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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
第三章 国滅ぼし
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少女は未来に奏上す

「さあ、ここから先が遊女小屋の並ぶ御湯町です」


 瓦葺の仕上げが美しい大層な門で区切られた一区画。しかし扉は常に開いており、絶えず男たちが楽し気に笑いながら出入りしている。


 そしていざ中へ入ると、そこには大人の世界が広がっていた。

 空中にはたくさんの赤い提灯が浮いており、それぞれに一文字の漢字が書き込まれている。

 加えて建物の二階や三階からは、華やかな着物に身を包む女たちが、ぷかぷかと煙管を吹かしながら通りを見下ろしている姿も見られた。しかし全員もれなく、まるでゴミでも見るかのような冷たい視線だ。


「大人の街だ」

「姫には早いですが、これも仕事なので致し方ありません」


 たくさんの男女が歩く通りで、巫女姿の二人はあまりにも場違い。しかしそんな二人にも、声をかける者はいる。


「お、歩き巫女かい。ちょいと面ぁ見せてくれよ」


 そう言って年若い男がシンの被衣に手を掛ける。すると…………。

「我ら神に身を捧げし巫。御神の神体に触れるとは何事か」――と言い放ち、シンは男の腕を折らんと強く握る。


「いってて! 折れる折れる!」


 ミシミシと骨を軋ませながら唸る男。それを見かねてシンが手を離すと、まるで妖でも見るかのような青ざめた形相で男は退散して行った。


「こういうことがありますのでお気をつけて。とは言っても、姫に手出しする者はおりますまい」


 鼻で嗤うような言葉。流石のソウもそれには噛みつく。


「何それ、どういう意味?」

「そのままの意味にございます」


 どんどん険悪になっていく二人だが、しかし今はそれどころではない。


「とりあえず、ここいらで一番の麗人がおると言われる、見吉宿へ行きましょう」

「みよし宿?」

「ええ。なんでも、各地から貴族がこぞって会いに来るほどの美貌らしいですよ」

「ふうん。確かにそれだけの有名人なら、龍狩りの将がいても可笑しくはないかも」

「ということであれば、早速参りましょうか」


 という流れで、彼女らはなるべく、路地のような狭い通路を選んで見吉宿を目指す。


 ――――そうして入ったのは、本通りと本通りに挟まれた暗い路地。初心な少年少女が祭りの帰りにキスでもしていそうな狭い道。

 そこを歩けば屋敷の裏側も見られるが、しかし煌びやかな表とは違って、まるで景観など気にしないかのような小汚さが目立つ。

 そんなまるで世界から置いていかれたような暗がりに、からんころんと二柱の下駄の音だけが寂しくこだましていた。


「なんか風情はあるけど、人は少ないね」

「求めているものが違いますから」

「それもそうか」


 するとここで、対面から王狐族の少女が一人、しずしずと歩いて来る。

 背はソウより少し小さく、そして目元にクマのある痩せた少女。歳の頃は五か六ほどで、纏う着物は一見シンプルではあるが、どこか艶めかしさも帯びている不思議な少女。


 ――二人並んでやっとの通路なので、シンがソウの後ろに下がってやり過ごそうとするが、しかし少女は二柱に声をかけた。


「あの、お二人は巫様なのですか?」


 おどおどと舌足らずのか弱い声。思わず歩みを止めたソウ達は、互いの顔を見合わせた後、彼女の質問に答えることにする。


「ええ。何か御用で?」

 ソウが優しい声音で問う。

「あちき、この先の屋敷で見習いをしている者なんですが、少しお願いしたくて」

「お願い?」

「はい、少しだけ、祝詞を読んで欲しいのです」


 歩き巫女と言うだけで、寄ってくる者は如何わしい目的の者ばかりだったが、ここでようやくまともなお願いをされたことに、二柱は安堵の気持ちを抱く。


「うん、いいよ」

「しかし姫…………」

 ここでシンが耳打ちをする。

「決して纏いはしてはなりませぬぞ」


 神霊を纏う事によって、龍狩りに気取られることを恐れるシン。

 そんな再三の注意に耳が痛くなるも、ソウはその言葉に一回だけ頷き、少女の為に祝詞を奏上してあげる。


 欲望が渦巻く街の中の、その外れた寂しい小道にたった一つの小さな祝詞。しかし狐の少女は静かに合掌をし、ソウが読み上げる祝詞をただ静かに聞いた。


「ありがとうございます、巫様」

「いいえ。天の神々はいつでも、あなたの事を見守っておりますよ」


 いつも奏上する祝詞。彼女は少しでも少女の心の支えになればと、それを読み上げた。


「あなたがこの先、どうしようもない困難に立ち止まってしまった時は、この祝詞を奏上しなさい。そうすればきっと、神様はあなたに力を貸してくれる筈です」

「…………え?」


 ソウは少女の手を取ると、自らの爪で少女の指に傷をつける。


「――――っ痛」

「ごめんね。ちょっと強く握りしめちゃったみたい」

「い、いえ、大丈夫ですから、あちきなんかに謝らないでください」


 少女の言葉に優しく微笑むと、ソウは唇を少し噛んで少女の指を咥える。――それは血と血の交換。神と神使による契約を、ソウは王狐族の少女と交わしたのである。


「…………巫様?」

「姫、神使でもない獣神に、御力を貸してよかったので?」

「うん。この子はきっと、将来私の力にもなってくれるはず」

「姫がいいと仰るのなら、私は構いませんが…………」

「お主、名前は?」


 少しだけ口元を綻ばせ、頬が赤くなった少女にソウは問う。しかし少女は視線を落とし、なぜか申し訳なさそうに口を開く。


「名前はありません。ここに連れて来られた時から私は、いえ、あちきは見習いでしたから」

「そっか。ご両親は?」

「おりません。ずいぶん昔に、妖に襲われて」


 何処か物憂げな表情に、黒目がちの独特な目元。ソウはその少女が纏う雰囲気を、どこかユキメと重ねていた。 


「さぞ、辛かったでしょ」

「今はもう大丈夫です。それに、今日は巫様にも会えたので、もう少し頑張れそうです」

「そう。私もまだまだ未熟者だけど、一緒に頑張ろうね」


 その言葉に、ずっと曇り続けていた少女の顔に笑顔が戻る。


「はい、本当にありがとうございました!」

「うん」


 それを見たソウも、フードのように被っていた被衣を脱ぎ、まるで妹を想うかのような微笑みを見せて頷いた。


「ところで童よ、見吉宿はこの先で合っているか?」


 そんなシンの問いかけにも、少女は花を見るような爽やかな顔で答える。


「はい。この先を歩いていけば、見吉屋は直ぐに見えると思います」

「そうか、助かった。これで何か買うといい」


 布袋から取り出した三枚の金貨。少女の手には余るその大きな金塊を、シンは躊躇うことなく握らせた。


「これって…………」

「少しばかりの礼だ。誰にも渡さず、友や自分の為に使うのだぞ」


 小さな少女に訪れた大きな二つの幸せと、そして幾つかの小さな幸せを、少女は胸に留めてお辞儀をする。


「有難うございます巫さま!」

「じゃあ、気を付けて行くんだよ」

「はい!」


 先ほどとはまるで違う軽い足取りで、少女は再び歩き出す。そしてもう一度深くお辞儀をすると、そのまま狐の少女は姿を消した。


「姫も存外、天つ神らしくなってきましたね」

「早く行こ」


 ソウが被衣を被ったたまゆらの、その垣間見えた口元に、シンの表情もほんのりと和らいだ。

 しかし結局、その後の見吉屋では有力な情報は愚か、ほんの些細な情報すらも手に入れられず、二柱は深い溜め息を吐きながら宿屋へと帰還したのであった。


 ――――そしてその宿屋にて、夕食と入浴を済ませて浴衣へと着替えたソウは、鬱陶しい被衣からの解放感と共に、敷かれた布団の中で大いにくつろいでいた。 


「あー。気持ちいい」

「今日は収穫なしでしたが、また明日にでも御湯町へ行きましょう」

「だねぇ。私は疲れたからもう寝る」


 国境から王狐族の農村まで歩き、それから更に尾羽里の街まで歩いて来たソウは、もう足腰が立たないくらいの疲労感に襲われていた。


「姫、今夜は月が綺麗ですよ」


 障子窓に腰かけ、徳利とおちょこを傍らに置きながら、シンは夜空を見上げる。

 その水のように澄んだ、秋の夜空に浮かぶ欠けた月。しかしソウにとっては、それすらもユキメを連想させる、ただの岩の塊にしか思えなかった。


「…………寒いから閉めて」


 布団にくるまり、芋虫のようにもそもそと動くソウを見て、シンは軽く息を漏らす。

 本当は少しだけ晩酌に付き合って欲しかったようだが、しかしソウは未成年なので、それはシンも早々に諦めていた。だから彼女は、独り言のように言葉を始める。


「姫、私は今日、あなたに酷なことを申してしまいました。本当はもっと適任がいたなどと…………」


 障子戸を閉め、シンは壁にもたれてお酒を注ぐ。


「ですが本当は…………。私は」


 気恥ずかしいのか、それとも酒の力を借りたいのか、彼女はおちょこを口に付けて一気に傾ける。


「いや、本音を言えば私は、姫に殺しなどしてほしくはないのです。人を殺めてしまえば、いつもの自分は消えて亡くなります。もういつもの日常には戻れぬのです。親も、友も、まるで遠い存在になったような感覚が、今も消えません。それどころか、それはどんどん増すばかり。…………私は」


 そこまで言ったところで、ソウの布団から寝息が聞こえてくる。そんな気持ちよさそうな音を耳に入れたシンは、呆れたように鼻を鳴らして深呼吸をした。


「姫、願わくば、どうかこのまま健全に過ごしてくだされ」


 ただ静かにそう囁くと、彼女は一人静かに晩酌の続きを始めたのだった。


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