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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
122/202

少女は蛇に追われる

 二柱は路地から顔を覗かせ、昨晩泊まった宿屋へと目を向ける。するとやはり、百本の薔薇のように派手な着物の女が、えらくご機嫌な様子で宿屋から出てくる姿が目に映った。


「あれです」

「ケバいなぁ」

「私は屋根の上から追うので、姫は下から人込みに紛れて尾けてください」

「了解」


 この時シンは、いま現在追っている女が、龍狩りへの手掛かりになると期待していた。

 双神が統治しているこの尾羽里では、その過剰とも言える断罪を恐れて滅多に盗みをする者などいないからである。それだけ尾羽里の街では、奉行所としての役割も担っている飛儺の龍狩りが絶対であった。


「ちょいと、この大根もう少し安くならないのかい?」

「何言ってんだい、こないだも安くしただろ?」

「大将、勘定頼まあ」

「はいよぉ、ちょっと待ってくれい」


 通りに並ぶ八百屋や魚屋などの店先には、常に二、三人の客が品定めをしていた。その様子はまさに海に浮かぶ孤島。そのぽつぽつと固まる客の中に紛れながら、ソウは女との距離を一定に保つ。


 対するシンは、猫のように屋根から屋根へ飛び移り、比較的近い距離で女の様子を伺っていた。


「お、ハバキさん、今日いい酒入ったんだけど、今夜あたり皆とどうです?」

「いいや、遠慮しとくよ。大事な用があるんでね」


 料理茶屋の店員らしき男が、ハバキと呼ぶ女に愛想を振りまく。

 そのやり取りを見た感じ、どうやらハバキは常連の様で、他にもたくさんの町人と楽し気に会話をしながら肩で風を切っている。


(あの女、やはり龍狩りか)


 その様子を二棟離れたれた所で見ていたシンは、その疑心を確信へと変えつつあった。


 ――そうして尾行を始めて数十分。二柱は女が小さな小屋へと入ってくのを確認。すぐさまソウは建物の裏へと回り、シンは屋根へ静かに這い上がる。


「…………八咫瞳黒」


 土色の藁ぶき屋根に登って静かに目を閉じたシンは、神通力を使い、上から女の目を盗もうと試みる。だが…………。


(なんだ、視界が悪い)


 しかし映るのは水中で目を開けた時のようなぼやけた景色。その視界の悪さのせいで、ハバキと呼ばれる女が何を見ているのか、シンは特定することが出来ずにいた。


「盲人か?」

「――――残念だねぇ。生憎、目は見えてるのさ」

 

 背後から突然の声。シンは飛矢を追うように振り向くと、道路標識程の大きさはある女が一人、嫌に口元を歪めながら笑っていた。


「いつの間に」

「尾けてくる体温があると思えば、まさかこんな子供だったとわねぇ」


 女の口元から覗くのは、刃物のように鋭く光る牙に、先端が裂けたかのような妖しい舌。

 そしてその顔つき、まるで筆先を置いただけのような和やかな麻呂眉だが、糸のように細い瞳孔は、何者をも寄せ付けないような眼光を放っている。


崇巳あがみ族か」

「んふふ、そういうお前さんは、何の獣だい? それとも…………」

「言うだけ無駄だ」

「つれないねえ、顔くらい見せてくれてもいいじゃないか」


 しきりに舌を出し入れする様はまさに蛇そのもの。その笑みも、女の狡猾さを表しているかのような嫌な笑み。


「ところで、巫様があたいに何の用だい?」

「我らから奪った路銀を、返してもらおうか」

「方便だろ? 本当の目的を言いな」

「語るに及ばず」


 突き飛ばすように言い放つと、シンは“封”の文字が入った一枚の札を屋根に叩きつける。するとたちまち白煙が立ち昇り、一寸先も見えぬほどの白で埋め尽くされる。


「……ごほッ、封札ふうさつかいっ。煙を封していたとは、なかなか手慣れてるねえ」


 煙を払いながら舌を這わせる女。視覚に頼らない蛇だからこそ、煙による目くらましはあまり効果を成さない。


「姫、逃げます!」

「なにバレてんのよ!」


 シンはすぐさま下に降り、家の裏側で待機していたソウを引っ張る。

 そうして通りに出て一目散に走るが、ハバキも直ぐに、その重そうな着物を舞わせながら追って来た。


「顔は見られたのッ?」

「いえ、崇巳は視力が弱いので、恐らくは大丈夫かと」

「崇巳族か。また厄介な」


 まさに追われる子ネズミ。ソウもシンに負けず、馬の如し逸足ではあるが、いかんせん背が小さいので、その速度にも限界がある。


「姫、早く!」

「分かってるって!」


 このままでは追い付かれると踏んだソウは、咄嗟に指を切ってその血を袴に沁み込ませた。龍血による補助を実行したのだが…………。


「んふふふ。足の速いガキ共だねぇ」


 ――――すぐ後ろにはハバキ。龍血による加速をもってしてもその距離は詰められる一方であり、そしてさらに街を歩く人々に阻まれ、二人の走りは大きく妨げられていた。


「致し方なしッ。私が引き付けますので、姫はそのまま逃げてください!」

「無理ッ。シンも一緒に逃げるの!」

「しかし、このままでは追い付かれましょうぞ!」

「その時はその時でしょ!」


 ここでソウはふと疑問を持つ。なぜこれだけの人込みの中で、女は何の迷いもなく私たちを追ってこられるのかと。これだけの体温が集まる人口密集地で、自分たちの温度だけを迷いもなく追って来られるのか。


「シン、こっち!」

「…………えッ」


 ソウは彼女の手を取ると、次の曲がり角を舐めるように曲がる。


「んふふふ。あたいからは逃げられないよ」


 ハバキもその長髪を凧のように広げながら角を曲がる。――だがしかし、その先には鬱陶しい程の人込みが広がるばかりで、走る人影の姿はない。


「んふふ。やるじゃないか」


 舌をちろちろ覗かせ、さらに絶えず周りの熱を感じ取るも、祭りのように賑やかなな街では、特定の二人を探し当てることは困難。


「ちょいとそこのアンタ、今しがた被衣を被った巫女を見なかったかい?」


 ハバキは手ごろな町人に声をかけ、巫女の行方を追う作戦に出る。


「いや、見てませんねぇ」

「そうかい、助かったよ」


 それからも何人かに話を聞いたものの、それでも有力な情報は得られず、ハバキの心も次第に諦めムードになってゆく。


(仕方ない。獲物を逃がすのは好きじゃないが、ここいらが潮時かね……)


 などと考え、ハバキは探す事を諦めた様子で煙管を吹かし始める。

 しかしソウとシンの二人は、意外にも彼女の近くにいた。それも頭の被衣を脱いで。いざと言うときの為に変装していたのが功を成したのか、二柱は完全に獣神として民衆に紛れていたのだ。


「…………よし、バレてない」

「このままやり過ごしましょう」


 二柱は声量を下げ、八百屋の細いミョウガを大量に抱えながらハバキの動向を窺う。

 しかしハバキは、相変わらず舌を覗かせてはいるものの、既に諦めた様子でのらりくらりと通りを歩いている。


「姫、一度町を出ましょう」

「分かった」


 自分たちを探すハバキを横目に、ソウとシンの二柱は女とは逆の方向へと向かう。


「おやぁ、つれないねえ。あたいも連れて行っておくれよ」


 しかし声。その独特のイントネーションで話す声は紛れもないハバキのもの。そしてそれは、確実に二柱へと向けられたものだった。


「知らないのかい? 蛇はねぇ、鼻がよく利くんだよ」

「――――不味いッ。逃げましょう!」

「…………ちッ」


 再び走り出すが、しかし行く手には人だかり。自分たちの熱を隠すために、人の多い通りを選んだが故の失敗だった。


「んっふふふ。ミョウガで誤魔化せると思っていたなんて、可愛い虎の子だこと」


 だが何を考えているのか、ハバキは逃げる巫女をただただ眺めるだけで、絶えず浮かべる笑みのまま不気味に嘲笑するのみ。


「撒いたのでしょうか?」

「わかんない、でも早く町を出よう」


 しかしそれを知らない二柱は、自分たちの顔を見られる事を恐れ、ただひたすらに町の外れを目指して走っていた。

 ――そうして逃げ続けること数十分。彼女らは無事、町の外へと逃げおおせることが出来たのだが、それでも不気味なほど早く諦めたハバキに対し、二柱は言いようもない不安に駆られていた。


「何だったんだ一体」

「分かりません。ただ、あの女が我らの匂いを覚えました。しばらくは尾羽里には来られないでしょう」

「臭いは消せないの?」

「はい。神霊は消すことが出来ても、体臭などは消せぬのです」

「打つ手なしか」

「しかし、私も女の匂いを覚えました」

「え?」

「今朝がた、私の袴についていた臭いは確かに店主のものでした。しかし、そこに微かに残っていたのは、間違いなくあの女の物」


 ここでソウは思い出す。今朝、彼女は路銀が盗まれた事を知るや否や、すぐさま自分の袴を鼻にあてていたことを。


「じゃあその匂いを辿っていけば、双子の所まで行けるかもしれないって事?」

「可能性は低いです。あの女が龍狩りどうかも分からぬのですから」

「でもまあ、何もないよりはマシか」

「ですね。ひとまず王狐の農村へ戻り、捕らえた龍狩りにハバキの事を聞いてみましょう」

「まだ生きてるかな?」

「村の者に治療をお願いしたので、恐らくは」

「ん、それじゃ急ごう」


 シンが何故あの宿屋を選んだのか。そしてなぜ店主に路銀を見せつけるような真似をしたのか。そんな知らない所で色々と策を講じていたシンの仕事ぶりに、ソウは改めて感動を覚えていた。


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