと小腹空いたから、何か作って来てくれねえかな。外にいる奴らにも食わせてやりてえし」


 唐突な要求。それには結舞月も困惑してしまうが、しかし普段と変わらない無邪気なアラナミの声色に、彼女はなんの不信感も抱かない。


「え、私の粗末な料理でもよいのですか?」

「構わねえ、握り飯でも何でもいい。あ、俺は梅干し抜きのやつね」

「うふふ。そこはアラナギ様と違うのですね。うん」

「まあな。そんじゃあ頼むわ」

「ええ、おにぎりくらいなら、私も作れると思います」


 そう言って可愛らしい笑顔を向けると、結舞月はぱたぱたと土間の方へと消える。


「さあって、これで俺様もようやく戦が出来るなあ」


 ユイゲツがいなくなったことを確認すると、アラナミは頭をぶつけぬようゆっくりと腰を上げる。そして縁側から顔を覗かせると、何やら視線を屋根の方へ向けて口を開く。


「そろそろ出てきてもいいんじゃねえか?」


 まるで友達でも呼んでいるかのような声。そしてその言葉に反応する影。アラナミはその気配をずっと感じていたのだった。


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