少女が抱える矛盾
――――そうして二柱が再び農村へと戻ると、時刻はもう昼頃になっていた。少々腹の虫も鳴る頃だが、しかし今はそれに現を抜かしている所ではない。
彼女らは早速、捕らえた龍狩りから情報を引き出すべく牛舎へと赴く。
「おや、巫様たちじゃねえかぁ。もう尾羽里から戻ったので?」
牛舎の見張り番をしていたのは、あの狐家族のトウテツだった。先が三つに分かれた槍のような農具を持ちながら、彼は暇そうに立ち尽くしていた。
「中の龍狩りはまだ生きておるか?」
「はい。二人ともすっかり元気になっちまって、我らも苦労してるんでぃ」
「ふむ、面倒ごとを押し付けて申し訳ない」
シンはそう言って謝るが、トウテツは気にも留めていない様子で爽やかな笑顔を振りまく。
「いやいや、それより、中の者らに何か用事で?」
「ええ、取るに足らぬことだが」
「まあ、巫女様たちがそう言うんなら、中へどうぞ」
そう言うとトウテツは、情けない悲鳴を上げる大扉を、その太い両腕で力いっぱい手前へと引く。すると同時に聞こえるのは、あの龍狩りの元気な声。
「おい、てめぇら! さっさとここから出さねえか!」
「畜生、まだ鼻が痛ぇ」
見る影もないくらい顔面が歪んだ男は、まだまだ痛みに唸っているが、シンに唾をかけた男のほうはは、はつらつとした様子で暴れている。
しかしそんな生気すらも、シンの顔を目の当たりにした瞬間、風に吹かれた綿毛のように儚く舞い散る。
「っひい、な、なな、何しに来やがった!」
「一つ、聞きたいことが出来てな」
「聞きたいことだぁ!? もう俺は何も知らねえぞ!」
頭に疑問符を浮かべる男を他所に、シンに酷い事をされたと思しき男は、その血気に満ちた顔を瞬時に蒼白にさせた。
「あのぉ、巫さま?」
「ここは大丈夫ですので、少し外してもらますか?」
何が何だか分からないトウテツは、ソウの言葉に促されるままその場を後にする。その際しきりに振り返ってはいたが、その様子はどこか怯えていたような感じだった。しかし男どもの怯えっぷりを見てしまったら無理も無いだろう。
「さて、単刀直入に聞くが、うぬらはハバキという崇巳族を知っているか?」
被衣を肩にかけ、シンは素顔を露わにさせる。しかしその目つきは、まるで人を人と思っていないかのような、冷たい眼差しだ。これには男も目を背け、口をくぐもらせてしまう。しかし。
「ゲホッ。…………あんた、ハバキ様を知ってるようだが、あの方を付けまわるのは止めた方がいい」
「お、おい!」
黙り込む男を他所に、ソウの飛び膝蹴りによって顔が潰れた方は静かにそう言った。
「やはりあの女も龍狩りか」
「ああ。ハバキ様は間諜部隊の精鋭だ」
「馬鹿お前、何喋ってやがんだ!」
男の言う通り、なぜもう一人の男がここまで素直に話すのか、それはソウとシンにも分かっていなかった。
「タケダケ、お前も分かってんだろ。敵に掴まった隊員がどうなるのか」
「…………そっ、それは」
「どうなるのだ?」
シンがすかさず問う。
「龍狩りの法度だ。敵に掴まった奴は、自害しねえといけねえんだ」
「徹底されてるのだな」
「…………あんたら、天都から送られた間者だろ?」
その言葉にシンは黙る。しかしバレたから黙っていたわけではない。彼女もある程度の情報が敵国に渡っていることは承知していた。それはソウも例外ではない。
「やっぱりか。ある日を境に、俺たち末端の隊員にも伝達が来たんだ。いずれこの国に天都が攻め入るってな」
シンに怯えていた男も、もはや諦めた様子で口を紡ぐ。
「だから国境の見張りも増員され、俺たちも尾羽里からここへ送られた」
ソウによって前歯が折られているため、男の口調は決して滑らかではない。それは間抜け喋り方にも聞こえるが、男の言葉はどんどん不吉さを帯びてゆく。
「今頃、消えた隊員を探すために、龍狩りは血眼になってるだろうぜ」
「うぬらの事か?」
「ああ。捕まった隊員には自刃を迫るが、仲間の仇を放っておくような柔な連中でもねえ。この村も直ぐに燃やされちまうぞ」
「自国の村だろ?」
「――関係ねえ。龍狩りにとっちゃ隊が第一。それ以外の村や町は、ただの鬱憤のはけ口でしかねえ」
その言葉を境に、男の口調が次第に強くなっていく。
「お前らはまみえる相手を間違えた。ましてやガキと二人で乗り込むたあ、英雄を気取ってんのか知らねえが、こんな罪もねえ村を巻き込んで国を滅ぼそうなんざ、お前らよっぽどの鬼だぜ」
ここまで黙って聞いていたソウも、ただひたすら胸の内に留めていた憤怒を少しずつ解放させる。
「アイツらは、私の愛する人を殺した。お前らにとやかくに言われる筋合いはない」
「そうか、お前か。カガ副長を殺したっていうガキは」
しかしその名前が出た時、押し黙っていた男も目つきを変えてソウを睨む。
「お、おい、コイツがそうなのか?」
「ああ違ぇねえ。大将が言っていたガキはこいつだ」
「そんな…………。こんなガキに、カガさんがやられたって言うのかよ」
歯を食いしばり、涙を流す男たち。その怒りはソウに向けたものであり、その荒い息遣いには殺気が込められていた。
「うるさい。お前らなんかに何が分かるんだよ」
「何が分かるかだと!? お前はな、俺たちの親みたいな人を殺したんだぞッ!」
「――――それはお前らも同じだろうがッ!」
ソウはもちろん、自分の内にある矛盾に気付いていた。
アラナギは確かにユキメを殺したが、しかしソウ自身も、殺していないとは言え、両腕をないがしろにし、その後再起不能の後遺症を負わせた常世の国の龍狩りに、殺したも同然の仕打ちをしたからである。
楽し気にユキメをいたぶった双子と、龍狩りからすれば、また楽し気にカガをいたぶったソウ。この消すことのできない事実が、ソウの復讐心を陰らせていたのだった。
「姫ッ、一度外へ出ましょう!」
ここでシンがソウの腕を引っ張り、彼女の怒りから来る興奮を抑制する。
気づけばソウは、杖の代わりにしていた天叢雲斬の、その刀身を抜いて彼らに突きつけていたのだ。
「くそッ、くそッ」
「姫、今は落ち着いてください」
「ねえシン、教えてよ。私の方が悪いの? 私は龍人の仇を討っただけだよね?」
牛舎の外へと連れ出されたソウは、涙を流してシンに縋りつく。彼女の心にはもはや、抱えきれないくらいの荷重がのしかかっていた。
「私には分かりませぬ。ですが、姫の行動は、どれも間違ってはおりませぬよ」
シンにも答えなど分からない。それどころか、闇の中を手探りで進むソウに、かける言葉すらも見つからないのだ。それでも彼女は、優しくソウの頭を撫でながら呟いた。
「……………………ユキメ」
シンの腹に顔を埋め、もう心の拠り所すら失っている少女は、ただただその名前を静かに口にした。
「――――巫さま、大変です!」
ここで一人の王狐族が息も絶え絶えに駆けてきて、その呼吸を整える事すらせず二柱に叫ぶ。
「何事か」
シンは冷静さを保ったまま、その尋常ならざる王狐の呼びかけに応える。すると男は…………。
「龍狩りが、龍狩りの軍勢がこっちに向かって歩いてきます!」
「数は!?」
「定かではありませんがっ。百か、それ以上です!」
捕らえた龍狩りの言葉が、現実味を帯びてきた瞬間だった。
「姫、一度退きましょう」
「…………うん」
まだ主宰神の居場所も特定できていないため、今ここで龍狩りと交戦するわけにはいかない二柱は、すぐさま退却の準備をする。
「わ、我々は、どうすればいいのでしょうか!」
しかし王狐の男が、依然として青ざめた表情のままに指示を乞い、彼女らのその足を止める。
「今すぐ逃げるのだッ。奴らは何をするか分からん、子供を優先に避難させよ!」
「し、しかし、村の者も幾人か掴まってしまっております!」
言葉を失うシン。
しかしソウは、その朽ちかけた心を保つために、確かな意識と共に天叢雲斬を握る。
「姫!」
「シン、私たちのせいだよ」
「…………しかし」
「援軍は呼んじゃだめだよ。そうすれば、もっと多くの人が巻き込まれる」
それだけ言うと、ソウはおもむろに太刀を背負い込む。彼女は今まさにここで戦をするつもりだった。
しかしシンは焦る。仮に今ここで逃げたとしても、再び敵にバレずに飛儺火へ潜入することが出来るか分からないのだ。
そして笛を吹き、今すぐ天都から援軍を呼び寄せて飛儺火との戦争に勝利したとしても、民の信仰は決して天都へは向かない。それだけ、今回の二柱は重要な役を担っていた。
「巫様!」
「人質は私が何とかする。あなたは村の者を安全な場所まで避難させて」
「へ、へい!」
ソウは村人に的確な指示を出す。
果たしてそれが冷静の中での行動なのか、それとも怒りに任せての行動なのか、最早シンにはソウの心が分からずにいた。先ほどまで泣きじゃくっていた筈の少女は、シンの中にはもういない。
「シン、私が奴らと話している間に、貴女は人質の安全を」
「…………はい」
もう熟考している猶予もなく、彼女はソウの言葉にただ頷くと、たったの単騎で姿を消した。
そうしてシンが身を隠したことを確認すると、ソウも龍狩りが歩いて来るという道の辻に出て、深く瞑想しながらその到着を待つことに。
――――道に響く軍靴。それは地を揺らす程の大きさで、非常にゆっくりとではあるが、確かに王狐の農村へ向かってくるものだった。
(今から私は人を殺すかもしれない。それが何人か、何百かは分からないけど、もう、後には退けないよね)
深い闇の中でソウは自らに問う。自分の魂と、亡くなったユキメの御霊に、果たして未来の自分の姿がどう見えるのか。しかし答えは返ってこない。
(出来る事なら、昔のままでいたかったなぁ)
目を開け、少しばかり傾いた太陽をその身に浴びる。目じりからは涙が零れ、糸のように細く夕焼けのように赤い瞳には、雲に隠れた太陽のように濁っている。
「全隊止まれぇ! 止まれぇ!」
歪な雰囲気を漂わせ、ただ一人で十字路の真ん中に立つ小さな巫女。その異常な空気に中てられた最前列の男が、後方の龍狩りたちにそう叫んだ。
そして、一人の女が隊の前に出る。




