少女の人間性
「んふふ。やはり臭跡を追ってきて正解だったねえ」
馬のいななきと共に現れた長髪の女。それは、尾羽里の街でソウ達と遭遇したハバキだった。しかしその出で立ちはまさに武士。
「あーあ、可哀そうな連中だよ。あんたらのお陰でこんな目に合うんだからねえ」
そう言ってハバキは三人の王狐族を前に出させる。――それは若い男と女、そして年端も行かぬ子共までも、龍狩りは縄で縛りつけていた。
「要求は?」
それでもソウはその表情の一切を崩すことなく、ただただ静かにハバキに問う。
「要求だぁ? そんなのは分かり切ってることだろ。あたいらの要求はただ一つ、お前らの首さね」
「ここで私が死ねば、その者らを解放するか?」
涙を流し、必死に助けを求めるような眼をソウに向ける人質たち。それでも彼女は、冷静さを保ち続けながらハバキだけを見据える。
「そうだねえ、でもお前が死んだら、人質が解放されたかどうかは分からんだろ?」
「お前らの仲間はまだ生きてる」
「ああ?」
「仲間を殺されたくなければ、村人を解放しろ」
それは決して通用しない手段であることをソウも十分理解していた。ただ、彼女はどこぞに潜んでいるシンの為に時間を稼いでいたのだ。
「あっははははははは! 敵にそういう手を使わせないために、捕虜になった隊員は自害するよう教え込まれている。切り札の為に取っておいたのかは知らないが、浅はかだよ」
ハバキの勝ち誇ったような笑み。目じりから涙を滲ませ、呼吸すら忘れる程の嘲笑。それはハバキの後ろにいる龍狩り達も同じであった。
しかしそんな中、馬上で大いに笑うハバキを目掛け、上空から一つの異常物が舞い落ちる。…………しかし。
「だから浅はかだって言ってるんだよッ!」
生徒を叱る教師の如くハバキが声を張り上げる。その手には、自身を殺そうと上空から奇襲を仕掛けたシン。
「他人を巻き込みたくないか? 罪なき者を殺されるのは耐えられないか!? んっふふ、甘いんだよ」
その言葉は、手中に収まるシンと辻の真ん中で立ち尽くすソウに向けられた言葉。そしてそれは、ハバキ自身の怒り。彼女は深くため息を吐くと、それを取り戻すような勢いで肺に呼吸を溜めて叫ぶ。
「お前らが始めた戦だろうが、だったら腹くくれッ!」
「…………くそ」
ハバキに胸倉を掴まれ、苦しそうにもがくシン。腰に隠している短刀で反撃することも出来るが、しかしハバキの刀のように鋭い爪が喉に食い込み、それを億劫にさせていた。
そんなシンを流し目で確認すると、ハバキは最後にため息を吐き、人質が逃げないようにその縄を掴ませておいた兵士に命じる。
「もういい、殺せ」
「は!」
一人の龍狩りが腰に佩いた短刀を鞘から抜く。
そして手足を縛られ、猿ぐつわを施された若い男の王狐が、声にならない断末魔を上げながら、その首を短刀で掻き切られてしまった。――――その刹那。
「いやあああああああッ。父ちゃんッ!」
建物の影から見ていた子供が飛び出す。父親が殺されたが故の哀哭、その叫びには怒り。男児は脇目も振らずまっしぐらに父親の元へと駆ける。
しかしそんな幼気な男児までも、ハバキは刀で斬り殺さんとその凶刃を振り上げた。
「止めろ!」
ソウの脳裏に過るシーン。綺麗に縫い合わされたユキメの遺体。そして泣き叫ぶ自分。彼女はそれらに背を押されるように天叢雲斬を飛ばす。男児を助けまいと、自分と同じ道を彼に踏ませないためにも。しかし寸でのところで間に合わず、父の為に飛び掛かった男児は無残にも切り捨てられた。
「…………お前ッ」
心の中。一つ、頂点から何かが落ちる。
「そうか、異様な妖術を使う龍人。お前が、カガを殺した龍人の子か」
道端に転がる二つの死体。その光景は、ソウの心を静かに蝕む。
「んふふ。そうかいそうかい、アラナギの頭に殺された龍人の仇を取りに来たか。殊勝なこった。そんなことをしてると、いつか吞まれるぞ」
「…………うるさい」
流れる血。本来なら明日も生きるはずだった二つの命。しかしソウ達が現れたせいで、いま潰えてしまった尊い命。
「気付いてないのかい? お前が今、どんな表情をしているのか」
「うるさいッ」
「んふふふ! 街で会った時より、よっぽど堕ちてるじゃないか」
今すぐフラストレーションを爆発させたいソウだったが、しかし人質が気にかかり、思うようにコントロールが利かない。だがそんな焦燥も、体温と匂いで物を見るハバキには気取られてしまう。
「ああ、ならこいつらは、余計だったね」
馬上からハバキは手を挙げて、下の兵たちに合図を出す。それは無情な一手。取った駒を金槌で打ち砕くような。そして龍狩りは命に従い、その命をためらいもなく摘み取った。
――――瞬間、ソウの人間性を辛うじて保たせていたものが、ソウを人間たらしめていた何かが、音を立てて崩壊した。
「んふふ、お前さんはもう、十分狂っていたんだね。こんな無粋な真似をした私を赦しておくれ」
血を流して倒れる王狐を眺め、ハバキは目を細めて笑う。その光景たるや、十年前に見た景色をフラッシュバックさせる凄惨。その血によって朱く輝く目を見開き、天叢雲斬がシンを掴むその腕を切り落とさんとハバキに襲い掛かる。
「おっと、届くのかい!」
腕を斬られまいと、シンを離して腕を引っ込める。その反射神経は尋常ではないが。しかし次の瞬間、今度は天羽羽斬が逆の手に斬りかかる。
「んふふ! いい殺気じゃないか」
血刀を受け止めたハバキは、ソウの弱点である近距離戦に持ち込むため、直ぐに馬を蹴ってソウとの距離を詰める。
「ゲホッ、姫!」
天叢雲斬によって助けられたシンは、苦しそうに喉を抑えながら、すぐさまソウの元に駆けつけようと試みるが、しかしこれを邪魔する龍狩りの号令。
「お前らッ、あの巫女を殺して村を焼け!」
隊員の一人が声を上げ、その掛け声と同時に龍狩りたちが一斉に前進を始める。前列は槍を構え、後列には刀や弓矢を持つ者もいる。ここでシンが彼らを通してしまえば、王狐の村は蹂躙されしまうだろう。そしてそんな悍ましいイメージが、シンの足を掴んで止めた。
――――対するソウとハバキは、今この瞬間ぶつかり合う。
一進一退の剣戟、本来なら騎馬と歩兵では相性が悪い。しかし龍血による立体的な攻撃を仕掛けるソウにとって、騎馬のアドバンテージは無いに等しかった。
「やるじゃないか小娘!」
楽し気に刀を振るうハバキ。対するソウの表情はもはや表情と呼べるものではない。目を見開き、その瞳孔は細く、そして血のようにどす黒い赤を放っている。
そして二振りの刀を舞わせながらその脚と腕を龍に還らせ、加えて尻尾までも還す。
「いい姿じゃないかいッ! ようやく龍狩りらしくなってきた!」
ハバキは刀をしならせるように振り、鮮やかに二刀の猛攻を防ぎ続ける。しかしそれで一杯一杯。一騎当千の強者でも、一振りで山をも砕くような龍には敵わない。さらにそれが三方向同時の攻撃となると、もはや防ぐ余裕はない。
「んあっはははははは! いい戦いっぷりだよ小娘!」
龍爪によって落とされた腕、しかしハバキは笑う。何が彼女をそうさせるのかは分からないが、腕の痛みはない様にも見える。
「龍狩りはね、別に龍に対して策があるわけじゃないんだよ。ならその強みは何か」
そして最後の腕も、天羽羽斬の振り下ろしによって斬り落とされる。それでもハバキは腕を広げ、流れる血に構うことなく笑う。
「それはッ、討たれた仲間の仇を、地の果てまで追い詰め殺すところにあるのだッ!」
ソウと対峙してから数秒、ハバキは腕を落とされ。そしてさらに数十秒、残った腕すら豆腐のように切り落とされ、その最後には首を撥ねられた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあッ、ハバキ様ァッ!」
「ハバキさまァ!」
「嘘だァッッ!」
ハバキが馬から落ち、その首が地に落ちた瞬間、龍狩りたちが獣のように叫ぶ。それは遠く離れた山に当たり、やまびことなって帰って来るほど。
「殺せッ!」
「奴をッ! 仇を取るんだッ!」
鼓舞、慟哭、全員が刀や槍を握り、その鉾先をソウに向ける。
しかしその殺気に中てられてなお、ソウの表情に変化は起きない。それどころか、感情の表れでもある二振りの太刀が、襲い来る龍狩りを根野菜のように斬り落としていく。
「怯むなァッ!」
「行けェ奴を殺せッ!」
「仲間の仇を取るんだッ!」
噴き出た血が霧のように大気を舞う。その光景は龍の本能を叫ばせ、少女の両目は妖しく輝く。
刀が宙を舞い、腕や足、首までも宙に舞わせ。そして還りによって能力が底上げされた神体は、二振りとともに龍狩りを八つ裂きにする。
「クソォォッ!」
「援軍を呼べ! 空を飛べる奴は上空から矢を射て!」
「そっち行ったぞッッ、気負付けろ!」
「何なんだコイツは!」
「怯むなッ、先ずは尻尾を落とせ!」
「鬼神だ…………、勝てる筈がねえ!」
「龍昇だ、空の弓隊を下げろ!」
「援軍は!? 援軍はまだかッ?」
「呼びに行った奴が殺されました!」
「アァァァァアッ、クッソォォォ!」
「痛ぇよお…………死にたくねえよぉ」
「尻尾はもういいッ! 先ずは刀だッ、刀を折れ!」
「あぁぁっぁぁ、駄目です! エニシ副官討ち死にです!」
「副長が死んだ…………」
「うあぁぁぁ、もう駄目だ」
「まだ諦めるなぁッ!」
「負傷兵はもういい! 戦える奴だけで固まれ!!」
「固まるなッ! まとめて両断されるぞ!」
「何なんだあの切れ味はッ!」
「足がぁ、足がぁ、誰か俺の脚をぉ」
「むやみに傷つけるなッ、血から矢を飛ばしてくるぞ」
「弓隊は!?」
「全滅ですッ!」
「畜生がッ、あと何人残ってるッ!?」
「ここにいる兵だけですッ」
雑草を刈るように、花の蕾を摘み取るように、ソウは兵どもをたちまちのうちに殺してゆく。
太刀は踊り、巫女は舞い、その様はまさに神楽そのもの。武舞を舞うように殺し続け、少女の口元は醜く歪む。
そうして、道を埋め尽くしていたほどの龍狩りは、その一兵までもが立ち上がることなく、先を見渡せる程の景色を作った。
「…………姫」
シンの呼び声。しかしソウには聞こえず。
「姫!」
シンが袖を掴む、それでも蒼陽は還りを解かない。それどころか、死にかけた負傷兵に止めを刺し続ける始末。
「――――蒼陽姫ッ!」
そんな彼女をシンは抱きしめた。返り血で染まった蒼陽の身体を、その神霊を引き戻すかのように。その両目から涙を零し。
「もう、おやめください」
いつもの抑揚のない口調ではなく、その言葉には感情が籠っていた。その時思い出すのは、ユキメの抱擁と、その温もり。
「…………まだだ。まだ終わっていない」
「姫、もう十分です。援軍を呼びましょう」
誰一人として逃がすことなく、蒼陽は地獄絵図を作り上げた。その筈なのだが、しかし目には何も映っておらず、ただ真っ直ぐ一点だけを見つめている。
「我らは失敗しました。あとは、援軍に任せましょう」
「まだアイツらを殺してない。シンなら匂いを辿って、飛儺の村を見つけられるでしょ?」
「しかし、我らの存在が露見した今、援軍も無しに潜入するのは危険すぎますぞ」
「援軍を呼べば奴らが逃げるかもしれない」
「駄目です。策も無しに敵陣へ斬り込むなど、自殺行為です」
「お願いだから、奴らの所へ案内して」
何を言っても聞かぬ蒼陽に、シンは肺に溜まった息を吐き尽くして考える。
龍狩りは一人残らず全滅させたが、いっこうに飛儺から援軍が来る気配は無い。もしかしたら、まだ隠密の効力は生きていているかもしれない……と。そしてその時間の無さから、シンの決断力も自ずと研ぎ澄まされる。
「分かりました。しかし時間との勝負ですぞ」
この時、シンが考えた通り飛儺にはこの一件が伝わっていなかった。ハバキは尾羽里でシン達を目撃し、その匂いを辿って村に来るまで、彼女らが天都の間者だと確信していなかったのだ。故にハバキは飛儺へは報告せず、自らの判断で王狐の村を襲ったのである。
それでも、百人ばかりの龍狩りを殺したことが飛儺にバレるのは時間の問題だった。
「なら早く行こう」
「……………………承知」
依然として不安は積もるものの、シンは覚悟を決め蒼陽を案内することを決意。そして彼女は神通力を使う。
「日狼覚」
臭いを視覚化する神通力。シンの目には今、龍狩りたちの臭跡が薄い橙色をした霧のように見えている。
「こちらです」
そうして二人は走る。蒼陽は龍脚だけを残し、まさに獲物を追う狼のように前方を走るシンを追う。
行く手を阻むものもなく、ただひたすら道を走るだけなら、その速力はたちまち突風を生むほどのものになった。
なんだろう、三人称ってここまで窮屈な事に驚いた自分に驚いたんですよね




